In Which Annie Gives It Those Ones

3.0
In Which Annie Gives It Those Ones
「In Which Annie Gives It Those Ones」

 「In Which Annie Gives It Those Ones」は、1989年に国営TV放送ドゥールダルシャンで放映されたテレビ映画である。脚本は、1997年にブッカー賞を受賞した作家・活動家アルンダティ・ロイが書いており、彼女が重要な役で出演もしている。ロイがデリーの計画建築学校(SPA)に通っていた1970年代の大学生活の思い出を元に書かれた自伝的映像作品だ。劇場公開はされておらず、しかもTV放送も深夜に事前告知なく一度だけだったとされており、長らく「幻の映画」とされ、その録画ビデオが映画愛好家の間で出回っていただけだった。だが、2026年2月にベルリン国際映画祭でその4Kレストア版が上映されたことで注目を集めた。

 「In Which Annie Gives It Those Ones」は、さまざまな視点からユニークな作品である。

 まず、デリーの大学生を写実的に映し出したこの映画は、英語のセリフを主体にして撮られている。英語のセリフの中にヒンディー語も混じる。つまり、いわゆる「ヒングリッシュ映画」の特徴を備えている。初のヒングリッシュ映画としてよく名前が挙がるのが、デーヴ・ベーネーガル監督の「English, August」(1994年)であるが、TV映画とはいえ、それよりも5年も早い。

 題名も英語である。ただ、パッと見、意味が取りにくい。実はこれには当時デリーの若者の間で流行していた英語のスラング「give it those ones」が使われている。「いつものアレをかます」みたいな意味であり、こなれた訳にするならば「アニーのあの感じ」あたりになるだろう。

 まだデリーの演劇界でくすぶっていた若き日のシャールク・カーンが脇役で出演しているのも注目ポイントだ。シャールクの俳優デビューはTVドラマ「Fauji」(1989年)とされているが、それとほとんど同じ時期にこの「In Which Annie Gives It Those Ones」は放映されている。端役ではあるもののいくつかセリフもあり、エンドクレジットにしっかり彼の名前が記載されている。ただ、声が違うように聞こえる。シャールクの他にはマノージ・バージペーイーも端役で出演している。

 また、ビートルズの曲をアレンジしたBGMが随所に流れるのも非常に興味を引かれた。ビートルズは人気絶頂期にインドのリシケーシュで瞑想の修行をしたことで知られるが、インドにおいてビートルズのプレゼンスは不思議なほど皆無である。インド映画の中でもビートルズに触れられることはほとんどない。だが、「In Which Annie Gives It Those Ones」では、「カム・トゥゲザー」、「ブラックバード」、「ペニー・レイン」などのメロディーが使われている。監督の趣味であろうか。このあたりの音楽の指向性からもこの映画が他のインド映画とは全く異なることが分かる。

 監督はプラディープ・キシャン。アルンダティ・ロイの夫であり、環境学者としても知られる。映画撮影時、二人はまだ結婚していなかった。キシャンはこれまで3本しか映画を撮っておらず、「In Which Annie Gives It Those Ones」はその一本である。ちなみに、彼の著書「Trees of Delhi: A Field Guide」(2006年)は名著であり、デリー留学時代の愛読書であった。

 シャー・ルク・カーン、マノージ・バージペーイー、アルンダティ・ロイを除けば、キャストの中でもっとも有名なのは、リチャード・アッテンボロー監督のアカデミー賞受賞作「Gandhi」(1982年/邦題:ガンジー)でジャワーハルラール・ネルー役を演じたローシャン・セートであろう。元駐日インド大使アーフターブ・セートは彼の弟である。彼は「Ek Tha Tiger」(2012年/邦題:タイガー 伝説のスパイ)にも教授役で出演していた。

 他に、アルジュン・ラーイナー、リトゥラージ、アイザック・トーマス、イドリース・マリク、ディヴィヤー・セート、ヒマーニー・シヴプリー、ラグビール・ヤーダヴなどが出演している。

 1974年。アーナンド・グローヴァー、通称アニー(アルジュン・ラーイナー)は、デリーの国立建築学校の5年生だった。数年前、彼はYDビッリーモーリヤー教授、通称ヤムドゥート(ローシャン・セート)をからかったおかげで冷遇され続けており、なかなか卒業させてもらえず留年し続け、4度目の5年生をしていた。アニーは寮の部屋で鶏を飼い、自分の世界に入り込んでいた。5年生には、ラーダー(アルンダティ・ロイ)、彼女の恋人アルジュン(リトゥラージ)、お調子者のマンカインド(アイザック・トーマス)、ウガンダからの留学生カソージーなどがいた。

 5年生の最後に作品を提出しなければならず、学生たちは必死で仕上げていた。その一方で、マンカインドとカソージーは、キャバレーでダンサーをする許嫁ビジリー(ヒマーニー・シヴプリー)と共にアニーが警察に拘留されていた間に彼の部屋から鶏を盗み出し食べてしまった。アルジュンとラーダーは落ち込むアニーを励ますため、ウサギを贈り、一緒に卒業制作をするようになる。

 アルジュンとラーダーは、今年こそアニーが卒業できるように一計を案じる。作品の審査は外部から審査員を呼んで一日掛かりで行われ、学生は一人一人口頭試問をしなければならない。アニーが口頭試問をしているとき、マンカインドがヤムドゥートの母親を装って電話をし、彼がいない間に評価が出るように仕向けた。おかげでアニーは合格する。アニーは頭を剃り、今度は法律を勉強してヤムドゥートを訴えると息巻く。その後、アニーはヤムドゥートの定年退職後に国立建築学校の助教授として採用された。

 インド映画において、ある程度リアルさのある大学生活が描かれるようになったのは「Rang De Basanti」(2006年)や「3 Idiots」(2009年/邦題:きっと、うまくいく)あたりからだといえる。それまでに「大学」が登場しないことはないのだが、その描写はどこかイメージ先行で実体験が伴っていないように見え、ストーリーの中心にもなく、単なる「場所」や「設定」でしかないと感じる。だが、2000年代後半になってようやく大学生活そのものにスポットライトが当たるようになり、2010年代以降は「Chhichhore」(2019年/邦題:きっと、またあえる)などが作られるようになった。

 ところが、1989年にテレビ放送されたこの「In Which Annie Gives It Those Ones」には、2000年代から10年代にかけて作られたどの学園モノ映画よりもリアルな大学生活があった。アルンダティ・ロイが自身の大学時代に起こった出来事をベースに脚本を書き、自身で演技もしているだけあって、ものすごく現実感がある。建築学を学ぶ学生たちが寮で共同生活しながら学位取得を目指してどのように卒業制作に向かっているのかが克明に描き出されている。とはいっても、真面目に勉強している学生は一握りで、大学時代というモラトリアムをそれぞれの方法で楽しみながら、何とか帳尻合わせして卒業しようとしているのである。そんなところもリアルであった。

 もちろん、恋愛関係にある学生たちもいるが、変にメロドラマに演出されていない。アルジュンとラーダーは付き合っており、身体関係もほのめかされ、堂々とキスもする。ひとつの寮に男女が混ざって住んでいるようにも見えた。筆者が通っていたジャワーハルラール・ネルー大学(JNU)でもそんな話を聞いたことがある。現在、JNUには男子寮、女子寮、男女混合寮があるが、女子寮や女子の居住部分は当然のことながら男子禁制になっている。しかし、かつては男子が女子寮に自由に入ることができた時代もあったようである。それを考えると、1970年代のデリーの大学で男女が肩を寄せ合って学んでいる描写を非現実的だと捉えることはできない。

 アルンダティ・ロイが演じるラーダーは急進的なフェミニストという設定で、これも面白かった。授業の中で教授が台所から排出される排水に関して女子学生に限定して質問したところ、ラーダーがそのジェンダーバイアスを鋭く指摘するシーンがあった。建築学を学びながら、建築が本来の目的から離れ、資産家の「貯金箱」になっているという指摘をしていたのもラーダーであった。結局、彼女は建築家になるのを止め、作家になるのだった。確かにラーダーにはアルンダティ・ロイ自身の人生が反映されている。

 あの時代にこのような映像作品が作られていたこと自体には驚きだが、何を言いたい映画なのかはよく分からなかったというのが正直な感想だ。大学時代にこんな仲間がいて、今ではこんなことをしている、といったエッセイ風のストーリーであり、そこに何か重要なメッセージあ込められているというわけでもない。楽しかった大学時代を回顧して創り上げられた、ごく身内向けの作品に見える。

 「In Which Annie Gives It Those Ones」は、劇場公開されなかったテレビ映画だが、その先進的な内容やシャールク・カーンの最初期の姿が記録されているという偶然から、カルト的な人気を博すことになり、現在まで語り継がれることになった「幻の映画」である。インド映画史に興味のある人は押さえておくべきだ。