1998年に「Kuch Kuch Hota Hai」で映画監督デビューして以来、カラン・ジョーハルは常にヒンディー語娯楽映画の代表であり、業界のご意見番であり、話題の中心だった。彼の監督作品を改めて振り返ってみると、まずはその露出度に比べて作品数が少ないことに驚く。「Kuch Kuch Hota Hai」の後は、「Kabhi Khushi Kabhie Gham」(2001年)と「Kabhi Alvida Naa Kehna」(2006年)しかない。これほど寡作にも関わらず彼の名前が常にヒンディー語映画にくっついて来るのは、まずは彼自身の監督作に加えて、プロデュース作品にも彼の色がよく出ているからであろう。「Kal Ho Naa Ho」(2003年)や「Dostana」(2008年)などは、彼のプロデュース作品であって監督作でないにも関わらず、「カラン・ジョーハル作品」として一般に認知されている。また、テレビなど映画以外のメディアに積極的に登場していることも、常に業界の中心にいるイメージの形成に役立っていると思われる。そして何より、「カラン・ジョーハル」というブランド価値がいつの間にか業界内にできていることが、彼のそれらのイメージを強力に後押ししている。ヒンディー語映画界の映画人たちは、カラン・ジョーハルの映画に出演・参加したことのある人とそれ以外に分かれると言っていい。前者は一種のステータスであり、限られたメンバーによるエリートサークルになっている。俳優で言えば、シャールク・カーン、リティク・ローシャン、サイフ・アリー・カーン、アビシェーク・バッチャン、カージョル、ラーニー・ムカルジー、プリーティ・ズィンター、カリーナー・カプールなどがカランサークルの一員であり、皆過去10年以上Aクラスに居座っている面々である。
いかにも成功の絶頂にいるように見えるカラン・ジョーハルだが、実はかなり崖っぷちに立たされているのではとの見方もある。なぜなら前作「Kabhi Alvida Naa Kehna」がインド本国で振るわなかったからである。不倫の果ての結婚という、インドでは道徳的に受け容れがたいテーマを選んだことがその大きな原因とされている。ただでさえ寡作であるため、1作でもこけたらカラン・マジックの回復には時間がかかる。幸い、「Kabhi Alvida Naa Kehna」は海外市場で受け容れられ、全体としてはヒットということになったため、カランの面目は保たれた。しかし、これで次回作はさらに難しくなった。
そして本日(2010年2月12日)、4年振りの監督作「My Name Is Khan」が公開となった。
カラン・ジャウハルの作品は、基本的に娯楽映画でありながら、デビュー作「Kuch Kuch Hota Hai」の頃から死のモチーフが漂うシリアスな要素を含んだものが多かったのだが、最新作「My Name Is Khan」は、911事件後のイスラーム教徒コミュニティーの問題という、今までとは完全に方針転換したセンシティブなテーマの作品である。それはさらなる進化を求める監督のただならぬ意気込みの表れでもあろうが、それを知ったときには、どこか一足飛びしたような危うさをまず感じた。それは、セックスシンボルとして人気を誇って来た女優が急に演技派ぶり始めたのを見たときのような感覚であった。さらに、シャールク・カーンとカージョルを主演に据えたところに、監督の自信のなさを直感した。シャールク・カーンはカラン・ジョーハル作品の常連であり、依然としてトップ男優であり、今回も主演に選ばれたことは別段不思議ではない。しかしカージョルは?最近多少スクリーンに戻って来ているが、一旦は引退した女優であり、彼女をわざわざ引っ張り出す必要があったのか?確かにカラン、シャールク、カージョールのトリオは業界内で「大ヒットの方程式」と考えられており、この三人が揃った映画は軒並み大ヒットを飛ばして来た。しかし、せっかく従来のカラン映画からガラリと変わったテーマの映画に取り組んでいるのに、こういう古いジンクスに依存するのはどうだろうか?
さらに悪いことに、911事件後のイスラーム教徒コミュニティーの受難をテーマにしたヒンディー語映画は既にいくつも作られており、2009年だけでも「New York」と「Kurbaan」がある。「Kurbaan」はカラン・ジョーハル自身がプロデュースとストーリーを担当した作品である。つまり、既にこのテーマに目新しさはない。この期に及んでどんな映画を作りたいのだろうか?そういう疑問を感じずにはいられなかった。そして、「My Name Is Khan」のサントラCDを購入した際、シャールク・カーン演じる主人公が、アスペルガー症候群という「知的障害のない自閉症」に罹った人物であることが分かった。何らかの難病に罹った人物を主人公に据えたお涙頂戴映画というのは、安易に感動作になってしまう上に、映画賞狙いという世知辛い魂胆が見え見えであるため、必要以上に高く評価しがたい。ヒンディー語映画界でも、「Black」(2005年)、「Iqbal」(2006年)、「Taare Zameen Par」(2007年)、「Ghajini」(2008年)、「Paa」(2009年)など、何らかの障害や難病に冒された主人公の映画は多く、これらは興行的にも批評的にも成功している。この点でもカラン・ジョーハルは安易な方向へ逃げているのではないかと不審に感じた。
以上のような理由から、「My Name Is Khan」の出来には懐疑的で、大きな期待は抱いていなかった。しかし、カラン、カージョール、シャールクのトリオが揃ったこの作品への世間の期待は高く、2010年上半期のもっとも重要な映画になることは確実であった。
「My Name Is Khan」を巡っては、公開前に主に2つの事件も起こった。ひとつめは2009年8月14日に米国の空港でシャールク・カーンが「カーン」という姓のせいでイスラーム教徒テロリストの嫌疑をかけられ、別室に連れられて厳重な取り調べを受けたことである。後述するが、「カーン」は南アジアでは典型的なイスラーム教徒の名字である。インドの国民的大スターが米国で屈辱的な扱いを受けたために多くのインド人はそれをインドの屈辱と捉え、米国の過敏で差別的な処遇に抗議の声を上げたのだが、これが「My Name Is Khan」とあまりにシンクロした事件であったため、映画のプロモーションの一環ではないかとの穿った見方も出て来た。
もうひとつの事件は、現在進行中なのだが、マラーター・ヒンドゥー至上主義極右政党シヴセーナーによる「My Name Is Khan」上映禁止運動である。シャールク・カーンは、インドのクリケット国内リーグ、インディアン・プレミアリーグ(IPL)の1チーム、コルカタ・ナイトライダースのオーナーを務めているのだが、今年開催される第3回IPLのための選手オークションで、様々な事情からパーキスターンの選手が1人も選ばれなかったことについて、「パーキスターンの選手を排除するのはよくない」と発言したことで、シヴセーナーの格好の標的となった。シヴセーナーはシャールク・カーンを「敵国パーキスターンの肩を持つ売国奴」と非難し、発言を撤回しなければムンバイーにおいて主演作「My Name Is Khan」の上映を許さないと脅迫した。実際に映画公開日が近付くにつれて、ムンバイーで同作品を上映予定の映画館がいくつも襲撃を受けた。国民会議派が率いるマハーラーシュトラ州政府は映画館のセキュリティーを強化し、州の威信を賭けて何が何でも「My Name Is Khan」の封切りを強行しようとしたが、シヴセーナーの脅迫に恐れをなし、「My Name Is Khan」の上映をとりあえず見送って様子見という映画館も出て来た。これはつまり、州政府が州民に信頼されていないということを意味する。州政府にとってこれは大きな屈辱となった。逆に、最近州議会選挙で国民会議派に惨敗したシヴセーナーにとっては、今でもムンバイーの真の支配者はシヴセーナーであることを市民に誇示する絶好のチャンスとなった。また、ヒンディー語映画界の並み居る映画人までもがシヴセーナーを恐れ、表立ってシャールク・カーンらを援護する人があまり現れていないことも問題となっている。
最近、映画公開直前に論争が巻き起こるのは日常茶飯事となってしまっているが、「My Name Is Khan」が引き起こしている事件は映画業界のみならず、政治、外交、クリケットを巻き込んだかなり大規模なものとなっており、この点でも他の一般の映画とは一線を画している。デリーでもシヴセーナーのシンパによる散発的な暴力事件が起こったが、ほとんどの映画館では「My Name Is Khan」の封切りが無事に行われた。おかげで初日に予定通りこの話題作を鑑賞することができた。
監督:カラン・ジョーハル
制作:ヒールー・ヤシュ・ジョーハル、ガウリー・カーン
音楽:シャンカル=エヘサーン=ロイ
歌詞:ニランジャン・アイヤンガル
出演:シャールク・カーン、カージョル、ケイティー・キーン、ケントン・デューティー、ベニー・ニーヴス、クリストファー・B・ダンカン、ジミー・シェールギル、ソーニヤー・ジャハーン、パルヴィーン・ダバス、アルジュン・マートゥル、スガンダー・ガルグ、ザリーナー・ワハーブ、SMザヒール、アーリフ・ザカーリヤー、ヴィナイ・パータク、スミート・ラーガヴァンなど
備考:サティヤム・シネプレックス・ネループレイスで鑑賞、満席。
2007年から2008年にかけて、米国中を彷徨う男がいた。彼の名前はリズワーン・カーン(シャールク・カーン)。名前から分かるようにイスラーム教徒である。アスペルガー症候群であり、挙動不審ではあるが、知能は人一倍高かった。リズワーンの目的は米国大統領に会うことであった。リズワーンは大統領に、「私の名前はカーン。テロリストではありません」という謎のメッセージを伝えようとしていた。だが、大統領の警備は厳重で、なかなか大統領に会うことはできなかった。
リズワーンはムンバイーで生まれ育った。この頃からアスペルガー症候群を発症していたが、修理工だった死んだ父親の影響で、子供の頃から何でも手当たり次第に直してしまうという特技を持っており、母親(ザリーナー・ワハーブ)にも溺愛されていた。だが、弟のザーキルは、母親の愛情が兄だけに注がれていると感じ、ひねくれていた。18歳になったザーキル(ジミー・シェールギル)は米国に留学し、そのまま住み着いてしまった。彼はハスィーナー(ソーニヤー・ジャハーン)と結婚するが、一度もインドに戻ろうとしなかった。やがて母親も死んでしまい、リズワーンは弟を頼って米国へ渡ることになる。
ザーキルはサンフランシスコで化粧品企業を経営していた。リズワーンはセールスマンの仕事を任される。たまたま立ち寄った美容院でリズワーンはマンディラー・ラートール(カージョル)というヒンドゥー教徒女性と出会う。マンディラーはインド生まれで19歳のときにお見合い結婚をし、米国に嫁いで来たが、夫は別の女性と逃げてしまった。マンディラーは息子のサミールを育てながら、美容師として働いていた。リズワーンはマンディラーに一目惚れしてしまい、以来彼女に猛烈アタックするようになる。最初は相手にしなかったマンディラーであるが、リズワーンの率直な性格に心を溶かされ、やがて彼と再婚することを決める。ただ、マンディラーがヒンドゥー教徒であったため、ザーキルは彼と絶縁する。
リズワーンは、独立して自分の美容院を立ち上げたマンディラーを助け、サミールとも友情を育んでいた。隣人の白人一家とも家族ぐるみの付き合いで仲が良かった。だが、ここで911事件が起こる。全ては一変してしまった。イスラーム教徒に対する風当たりは日に日に増し、「カーン」の名字を持つサミールは学校でいじめられるようになった。サミールは隣の白人の子供と親友になっていたのだが、彼の父親がリポーターとして派遣されたアフガニスタンで死んだことがきっかけで、サミールはその子からも縁を切られる。そして遂に上級生のいじめによってサミールは死んでしまう。
マンディラーは、イスラーム教徒と結婚して「カーン」という名字になったがためにサミールが死んだと考え、リズワーンを家から追い出す。悲嘆と憤慨の中でマンディラーは彼に、「大統領に会って、私の名前はカーンです、テロリストではありません、と言って来るまで戻って来るな」と言ってしまう。その言葉を真に受けたリズワーンはそれ以来、大統領を求めて米国中を彷徨っていたのであった。
放浪の途中、リズワーンはジョージア州のとある村に立ち寄り、温かい黒人家族のお世話になる。ロサンゼルスに到着したリズワーンは綿密に計画を立て、ロサンゼルス訪問予定の大統領に会おうとする。ところが、事前に立ち寄ったモスクで、過激な思想を持ったイスラーム教徒医師ファイサル・レヘマーン(アーリフ・ザカーリヤー)が仲間と共にテロを計画しているところを目撃してしまう。リズワーンはFBIに電話をしてそのことを伝える。警備はさらに厳重になった。その中でリズワーンは大統領に向かって「私の名前はカーンです。テロリストではありません」と叫んだため、テロリストだと勘違いされ、逮捕されてしまう。
収容所に入れられたリズワーンは尋問を受ける。その間、リズワーン逮捕の様子を一部始終ビデオに収めていたフリーランスのインド人ジャーナリスト、ラージ(アルジュン・マートゥル)とコーマル(スガンダー・ガルグ)は、リズワーン・カーンについて取材をし出す。BBCレポーターのボビー・アーフージャー(パルヴィーン・ダッバース)らの協力を得て、リズワーンの報道が全国で流れ、世間の関心を集める。おかげで、リズワーンはテロリストではなく、むしろテロへの警戒を呼びかけていたことが分かり、釈放される。だが、リズワーンは詰めかけたマスコミの前から忽然と消えてしまう。
リズワーンはまだ大統領に会うことを諦めていなかった。再び米国中を放浪する旅に出ていたリズワーンは、ジョージア州を巨大なハリケーンが襲っていることを知り、お世話になった家族に会いに行く。村は水没しており、生き残った人々は高台の教会に避難していた。リズワーンは教会で村人たちの救助に乗り出す。リズワーンを追いかけて来たラージ、コーマル、ボビーは、テロリスト容疑者だったリズワーンがハリケーンに襲われた黒人たちを命がけで助けている様子を報道する。この報道は米国の人々の心を動かし、その村には米国中から支援者が集まって来る。遂にはザーキル、ハスィーナー、そしてマンディラーも彼の元へやって来る。だが、突如現れた過激派イスラーム教徒によってリズワーンは刺されてしまう。
重傷を負ったリズワーンは病院に搬送され、何とか一命を取り留める。一方、入院している間に米国の大統領はブッシュからオバマへ変わる。リズワーン退院の日、オバマ大統領はジョージア州を訪問した。リズワーンは帰宅する前に大統領に会いに行く。大統領もテレビの報道でリズワーンのことを知っており、彼を壇上に呼ぶ。リズワーンは大統領にメッセージを伝え、とうとう目的を果たす。
911事件、それに続く米国のアフガン戦争、イラク戦争、米国大統領の交代、大型ハリケーン襲来などの実際の事件に加え、米国におけるイスラーム教徒コミュニティーの受難、それに伴う米国在住インド人全体が受けたとばっちり、コーランの解釈、ヒジャーブ(ベール)着用の是非、そしてアスペルガー症候群などなど、およそ3時間の映画の外観は様々な要素で固められている。だが、そのメッセージは至ってシンプルであった。物事は憤怒や嫌悪では解決しない。愛でのみ解決する。映画が主人公リズワーン・カーンを通して語りかけて来るのは、そういうユニバーサルな主張であった。言わば男女の恋愛よりももっと広い意味での愛をテーマにした映画であり、その他の要素は付随的なものでしかない。例えば、「My Name Is Khan」は主人公がアスペルガー症候群でなければ成り立たなかった作品ではない。愛の重要性をより明確にするために、敢えて主人公を多少変わった人物に設定しただけである。実際、この映画を観ても、アスペルガー症候群がどういう病気なのかはあまり理解できない。初めて会う人や初めて行く場所に異常な恐怖を覚え、大きな音に過敏に反応し、他人の本心を察する能力に欠け、黄色を怖がるが、知能障害ではなく、むしろ高い知能を持っているぐらいのことが分かった程度である。
劇中では様々な形で愛と憎しみが描かれる。その中でももっとも象徴的なのが、リズワーンとマンディラーのそれぞれの戦いであった。マンディラーの息子のサミールは差別的ないじめによって命を落としてしまう。ヒンドゥー教徒のマンディラーは、イスラーム教徒と結婚して名字が「カーン」になったばかりに息子は殺されてしまったと考え、リズワーンを家から追い出すと同時に、犯人逮捕に向けて憎しみを原動力に動く。一方、リズワーンはマンディラーと再び共に暮らすため、彼女から与えられた課題――大統領に会ってメッセージを伝えること――を追い求める。それは本当は課題ではなく、怒ったマンディラーの口から出た無意味な言葉のひとつだったのだが、アスペルガー症候群のリズワーンにとってそれは使命に受け止められたのだった。そして言うまでもなくリズワーンの原動力は純粋な愛であった。マンディラーは、警察に通ったり、広告を配ったりして、精力的に犯人捜しに奔走するが、実は結ばない。だが、ただひたすら愛を追い求めるリズワーンの行動は、テロリストに間違えられて収容されるというハプニングを招いたものの、最終的には多くの人々の感銘を呼び、犯人の自首という結果にも結び付く。憎しみで道はどんなに頑張っても開けないが、愛なら自ずと道が開けて行く。「My Name Is Khan」が一貫して主張しているメッセージはこれであった。
それに関して、イスラーム教関連の故事の解釈を巡る論争が興味深かった。ロサンゼルスのモスクで過激な思想を持つイスラーム教徒医師ファイサル・ラヘマーンが、人々にイブラーヒームとイスマーイールの故事を言い聞かせ、神へ命を捧げる重要性を説いていた。イブラーヒームはイスラーム教の預言者の一人である。イブラーヒームは長年待ち望んで来た息子イスマーイールを授かるが、神から信仰心を試され、イスマーイールを犠牲として捧げるように命令される。迷ったイブラーヒームはそれをイスマーイールに相談するが、彼はそれを自ら受け容れる。父子は神からの命令である犠牲を実行しようとするが、そのときイブラーヒームの深い信仰心を知った神はイスマーイールの命を助け、代わりに子羊の命を犠牲として受け容れた。これはイードゥッ・ズハー(犠牲祭)の起源にもなっている故事である。ファイサル・レヘマーンはこの故事を、信仰心ある者は必要とあらば神に自らの命を捧げなくてはならないと解釈し、テロへの動機付けとしようとする。だが、その場に居合わせたリズワーンは、この故事を犠牲ではなく愛の重要性を示したものだと解釈し、ファイサルに反対する。イブラーヒームもイスマーイールも神を絶対的に信用し、愛していたからこそ犠牲も受け容れたのであり、この故事から得られる教訓は愛以外にないと主張する。コーランに記されたひとつの故事から、愛と憎しみという全く相反する感情が抽出して、映画のメッセージをより明確にすることに成功していた。
他に、海外在住のインド人のアイデンティティー問題にも触れられていた。911事件以後、イスラーム教徒をはじめとする南アジア人全体に対する風当たりが強くなったのは周知の通りである。その中でもっともとばっちりを受けたのはスィク教徒であった。ターバンをかぶり髭をたくわえたスィク教徒は、ただでさえ目立つだけでなく、ウサーマ・ビン・ラーディンとビジュアル的に似ていたため、無知な人々から迫害を受けるようになった。これをきっかけに、ターバンを取り、髭を剃ったスィク教徒も多かったとされる。劇中に登場したレポーターのボビー・アーフージャーもその一人であった。また、イスラーム教徒の女性は宗教上の理由からヒジャーブというベールで頭を覆っているが、やはり911事件をきっかけにアイデンティティーを隠すためにヒジャーブを脱ぐ女性が出て来た。劇中ではハスィーナーがその一人であった。服装を変えるだけでアイデンティティーを隠せるならいい。しかし、名字が「Khan」だから迫害を受ける人はどうすればいいのか?カーン(ハーン)は中央アジアから南アジアにかけて一般的な名字で、特に南アジアではイスラーム教徒の名字の代表格となっている。それは米国でも有名になっており、「カーン」という名字だけでイスラーム教徒だということが分かってしまう。それだけならまだしも、イスラーム教徒=テロリストという先入観が根付いてしまったため、自動的にカーン=テロリストということになってしまう。この犠牲となったのがサミールであった。だが、リズワーンは自ら「私の名前はカーンです。テロリストではありません」と主張し、大統領にもそのメッセージを伝えようとする。この暗号のようなメッセージは、イスラーム教徒=テロリストという先入観を打破する呪文にもなった。この出来事が南アジア人コミュニティーの心を刺激し、個人のアイデンティティーを隠して生きる必要はない、宗教で人を差別することは無意味であると考え直す人々を生んだ。迫害を恐れてヒジャーブを脱いでいたハスィーナーは再びヒジャーブをかぶり始め、今までイスラーム教徒を無条件で敬遠していたボビーは進んでリズワーンを助け始める。この世にはいい人と悪い人の2種類しかない。宗教で人は判断できない。これはリズワーンの母親の金言であり、リズワーンの座右の銘であった。
最近、ヨーロッパ各国では宗教的コスチュームを禁止する動きが活発になっている。英国の学校でスィク教徒がキルパーン(刀)を帯刀することを認められなかったり、フランスでヒジャーブやブルカーの着用が禁止されることが決まったり、宗教アイデンティティーを否定する方向に社会が向かっている。その是非は大いに議論の余地があるが、少なくとも「My Name Is Khan」の主張は、それらの動きへの批判となるだろう。
このように映画のメッセージは明確で、素晴らしいものだった。しかし、ストーリーテーリングに問題があり、とても退屈かつ過度に悲壮な映画だと感じた。特に前半はテンポが悪い上に暗澹としており、ちっとも楽しくなかった。おかげで娯楽映画のカテゴリーに入りにくい作品となってしまっている。傑作はインターミッション時に既に満足感で一杯になるものだが、「My Name Is Khan」のインターミッション時までには、ドンヨリとしたストーリーにとことん打ちのめされ、これからこれをどうやってまとめるのかと不安な気持ちで一杯だった。後半は一気にテンポが上がり、矢継ぎ早に様々な事件が起こるので、何とか観客の興味を引き留めておけているが、それでもエンディングまで極端すぎる出来事が多すぎて、映画の世界に吸い込まれることはない。娯楽映画特有の大袈裟な展開を、シリアスな映画にも適用してしまっているにも関わらず、娯楽映画のテンポの良さや明るさに欠けており、結果的にアンバランスな映画になってしまっていた。カラン・ジョーハルにはまだこの規模の映画を撮る経験が不足していたと言わざるを得ない。
映画はリズワーン・カーンが自ら、米国を放浪するに至った理由を、生い立ちから語っていく手法で構成されているのだが、それよりもむしろ、終盤になって出て来たジャーナリストのラージとコーマルを序盤で登場させて、彼らがリズワーン・カーンの謎を解明して行くという構成の方が、既に使い古された手法ではあるものの、よりスリリングな作品になったと感じた。
また、最近のカラン・ジョーハルの映画は、あまりにNRI(在外インド人)向け過ぎて、インド本国の文脈から切り離されているきらいがある。「My Name Is Khan」も完全にNRI向けの映画で、本国の大部分のインド人は置いてけぼりを喰らっている。しかもリズワーンが米国のあちこちを移動するため、米国の地理に明るくないと旅情が沸かない。大都市在住の中産階級以上には受けるかもしれないが、地方市場でのヒットは望めないだろう。
昔からシャールク・カーンの演技力には疑問が呈されて来た。シャールク・カーンらしい役として一般にイメージが定着している役を演じているときにそれはあまり目立たないが、今回のように特殊な演技力を要する役を演じる際にはどうしても露骨になる。リズワーン・カーン役は彼の演技力の限界を露呈することになった。アスペルガー症候群の患者が実際にどういう言動をするのか知らないが、彼の演技は非常に不自然で、さらに悪いことに、見ていて不快感を覚えるものであった。「Paa」でプロジェリア患者を演じたアミターブ・バッチャンは、外見の不気味さとは裏腹にとてもキュートで、見ていて全く不快感を感じなかった。映画はシャールク・カーンのナレーションによって進行して行くのだが、そのしゃべり方も暗鬱としたもので、ただでさえ暗い映画の雰囲気をさらに暗くしており、観客の心を重くしていた。
カージョルは、年齢的にもイメージ的にも元々映画の要望に合った配役であったし、その枠組みの中でしっかりとした演技をしていた。シャールク・カーンとのスクリーン上でのケミストリーは今でも健在であったが、それ以上に彼女自身の魅力が衰えていないことが示されており、これから彼女のキャリアの第2章が始まることを予感させられた。
他にはジミー・シェールギル、パルヴィーン・ダバス、アルジュン・マートゥル、スガンダー・ガルグ、ヴィナイ・パータクなど、脇役・端役で数人のインド人俳優が出演していたが、非インド人俳優(主に白人と黒人)の比重や役の重要度も高く、その点でも一般のインド映画のカテゴリーから外れている。ジョージ・ブッシュ元大統領とバラク・オバマ現大統領のそっくりさんが登場するのも特筆すべきである。どちらかというとオバマ大統領を賞賛するようなストーリーになっており、政治的な意図も少し感じた。ちなみに、ハスィーナーを演じたソーニヤー・ジャハーンは伝説的女優ヌール・ジャハーンの孫娘で、パーキスターン人女優である。
シャンカル=エヘサーン=ロイによる「My Name Is Khan」の音楽は文句なく傑作である。イスラーム教と愛を主題にした作品であることを意識してか、庶民に愛のメッセージを広めたスーフィー(イスラーム神秘主義)音楽的な楽曲ばかりで、好みであった。「Sajda」、「Noor E Khuda」、「Tere Naina」、「Allah Hi Reham」、全て愛をテーマとし、その向こうにある神との合一を歌った曲である。特に劇中で何度もリフレインされたのは「Tere Naina」であった。リズワーンとマンディラーの関係の重要な転機に「Tere Naina」が流れ、映画を盛り上げた。しかし、全体的にこれらの素晴らしい楽曲の数々が劇中で活かされていなかったように感じた。通常の娯楽映画では挿入歌が挿入されるとそのままダンスシーンやミュージカルシーンに移行するのだが、「My Name Is Khan」では完全にBGMとしての利用で、歌詞と映像が一致していないことも多かった。音楽が傑作であるがために、映画に音楽を無駄遣いされたような変な気分になった。
また、劇中では「Jaane Bhi Do Yaaro」(1983年)中の名曲「Hum Honge Kamyab(僕たちは成功する)」が何度も引用されており、これが米国市民権運動のテーマ曲となった英語曲「We Shall Overcome」とオーバーラップされて使われている驚きのシーンもあった。
台詞は、インドと海外の両方の観客をターゲットにした構成となっており、かなり意図的にヒンディー語と英語が交ぜられていたのを感じた。リズワーンの独特のしゃべり方は、同様の内容の台詞をヒンディー語と英語の両方で表現することに成功していたし、英語の台詞にはヒンディー語のナレーションがかぶせられており、ヒンディー語が分からなくても英語が分からなくてもある程度筋を追えるように工夫されていた。
以上、長々と「My Name Is Khan」について書いて来たが、まだ総評をしていなかった。一言で言ってしまえば、「My Name Is Khan」は、事前の期待や話題性に存分に応えられる作品ではない。メッセージはとても素晴らしいものだったが、それを娯楽映画のフォーマット上で観客を楽しませながら伝えるという基本を忘れてしまっている。少なくとも「3 Idiots」(2009年)はそれに成功していた。よって、特にインド国内の観客にはとんでもなく退屈で暗鬱な作品に映るだろう。おそらく「Kabhi Alvida Naa Kehna」と同様に、海外では受けるがインドでは並以下の成績に留まるのではなかろうか。超拡大公開体制となっているため、話題性のみを頼りに口コミ情報なしで初週末に映画館に詰めかけた観客から最大限の収益を得ることがヒットのための必須条件となる。そうでなければ、国内でのヒットは困難だ。口コミがマイナスに働くと予想されるため、短期決戦型の作品である。よって、近年稀に見るロングランとなった「3 Idiots」並の成功はとてもじゃないが望めない。もうひとつ予想すると、これをきっかけにカラン・ジョーハルの監督としての才能や方向性に本格的に疑問符が呈されることになるだろう。また、日本人のインド映画ファンには「Kuch Kuch Hota Hai」タイプの映画を好む人が多いように感じるが、「My Name Is Khan」は同じカラン・ジョーハルの映画ではあるものの、娯楽映画に分類するのもはばかれるほど全く別の作品である。注意されたし。しかし、どう転んでも今年もっとも重要な作品の一本になることは間違いないため、この映画の鑑賞をスキップする選択肢はない。