Sye Raa Narasimha Reddy (Telugu)

3.5
Sye Raa Narasimha Reddy
「Sye Raa Narasimha Reddy」

 SSラージャマウリ監督の「Baahubali: The Beginning」(2015年/邦題:バーフバリ 伝説誕生)と「Baahubali 2: The Conclusion」(2017年/邦題:バーフバリ 王の凱旋)が全インドで大ヒットしたことでテルグ語映画界は活気づいた。「Baahubali」シリーズの成功のおかげで主演プラバースも全国的な知名度を獲得したが、プラバースより遥か前からテルグ語映画界を支えてきた大スターがいた。「メガスター」の異名を持つチランジーヴィである。テルグ語映画業界人たちには、「Baahubali」シリーズに勝るとも劣らない壮大なスケールを誇るチランジーヴィ主演作を送り出さなくてはならないという使命があった。その役割を担えるだけの製作費を掛けて作られたのが、2019年10月2日公開のテルグ語映画「Sye Raa Narasimha Reddy」である。

 インド近代史では一般的に、植民地支配を進める英国人に対しインド人が初めてまとまって蜂起したのは1857年だとされている。この出来事は、かつては「セポイの反乱」と呼ばれ、現在ではより現地語に近い表記で「シパーヒーの乱」と書いたり、「インド大反乱」ともいったりする。一方、インド人の立場からは「第一次独立戦争」と呼ばれている。反乱を起こしたのは、貿易のためにインドにやって来て支配権を確立していった英国人の方であり、インド人による反乱ではないというのがその理由だ。

 1857年の蜂起で活躍したインド人は英雄視され、「フリーダムファイター」の祖と見なされている。映画の題材にもなっており、「Mangal Pandey: The Rising」(2005年)や「Manikarnika: The Queen of Jhansi」(2019年/邦題:マニカルニカ ジャーンシーの女王)などが作られてきた。もっとも、このときの反乱は英国人によって武力で鎮圧され、インドは大英帝国に完全に併合されてしまう。インドが独立を獲得するのはそれから90年後である。それでも、19世紀のフリーダムファイターを主人公にしたそれらの映画では、彼らの愛国心と武勇伝がインド人の心でくすぶり続け、20世紀のインド独立につながったとまとめられる傾向にある。

 「Sye Raa Narasimha Reddy」は、ナラスィンハ・レッディーという歴史上の人物を主人公にした映画だ。ナラスィンハ・レッディーは19世紀前半にアーンドラ・プラデーシュ州南部ラーヤラスィーマー地方で活躍した人物であり、1846年に英国人に反旗を翻し、農民たちを率いて戦った。しかし、反乱は長く続かず、すぐに逮捕され、1847年には処刑された。

 この映画は、第一次インド独立戦争より10年も早く反英闘争を先導した英雄としてナラスィンハ・レッディーを描いている。ただし、歴史家はその描写に同意していない。元々、ラーヤラスィーマー地方に群雄割拠する封建領主の一人だったナラスィンハは、英国東インド会社の土地制度改革によって領地を失い、年金生活者になっていた。ナラスィンハは会社に年金の増額を要求したが受け入れられず、改革に不満を持つ人々や重税に苦しむ農民たちから反乱のリーダーとして担ぎ出されて反旗を翻したというのが真実のようだ。日本史に置きかえるならば、農民一揆のリーダーのようなものだ。

 それでも、スレーンダル・レッディー監督はこの映画をナラスィンハ・レッディーの伝記映画とは一言もいっていない。ナラスィンハの生涯を題材にした歴史フィクション映画であり、史実への忠実さや時代考証の正確さをあげつらうべき作品ではない。

 「Baahubali」シリーズへの対抗意識や、汎インド映画としての野望は、キャスティングにもよく表れている。南北のスターたちを多数起用しており、全インド的オールスターキャストと呼んでも差し支えない。ヒンディー語映画界からはアミターブ・バッチャン、ボージプリー語映画界からラヴィ・キシャン、タミル語映画界からはヴィジャイ・セートゥパティやナヤンターラーが起用されている。他に、アヌシュカー・シェッティー、タマンナー、スディープ、ジャガパティ・バーブー、ムケーシュ・リシ、ラクシュミー・ゴーパーラスワーミー、ナーサルなどが出演している。ちなみに、アミターブ・バッチャンとチランジーヴィの共演は本作が初である。

 音楽監督についても、ヒンディー語映画界をメインフィールドとするアミト・トリヴェーディーが起用されている。

 基本的にはテルグ語映画だが、ヒンディー語、カンナダ語、マラヤーラム語、タミル語の吹替版も同時に公開された。多言語同時制作の点からも汎インド映画を狙ったことが分かる。鑑賞したのはヒンディー語版である。

 また、この映画のプロデューサーは、チランジーヴィの息子ラーム・チャランである。父親が息子の映画をプロデュースする例はたくさんあるが、息子が父親の映画をプロデュースするのは珍しい。ラーム・チャランは以前にも父親チランジーヴィ主演の映画「Khaidi No.150」(2017年)をプロデュースしており、「Sye Raa Narasimha Reddy」は2作目となる。

 ちなみに題名の「Sye Raa」とは、テルグ語で「準備はいいか」みたいな意味になる。戦争時の掛け声である。

 1857年、グワーリヤル。英国軍と戦い、籠城することになったジャーンスィーの女王ラクシュミーバーイー(アヌシュカー・シェッティー)は、怖じ気づいた兵士たちに、ナラスィンハ・レッディー(チランジーヴィ)の武勇伝を聞かせる。

 ナラスィンハはマドラス管区レーナードゥ地方コーイラクントラの領主の一人だった。幼少時よりグル・ゴーサーイー・ヴェンカンナ(アミターブ・バッチャン)に師事しており、領民に慕われるリーダーに育った。レーナードゥ地方の領主たちはお互いに争い合っていたが、ナラスィンハは彼らをまとめ結束させる。ナラスィンハの台頭を面白く思わないアヴク・ラージュー(スディープ)やバースィ・レッディー(ラヴィ・キシャン)もいたが、ナラスィンハは寛大な心で彼らをも抱き込む。

 踊り子のラクシュミー(タマンナー)はナラスィンハに一目惚れし、ナラスィンハも彼女を妻として認める。だが、実はナラスィンハには幼少時に婚約した相手スィッダンマー(ナヤンターラー)がいた。ナラスィンハはスィッダンマーと結婚し、失意のラクシュミーは自殺しようとする。だが、ナラスィンハはラクシュミーに、生きて意味のある人生を送るように諭す。ラクシュミーはナラスィンハの武勇伝を村々に伝えることを決意する。

 レーナードゥの領民から年貢を取り立てるためにやって来た英国人ジャクソンはナラスィンハと対峙し辱めを受ける。ジャクソンはナラスィンハの留守中にレーナードゥを襲撃し、村人たちを殺す。ナラスィンハはその復讐のためジャクソンの邸宅を襲い、彼の首をはねる。レーナードゥの領主たちは、英国人に逆らったナラスィンハの巻き添えになることを恐れるが、ナラスィンハは勇気ある農民たちを従え、英国人と戦うことにする。

 マドラス管区のコクラン総督はナラスィンハを討ち取るためにダニエルを派遣する。ナラスィンハは籠城しながらコクラン総督の攻撃に耐え、アヴク・ラージューの援軍にも助けられて、撃退に成功する。このとき、スィッダンマーは出産し男児を産む。ナラスィンハは仲間たちと共に森に潜み、ゲリラ戦を展開するようになる。このとき、タミル地方からナラスィンハの武勇伝を聞いてやって来たラージャー・パンディ(ヴィジャイ・セートゥパティ)と合流する。コクラン総督はラクシュミーを捕らえるが、ラクシュミーは火薬に火を付けて自爆をし、多くの英国人兵士たちを道連れにする。

 爆発を生き残ったコクラン総督は軍勢を立て直し、ナラスィンハと激突する。この戦いでナラスィンハは多くの同志を失い、後に自身も捕らえられてしまう。裁判が行われ、ナラスィンハは死刑を宣告される。公開処刑の場でナラスィンハはうなだれる群衆に対し独立のために戦い続けることを呼びかけ、首吊りになった後も生き返って、首を切られながらもコクラン総督を殺す。ナラスィンハの首は30年にわたって城の壁に見せしめとして吊されたが、それが逆にインド人に反英の闘争心を植え付けたのだった。

 上映時間3時間弱の超大作であった。だが、これでもまだまだ語り足りないという感じであった。キャストが豪華であり、映像にも迫力があるため、スケールの壮大さは誰しもが認めるところであろう。だが、大味な印象は否めず、スケールの大きさだけを持って盲目的に名作に分類するのには躊躇を感じる。残念ながら完成度は「Baahubali」シリーズには及ばない。監督の力量の差であろうか。

 「Sye Raa Narasimha Reddy」の主人公ナラスィンハは少なくとも2つの顔を持っていた。ひとつは、利己主義に走りがちな領主たちのまとめ役としての顔、もうひとつは領民から慕われる為政者としての顔である。

 英国東インド会社がインドの支配を強引に推し進め、母国が危機に直面する中、群雄割拠していた領主たちは目先の利益やつまらない名誉にこだわり、お互いにいがみ合っていた。インド人同士の仲違いが外来勢力を利する結果をもたらしてきたことは歴史を見れば明らかであるにもかかわらず、ラーヤラスィーマー地方の領主たちもまたその過ちを繰り返そうとしていた。だが、生来のリーダーであるナラスィンハはその小競り合いを鎮め、英国人の手から母国を取り戻すという大義の下に一致団結させた。

 それでも、英国東インド会社の圧倒的な軍事力を知っていた領主たちは表立って反英運動を行うことには及び腰で、ナラスィンハに同調するのをためらっていた。孤立するナラスィンハを支えたのは、英国人の暴虐振りに苦しめられてきた農民たちだった。ナラスィンハは彼らに軍事訓練を施し、一人前の兵士に育て上げる。

 オールスターキャストの映画であり、無数に登場人物がいるのだが、チランジーヴィ主演映画のお約束として、活躍するのは基本的に主役のみだ。困った人がいれば、そこに駆けつけて助けてくれるのはチランジーヴィ演じるナラスィンハ以外にいない。無敵の強さを誇り、知略にも長け、人望も厚いナラスィンハが徹頭徹尾、祭り上げられ続ける代わりに、それ以外の登場人物を深掘りする機会はほとんどない。アミターブ・バッチャンであれ、ヴィジャイ・セートゥパティであれ、カメオ出演の域を出ていない。ナヤンターラーとタマンナーというトップ女優も起用されているのだが、チランジーヴィーの引き立て役以上の存在ではない。

 もっとも問題だったのは、悪役が一定しなかったことだ。広い意味では英国東インド会社マドラス管区に属する英国人全てが悪役なのだが、特にナラスィンハと直接対峙することになったのはジャクソン、ダニエル、コクラン総督の3人だ。そして、彼らは次から次へと登場しては、ナラスィンハに殺されていく。ナラスィンハの超人的な身体能力に立ち向かえるだけの英国人は皆無であり、怖さがなかった。勧善懲悪型の映画であるにもかかわらず、悪役に怖さがないのは致命的だ。

 ところで、「ナラスィンハ」とはヴィシュヌ神の化身のひとつである。人獅子の姿をしており、人間でも動物でもない存在とされる。ナラスィンハはほぼ不死身の恩恵を受けた悪魔ヒランニャカシヤプを巧みに退治した神話で知られており、特に南インドでよく信仰されている。劇中、ナラスィンハがジャクソンの首を切り落とすシーンがあるが、これはナラスィンハ神によるヒランニャカシヤプ退治と重ねている。

 全インド映画の中でテルグ語映画の暴力描写は飛び抜けているが、この「Sye Raa Narasimha Reddy」も首チョンパなど、グロテスクな暴力シーンが非常に多い。決して家族向けの映画ではない。

 「Sye Raa Narasimha Reddy」は、ラーム・チャランが父親チランジーヴィを主演に据え、南北からオールスターキャストを結集して作った、壮大なスケールの野心的な歴史フィクション映画だ。しかし、せっかくの豪華キャストも獅子奮迅の活躍をするチランジーヴィの陰に隠れてしまって活かされていない。また、3時間近くの長尺でありながら必要なシーンを詰め込み切れておらず、大味な印象を受ける。客入りは悪くなかったはずだが、巨額の製作費を掛けすぎて回収しきれておらず、失敗作の評価を受けている。迫力には圧倒されるが、いまいち乗り切れない作品である。