The Kerala Story

3.5
The Kerala Story
「The Kerala Story」

 2014年にインド人民党(BJP)が中央で政権を樹立し、ナレーンドラ・モーディーが首相に就任して以来、インドではヒンドゥー教至上主義が勢力を拡大し、映画界にも影響を与えるようになっている。ヒンドゥー教の神話や英雄を讃える映画が増えたのと同時に、イスラーム教徒を敵にした映画が目立つようになった。そしてとうとう「The Kashmir Files」(2022年)のような、イスラーム教徒に対する憎悪を煽るプロパガンダ映画が作られるようになり、不安の声が挙がるようになった。

 2023年5月5日公開の「The Kerala Story」も、ヒンドゥー教至上主義の潮流から生まれたイスラームフォビア映画のひとつに数えられている。「The Kashmir Files」と題名が似ているが、製作者は全く別である。しかしながら、BJPは「The Kashmir Files」と同様にこの「The Kerala Story」を推しており、選挙にも利用している。製作者の意図は別にして、BJPにとって都合のいい内容である。

 「The Kerala Story」は、ケーララ州で深刻化しているとされる「ラブ・ジハード」を扱った映画だ。イスラーム教徒が組織的にヒンドゥー教徒やキリスト教徒の女性を罠にはめて改宗させ、ISISが支配するシリアに送っていると警鐘を鳴らしている。映画の最後では、過去10年間に「3万2,000人が改宗した」と主張されているが、映画の冒頭にある免責文でそれは否定されている。そもそも、この「3万2,000人」という数字がイスラーム教に改宗した人の数なのか、それともあらゆる改宗を含んでいるのか、男女合わせた数なのか、それとも女性のみの数なのか、明記がない。実話にもとづく映画ともされてはいるが、これもやはり免責文で否定されている。

 監督はスディープトー・セーン。過去に何本も映画を撮っているがひとつも観たことがなく、有名な映画監督とはいえない。ケーララ州のラブ・ジハードについて「In the Name of Love!」(2022年)というドキュメンタリー映画を撮っていることが注目される。「The Kerala Story」はそのドキュメンタリー映画の内容にもとづいたフィクション映画だと位置づけられる。

 プロデューサーはヴィプル・アムルトラール・シャーである。彼はこの映画の「クリエイティブ・ディレクター」も称している。シャーは過去に「Namastey London」(2007年)、「London Dreams」(2009年)、「Action Replayy」(2010年)を撮っている他、「Singh is Kinng」(2008年)や「Commando」シリーズ(2013年2017年2019年)などをプロデュースしてきた。どちらかといえばお気楽な娯楽映画を作ってきた人物であり、このようなシリアスかつセンシティブな映画を作るイメージはない。BJPから資金援助を受けてこの映画を作ったのではないかとの声もあったが、彼は全面否定している。シャーは元々演劇畑で、映画界に飛び込む前はシリアスな舞台を好んで監督していたという。

 キャストは、アダー・シャルマー、ヨーギター・ビハーニー、ソニア・バラーニー、スィッディ・イドナーニー、デーヴァダルシニー、ヴィジャイ・クリシュナ、プラナイ・パチャウリー、プラナヴ・ミシュラー、プラナーリー・ゴーガレーなどである。この中でもっとも有名なのは「1920」(2008年)でデビューしたアダーだ。彼女はシャー監督のプロデュースした「Commando」シリーズでヒロインを務めており、その縁でこの「The Kerala Story」にも起用されたと考えられる。

 ケーララ州ティルヴァナンタプラム出身のシャーリニー・ウンニクリシュナン(アダー・シャルマー)は看護婦になるためにカーサルゴードの看護学校に通い始めた。寮のルームメイトになったのは、ギーターンジャリ(スィッディ・イドナーニー)、ニマ(ヨーギター・ビハーニー)、そしてアースィファー(ソニア・バラーニー)であった。

 アースィファーは敬虔なイスラーム教徒で、シャーリニー、ギーターンジャリ、ニマにイスラーム教徒の教えを熱心に説く。キリスト教徒のニマはあまり関心を示さなかったが、ヒンドゥー教徒のシャーリニーとギーターンジャリはアースィファーの影響でヒジャーブをかぶるようになり、彼女の紹介で出会ったイスラーム教徒の男性たちと付き合い始める。

 シャーリニーは医学生ラミーズ(プラナイ・パチャウリー)と肉体関係になり、妊娠してしまう。シャーリニーはラミーズと結婚するためにイスラーム教に改宗するが、改宗した途端、ラミーズは姿をくらましてしまう。イスラーム教法学者の助言に従い、シャーリニーはイシャーク(ヴィジャイ・クリシュナ)という別のイスラーム教徒男性と結婚し、ファーティマーと改名する。そして、シリアへ行くことになる。

 シャーリニーはイサークと共にスリランカからパーキスターンに渡ってアフガーニスターンに密入国する。スリランカではニマと連絡を取る。ニマからは、アースィファーの友人たちに輪姦されたこと、そしてギーターンジャリが恋人アブドゥル(プラナヴ・ミシュラー)に騙され自殺したことを知らされる。シャーリニーはしばらくシャーバードという場所で暮らし、女児を出産するが、しばらく後にイサークが戦死したとの報を受ける。シャーリニーは子供から引き離されて連行され、武装勢力たちの性奴隷にされる。シリアへの移動中にシャーリニーは隙を見て逃げ出し、国連に保護された。

 シャーリニーはインドへの帰国を望んだが、インドは彼女をテロリストと認定し、受け入れようとしなかった。国連のキャンプでは、同じような境遇の女性たちがたくさんいた。

 2009年頃からメディアで見掛けるようになった「ラブ・ジハード」という言葉だが、その手口がこれほど分かりやすく説明されている映画は過去にない。

 「The Kerala Story」でラブ・ジハードの餌食になったのは看護学校の寮生であった。寮生の中にアースィファーというイスラーム教徒の女性がおり、彼女がイスラーム教組織の指示を受けて非イスラーム教徒のルームメイトを改宗の道へ誘う。アースィファーは青春に飢えたルームメイトたちにハンサムなイスラーム教徒男性を紹介し、うまいこと恋仲にさせる。その目的のためには薬物も使われた。男性たちは組織から、付き合い始めた女性たちを早く妊娠させるように指示を受ける。罠にはまった主人公シャーリニーはラミーズに身体を許してしまい、やがて組織の思惑通り妊娠してしまう。

 イスラーム教ではイスラーム教徒同士の結婚しか認められない。イスラーム教徒と非イスラーム教徒の結婚では、非イスラーム教徒の方が改宗するケースが多い。しかも改宗時にはイスラーム教徒らしい名前に改名するのが常である。ラミーズに恋していたシャーリニーは、ヒジャーブをかぶるようにはなっていたものの、当初イスラーム教への改宗は躊躇する。しかしながら、ラミーズとの幸せな結婚生活を思い描き、最終的には改宗を承諾し、ファーティマーに改名する。もちろん、両親の反対を振り切っての改宗であり、彼女は家族と絶縁状態になる。これはイスラーム教組織にとって好都合である。

 シャーリニーが改宗すると、ラミーズは突然いなくなってしまう。もはや中絶ができる月数でもなく、彼女は誰かを夫にして結婚しなければならなくなる。彼女の改宗を主導したマウルヴィー(法学者)からイシャークという別の男性を紹介され、仕方なくシャーリニーは彼と結婚することになる。この頃にはシャーリニーは完全にイスラーム教に洗脳されており、イスラーム教の拡大を使命と考えるようになって、夫と共にISISが支配するシリアへ行くことを受け入れてしまう。だが、当初は優しそうに見えたイシャークもアフガーニスターンに着くと本性を現し、彼女は性奴隷にされてしまう。

 アースィファーのルームメイトになった他の女性たちも悲惨な目に遭った。ギーターンジャリはアブドゥルという男性と付き合うようになるが、アブドゥルはEDで、妊娠することはなかった。よって、改宗することもなかった。しかしながら、彼女はアブドゥルの要求に従って裸の写真を彼に送ってしまっていた。目が覚めたギーターンジャリはヒンドゥー教に戻るが、アブドゥルは彼女の裸の写真をネット上にばらまいた。それを知ったギーターンジャリは自殺してしまう。

 敬虔なキリスト教徒だったニマは、アースィファーから洗脳されなかった。だが、イスラーム教徒の男性たちに薬物を使って昏睡状態にされ、毎日輪姦される憂き目に遭った。

 これらのエピソードは、プライバシー保護のため仮名が使われているものの、全て実話とのことである。ただ、あたかも10年間で3万2,000人もの女性がラブ・ジハードの被害に遭っているかのような主張がなされており、それが問題視されている。そもそも、イスラーム教徒の男性と恋に落ちて改宗し、結婚したヒンドゥー教徒やキリスト教徒の女性は確かにいるだろうが、それだけではラブ・ジハードとはいえない。それが組織的に行われている証拠があって初めてラブ・ジハードが成立する。さらに、この言葉が出回り始めた2009年頃には、ラブ・ジハードの目的はインドにおいてイスラーム教徒の人口を増やすことだったはずだが、「The Kerala Story」で語られているのは、ラブ・ジハードがテロリストの供給源になっているという新しい事実だ。そしてテロリストとして送られる先がISISだという。

 ちなみに、ISISがカリフ制イスラーム国家の樹立を宣言したのは2014年であり、翌2015年にかけてシリアやイラクにおいて支配領域の拡大が続いた。この時期、インドからも多数のジハード戦士たちがISISに渡ったとされており、中でもケーララ州出身者が多かったという報道もあった。「The Kerala Story」は大げさな主張をしているものの、全くのデタラメというわけではなさそうだ。

 「The Kerala Story」は、イスラームフォビアを喚起するプロパガンダ映画であり、複数の州で上映禁止処分を受けながらも大ヒットした。ちょうどケーララ州の隣のカルナータカ州で州議会選挙が行われているタイミングに公開され、選挙の行方にも影響を与えるのではと危惧されたが、BJPは惨敗に終わった。

 アフガーニスターンで国連に保護されたシャーリニーが、自分はテロリストではないと主張するために、いかにラブ・ジハードの餌食になったのかを語る上で、回想シーンが展開していく構成になっており、時間軸は現在と過去を行ったり来たりする。ここまで分かりにくい編集をする必要性を感じなかった。スディープトー・セーン監督は決して見せ方がうまい映画監督ではない。

 デビュー以来、いまいち上昇気流に乗れていなかったアダー・シャルマーは、主演した問題作「The Kerala Story」が当たったことで、プロパガンダ映画御用達の女優に活路を見出したと思われる。ずば抜けた演技力や美貌があるわけではないが、立ち位置が定まれば伸びていきそうな女優である。

 「The Kerala Story」は、ケーララ州で深刻化しているとされるラブ・ジハード問題を取り上げた作品である。監督やプロデューサーは、政治的な偏りはなく、現実に起こっている危機的な出来事を映画にしただけだと主張するが、映画の内容はイスラーム教徒に対する憎悪を煽っており、イスラーム教徒コミュニティーをスケープゴート化してヒンドゥー教徒有権者の票固めを行いたいBJP政権にとって好都合な作品になっている。内容を鵜呑みにすることは危険だが、全くのデタラメだと切り捨てるのも早計である。また、女性中心映画としては歴代トップの興行収入を稼いだ作品になっていることも見逃せない。取り扱いに細心の注意を要するものの、2023年のヒット作の一本ということもあって、決して無視できない問題作だ。