Mohenjo Daro

3.0

 モヘンジョダロは、世界史で習う世界四大文明のひとつ、インダス文明の代表的な遺跡のひとつである。英領時代の1922年にインダス河の河畔で発見され、その後の発掘調査から、紀元前2000年より前から栄えた大規模な都市遺跡であることが判明した。現在はパーキスターン領となっており、ユネスコ世界遺産にも登録されている。

 2016年8月12日に公開された「Mohenjo Daro」は、インド映画が初めて挑戦したインダス文明時代の物語で、世界遺産モヘンジョダロが題名にもなっている。ハリウッド映画では、エジプト文明やローマ文明など、古代の映画がいくつも作られて来ているが、ヒンディー語映画界は、神話映画こそ作りはすれど、紀元前まで遡って時代劇映画を作ることは稀だった。この20年間では、紀元前3世紀に活躍したアショーカ王を主人公にした「Asoka」(2001年)くらいだっただろう。

 「Mohenjo Daro」の監督は、「Lagaan」(2001年)や「Jodhaa Akbar」(2008年)など、過去に大予算型の時代劇を撮って来ているアーシュトーシュ・ゴーワリカルである。「Lagaan」はインド映画史の分水嶺となる金字塔になったが、ゴーワリカル監督はその後、「Lagaan」に匹敵するような傑作を作れておらず、一発屋に近い評価を受けている。しかも、彼が作る時代劇映画は、娯楽優先で、時代考証が後回しになっている。よって、彼がインダス文明時代の物語を撮っていると公表されたとき、不安の声が寄せられたのも確かだ。

 蓋を開けてみれば、謎の多いインダス文明において、現時点で考古学的に分かっていることをつなぎ合わせ、旺盛な想像力を膨らませて、ひとつの物語にまとめ上げた映画になっていた。印パにまたがるインダス文明の各遺跡――ハラッパー、ドーラーヴィーラー、コート・ディージーなど――の名前も随所に出て来る。だが、どちらかと言えば、「Baahubali: The Beginning」(2015年)と同類にカテゴライズされるべき歴史ファンタジー映画となっており、別にモヘンジョダロやインダス文明を持ち出さなくても良かったのではないかと思うほど、時代考証はされていない。そもそも、モヘンジョダロなど、現存している遺跡に付けられている名前は、後世に付けられたものであり、インダス文明時代からその名前で呼んでいるのは明らかにおかしい。モヘンジョダロはスィンディー語で「死の丘」という意味である。そんな不吉な名前を都市名に付ける民族があるだろうか。

 主演はリティク・ローシャン。ヒロインはプージャー・ヘーグデー。悪役をカビール・ベーディーとアルノーダイ・スィンが務める。他に、スハースィニー・ムレー、ニティーシュ・バールドワージ、キショーリー・シャハーネー、シャラド・ケールカル、マニーシュ・チャウダリー、ディガンタ・ハザーリカーなどが出演している。音楽監督はARレヘマーンである。

 紀元前2016年。藍が特産品の村で育ったサルマン(リティク・ローシャン)は、都市モヘンジョダロに強い憧れを抱く勇気ある青年だった。だが、育ての親となっている叔父ドゥルジャン(ニティーシュ・バールドワージ)と叔母ビーマー(キショーリー・シャハーネー)は、サルマンのモヘンジョダロ行きをなかなか許さなかった。だが、ある日とうとうサルマンはモヘンジョダロ行きを許してもらえる。

 モヘンジョダロは、2階建ての建物や世界中から集まる交易商人など、サルマンにとって見る物全てが新しい都市だった。だが、モヘンジョダロの住人は、首長マハム(カビール・ベーディー)とその息子ムーンジャー(アルノーダイ・スィン)の恐怖政治に怯えて暮らしていることに気付く。その一方で、僧侶(マニーシュ・チャウダリー)の娘チャーニー(プージャー・ヘーグデー)に一目惚れする。チャーニーの危機を救ったことで、サルマンはチャーニーと親密になる。だが、チャーニーは生まれたときからムーンジャーとの結婚を運命づけられていた。

 マハムは増税を宣言するが、サルマンはそれに反対し、住民たちも勇気を振り絞って反対の声を上げる。ムーンジャーとチャーニーの結婚式が行われることになったが、サルマンはチャーニーを連れて逃げようとし、捕まる。マハムはサルマンに、バカルとゾカルの罰を与える。2人の巨人と戦って勝てばムーンジャーとチャーニーの結婚は取り止めとなるが、負ければ死という罰であった。サルマンはバカルとゾカルを死闘の末に倒す。

 また、サルマンは僧侶から自身の出生の秘密を聞かされる。実はサルマンは、マハムの前の首長スルジャン(シャラド・ケールカル)の息子だった。ハラッパーから追放されてモヘンジョダロに流れ着いたマハムは、インダス河を堰き止めて河の流れを変え、河床の金鉱から金を掘り出すことを提案し、多数決で賛成を得る。だが、スルジャンはマハムの不正を発見する。マハムはスルジャンを捕らえ、処刑する。叔父と叔母はサルマンを連れて逃げ出したのだった。

 ムーンジャーは復讐のために僧侶を殺し、チャーニーにも手を掛けるが、サルマンが救い出す。そしてムーンジャーはサルマンによって殺される。モヘンジョダロの住民もサルマンがスルジャンの息子だと知り、彼の味方となる。そしてマハムに対して反乱を起こす。マハムは捕らえられ、広場にさらされる。だが、そのとき大雨が降り出し、インダス河の堰が壊れそうになる。サルマンはインダス河の向こう岸にある丘に人々を避難させるが、モヘンジョダロの街は洪水によって壊滅する。マハムも洪水によって死んだ。

 サルマンに率いられたモヘンジョダロの人々は、別の大河に新天地を見つける。その河はガンガーと名付けられた。

 インダス文明を抜きにして観れば、前王の息子が自分の出自を知らずに庶民として成長した後、都に戻り、自身の出自と使命に気付いたことで、父親を殺して王座に就いた悪役を殺して、自身の正統な権利を奪取するという、古今東西よくある物語である。また、そこに身分を超えたロマンスも絡んで来るが、実は前王の息子ということで、実は身分差などないことが分かり、ロマンスも容易となる。どちらかと言うと、ロマンス要素は付け足しであった。

 「Mohenjo Daro」を認められるか否かは、インダス文明をインド映画的にかなり自由に料理してしまった点を認められるか否かに掛かっているだろう。インダス文明はまだ文字が解明されていないこともあって、四大文明の中では最も解明されていない文明である。だからこそ、想像力を働かせられる余地もあるのだが、かと言って、4000年以上前に存在しなかったものを登場させたりすると、学者からは批判が出てしまう。

 それでも、これまでにインダス文明から出土した施設や事物をうまく組み合わせてストーリーに組み込んでいる点は興味深い。例えば、インダス文明と言うと印章が有名だが、しっかり物語の伏線に使われていた。首長マハムがかぶっていた雄牛の角が生えた王冠は、「獣王」と通称される印章から着想を得たものであろう。モヘンジョダロの遺跡では大浴場が見つかっているが、映画「Mohenjo Daro」では月の儀式に使うとされていた。最後にモヘンジョダロの都市は洪水によって滅びているが、これも現在の最新の学説に基づいている。

 インダス河流域に栄えた文明がなぜ突然滅びてしまったのかは、まだ定説がない。だが、インド亜大陸において、文明の中心は、インダス側流域からガンガー河流域へ移ったことは確かである。「Mohenjo Daro」では、モヘンジョダロの住人たちが、モヘンジョダロの壊滅後にガンガー河流域に辿り着いて新たな文明を立ち上げようとするところで終わっていた。実際はそんな単純なものではないと思うが、現在パーキスターン領に位置するモヘンジョダロの住人が、現在インド領に位置するガンガー河流域にやって来るという流れは、印パ分離独立時代を思わせる大移動であった。

 「Mohenjo Daro」は、時代劇映画を好んで作るアーシュトーシュ・ゴーワリカル監督がインダス文明を題材に撮った作品である。おそらくインダス文明の娯楽映画はこれが世界初であろう。ゴーワリカル監督の過去の作品と同様に時代考証に弱さがあるが、娯楽映画と開き直ってしまえば、なかなか楽しめる作品になっている。興行的には大失敗に終わったが、全く観る価値のない映画とは思えない。