2023年9月17日付けタイムズ・オブ・インディア紙に、作家ショーバー・デーがインド映画界の今後を占った記事「SRK’s ‘Jawan’ shows North-South collabs are the future of cinema(シャールク・カーンの『Jawan』は南北合作が映画の未来だと示した)」が掲載されていた。2020年代のインド映画のキーワードだと勝手に想定している「汎インド映画(Pan-Indian films)」は出て来なかったものの、非常に示唆に富んだ内容だったので翻訳し注釈を付けたい。
シャールク・カーン主演の最新作「Jawan」が、サニー・デーオール主演の「Gadar 2」を抜き、2023年のインド映画で第2位の世界興行収入を記録した。このシャールクの大ヒット作は、いわゆる「サウス・マサーラー方式」を踏襲した初のシャールク映画という新境地を開いた。タンドゥーリーチキンとラサムというコンボ料理はあまり食欲をそそらないかもしれないが、「Jawan」のアトリー監督は、南北二極化した映画界に飛び込み、想像を絶することをやってのけた。
2023年8月までのヒンディー語映画界は、8月11日に公開された「Gadar 2」(2023年)の爆発的な大ヒットの話題で持ちきりだった。あれよあれよという間に、1月25日に公開されたシャールク・カーン主演「Pathaan」(2023年/邦題:PATHAAN/パターン)を超える興行的成功を収めた。ところが、それから約1ヶ月後の9月7日に「Jawan」(2023年)が公開されると、この映画は「Gadar 2」をさらに上回る驚異的なチケット売上を見せた。
原文では「Jawan」の世界興行収入は「2023年のインド映画で第2位」と書かれているが、正しくは第1位である。既に100億ルピーを超えている。おそらく記事が書かれた時点ではまだ「Pathaan」に届かず第2位だったのだと思われる。
シャールク・カーン自身がプロデューサーを務めながらも、アトリー監督は大胆にも全てのクルー(美術監督、作曲家、振付師、撮影監督)を南インドから連れてきた。「レディー・スーパースター」ナヤンターラーと注目のヴィジャイ・セートゥパティも忘れてはならない。そして、タミル語版、テルグ語版、ヒンディー語版を公開することで、インド全土の観客を惹きつけようとした。この大胆な賭けは初日から大当たりし、早朝6時からの上映も行われた。これはヒンディー語映画では初の試みである。ラジニーカーント映画は通常、午前4時の回から始まる。もっとも、「Jailer」のプレミア上映は、もっと遅い午前9時だった。
上でデーは「Jawan」について「サウス・マサーラー方式」という用語を使ったが、まず「Jawan」は主演俳優にヒンディー語映画界の「キング」シャールク・カーンを起用するなどしただけで、その舞台裏はほぼ完全に南インド映画だったことが分かる。「サウス・マサーラー方式」というより、「サウス・マサーラー」そのものだったということだ。
南インドでは、大人気のスターの映画が公開されるときは、熱狂的な映画ファンをなるべく多く収容するため、早朝から上映が開始される習慣がある。「Jawan」では北インドにもその習慣が持ち込まれたようだ。つまり、公開方式も「サウス・マサーラー方式」だったということになる。
必ずしもどれだけ早く上映が開始されたかで映画の質が計れるわけではないが、タミル語映画界のスーパースター、ラジニーカーントの最新作「Jailer」(2023年)が午前9時から上映開始だったことを考えると、予約の手応えと興行側の直感で、事前に「Jawan」が「Jailer」以上に大ヒットすることが予想されていたことになる。
シャールク・カーン自身も、公開前のイベントに参加したり、チェンナイで大群衆の前でダンスを踊ったりと、南インド映画の伝統行事に積極的に参加した。ティルパティでのバーラージー参拝は娘のスハーナーとともに行われ、ムンバイーのファンは映画の看板に牛乳を浴びせた。これはラジニーカーント映画公開時に特に行われる儀式である。長い間、ヒンディー語映画界は3人の超売れっ子カーンによって支配されてきた。テルグ語映画界ではアッル・アルジュン、ラーム・チャラン、マヘーシュ・バーブー、マラヤーラム語映画界ではベテランのモーハン・ラールやマンムーティ、タミル語映画界ではヴィジャイ、アジト、そしてもちろんラジニーカーントといったヒーローたちがいる。
「映画の看板に牛乳を浴びせる」というのは、正確には、主演俳優の姿を描いた巨大な「カットアウト」と呼ばれる看板の上から牛乳を流す行為のことを指す。ヒンドゥー教やジャイナ教の寺院などで行われる「अभिषेक」と呼ばれる宗教儀式の真似事である。神像の頭から水、牛乳、ココナッツ汁、サトウキビ汁、ターメリック、ビャクダン、辰砂などが浴びせかけられる。中世には王の即位時にも同様の儀式が行われた。日本語では「灌頂」と訳されている。特に有名なのがカルナータカ州シュラヴァナベラゴラのバーフバリ・ゴーマテーシュワラ像で12年に一度行われるマハーマスタカービシェーカ祭だ。
北インドで映画公開時にこのアビシェークが行われるのは稀である。今回、「Jawan」公開時にアビシェークが行われたとのことだが、調べてみるとやはりチェンナイでの出来事のようだ。その様子を捉えた動画もYouTubeに投稿されている。
デーヴ・アーナンド、ラージェーシュ・カンナー、アミターブ・バッチャンといったヒンディー語映画界の往年の伝説的ヒーローたちでさえ、南インドでは全く活躍しなかった。ヒロインの場合は話が違った。ヘーマー・マーリニー、レーカー、シュリーデーヴィーといった南インドの美女たちは、ヒンディー語映画界ですぐに受け入れられ、大成功を収めた。
この記述については多少の混乱が見られる。確かにデーヴ・アーナンド、ラージェーシュ・カンナー、アミターブ・バッチャンといったヒンディー語映画界の往年の大スターたちが南インド映画で主演をし興行的に成功した例はないと思われる。カメオ出演程度のものなら散見される。たとえばアミターブ・バッチャンはテルグ語映画「Sye Raa Narasimha Reddy」(2019年/邦題:サイラー ナラシムハー・レッディ 偉大なる反逆者)に顔を出していた。しかしながら、これは南インド映画スターにとっても同じことで、ラジニーカーント、チランジーヴィ、モーハン・ラール、マンムーティなどの大スターたちがヒンディー語映画界で主演を張って成功した例は見当たらない。カマル・ハーサン、マーダヴァン、ダヌシュあたりのタミル語映画スターたちがもっともそれに近いといえるが、それでもヒンディー語映画界のスターたちを差し置いてトップの座に躍り出るようなことはなかった。
それに比べたら女優の方が南北の境界を越境しやすい。実はヒンディー語映画界には南インド出身のトップ女優たちが多い。記事の中で言及されている女優たちは数世代前に全盛期を迎えた人々だが、もっと近いところでも、アイシュワリヤー・ラーイやディーピカー・パードゥコーンが南インド出身である。
シャールク・カーンは「Chennai Express」で南インドデビューの舞台を整えた。伝説的なラジニーカーントへのオマージュとして作られたこの映画は、キャッチーな「Lungi Dance」をフィーチャーしていたが、南インドのファンからは、欠陥だらけでタミル文化を侮辱した作品と見なされた。
ヒンディー語映画界は絶えず南インド映画界から影響を受けている。影響を受けるだけでなく、積極的に南インド市場を狙いに行ったことも過去に何度かある。「Chennai Express」(2013年/邦題:チェンナイ・エクスプレス 愛と勇気のヒーロー参上)はその最たる例だ。ヒンディー語映画界で飛ぶ鳥を落とす勢いだったローヒト・シェッティー監督が、北インド出身のシャールク・カーンと南インド出身のディーピカー・パードゥコーンを主演に据え、南北の融和をテーマにしたロマンス映画を撮った。この映画は全体的にはヒットしたものの、当のタミル人からは受けがよくなかったようだ。南インド人は、自分たちをステレオタイプに押し込めようとする北インド人の態度を嫌う傾向にあるが、「Chennai Express」は正にその偏見の延長線上にある映画だった。
「Chennai Express」以前にもシャールクは「Ra.One」(2011年/邦題:ラ・ワン)でタミル人役を演じていたが、その演技もステレオタイプのタミル人を脱却していなかったかもしれない。さらに掘り起こしてみれば、「Om Shanti Om」(2007年/邦題:恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム)でもタミル・ナードゥ州で人気を博したキャラクター、クイックガン・ムルガンのパロディーをしていた。こう考えてみると、シャールクは昔からタミル人に秋波を送り続けてきたヒンディー語映画スターといえるだろう。ただ、神経を逆なでされるタミル人もいたのではないかと思われる。
「Jawan」が登場してルールを書き換えるまでは、ヒンディー語映画スタイルの映画製作は南インドの映画製作スタイルと相容れないと信じられていた。何年もの間、北インドの批評家たちは、南インド映画を「マドラシー映画」のレッテルで無造作にひとくくりにし、騒々しく、悪趣味で、ありもしないストーリーやメロドラマ的な台詞を、不精髭を生やした男たちや色白の女たちが演じていると嘲笑してきた。こうした古くからの決まり文句やステレオタイプは、最近、「Baahubali」や「Pushpa」などの華々しい成功によって覆され、嘲笑は消え去ってしまった!そしてヒンディー語映画界は戦慄した。その覇権は突如として部外者によって脅かされたのだ。
「Baahubali」シリーズ(2015年/2017年)の驚異的な大ヒットは確かにヒンディー語映画界を震撼させた。この映画がヒンディー語映画に与えた影響は計り知れない。だが、この壮大な二部作の撮影にはおよそ2年もの歳月が掛けられていた。この規模の映画が南インドから次から次へと押し寄せてくるわけではないことも分かっていたし、ヒンディー語映画界で容易に実現が可能というわけでもなかった。現にSSラージャマウリ監督は当初、ヒンディー語映画界のA級スターたちを起用して「Baahubali」シリーズを撮ろうとしていた。バーフバリはリティク・ローシャン、シヴァガミはシュリーデーヴィー、バッララデーヴァはジョン・アブラハムなどが想定されていた。だが、売れっ子の彼らを2年間拘束して撮影するのは不可能だったため、南インド映画界で比較的時間に余裕のあった俳優たちを起用して撮影を行ったのだった。「Baahubali」シリーズの頃は、その完成度と成功を「突然変異」と、その脅威を棚上げすることもできた。
ヒンディー語映画界に本格的に焦燥感が出始めたのはコロナ禍のロックダウンが解除され始め、映画館での映画上映が可能になった頃からだ。ヒンディー語映画が軒並みこける中、「Pushpa: The Rise」(2021年/邦題:プシュパ 覚醒)や「RRR」(2022年/邦題:RRR)などのテルグ語映画が北インドでも大ヒットした。タミル語映画界からも、「Baahubali」シリーズに勝るとも劣らない規模の歴史フィクション映画「Ponniyin Selvan」シリーズ(2022年/2023年)が送り出された。明らかに南インド映画の完成度は飛躍的に上がっており、ヒンディー語映画を凌駕するレベルまで到達していた。
すべては過去のことだ。
アクシャイ・クマールは、相棒のシャールク・カーンを祝福し、「僕らの映画が戻ってきた」と叫んだ。「元気でいてくれ、キラーリー。愛してるよ・・・」。シャールク・カーンもそれに応えた。ヒンディー語映画界が、長い低迷の時代を抜けて興行収入増加を喜ぶ中、兄弟愛が盛り上がった。「RRR」のSSラージャマウリ監督は、 「なんと衝撃的なオープニングなんだ…」と語り、マヘーシュ・バーブーは、「アトリー監督は、キングサイズのエンターテインメントをキングそのものを使って送り出した」と付け加えた。なるほど。その通りだ。
インド映画界では、X(旧Twitter)を通じてお互いの映画の成功を祝福し合う習慣が根付いている。俳優や監督の間でのこのようなやり取りは別に珍しいものではないが、デーはそこに何か「兄弟愛」的なものを見出そうとしている。
数字の上では、南北合作は映画の未来だ。
「Jawan」の驚異的な成功によって、ヒンディー語映画界は妄想的なバブルの中で生きることについて考え直そうとしている。古いヒンディー語映画スタイルは筋書きを失い、映画ファンはもはや、時代遅れのストーリーラインと薄っぺらい内容のリサイクルされたラブコメを量産する一握りのナルシストへの支援を望んでいない。マニ・ラトナム監督の「Dil Se..」(1998年)は、シャールク・カーンとマニーシャー・コーイラーラーの主演作だが、実は時代の最先端を行く作品だった。ラトナム、ラーム・ゴーパール・ヴァルマー、シェーカル・カプールのプロデュースで、イギリスの興行チャートでトップ10に入った初のインド映画となり、タミル語版とテルグ語版も公開された。偶然にも、シャールク・カーンは、演じるキャラクターは全く異なるにもかかわらず、これらの映画の共通項となっている。
チャンドラヤーン3号が月の南極点に着陸した後、G20シェルパのアミターブ・カントはこう宣言した。「歴史の弧は今やようやくグローバル・サウスを通っている…。」ふむ。インドの映画産業の弧も同じだ。
デーは「南北合作(North-South collabs)」と呼んでいるが、その結果としてもたらされるものは「汎インド映画」である。
それは何も今に始まったことではない。デーが指摘する通り、マニ・ラトナム監督はその先駆けであった。「Dil Se..」(1998年/邦題:ディル・セ 心から)は、南インド映画の監督がヒンディー語映画のスターを起用して撮った初期の例だといえる。これは第一次インド映画ブーム時に日本でも公開され、一定の評価を得た。その後もラトナム監督は「Guru」(2007年)や「Raavan」(2010年)などのヒンディー語映画を撮っており、必要に応じて多言語展開している。
南北を股に掛けて活躍する監督はマニ・ラトナム以外にもおり、記事でも名前が挙がっているラーム・ゴーパール・ヴァルマーはその一人だ。元々テルグ語映画界出身の彼は南北の映画界を往き来し活躍してきた。相互リメイクも多いが、彼の野心作「Rakht Charitra」シリーズ(第1部・第2部/2012年)はヒンディー語とテルグ語の同時製作だった。
従来、南北の合作は主にリメイクを介していたといえる。タミル語映画界のARムルガダース監督は自身の2005年の作品をリメイクしてアーミル・カーン主演の「Ghajini」(2008年)を撮り、ヒンディー語映画界にアクション映画への回帰をもたらしたした。マーダヴァンとヴィジャイ・セートゥパティを主演に据えたタミル語映画「Vikram Vedha」(2017年)を成功させたプシュカル&ガーヤトリー監督は、リティク・ローシャンとサイフ・アリー・カーンを起用して同名のヒンディー語映画(2022年)をセリフリメイクした。タミル語映画界でダンサー兼コレオグラファーとして身を立てたプラブデーヴァーは監督業にも進出し、頻繁に南インド映画のヒット作をヒンディー語にリメイクしている。このような例は枚挙に暇がない。
タミル語映画界でヴィジャイ主演の「Mersal」(2017年)や「Bigil」(2019年)を撮ってきたアトリー監督は今回、ヒンディー語映画界の「キング」シャールク・カーンを起用して「Jawan」を撮ったが、これは南インド映画のリメイクではなく、正真正銘のオリジナル作である。その点ではマニ・ラトナム監督の「Dil Se..」などに近い。「Jawan」の記録的な大ヒットは、南インドの他の監督たちにも競争心を植え付ける効果をもたらすだろう。
リメイクも含め、南北の人材交流や越境が以前に比べて活発化してきている。多言語展開ももはや当たり前になった。南インドの映画スターは北インドでもだいぶ受け入れられるようになったし、南インド映画界の監督がヒンディー語映画を撮ることも増えてきた。リメイクではなくオリジナルでの勝負も、マニ・ラトナム監督など一部の巨匠の専売特許ではなくなってきた。もっとも、「トーキー化以来、言語で分断されてきたインドの映画界は、徐々に攪拌されており、「汎インド映画」への道を歩み始めている。