Bandar

4.5
Bandar
「Bandar」

 「Bandar(猿)」は、2025年9月6日にトロント国際映画祭でプレミア上映され、インドでは2026年6月5日に劇場一般公開された映画である。「ヒンディー語映画界の風雲児」アヌラーグ・カシヤプ監督の新作だ。題名から映画の内容が全く予想できなかったが、これは強姦冤罪および未決囚問題を扱ったクライムスリラー映画だと分類できる。

 主演はボビー・デーオール。往年の名優ダルメーンドラの次男で、1990年代から2000年代に掛けて一線で活躍していたスター俳優だが、支持基盤は脆弱であり、2010年代には「過去の人」になりかけた。しかし、思い切ってウェブドラマ「Aashram」(2020-25年)で主演を務めたことで復活し、「Animal」(2023年/邦題:ANIMAL)の悪役で再評価された。以後、南北の映画界にて悪役での起用が続いたが、この「Bandar」では堂々の主演である。しかも、年季の入った素晴らしい演技を見せており、完全復活といってもいい。

 他には、サバー・アーザード、サーニヤー・マロートラー、サプナー・パッビー、インドラジト・スクマーラン、ラージ・B・シェッティー、ジテーンドラ・ジョーシー、ナーゲーシュ・ボーンスレー、リッディ・セーン、ニカト・カーン、プリトヴィー・ズトシー、ウダイ・ティーケーカル、ガンシャーム・ガルグ、アンクシュ・ゲーダム、スカーント・ゴーエル、オロビンド・バッターチャールジーが出演している。また、サニー・リオーネと夫ダニエル・ウェバーが一瞬だけ本人役で特別出演している。

 ムンバイー在住の50代サマル・メヘラー(ボビー・デーオール)は売れないミュージシャン及び俳優で、1本のヒット曲とTVドラマへの出演があったが、くすぶっていた。金欠状態で、家のローンを滞納しており、使用人シヴァー(ガンシャーム・ガルグ)への月給も滞っていた。デートアプリで出会った恋人クシー(サバー・アーザード)とも関係が悪化していた。

 あるときサマルは突然警察に連行され、強姦容疑で逮捕される。被害届を出したのは、クシーより前にデートアプリで出会い、一度だけセックスをしたガーヤトリー・アーナンド(サプナー・パッビー)という女性だった。サマルはガーヤトリーをブロックし、連絡を絶っていたが、彼女はストーカーになって彼の回りをうろついていた。

 サマルの妹スハーニー(サーニヤー・マロートラー)が友人の弁護士ニティン(リッディ・セーン)と共に駆けつけ、彼を保釈しようと動く。だが、サマルは警察勾留から15日間の司法勾留になり、刑務所に入れられる。刑務所の環境は劣悪で、20人用の部屋に100人の囚人が詰め込まれていた。しかも強姦容疑で収監された囚人は他の囚人たちから蔑まれていた。サマルは尊厳を傷付けられながら裁判の日を待ち続ける。だが、裁判は何度も延期され、その度に彼の保釈も遠くなる。

 刑務所は、容疑または罪の種類によってグループに分かれていた。当初サマルはビラール(アンクシュ・ゲーダム)がまとめ役の強姦犯グループに入れられるが、ボスとケンカになり、今度はリジョ(インドラジト・スクマーラン)がまとめ役の殺人犯グループに入る。

 ガーヤトリーは裁判を遅延させるため、アシッドアタック未遂を自作自演する。その影響でまたもサマルの公判は延期されるが、実行者が警察に逮捕され、真実を暴露する。それでもサマルは刑務所に留まり続けていた。

 日本には「推定無罪」という言葉がある。刑事裁判で有罪が確定するまでは容疑者を「罪を犯していない人」として扱うという基本原則である。だが、「Bandar」の中で主人公サマルの弁護士ニティンが「無罪と証明されるまでは有罪だ」と口走る場面があり、最初は聞き間違いかと思った。だが、この映画を観ると、ことインドにおいては、その言葉の方が真実に近いと感じられるようになってくる。

 サマルは、デートアプリで出会い、一度だけ肉体関係を持った女性ガーヤトリーから強姦の被害届を出され、警察に逮捕される。全く見知らぬ女性から強姦で訴えられたわけではなく、そういう意味での冤罪ではない。男女双方同意の下で行ったはずの性行為が、関係が変化した後に、女性側から「あれは不同意性行為だった」として報復に利用され、男性側が一方的に「強姦犯」に仕立て上げられる種類の冤罪である。2012年のデリー集団強姦事件以降、インドでは強姦の定義が拡大され、厳罰化もされた。だが、女性側に強い権限が与えられた反動で、女性が強姦罪を悪用して恨みのある男性に報復するというケースも増加した。そもそも、たとえ無罪を証明できたとしても、一度強姦容疑で逮捕された男性は、その後、正常な社会生活を送れなくなることも多い。その上、インドでは無罪を証明するまでにも長い道のりが待っている。なぜならインドでは裁判所があまりに多くの事件を抱えており、なかなか裁判が行われないという制度的な欠陥があるからだ。インドの刑務所には大量の未決勾留者がいるという問題はたびたび指摘されてきた。しかも、キャパオーバーな状態が慢性的に続いていることで、公判日の順守がなおざりになっており、原告側があれこれ理由を付ければ、容易に公判日は延期されていく。

 刑事手続きで詳しく解説したが、インドの刑務所には、制服を着ている囚人と私服を着ている囚人の2種類がいる。制服を着ている囚人は刑罰が確定した受刑者であり、労働を義務づけられる。給食係などを務めているのは制服を着た受刑者だ。一方、私服の囚人はまだ刑罰が確定していない未決勾留者である。サマルも未決勾留者であった。本来ならば司法勾留には期限があるはずだが、なかなか裁判が行われずにズルズルと勾留期間が延びている者がたくさんいた。サマルも、裁判の日を待ち続けたが延期ばかりであり、宙ぶらりんの状態で無為に過ごさなければならなかった。見ての通り、彼らは劣悪な環境に置かれており、そこにいるだけで精神を蝕むほどの重い罰となっている。もし原告側が、裁判の決着と刑罰の確定ではなく、被告をなるべく長い間未決勾留の状態に置いて懲らしめることを意図しているならば、それが易々と実現してしまうのである。ガーヤトリーの件も、裁判が行われたらサマルに保釈が認められたり無罪が言い渡されたりする可能性があった。だから彼女はわざと公判を遅らせていたのである。

 これは確かに「無罪と証明されるまでは有罪だ」という言葉そのものだ。女性の安全を保護することを名目に強化された強姦関連の法律と、インドの司法制度が慢性的に抱えている欠陥が合わさることで、現代インドでは男性が無実のまま罰を受けるシステムが出来上がってしまっているのである。「Bandar」は、この恐ろしい現状を白日の下にさらそうとする作品だといえる。

 刑務所がいかに地獄のような場所なのかを強調するために、「Bandar」ではかなりのリアリズムでもって刑務所の描写がなされていた。まず、囚人たちは刑務所に足を踏み入れた途端に尊厳を強奪されていく。警察官の前で素っ裸にされた上に、多くの囚人たちが見守る中で排便しなければならない。刑務所内では何をするにも金を求められ、外にいる家族などに際限なく金を無心しなければならない。それは家族関係にも大きな悪影響を及ぼす。気の狂った囚人もいれば、絶望して自殺する囚人もいた。ヤモリの身体を焼いて、その煙を吸ってハイになっている異常者までいた。おそらく実際に刑務所を取材するなどしてエピソードを集めたのだろう、あまりに異世界であるがゆえに圧倒的な現実感のある刑務所空間が再現されていた。

 サマルが逮捕される前後の警察とのやり取りも、さすがアヌラーグ・カシヤプ監督とうなってしまうほど、ゾクゾクするセリフの応酬がなされていた。マラーティー語が読めない人にマラーティー語の文書に署名をさせようとしていたり、相手を犯人を決め付けて高圧的に罪を認めさせようとしていたりするのだが、そこに不思議なユーモアもあるのである。このセリフ回しにも「Bandar」の美点があった。

 ところで、映画の題名にもなっている「猿」とは何だろうか。もちろん、映画の中には猿は登場しないので、これはメタファーになる。刑務所では囚人たちはたびたび「猿」のポーズをさせられていた。だから「猿」はまず「囚人」のメタファーだといえる。だが、この言葉にはもっと深い意味も込められている。映画の冒頭で「全ての人間は自分のサーカスの猿だ」という文言が示されるが、これは終盤にも繰り返される。囚人のみならず、我々は皆、檻に入れられた猿だというのだ。檻とは、この国であったり、社会であったり、信仰であったり、伝統であったりする。それは我々を取り巻く、いわゆる「システム」であり、その檻の中に閉じこめられた猿が我々ということだ。そして、その檻の中で猿回しの命令に従って芸をするしか生きる道がない。そういうことを言いたいのだろう。

 「Bandar」は、アヌラーグ・カシヤプ監督らしいダークで嗜虐的な作品であったが、主演として映画に命を吹き込んだボビー・デーオールは素晴らしかった。既に50代半ばを過ぎているが、「大器晩成」という言葉がピッタリの、迫真の演技だった。

 サーニヤー・マロートラー、サバー・アーザード、そしてサプナー・パッビーという3人の女優も映画を支えていた。演技面ではサーニヤーに見せ場が多かったが、インパクトではサプナーも負けていなかった。彼女は「Khamoshiyan」(2015年)や「Drive」(2019年)などに出演していたがあまり注目されなかった。だが、サマルをストーキングするオカルト趣味の女性ガーヤトリー役を妖艶に演じていた。サバーはリティク・ローシャンの恋人であり、女優としてよりもセレブリティーとしての知名度の方が高いが、確かな演技力を持っている。

 「Bandar」は、名作と迷作が入り乱れるアヌラーグ・カシヤプ監督のフィルモグラフィーの中で、名作と迷作のどちらにも分類することができるような作品だ。サイコスリラーとして観ることもできるし、社会派映画として観ることもできる。観る者の鑑識眼が試される映画であり、この完成度はカシヤプ監督の最高傑作の一本に含めることもできる。そして、ボビー・デーオールの完全復活を祝う作品でもある。興行的に成功するタイプの映画ではないが、長く映画愛好家たちの脳裏に刻み込まれる作品になるだろう。