近年、「Baahubali」シリーズ(2015年・2017年)、「Pushpa: The Rise」(2021年/邦題:プシュパ 覚醒)、「RRR」(2022年/邦題:RRR)など、テルグ語映画の勢いがすさまじく、ヒンディー語映画の市場を脅かしている。ヒンディー語映画界もそれに対抗はしているものの、真っ向から立ち向かおうとするのではなく、テルグ語映画の人気を取り込もうという動きも見られる。その顕著な例が、2023年4月21日、イードゥル・フィトル祭に合わせて公開されたサルマーン・カーン主演の「Kisi Ka Bhai Kisi Ki Jaan(誰かの兄貴は誰かの恋人)」である。デリーとハイダラーバードを舞台にしながら、サルマーンを中心にして南北の人材交流が行われたアクション映画になっている。この映画自体はタミル語映画「Veeram」(2014年)のリメイクである。
監督はファルハード・サムジー。兄のサージド・サムジーと共に「サージド=ファルハード」の名前で「Entertainment」(2014年)、「Housefull 3」(2014年)、「Housefull 4」(2019年)といったヒット映画を撮ってきた人物である。
主演はサルマーン・カーン。コロナ禍以降、カメオ出演した「Pathaan」(2023年)はこれといった大ヒット作がない。サルマーンはかつてイード祭に合わせてアクション映画を送り出し軒並みヒットさせていた時代があり、この「Kisi Ka Bhai Kisi Ki Jaan」は正にそのパターンを狙った作品だ。
ヒロインはプージャー・ヘーグデー。南インド映画を中心に時々ヒンディー語映画にも出演している女優で、ファルハード・サムジー監督の「Housefull 4」の他、「Mohenjo Daro」(2016年)や「Cirkus」(2022年)でもヒロインを務めており、ヒンディー語映画界でも知られている。
サルマーンとプージャーの共演は初であるが、その他のキャストも非常に豪華で、しかも南北の多種多様な人材が集合している。テルグ語映画界の人気俳優ヴェンカテーシュが重要な役で出演している他、「RRR」のラーム・チャランが「Yentamma」にカメオ出演しサルマーンとダンスの共演、そしてサルマーンの出世作「Maine Pyar Kiya」(1989年)で共演した女優バーギヤシュリーとその夫ヒマーラヤ・ダーサーニー、そして二人の息子で「Mard Ko Dard Nahi Hota」(2019年/邦題:燃えよスーリヤ!!)に主演したアビマンニュ・ダーサーニーが本人役でカメオ出演、北京五輪で銅メダルを勝ち取ったボクサー、ヴィジェーンダル・スィンが悪役で出演、人気ラッパーのヨー・ヨー・ハニー・スィンが「Lets Dance Chotu Motu」に特別出演など、お祭り騒ぎである。
また、かつてヒンディー語映画界でも活躍したブーミカー・チャーウラーが端役ながら出演しているし、本作は2023年に死去した個性派俳優サティーシュ・カウシクの遺作にもなった。他にも、ジャパガティ・バーブー、ラーガヴ・ジュラール、ジャッスィー・ギル、スィッダールト・ニガム、シェヘナーズ・ギル、パラク・ティワーリー、ヴィナーリー・バトナーガル、アースィフ・シェーク、テージ・サプルー、アビマンニュ・スィンなどが出演している。
題名は少し説明が必要だろう。サルマーン・カーンはファンから「भाई」もしくは「भाई जान」と呼ばれている。どちらも「兄貴」という意味だ。ただ、「जान」には「恋人」や「愛しい人」という意味もある。サルマーンが演じるキャラクターは、弟や周囲の人々から親しみを込めて「バーイー」や「バーイージャーン」と呼ばれていたが、彼と恋仲になるヒロインのバーギヤラクシュミーからは「ジャーン」と呼ばれるようになった。奇妙なことにそのキャラクターには本名が用意されていない。
邪悪な州議会議員マハーヴィール(ヴィジェーンダル・スィン)はデリーのとある区画を手に入れようとしていた。だが、その区画には住民からバーイージャーン(サルマーン・カーン)と呼ばれる人物によって守られており、手出しができなかった。バーイージャーンは孤児院で育ち、同じ孤児だった3人、イシュク(ラーガヴ・ジュラール)、モー(ジャッスィー・ギル)、ラブ(スィッダールト・ニガム)を弟として育て上げていた。 イシュクはスクーン(シェヘナーズ・ギル)と、モーはムスカーン(パラク・ティワーリー)と、ラブはチャーハト(ヴィナーリー・バトナーガル)と恋仲にあり、結婚を望んでいたが、バーイージャーンが頑なに独身を貫いていたため、出し抜いて結婚をすることができなかった。バーイージャーンにはかつてバーギヤ(バーギヤシュリー)という恋人がいたが結ばれなかった。それを聞いたイシュク、モー、ラブの3人は、バーギヤの住むムンバイーへ飛び、彼女をバーイージャーンとくっ付けようとする。ところがバーギヤは既にヒマーライ・ダーサーニー(本人)と結婚しており、アビマンニュ・ダーサーニー(本人)という息子もいた。 デリーに戻った三人が神様に祈ると、そこへバーギヤラクシュミー(プージャー・ヘーグデー)が現れ、バーイージャーンの借家人になる。バーイージャーンとバーギヤラクシュミーはすぐに恋仲になり、彼女の家族も二人の結婚を認める。ところが、彼女の兄バーラクリシュナ(ヴェンカテーシュ)は暴力を嫌う人間だった。バーイージャーンは、バーギヤラクシュミーの前で、襲い掛かってきた悪漢たちを打ちのめし、暴力を見せてしまうが、今後は暴力を振るわないと約束する。 バーイージャーンはバーギヤラクシュミーに連れられてハイダラーバードを訪れ、バーラクリシュナと会う。だが、バーラクリシュナは地元のマフィア、ナーゲーシュワル(ジャガパティ・バーブー)に命を狙われていた。バーイージャーンはナーゲーシュワルの部下たちをなぎ倒すが、バーラクリシュナから暴力を咎められる。バーラクリシュナは、ナーゲーシュワルが自分に恨みを持っていることを知り、バーイージャーンと共に彼に謝りにいく。しかし、ナーゲーシュワルは許した振りをしてバーラクリシュナの命を狙い続けていた。 バーイージャーン、バーギヤラクシュミー、バーラクリシュナやその家族はデリーを訪れ、結婚式の準備を行っていた。そこへナーゲーシュワルが現れ、バーラクリシュナを殺そうとする。バーイージャーンと弟たちは立ち向かう。バーラクリシュナにはかつてナーゲーシュワルに匹敵するマフィアだった過去があり、バーギヤラクシュミーのピンチを見て暴力を使い出す。ナーゲーシュワルは殺されるが、そこへマハーヴィールが現れ、バーイージャーンを攻撃する。バーイージャーンは一旦は危機に陥るものの、住民たちの応援によって息を吹き返し、マハーヴィールを倒す。
この映画の撮影は2022年5月から始まったとされている。インドにおいてコロナ禍がかなり収まっていた頃だと思われるが、出来上がった映画を観ると、閉じられたセットで撮影されたシーンが多いように感じ、まだ新型コロナウイルスに気を付けながら撮っていたことがうかがわれる。よって、空間的な広がりのあるスケールの大きな映画ではない。それはコロナ禍に苦労して作られた映画ということで、差し引いて考えなければならないだろう。
キャストは非常に豪華だ。ただ、ただでさえ登場人物の数が多いのに、それに加えてストーリーと直接関係のない特別出演が多すぎて、ごった煮という印象が強く、映画の質を高めるような種類の豪華さではなかった。これだけ多くのキャストが必要だったとは思えない。
しかしながら、全国的な人気のあるサルマーン・カーンがテルグ語映画界に敬意を表しながらアプローチしたのは大きな事件だったと思われる。ラーム・チャランもサルマーンの大ファンのようで、彼との共演を二つ返事で承諾したようだ。また、これより少し前にはテルグ語映画「Godfather」(2022年)にサルマーン・カーンがカメオ出演しているが、この映画の主演はラーム・チャランの父親チランジーヴィーであった。この辺りはバーターだったと考えられる。もちろん、ヴェンカテーシュとサルマーンの共演も記念碑的な出来事だ。ヴェンカテーシュがヒンディー語映画に出演したのは「Taqdeerwala」(1995年)以来である。
とはいえ、サルマーン自身の演技は、悪いときのサルマーンであった。クールな兄貴を演出しながらその実は表情を作ることを放棄しており、仏頂面で台詞を棒読みするだけだった。さすがに年を取ったのか、ダンスシーンでは動きが鈍かったが、アクションシーンは何とかこなしていた。肉体だけは維持しており、最後にやはり上半身裸になって悪漢をなぎ倒す。ただし、サルマーンとバーギヤシュリーの共演については、往年のヒンディー語映画ファンには嬉しかったのではなかろうか。バーギヤシュリーは「Maine Pyar Kiya」で人気を博した後、すぐに結婚して、女優業にはあまり本腰を入れなくなってしまった。サルマーンとの共演は33年振りになる。
バーギヤシュリーとの久しぶりの共演だけでなく、サルマーン・カーンという存在が徹底的にネタにされていた映画でもあった。まず、彼が50代半ばを過ぎてもなお独身を貫いていることに触れられていた。彼は過去に「プレーム」という名前の役を演じることが多かったが、それは「愛」という意味である。この映画の中で登場した彼の弟分たちは皆、「愛」の同義語が名前に付けられていた。サルマーンは時々歌声を披露するが、本作でも「Jee Rahe The Hum」を自分で歌っていた。彼は画家としても有名だが、映画の中で彼が絵を描いているシーンがあった。おそらく彼が本当に描いた絵であろう。
ほとんど内容のない映画ではあったが、ひとつだけ考察に値する点があった。それは暴力を前にした非暴力主義者の選択である。ヴェンカテーシュ演じるバーラクリシュナは、かつては血塗られたマフィアであったが、妹のバーギヤラクシュミーを危険にさらさないため、暴力の世界から足を洗う。以来、彼は非暴力主義を堅持しており、妹からも尊敬されていた。彼は下らない名誉にこだわることもせず、自分の命を狙うナーゲーシュワルの前でひざまずき許しを乞うことすらできた。
バーイージャーンは、暴力が迫ってきたときに暴力で返すのは正当防衛だと主張するが、バーラクリシュナが頑なに非暴力主義を守り続ける姿を見て、彼のその主義を尊重するようになる。しかしながらバーラクリシュナは妹の命に再び危機が訪れたときに豹変し、一転して暴力を解放して悪漢たちを攻撃する。何をしても変わらず暴力で威圧してくる相手には、最終的には暴力で答えなければならない。それが正当化されていた。
このメッセージは、ロシアによるウクライナ侵攻とも関係があるのではないかと思う。ウクライナ戦争についてインドは中立を守り、結果的に欧米諸国からはロシア寄りと見られているが、少なくともこの映画からは、暴力には暴力で返すことは当然だという、草の根のインド人の主張を読み取ることができる。
ついでにひとつ付け加えるならば、主人公のバーイージャーンに名前がないという設定が面白かった。インド人の名前は宗教やカーストを示すことがほとんどである。主人公の本名を敢えて出さないことで、彼の宗教は巧みに覆い隠されていた。近年、インドではイスラーム教徒などの少数派に対する弾圧が進んでいると批判されるが、名前のないバーイージャーンの存在は、それに対する静かな反対の声なのかもしれない。もっとも、ヒンドゥー教の聖典「バガヴァドギーター」が出て来たりして、ヒンドゥー教寄りと取られる要素もあった。
「Kisi Ka Bhai Kisi Ki Jaan」は、イード祭公開のサルマーン・カーン主演作らしいアクション映画だ。ヴェンカテーシュ、ラーム・チャラン、バーギヤシュリーなど、特別出演のキャストから豪華で、ファンへのサービスもてんこ盛りである。それでも内容は弱く、サルマーンの演技も冴えない。その結果、期待通りの興行収入は得られていない。あまり高望みせずに鑑賞するくらいがちょうどいい作品だ。