Student of the Year

2.5
Student of the Year
「Student of the Year」

 カラン・ジョーハルと言えば、ヒンディー語映画界のみならずエンターテイメント業界で広く活躍する人物であるが、本業は映画監督である。しかしながら、メディアでの露出度に比べて彼の監督としてのフィルモグラフィーは意外にも寂しい。「Kuch Kuch Hota Hai」(1998年)でデビューした後、「Kabhi Khushi Kabhie Gham」(2001年/邦題:家族の四季 愛すれど遠く離れて)、「Kabhi Alvida Naa Kehna」(2006年)、「My Name Is Khan」(2010年/邦題:マイ・ネーム・イズ・ハーン)と、片手で数えられるくらいしか監督作がない。プロデュース作品を含めると一応賑やかにはなるが、実績からすると必要以上にもてはやされてしまっているのではないかとの心配もある。

 カラン・ジョーハルの最新監督作「Student of the Year」が今日(2012年10月19日)から公開となった。今までカラン・ジョーハルの監督作にはシャールク・カーンが必ず主演していたのだが、今回は思い切って新人3人を起用。「My Name Is Khan」ではイスラーム教とテロリズムという重いテーマに挑戦した訳だが、今回は「Kuch Kuch Hota Hai」を思わせる学園モノだ。原点回帰と言ったところか。しかし当然のことながらベテラン監督ならではの手腕が期待される。

監督:カラン・ジョーハル
制作:ヒールー・ヤシュ・ジョーハル
音楽:ヴィシャール=シェーカル
歌詞:アンヴィター・ダット
振付:ファラー・カーン、ヴァイバヴィー・マーチャント、レモ・デスーザ、ボスコ=シーザー
衣装:マニーシュ・マロートラー
出演:スィッダールト・マロートラー(新人)、アーリヤー・バット(新人)、ヴァルン・ダワン(新人)、リシ・カプール、ローヒト・ロイ、ラーム・カプール、マンジョート・スィン、サナー・サイード、マンスィー・ラッチ、サーヒル・アーナンド、カーヨーズ・イーラーニー、ファリーダー・ジャラール、スシュマー・セート、ガウタミー・カプール、マニーニー・デー・ミシュラー、アクシャイ・アーナンド、プラーチー・シャー、ボーマン・イーラーニー(特別出演)、カージョル(特別出演)、ファラー・カーン(特別出演)
備考:PVRプリヤーで鑑賞。

 デヘラー・ドゥーンの名門校セントテレサには、寄付金によって入学した裕福な家庭の子供と、勉学によって入学した中産階級以下の子供が半々ほど在学していた。学長はヨーゲーンドラ・ヴァシシュト(リシ・カプール)。同性愛者で変人であるが、過去25年間セントテレサの顔となっていた。今年が彼の最後の任期となっていた。

 セントテレサのヒーローはローハン・ナンダー(ヴァルン・ダワン)。インドを代表する実業家アショーク・ナンダー(ラーム・カプール)の息子であった。アショークはヴァシシュト学長の旧友にしてセントテレサの大口スポンサーの1人でもあった。ローハンは、やはり富豪の娘であるシャナーヤー・スィンガーニヤー(アーリヤー・バット)と付き合っていた。ローハンとシャナーヤーは学園の目立つ存在であり、その回りには彼らのカリスマ性を慕ってサークルが出来ていた。ジート(サーヒル・アーナンド)はローハンの付き人のような存在だった一方、シュルティー(マンスィー・ラッチ)はシャナーヤーの金魚の糞となっていた。また、タニヤー(サナー・サイード)は何かとローハンを狙っており、シャナーヤーとはライバル関係にあった。他に、太っちょのスードー(カーヨーズ・イーラーニー)や天然ボケのスィク教徒ディンピー(マンジョート・スィン)など、愉快な仲間がいた。

 ある日セントテレサに1人のハンサムな男子生徒が入学して来る。彼の名前はアビマンニュ・スィン(スィッダールト・マロートラー)。中産階級の出身で、スポーツ推薦での入学であったが、誰もが恐れるローハンと対等に向き合う度胸を持っていた。二人の間には初日から火花が散る。アビマンニュはヴァシシュト学長お気に入りのコーチ(ローヒト・ロイ)が指揮するサッカーチームに入る。そこではローハンがスタープレーヤーとして活躍していた。早速二人はサッカーのフィールドでもライバル意識をむき出しにする。しかし、過去24年間勝てなかったセントローレンス校を協力して負かしたことで二人の間には友情が芽生える。ローハンはアビマンニュを父親に紹介する。アビマンニュはアショークを尊敬しており、アショークもアビマンニュの上昇志向を気に入る。

 あるとき、ローハンの兄の結婚式がタイで行われることになり、ローハン、シャナーヤー、アビマンニュ、ジート、シュルティー、タニヤーなどもタイに行くことになる。そこでローハンとシャナーヤーの仲が険悪なものとなるが、アビマンニュはわざとシャナーヤーと近付くことでローハンを嫉妬させ、二人の関係修復を計る。アビマンニュのおかげでローハンとシャナーヤーは仲直りするのだが、アビマンニュは本当にシャナーヤーに惚れてしまう。敏感なシュルティーはそれに気付き、シャナーヤーに伝える。そのときからシャナーヤーもアビマンニュを意識するようになる。

 ところで、セントテレサでは「スチューデント・オブ・ザ・イヤー」と言う校内総合競争が毎年行われていた。「スチューデント・オブ・ザ・イヤー」になるには、IQテスト、宝探し、ダンス、トライアスロンの4つの競技で勝ち残らなければならない。誰もが「スチューデント・オブ・ザ・イヤー」になることを夢見ていた。当然、ローハンとアビマンニュを初めとして、彼らの友人たちも「スチューデント・オブ・ザ・イヤー」を狙っていた。

 とりあえずローハン、アビマンニュ、シャナーヤー、ジート、シュルティー、タニヤー、スードーらはIQテストに合格し、宝探しも通過。次はダンス・コンペティションであった。男女がペアにならなくてはならない。だが、この頃にアビマンニュの祖母(ファリーダー・ジャラール)が死去したことをきっかけに、アビマンニュとシャナーヤーは急接近する。そして二人はキスをしているところをローハンに目撃されてしまう。ローハンとアビマンニュは殴り合いの喧嘩をし、絶交となる。また、ローハンは父親とも喧嘩し、勘当される。シャナーヤーとシュルティーも仲違いし、ジートはローハンに牙をむく。かつての仲良しグループはバラバラになってしまった。

 結局ダンスコンペティションにはローハンとタニヤー、アビマンニュとシュルティー、ジートとシャナーヤーのペアで出場することになった。スードーは相手が見つからず、ディンピーとペアを組む。ダンスコンペティションではローハン、アビマンニュ、シュルティー、ジートらが勝ち残る。

 最後のトライアスロンとなった。アビマンニュとローハンは対抗意識をむき出しにして争う。水泳、サイクリングと経て、最後はアビマンニュとローハンの一騎打ちとなる。結果はローハンの勝ちであった。しかし、ローハンは「スチューデント・オブ・ザ・イヤー」を辞退する。また、スードーは公衆の面前で、「スチューデント・オブ・ザ・イヤー」のせいで仲良しグループがバラバラになってしまったとヴァシシュト学長を糾弾する。学長にとって最後の「スチューデント・オブ・ザ・イヤー」杯は後味の悪いものとなってしまった。

 それから10年後。この10年間、ローハン、アビマンニュ、シャナーヤー、ジート、シュルティー、タニヤー、スードーらは一度も顔を合わせていなかった。だが、ヴァシシュト元学長危篤の報を聞き、再び彼らは再会する。ローハンはかねてからの夢だったミュージシャンとして大成していた。また、アビマンニュは銀行員となり、シャナーヤーと結婚していた。しかし10年振りに顔を合わせたローハンとアビマンニュは過去の諍いを蒸し返して取っ組み合いの喧嘩をする。ローハンが怒っていたのは、アビマンニュが最後にわざと負けたことを知っていたからだった。だが、アビマンニュはアショークがローハンの敗北を望んでいたために彼を勝たせたのだった。思いっ切り殴り合ってせいせいした二人は再び仲良しとなる。それを見届けるようにヴァシシュト元学長は息を引き取る。

 信じられない気持ちでいっぱいだ。カラン・ジョーハル監督の作品がここまで平凡な映画になるとは。結局彼には才能がなかったのだろうか?いや、決して「Studento of the Year」は失敗作ではない。娯楽映画としての最低限の要件は満たしている。ロマンスを中心に、笑い、涙、スポーツ、ダンスなどを散りばめ、インド映画の方程式に忠実に作られた娯楽映画となっていた。しかし、それだけだった。他に何もない。何もヒンディー語映画の発展に寄与するような要素がない。何も社会に発信するメッセージがない。娯楽に徹したと開き直っても、娯楽映画としてのレベルも決して最上ではない。これが新人監督の作品ならば一定の評価をしてもいいだろう。だが、10年以上のキャリアのあるカラン・ジョーハル監督の作品なのだ。これでいいのだろうか?僕はどうしても首を縦に振ることができない。

 学園モノ映画ということで、まずはやはり「友情」が重要な要素となる。しかし、「Student of the Year」で描かれる友情は、簡単に壊れてしまうようなものか、または歪んだ種類のものばかりである。スードーは「Student of the Year」のせいで友情が破壊されたとヴァシシュト学長を糾弾するが、その程度で壊れるものを友情を呼ぶことができるだろうか?ローハンとアビマンニュが仲違いすることで、ドミノ崩しのように友情が崩壊したが、非常に不自然だった。一応映画の最後でその友情は修復されるが、10年も掛かるものなのだろうか?残念ながら、観ていて気持ちいい友情はこの映画にはない。

 友情と同じくらい、学園モノ映画には「ロマンス」も欠かせない。この映画ではシャナーヤーを巡るローハンとアビマンニュの三角関係がロマンスの主軸だ。シャナーヤーがローハンを嫉妬させるためにアビマンニュを利用し、アビマンニュがシャナーヤーのことを好きになってしまうところまでは、陳腐な筋書きではあるが、いいとしよう。しかし、シャナーヤーがその後アビマンニュとキスをするシーンは全く分からない。一体どんな心変わりがあったのか?祖母の危篤をきっかけに近付いたのは分かったのだが、その心境が分からない。

 インド映画には「家族」も非常に重要な要素だ。しかし、この映画の中で家族の役割は非常に希薄である。もっとも前面に出ているのがローハンの父親アショークである。しかしローハンが勘当されるシーン以降、アショークの行動は一般的な父親像からかけ離れている。いくら勘当したからと言って、息子の成功を喜ばない父親がいるだろうか?アビマンニュの家族も、祖母以外は断片的な登場でほとんど存在感がなかった。

 カラン・ジョーハル監督の映画にはよくスポーツが出て来るのだが、この「Student of the Year」も例外ではない。主にサッカーとトライアスロンのシーンがあり、映画のハイライトとなっていた。しかし、スポーツ映画ではないことを差し引いても、あまり緊迫感のないものばかりだった。トライアスロンは驚いたことに男女混合で、しかもなぜか序盤はシュルティーがトップランナーとなっていた。普通は男女別の競技にすべきで、「スチューデント・オブ・ザ・イヤー」も男女1人ずつ選出すればいいと思うのだが、そうなっていなかった。そういう疑問が心に沸くと、なかなか映画の世界に入り込めないものだ。

 その一方で、新人俳優3人は決して映画の足枷にはなっていなかった。アーリヤー・バットの容姿に関しては多少言いたいことがあるが、それ以外は非常に真摯に演技に取り組んでいたと言えるだろう。特にローハン役のヴァルン・ダワンが将来性がある。アーリヤー・バットは、少しインド人離れした顔で、これが今後インド美人のスタンダードになって行くかと言うと、そうではないだろうと答えたくなる。肩幅が広くて身体がアンバランスな気もした。しかし、終盤、アビマンニュの祖母を見舞うシーンで落ち着いた衣服を着ていたが、むしろこちらの方が似合っており、あまり派手なキャラ向けではないと感じた。ちなみにヴァルン・ダワンは映画監督デーヴィッド・ダワンの息子、アーリヤー・バットは映画監督マヘーシュ・バットの娘である。スィッダールト・マロートラーはおそらく映画関係の家族出身ではない。

 リシ・カプールは同性愛の学長役。同性愛者の疑惑のあるカラン・ジョーハル監督の関わる作品には同性愛者の登場する確率が高い。往年の名優リシ・カプールにとっては肩の力を抜いた演技であった。他にボーマン・イーラーニー、カージョール、ファラー・カーンなど、ヒンディー語映画界の有名人がカメオ出演する。

 音楽はヴィシャール=シェーカル。コレオグラファーも錚々たる顔ぶれが揃っている。だが、音楽とダンスも平凡だ。ネクストジェネレーション参上、という活力がない。映画の盛り上げにはなっているが、映画の質向上には役立っていない。サントラCDの中では、クリシュナとラーダーの恋物語をモダンに味付けした「Radha」が一番いい。

 「Student of the Year」はカラン・ジョーハル監督の最新作であるが、意外なほどに平凡な作品である。普通に楽しめるが、彼にはどうしてもプラスアルファを求めてしまう。その期待に沿える作品ではない。