シェークスピアの「マクベス」と「オセロ」をインドの農村部に当てはめて巧みにヒンディー語映画化したヴィシャール・バールドワージ監督は、音楽監督から映画監督に転身した変わり種である他、子供向け映画の先駆者としても重要な人物である。彼の「Makdee」(2002年)はヒンディー語映画界では初の子供向け商業映画と言えるし、英国系インド人英語作家ラスキン・ボンド原作の「The Blue Ambrella」(2005年)も童話的物語であった。今回ヴィシャール・バールドワージ監督は再びラスキン・ボンドの「Susanna’s Seven Husbands」を原作に映画を作った。2011年2月18日公開の「7 Khoon Maaf」である。ラスキン・ボンド自身の言葉によると、原作はフランスの作家アナトール・フランスの短編小説「青髭の七人の妻」にインスパイアされて書いた物語だと言う。ただし、今回は子供向け映画ではなく、完全に大人向けの映画である。主演は、ヴィシャール・バールドワージ監督の前作「Kaminey」(2009年)でも主演を務めたプリヤンカー・チョープラー。その「7人の夫」役となるのは、ニール・ニティン・ムケーシュ、ジョン・アブラハム、イルファーン・カーン、ナスィールッディーン・シャーなど、ヴァラエティーに富んだ男優たちである。ちなみにラスキン・ボンド自身もカメオ出演している。
監督:ヴィシャール・バールドワージ
制作:ロニー・スクリューワーラー、ヴィシャール・バールドワージ
原作:ラスキン・ボンド作短編小説「Susanna’s Seven Husbands」
音楽:ヴィシャール・バールドワージ
歌詞:グルザール
出演:プリヤンカー・チョープラー、ニール・ニティン・ムケーシュ、ジョン・アブラハム、イルファーン・カーン、アレクサンドル・ディアチェンコ、アンヌー・カプール、ナスィールッディーン・シャー、ヴィヴァーン・シャー、ウシャー・ウトゥプ、ハリーシュ・カンナー、コーンコナー・セーンシャルマー、ラスキン・ボンド
備考:PVRプリヤーで鑑賞。
孤児だったアルン(ヴィヴァーン・シャー)はプドゥッチェリーに住む大富豪の使用人グーンガー(ハリーシュ・カンナー)の養子となったが毎日こき使われていた。だが、邸宅の女主人スザンナ・アンナマリー・ジョハネス(プリヤンカー・チョープラー)はアルンを可愛がるようになり、彼を学校に送った。アルンもスザンナを女神のように敬っていた。
スザンナはエドウィン・ロドリケス少佐(ニール・ニティン・ムケーシュ)と結婚していた。エドウィンは1984年のブルースター作戦で活躍した軍人であったが、そのときに片足を失っていた。エドウィンとスザンナの間には子供もできなかった。やがてエドウィンはスザンナの使用人たちに暴力を振るうようになり、スザンナもエドウィンとの結婚に愛想を尽かす。ある晩、人食い豹を狩りに出掛けた際にスザンナはエドウィンを狩猟台から落とし、豹の餌食としてしまう。
スザンナはエドウィンの葬礼で歌を歌っていた青年ジミー(ジョン・アブラハム)と恋に落ち結婚する。歌の才能があったジミーはスザンナの財政的援助もありロックスターとして有名になる。だが、彼が作った曲は大学時代の友人の盗作だった上に、覚醒剤にはまり、派手な女遊びをし出す。スザンナはジミーを更生させようとするが果たせず、最終的にはオーバードーズさせて殺してしまう。
スザンナは悲劇から逃れるためにカシュミールへ旅行する。そこで出会ったのがウルドゥー語詩人ワスィーウッラー・カーン・ムサーフィル(イルファーン・カーン)であった。折しも1992年のバーブリー・マスジド破壊事件が起こった時期で、ワスィーウッラーの詩はイスラーム教徒たちから絶大な支持を集めていた。スザンナはワスィーウッラーの詩の虜となり、イスラーム教に改宗してスルターナーと改名し、彼と結婚する。しかしワスィーウッラーはベッドの上では一変して粗暴となり、スザンナは暴力に耐えられなくなる。ある晩スザンナは使用人たちと共謀してワスィーウッラーを雪の下に生き埋めしてしまう。
次にスザンナが結婚したのはロシア人ニコライ・ブロンスキー(アレクサンドル・ディアチェンコ)であった。スザンナはすっかりロシア贔屓になってしまい、アンナ・カレリーナにあやかってアンナを名乗り出す。彼女はアルンにもロシア語を学ばせ、ロシアの医学大学へ留学させる。ところがアルンはモスクワに旅行したときにニコライが別の家族と共にいるのを見つけてしまう。アルンはその様子を写真に撮ってスザンナに送る。しかもニコライはスパイで、インドの核開発を調査していた。スザンナはニコライを蛇の住む井戸へ下りさせて殺してしまう。ちなみに1998年にインドは核実験を行う。
今までの殺人はうまく隠して来られたが、今回はロシア人が死亡したためにロシア大使館も動き、ややこしいことになる。スザンナは中央情報局(CBI)の捜査も受けるが、ニコライがスパイである証拠を提出することで幕引きしようとする。運のいいことに、事件の担当官は旧知のキーマト・ラール(アンヌー・カプール)であった。そのおかげでスザンナは法の追求を免れたが、代わりにキーマトがスザンナに惚れ込んでしまい、何かと理由を付けて彼女を訪ねて来るようになる。挙げ句の果てにキーマトは妻と離婚してスザンナに求婚する。仕方なくスザンナはキーマトと結婚する。だが、キーマトとの結婚生活も長続きせず、キーマトは死んでしまう。当然、スザンナが殺したのだった。
この頃にアルンは留学から帰って来る。だがスザンナに求愛されたことで嫌気が差し、グーンガーと共に彼女の家を去る。その後のスザンナのことはアルンには分からなかった。アルンは法医学専門家として自立し、ナンディニー(コーンコナー・セーンシャルマー)とも結婚した。長いことスザンナのことは忘れていたが、ある日スザンナの司法解剖報告書を依頼される。送られて来た骨格は明らかにスザンナのものではなかった。だがアルンはかつての恩を返すため、それがスザンナの遺体であると偽証する。そしてナンディニーに黙ってプドゥッチェリーへ向かう。
スザンナの邸宅は既に廃墟と化していた。アルンはようやくとあるバーでスザンナと再会する。スザンナはアルンが去ってからのことを話す。アルンに逃げられたスザンナはその後彼が結婚したことを知り、睡眠薬を大量摂取して自殺しようとするが、たまたま通りがかったベンガル人医師モドゥスドン・タラフダール(ナスィールッディーン・シャー)に助けられる。モドゥスドンは西洋医学からホメオパシーやナチュラロジーまで様々な医学の専門家であったが、特にキノコのスペシャリストだった。スザンナはモドゥスドンと恋に落ち、2人は結婚する。ところがある日モドゥスドンの留守中に泥棒が入り、後日その泥棒がモドゥスドンであったことがスザンナに知れてしまう。スザンナは銃を持ってモドゥスドンのオフィスに乗り込み真相を追及する。焦ったモドゥスドンは破産寸前だったことを明かすが、スザンナは彼を殺してしまう。そして邸宅に火を放ち自殺しようとする。ところが彼女は火に耐えられなくなって逃げ出してしまう。代わりにメイドが焼死する。その遺体がアルンに送られたのだった。
6回結婚し6回失敗し、全てを失ったスザンナは、乞食となってインド各地を移動していたが、あるとき新聞で自分の死が立証されたことを知り、新たな人生を始めることを決意する。彼女が選んだ7番目の夫はイエス・キリストであった。スザンナは牧師(ラスキン・ボンド)とアルンの立ち会いの下、シスターとして生きることを誓う。
まず突っ込みから始めたいが、「7つの殺人の免罪」という題名にも関わらず、主人公スザンナは劇中で6人の男性(イエス・キリストを除く)しか結婚しておらず、従って6回しか殺人をしていない。ただし、スザンナの焼身自殺に巻き込まれる形でメイドが死んでおり、それを含めて「7つの殺人」としているのかもしれない。劇の最後でシスターとなったスザンナが懺悔するシーンがあり、そこでも彼女は「7つの罪」と言っていた。
スザンナはキリスト教徒アングロ・インディアンであり、映画を貫く価値観もキリスト教的かつ欧米的なものだった。何度も結婚に失敗することをスザンナは「間違った夫」ばかりと結婚したためだとし、自分の中に何の欠点も見出さなかった。「免罪」という概念にしても、どこか一般のインド映画からかけ離れている。まず彼女はアルンの機転もあって死んだことになり、今までの殺人の罪から法的に解放される訳だが、それだけでは満足は得られず、イエス・キリストと結婚し、シスターとなることで、また罪を懺悔することで、罪を洗おうとしている。一般のインド人が果たしてこういう贖罪観をそのまま受け容れることができるかどうか、不明である。周囲の観客の反応を見る限り、あまりいいまとめ方ではなかったと言える。ラスキン・ボンドによる原作は未読であるが、その原作がこの結末に影響しているのかもしれない。ただ、6番目の夫マドゥスドンが語っていた言葉はこの映画の真のメッセージだと感じた――「少量なら薬になるものも、多量なら毒になる。少なさの中で生きることを学びなさい。そうすれば不足を感じることはない。」結局マドゥスドンも「間違った夫」になってしまう訳だが、この言葉をもって結末にしておけばより深みのある映画になっていただろう。
6人の夫との出会い、結婚、関係のもつれ、そして殺人に至るまでの過程もあまりにスピーディーに描写されていたため、ひとつひとつのストーリーは非常に淡泊であった。淡泊なストーリーの寄せ集めの上に成り立っているため、全体としても希薄な印象を受けた。
ここ最近、女性を主人公とした映画が続いている。「Aisha」(2010年)、「Break Ke Baad」(2010年)、「No One Killed Jessica」(2011年)などである。「7 Khoon Maaf」もプリヤンカー・チョープラー演じるスザンナが主人公の映画であり、ガールズ映画に分類することができる。現に劇場でも女性の観客が多めであった。だが、あくまで監督も脚本も男性が担っており、彼女の人生に女性観客が共感できたかどうかは疑問である。むしろスザンナに憧れ続けて来たアルンの立場に立って映画を見直してみると、より深みのある映画になる。
アルンにとって子供の頃からの憧れであり、女神に近い存在だった女主人スザンナ。彼女が結婚を繰り返す度にアルンはショックを受けていたが、どうすることもできなかった。スザンナの気まぐれのせいで彼はロシアに留学させられることになる。不本意な留学ではあったが、彼はロシアで学問を修め、そのおかげで法医学者として自立することに成功する。一度アルンはスザンナに性的誘惑を受けるが、それをはねのけており、それがきっかけで彼女の下を飛び出すことになる。しかしながらスザンナは彼の憧れの対象であり続けた。運命の悪戯で彼女の司法解剖をすることになったアルンは、今まで彼女から受けた恩を返すため、それが彼女の遺体ではないと知りながら、彼女の死を証明する。そして妻を置いてスザンナを探しに行き、彼女の7人目の結婚相手を救おうとする。彼のキャラクターはスザンナよりもよっぽどか現実味があり、「7 Khoon Maaf」の真の主人公と言える存在であった。
特に年号や年数などは明示されていなかったが、各時代を象徴する事件がさりげなく言及され、インド人やインドの現代史に詳しい人なら大体の時代が分かるように工夫されていた。1984年、カーリスターン独立運動活動家たちが立てこもったアムリトサル黄金寺院を攻撃したオペレーション・ブルースター、1992年アヨーディヤーにおける、ヒンドゥー教過激派によるバーブリー・マスジド破壊事件(参照)、1998年のインド核実験、1999年のインディアン・エアラインス814便ハイジャック事件、2008年のムンバイー同時多発テロ事件などがストーリーの随所でチラリと示され、次第に時間が流れていることが暗示されていた。この手法は「No One Killed Jessica」でも使われていた。
プリヤンカー・チョープラーは「Kaminey」に続き今回もヴィシャール・バールドワージ監督の期待に応える名演。既にヒロイン女優を脱皮したと言っていいだろう。おそらくかつてカリーナー・カプールが目指した位置に現在のプリヤンカーはいる。典型的娯楽映画の正統派ヒロインをこなしながらも、ハトケ(違った)映画で主演も演じられる女優。もうすぐ女優にとって方向転換が急務となる30歳の節目を迎えるが、同世代の女優の中では彼女がもっともうまくキャリアアップしている。対するカリーナー・カプールは未だに「Golmaal」シリーズなどの出演でお茶を濁してくすぶっている状態だ。
プリヤンカー主演の映画であり、彼女の夫たち――ニール・ニティン・ムケーシュ、ジョン・アブラハム、イルファーン・カーン、ナスィールッディーン・シャーなど――は出番が限られる。だが、限られた出番の中でそれぞれ自分の役割を確実にこなしていた。アルンを演じたヴィヴァーン・シャーはナスィールッディーン・シャーの次男。長男のイマード・シャーも映画俳優である。しゃべり方がやたらやるせなくて役に合っていなかったが、潜在力はありそうだ。コーンコナー・セーンシャルマーが特別出演以上の役割を果たすが、それ以上に作家ラスキン・ボンドのカメオ出演が面白い。英語作家として知られるラスキン・ボンドだが、インドに生まれ育っているだけあり、普通にヒンディー語もしゃべっていた。
音楽はヴィシャール・バールドワージ監督自身。元々音楽監督だったので作曲もお手の物だ。作詞家もいつも通り彼の盟友グルザール。6人の夫を象徴するようにバラエティーに富んだ楽曲が揃っているが、中でも特筆すべきはロシア人夫ニコライのシーンで使われた「Darling」。ロシアの民謡カリンカのヒンディー語アレンジで、ロシア語的なヒンディー語の歌い方が面白い。他に2人目の夫ジミーのシーンで出て来る「O’ Mama」も、ハードロック調の曲で、「Rock On!!」(2008年)以降のヒンディー語映画界におけるロックブームの一端だと評価できる。
言語は基本的にヒンディー語だが、写実的な台詞回しなので多少聞き取りづらい部分もあるだろう。英語の台詞も多いが、英語だけで筋が追える程度ではない。珍しいところではロシア人夫ニコライのシーンでロシア語の台詞が字幕なしで結構出て来る。
「7 Khoon Maaf」はヴィシャール・バールドワージ監督の最新作で、ハトケ映画の信奉者にとっては今年の大きな期待作の一本であった。監督としての腕はさすがだし、努力の跡も随所に見られるが、映画として楽しめる作品には必ずしも仕上がっていなかった。「7人の夫と結婚し、7人の夫を殺す」という、いかにも女性受けしそうなストーリーではあるが、蓋を開けてみると女性の共感を呼ぶような作りにもなっていない。ヒットは難しいだろう。