近年のヒンディー語映画界においてもっとも急激に頭角を現した若手女優はカトリーナ・カイフである。2003年のデビュー当初はほとんど注目を浴びなかったのだが、2007年から08年にかけてヒット作を連発し、あれよあれよと言う間にトップ女優の座に躍り出た。特に注目すべきはアクシャイ・クマールとのスクリーン上での相性の良さである。二人が共演した「Namastey London」(2007年)、「Welcome」(2007年)、「Singh Is Kinng」(2008年)は全て大ヒット作となっている。だが、実生活の恋人であるサルマーン・カーンとも相性は悪くなく、例えば二人が共演した「Partner」(2007年)は大ヒットした。2008年11月21日公開の「Yuvvraaj」でもサルマーン・カーンとカトリーナ・カイフが共演している。監督はベテランのスバーシュ・ガイー。オールスターキャストの豪華な映画に仕上がっており、11月最大の話題作である。
監督:スバーシュ・ガイー
制作:スバーシュ・ガイー
音楽:ARレヘマーン
歌詞:グルザール
振付:チンニー・プラカーシュ、レーカー・プラカーシュ、アハマド・カーン、シアーマク・ダーヴァル
衣装:ロッキー8
出演:サルマーン・カーン、アニル・カプール、ザイド・カーン、カトリーナ・カイフ、ボーマン・イーラーニー、ミトゥン・チャクラボルティー、オーシマー・サーニー、アンジャン・シュリーワースタヴ、スルバー・アーリヤ、アパルナー・クマール、ジャーヴェード・シェーク(特別出演)
備考:PVRプリヤーで鑑賞。
デーヴェーン・ユヴラージ(サルマーン・カーン)は、ロンドン在住の大富豪ヨーゲーンドラ・ユヴラージ・スィン(ジャーヴェード・シェーク)の次男ながら勘当され、プラハで大物歌手を目指しながら、楽団のコーラスを務める貧しい若者であった。デーヴェーンは、同じ楽団でチェロを弾くアヌシュカー(カトリーナ・カイフ)と5年間付き合っていたが、彼女の父で名医のPKバントン(ボーマン・イーラーニー)は2人の結婚を絶対に許さなかった。バントンはアヌシュカーを友人の息子と結婚させようとする。
そのとき、デーヴェーンのところにヨーゲーンドラの訃報が飛び込んで来る。莫大な遺産が転がり込むことを当て込んだデーヴェーンは、バントンとひとつの賭けをする。もし40日以内に億万長者になれなかったらアヌシュカーとの結婚は諦めるが、もしそれが適ったら結婚を認めるというものだった。バントンはそれに乗る。
デーヴェーンはロンドンの実家に帰った。家では、ヨーゲーンドラの弟オーム・プラカーシュ(アンジャン・シュリーワースタヴ)とその2人の息子が幅を利かせていた。また、ヨーゲーンドラには3人の息子がいた。一人は前妻の子で名前をギャーネーシュ(アニル・カプール)と言ったが、知能障害があった。デーヴェーンは2番目の妻の子であったが、もう一人、下に弟がいた。ダニーシュ、通称ダニー(ザイド・カーン)である。ダニーは根っからの遊び人で、てっきり遺産が全て自分の物になると思い込んでいた。しかし、状況はそう簡単ではなかった。
ヨーゲーンドラの遺書が、彼の親友で弁護士のスィカンダル・ミルザー(ミトゥン・チャクラボルティー)によって公開された。それは驚くべき内容であった。ヨーゲーンドラの遺産総額は1,500億ルピーだったが、家族や親戚には各々わずか5千万ルピーのみ分配され、残りは長男のギャーネーシュのものとされていた。そしてもしギャーネーシュが死んだら、その金はオーム・プラカーシュが運営する慈善団体に全額寄付されるとも書かれていた。
デーヴェーンとダニーはパートナー契約を結び、ギャーネーシュから何とか遺産を奪い取る方法を考える。ダニーは、ヨーゲーンドラが遺書を書いているとき精神状態が不安定だったことにし、遺書を無効化しようと画策するが失敗する。そこでデーヴェーンは懐柔策を採り、ギャーネーシュをオーストリアに連れて行き、友情を深めようとする。
ギャーネーシュは知能障害であったが天才的音楽の才能を持っていた。アヌシュカーは彼のその才能を見抜き、今度のコンサートで独唱者に推す。デーヴェーンは彼女の余計な行動に腹を立てるが、次第にギャーネーシュの純粋さに感化され、兄弟愛に目覚めて行く。また、ダニーもギャーネーシュに取り入るためにオーストリアにやって来る。ダニーは最初ギャーネーシュにデーヴェーンの悪口を吹き込もうとする。しかし、プラハの家を追い出され全てを失ったダニーは、初めて素直に全てを受け容れることができ、デーヴェーンとパートナーではなく兄弟として新たな関係を始めることを決める。今回の遺産相続騒動を通し、バラバラだったユヴラージ三兄弟は、真の兄弟としての結束を手に入れたのだった。また、ギャーネーシュはコンサートで独唱を務めることになる。そのコンサートの日は、ちょうどデーヴェーンがバントンと約束した40日目であった。
ところがオーム・プラカーシュらは陰謀を企んでいた。コンサートの日にギャーネーシュを毒殺しようとしていたのである。オーム・プラカーシュの長男の嫁スカームナー(アパルナー・クマール)は、隙を見てギャーネーシュの吸入器に毒入りシリンダーをセットすると同時に、過去にデーヴェーンとダニーが密談しているところを撮影した動画を見せ、2人がギャーネーシュを金のために利用しようとしていると吹き込む。毒に身体を冒され、しかも兄弟の裏切りを知ったギャーネーシュは、フラフラになりながらもステージに立ち、熱唱しながら倒れてしまう。だが、デーヴェーンとダニーはオーム・プラカーシュらの陰謀を察知していた。デーヴェーンはギャーネーシュを病院に搬送し、ダニーは逃亡するオーム・プラカーシュらを捕まえた。
病院に運ばれたギャーネーシュであったが、ちょうど医者が出払っており、手術ができない状態だった。しかし偶然にも病院にはバントンが来ていた。デーヴェーンはバントンに、ギャーネーシュの手術をするように頼み込む。最初はデーヴェーンの気持ちを疑うバントンであったが、彼の目に真実を見て、手術を引き受ける。バントンのおかげでギャーネーシュは一命を取り留めた。また、バントンはこの一件でデーヴェーンを見直し、アヌシュカーとの結婚を認めた。
インド映画らしい壮麗かつ壮大な映画。ストーリーとミュージカルの融合にも努力が払われていたし、サルマーン・カーンやカトリーナ・カイフをはじめとしたスター俳優たちも輝いていた。家族愛、兄弟愛を題材にしているのもインド映画の王道である。いろいろな面でスバーシュ・ガイー監督自身の過去の傑作「Taal」(1999年)ととてもよく似ており、悪く言えば古風だったが、逆に言えば、あの時代のインド映画が好きな人々にはたまらない作品となっていた。
しかし、スバーシュ・ガイー監督は編集が雑なところがあり、それがストーリーの混乱を招いて時々映画に深刻なダメージをもたらす。「Yaadein」(2001年)は彼のそんな失敗作のひとつである。「Yuvvraaj」にもその欠点が見受けられ、観客がストーリーを追いやすいように映像をつないで物語を説明していく丁寧さに欠けていた。ただ、ストーリーは複雑ではなく、全体の流れを見失うことはないだろう。
骨子はヒンディー語娯楽映画の典型そのものである。貧しい若者が、裕福な家の女の子に恋をし、彼女と結婚するために金持ちになろうと努力するというものだ。男女が逆ではあるが、「Taal」と同じ構造である。実は主人公の若者は大富豪の息子なのだが、訳あって貧乏生活をしているという設定は、タミル語映画界のラジニーカーント映画のパターンを彷彿とさせる。遺産相続を巡る親族間の争いに飛び込んで行くところはテレビドラマ風だが、結局ヒロインとの結婚を実現させる要因となったのは、相続争いを勝ち抜いた末に手にする金ではなく、愛であった。しかもその愛はヒロインに対する愛ではなく、むしろ兄弟愛であるところに「Yuvvraaj」の特殊性があると言える。だが、それもヒンディー語映画の典型から大きく外れるものではない。つまりはヒンディー語映画の伝統をそのまま堂々と踏襲した作品であり、ベテランらしいプライドとその創造性の限界を同時に感じさせられた映画であった。
この映画の見所の大部分は、ARレヘマーン作曲の音楽と、それに合わせたミュージカルである。スバーシュ・ガイー監督とARレヘマーンがコンビを組んだのは「Taal」以来であり、やはりこの点でも「Taal」との類似性が指摘されうる。しかし、どちらの映画も音楽や踊りが素晴らしいばかりでなく、それらをストーリーにうまく組み込むことに成功しており、その点でガイー監督の恵まれた才能を感じさせられる。また、アニル・カプールがクライマックスのミュージカルで重要な役割を果たすことも「Taal」との共通点のひとつだ。
舞台は主にプラハ、ロンドン、オーストリアの3ヶ所で、インドのシーンはひとつも出て来ない。完全に海外が舞台で、インド色が極力排除されたインド映画は21世紀のヒンディー語映画のトレンドのひとつである。ヒンディー語映画の国際化、ターゲットのグローバル化として歓迎することもできるが、同時に、脱インド映画化が目指されているのではないかと感じることもあり、不安になることがしばしばである。特にスバーシュ・ガイーのようなベテラン映画監督がその方向に向かっているのは決して安穏に見過ごせない現象であろう。
カトリーナ・カイフは、お飾りのヒロインから一歩前へ踏み出しながらも出しゃばりすぎていなかった。成功に酔いしれず、着実にキャリアを重ねようとしている姿勢が感じられ、好感が持てる。海外生活が長いため彼女はヒンディー語が得意ではなく、初期の作品では彼女の台詞は吹き替えになっていたのだが、人気を維持するために真面目にヒンディー語の勉強をしているようで、徐々に自分の声でのアフレコに挑戦するようになっている。この作品の彼女の声も自分の物であろう。
サルマーン・カーンも、期待通りのヒーロー振りであった。また、ザイド・カーンもサルマーンに劣らない存在感を示していた。アニル・カプールは、「Taal」ととてもよく似たエキセントリックな役を演じていたが、それは彼がもっとも実力を発揮できる役だと言える。ボーマン・イーラーニーも非常に良かった。
音楽はARレヘマーン。映画の雰囲気にピッタリのスケールの大きな曲ばかりで、さすがの一言。やはりクライマックスの「Dil Ka Rishta」の出来が素晴らしいが、コミカルな曲調の「Mastam Mastam」、空を飛ぶようなイメージの「Tu Meri Dost Hain」などもとてもいい。「Yuvvraaj」のサントラCDはオススメである。
ちなみに、アニル・カプールが頻繁に弾いていた小さな楽器は口琴と言う。原始的な楽器で、世界中で類似した楽器があり、インドにも存在する。ストーリー進行上重要な小道具という訳ではないが、とても印象に残る使われ方がしてあった。
「Yuvvraaj」は、最近めっきり減ってしまったタイプの典型的娯楽映画である。すなわち、男女間の愛、家族愛、兄弟愛をテーマにし、豪華キャストと共に、壮大な音楽と踊りとセットでもって描き出す壮大なストーリーの映画のことだ。インド人観客や批評家の間では必ずしも評価は高くないが、インド映画らしいインド映画を求める日本のインド映画ファンには受けるのではないかと思う。