カンヌ映画祭併設の映画マーケット「Marché du Film」で頒布される世界映画市場トレンドレポート「FOCUS」は、世界におけるインド映画の立ち位置を確認するために有用な情報源である。近年は欧州評議会の欧州視聴覚研究所ウェブサイトからオンラインで購入できるようになり便利になった。例年、カンヌ映画祭終了後の6月初めにオンラインでその年のレポートが発売される。
インドが「世界一の映画大国」を名乗る際の大きな根拠になっているのが年間映画製作本数の多さである。歴代の「FOCUS」でもインドは「長編映画製作本数世界トップ10(Top 10 markets worldwide by feature film production)」で長年1位をキープし続けてきた。
ところが、2024年版の「FOCUS」ではインドは2位に転落していた。インドに代わって1位に輝いたのは中国であった。
2019 | 2020 | 2021 | 2022 | 2023(暫定) | |
---|---|---|---|---|---|
1. 中国 | 850 | 531 | 565 | 380 | 792 |
2. インド | 661 | 163 | 533 | 978 | 746 |
3. 日本 | 689 | 506 | 490 | 634 | 676 |
4. 韓国 | 502 | 615 | 653 | 703 | 608 |
5. 米国 | 814 | 443 | 941 | 803 | 510 |
暫定値ではあるが、2023年に中国で製作された映画の本数が792本であるのに対し、インドで製作された映画の本数は746本だった。
しかしながらこの表が妙なのは、インドの過去の製作本数も記憶に比べて少ないことだ。コロナ禍前にはインドは2,000本以上の映画を作っていたはずである。
よく見るとこの表には注があり、インドの年間製作本数の数え方に変更があったと記されていた。2024年のレポートでは、インドで「製作本数」として計上されるのは、「総興行収入が10万ルピーを超える長編映画の公開本数」になったとのことである。
ちなみに、2023年版の「FOCUS」では、同じ表は以下のようになっていた。
2018 | 2019 | 2020 | 2021 | 2022(暫定) | |
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1. インド | 2446 | 2524 | 1238 | 1818 | 1367 |
2. 米国 | 808 | 814 | 443 | 943 | – |
3. 中国 | 1082 | 1037 | 650 | 740 | – |
4. 韓国 | 454 | 502 | 615 | 653 | 703 |
5. 日本 | 613 | 689 | 506 | 490 | 634 |
韓国と日本の製作本数は一致しているが、インド、米国、中国の製作本数はガラリと変わってしまった。インドについては、2019年の2,524本が661本に、2020年の1,238本が163本に、2021年の1,818本が533本に、2022年の1,367本が978本に激減している。そもそも信頼できる数字なのかという疑問が湧くが、各国で映画を数える基準がマチマチなので、集計する方も難儀しているのであろう。
実はインドで「製作本数」と呼ばれていたものは、2023年までは「認証本数」であった(参照)。日本の「映倫」にあたる中央映画認証局(CBFC)によって公共の場での上映を認可された長編映画の本数が「FOCUS」などで便宜上「製作本数」として扱われていた。よって、実際に映画館で公開された映画の数とは開きがあった。おそらく今回「FOCUS」編集部が数え方を変更したのは、より正確な実態を反映させようと考えたからであろう。
2024年の「FOCUS」でこれだけインドの製作本数が目減りしてしまったのは、今まで「総興行収入が10万ルピー以下」の零細映画がたくさん認証されていたからだと受け止めればいいだろうか。10万ルピーといえば20万円に満たない。せっかく認証されても公開されないか、もしくはほとんど公開されず、ほとんど稼げずに終わってしまったような、自主製作映画に近い作品がインドには大量に存在してきたことが予想される。確かにCBFCが発表している認可済み映画のリストを見てみても、全く見たことも聞いたこともない映画の題名がたくさん並んでいる。
もし今後、「総興行収入10万ルピー」という基準で年間製作本数を数えていくとすると、今までのようにインドが安定して1位で居続けることは困難になるだろう。今後、インドは年間製作本数の多さを根拠に「世界一の映画大国」を名乗りにくくなるかもしれない。
元々インドは映画の市場としては世界一の規模になかった。他国に比べて入場料が安いため、観客数が多くても、どうしても興行収入は低くなる。観客数については世界1位であることが多かったが、2023年にはこれも中国に抜かれ2位になっていた。
そうすると、インドが「世界一の映画大国」であることを示す客観的なデータがなくなってしまったことになる。認識を改める必要があるのか、しばらく状況を注視していこうと思う。
ちなみに、2024年の「FOCUS」によると、2023年のインドにおける興行収入トップ10の映画は以下の通りである。海外の映画を含む全ての言語の映画のランキングだ。ハリウッド映画など、海外の映画はトップ10に一本も入っていない。自国映画占有率の高さもインド映画市場の特徴である。
- 「Jawan」ヒンディー語 邦題:JAWAN/ジャワーン
- 「Animal」ヒンディー語
- 「Pathaan」ヒンディー語 邦題:PATHAAN/パターン
- 「Gadar 2」ヒンディー語
- 「Salaar: Part 1 – Ceasefire」テルグ語 邦題:SALAAR/サラール
- 「Jailer」タミル語
- 「Leo」タミル語
- 「Adipurush」ヒンディー語
- 「Tiger 3」ヒンディー語 邦題:タイガー 裏切りのスパイ
- 「The Kerala Story」ヒンディー語
改めて、2023年はヒンディー語映画の復活が鮮明になった年であったことが分かる。