Auron Mein Kahan Dum Tha

3.0
Auron Mein Kahan Dum Tha
「Auron Mein Kahan Dum Tha」

 2000年代のヒンディー語映画界はアクション映画不毛の時代といわれたものだが、2010年代からはアクション映画優勢の時代が続いており、まともなロマンス映画がほとんど作られなくなってしまった。歴史を紐解いてみると、アクション映画とロマンス映画は交互にトレンドになってきていることに気付く。その周期は20年ほどと見ていいのではなかろうか。そうすると、そろそろロマンス映画の時代がやってくることが予想される。

 2024年8月2日公開の「Auron Mein Kahan Dum Tha(他の者に一体度胸があっただろうか)」は、いまどきとんとお目に掛かれなくなってしまった稀少なド直球のロマンス映画である。監督は「A Wednesday!」(2008年)や「Special 26」(2013年)などで知られるニーラジ・パーンデーイ。彼はプロデューサーでもあり、「Vikram Vedha」(2022年/邦題:ヴィクラムとヴェーダ)などのヒンディー語映画を製作してきたが、ヒンディー語映画の監督は「Aiyaary」(2018年)以来となる。

 主要キャストは、アジャイ・デーヴガン、タブー、シャーンタヌ・マヘーシュワリー、サイー・マーンジュレーカルの4人。アジャイとタブーは過去に共演作が多く、「Vijayapath」(1994年)、「Haqeeqat」(1995年)、「Thakshak」(1999年)、「Drishyam」(2015年)、「Golmaal Again!!!」(2017年)、「De De Pyaar De」(2019年)、「Drishyam 2」(2022年)、「Bholaa」(2023年)がある。今作で共演9作目となる。シャーンタヌは「Gangubai Kathiawadi」(2022年)に出演していたTV界出身の若手俳優だ。サイーは曲者俳優・監督マヘーシュ・マーンジュレーカルの娘で、「Dabangg 3」(2019年)で本格デビューした。

 この映画は主に2001年と現代(2024年)を往き来しながら物語が進行する構成になっている。上記4人がクリシュナとヴァスダーの「現在」と「過去」を演じる。2024年のシーンではアジャイがクリシュナ役、タブーがヴァスダー役を演じる一方、2001年のシーンではシャーンタヌがクリシュナ役、サイーがヴァスダー役を演じる。近年では、CGや特殊メイクなどを駆使して、一人の俳優が異なる年齢を演じ分けるのがトレンドだが、「Auron Mein Kahan Dum Tha」は敢えて技術に頼らなかった。ただし、起用された俳優たちの顔が特別似ているわけでもないので、その点は大目に見る必要がある。

 他には、ジミー・シェールギル、サーヤージー・シンデー、ジャイ・ウパーディヤーイ、ハールディク・ソーニーなどが出演している。

 2001年、ムンバイー。コンピューター・ハードウェアのエキスパートだったクリシュナ(シャーンタヌ・マヘーシュワリー)は、同じアパートに住むヴァスダー(サイー・マーンジュレーカル)と恋仲になり、将来を誓い合っていた。ただ、クリシュナはさらなるキャリアアップのため、ドイツに2年間研修に行くことになっていた。離れ離れになるのは辛かったが、ヴァスダーはクリシュナのドイツ行きを後押しする。

 2024年、クリシュナ(アジャイ・デーヴガン)はアーサーロード刑務所にいた。2人を殺害した罪で25年の懲役刑を言い渡され、それ以来ずっと服役していたのだった。ただ、模範囚だったため、刑期が縮小され、22年半で釈放されることになった。ただ、クリシュナは刑務所の外に出ることをためらっていた。わざと釈放を遅らせようと問題を起こすが、釈放の決定は覆らなかった。仕方なく、クリシュナはドバイにいるマフィアのドン、マヘーシュ・デーサーイー(サーヤージー・シンデー)に連絡し、釈放と同時にドバイへ渡る手はずを整える。

 刑務所を出たクリシュナを待っていたのは親友のジグネーシュ(ジャイ・ウパーディヤーイ)であった。ジグネーシュは彼を、かつて彼が住んでいたアパートに連れて行く。そこで彼は、かつての恋人ヴァスダー(タブー)と再会する。

 ヴァスダーは既にアビジート(ジミー・シェールギル)という男性と結婚していた。だが、今でもクリシュナのことを忘れておらず、ジグネーシュとも連絡を取り合っており、彼に会うためにアパートにやって来たのだった。ヴァスダーはアパレル会社の社長をしていた。

 ヴァスダーはクリシュナを自宅に招く。アビジートが彼に会いたがっていたからだ。クリシュナは戸惑いつつもアビジートと会い、彼と話をする。アビジートは、あの夜何があったのか、クリシュナに聞く。

 2001年、クリシュナのドイツ行きが決まった夜、彼は2人を殺害し、逮捕されることになった。同じアパートにパキヤー(ハールディク・ソーニー)というチンピラが住んでおり、クリシュナは彼と対立していた。パキヤーは腹いせのため、ヴァスダーをレイプしようとしたのだった。クリシュナは彼女を救出するが、その際にパキヤーの仲間2人を誤って殺してしまう。

 クリシュナがアビジートに語った内容は、ヴァスダーが彼に語った内容と同じだった。クリシュナはドバイ行きの飛行機に乗るため、アビジートとヴァスダーの家を去る。クリシュナが去った後、アビジートはヴァスダーに、あの夜本当にあったことを問いただす。

 実は2人を殺害したのはクリシュナではなくヴァスダーだった。だが、クリシュナは彼女の罪をかぶり、20年以上服役していたのだった。ヴァスダーに誰かと結婚するように言ったのもクリシュナだった。アビジートは、クリシュナに真の愛を見出す。

 序盤に専ら観客の好奇心をそそるのは、クリシュナがなぜ服役することになったのかという疑問である。彼が2001年に2人を殺害し、25年の懲役刑になったことは早々に分かるのだが、その殺人事件の詳細はなかなか明かされない。だが、恋人ヴァスダー絡みであったことは容易に推測できる。

 全体としてとてもスローテンポで進み、しかもセットが微妙にチープで、徐々に盛り下がりながら、クリシュナが投獄された理由が明かされるのを心待ちにする時間帯が続く。これでその理由が予想通りだったら残念だと心の片隅で考えているのだが、果たしてその通りなのである。クリシュナは、ヴァスダーが3人組の悪漢たちにレイプされそうになったため、彼女を救出しようとするが、その過程で誤ってその内の2人を殺してしまう。それが分かったときの落胆は果てしなかった。

 だが、それで映画が終わったわけではなかった。なぜなら、それは真実ではなかったからだ。ヴァスダーの夫アビジートは、あの夜に起こったことは、ヴァスダーやクリシュナが語ったようなものではなかったと薄々勘付いていた。クリシュナが空港へ去った後、妻に優しく問いただす。ヴァスダーは一筋の涙を流しながら真実を話す。実は、2人の悪漢を殺したのはクリシュナではなく、ヴァスダーだった。レイプされそうになり、抵抗したところ、偶然が重なって2人を殺してしまったのだった。悲鳴を聞いたクリシュナは駆けつけてきて、彼女の罪を自分でかぶることを決める。そこに何の打算もなかった。ただ、彼女を愛していたからだった。クリシュナは20年以上の時間をヴァスダーを想い続けて過ごした。それはヴァスダーも同じだった。だが、ヴァスダーが結婚したことも知っており、たとえ刑期を終えても彼女と会うつもりはなかった。彼女を手に入れるためではなく、愛する彼女の幸せのために自己を犠牲にしたのだった。

 愛した人への愛を貫くために他人の罪をかぶって服役するというプロットは、実は目新しいものではない。過去には、多少形は異なるものの、「Veer-Zaara」(2004年)や「Ramaiya Vastavaiya」(2013年)などといった映画があった。よって、この意外な真相もどこまでインドの観客に意外だと受け止められたか疑問である。

 それよりも意外だったのが、結末だった。アビジートは、クリシュナがヴァスダーの罪をかぶって22年半も服役していたことを知る。通常のインド映画であったら、アビジートはクリシュナのヴァスダーに対する深い愛情に感服し、何らかの形でヴァスダーをクリシュナに譲るという結末に向かったはずだ。もちろん、そのままでは結婚を破棄することになるため、世間受けが良くない。そのため、実は結婚していなかったとか、離婚調停が進んでいたとか、クリシュナとヴァスダーの土壇場でのゴールインを演出するために何らかの伏線を用意するのが常套手段である。「Auron Mein Kahan Dum Tha」では、そのような小細工が一切なかった。クリシュナはドバイに発ち、ヴァスダーはアビジートとの結婚生活を維持することを選ぶ。

 結ばれるだけが恋愛ではない。敢えて、制度的または肉体的に結ばれないが満たされた恋愛を見せる。「Auron Mein Kahan Dum Tha」は、そんな達観のある、大人びたロマンス映画であった。単に中年になった男女の恋愛だから大人びているのではない。不倫ではない、結婚の外に存在する男女の関係もあるということを静かに示している。この映画の最大の美点はそれだった。

 さらに、この映画には悪役らしい悪役がいないのも特徴的だ。敢えていえばパキヤーだが、彼は決して最後に倒されるべき敵でもない。クリシュナ、ヴァスダー、アビジートの3人がそれぞれに善人であり、それぞれに葛藤を抱えながらも、状況を最善の状態で着地させようと努力したため、完全なハッピーエンドではないものの後味の悪さを残さない終わり方が実現したのだと感じられる。

 セリフも良かった。いくつか名言といえるものもあったが、ひとつだけ取り上げるとしたら、2001年のシーンで若いヴァスダーがクリシュナに放った言葉だ。彼女は、クリシュナとのデートのため、家に電話をし、嘘を付いて今日は帰りが遅くなると伝えた。クリシュナに嘘を付いたことを責められたヴァスダーは、「付いていい嘘もある」というような返答をする。「Auron Mein Kahan Dum Tha」全体のテーマはこの一言で言い表せる。クリシュナはヴァスダーの罪をかぶって服役した。ヴァスダーもそれを誰にも明かさなかった。これは一種の嘘である。また、2024年に再会した二人は、決して「愛している」というような言葉を交わさなかった。これもどんなに嘘であろうか。だが、どちらも肯定されるべき嘘である。

 一方でベテラン俳優が現代のクリシュナとヴァスダーを演じ、一方で若手俳優が過去のクリシュナとヴァスダーを演じた。演技力の差は歴然としていた。若いシャーンタヌ・マヘーシュワリーとサイー・マーンジュレーカルに、アジャイ・デーヴガンやタブーが自然に醸し出せるような重厚感はなく、埋めようのない実力の差がつまびらかになってしまっていた。決してシャーンタヌとサイーに将来性がないわけではないが、貫禄で負けてしまっており、それがこの映画の欠点のひとつに数えられるだけの目立ち方をしてしまっていた。

 カメラワークに工夫が見られた映画でもあった。長回しを多用した上で、カメラを派手に移動・回転させて独特の映像を生み出していた。現代のクリシュナが過去の自分を振り返る場面でも、アジャイ・デーヴガンとシャーンタヌ・マヘーシュワリーを突然入れ替えたり同時に登場させたりして、新規性のある表現に挑戦していた。

 ムンバイーの定番ロケ地で多数のロケが行われていたのは逆に新鮮だった。クリシュナが服役していたアーサーロード刑務所は、正式名称をムンバイー中央刑務所という。実際に同刑務所でロケが行われたとは考えられないが、外観などは実際の施設が使われていたと思われる。バーンドラーとワルリーをつなぐシーリンクは、2001年のシーンでは建設中だったが、2024年のシーンでは完成していた。クリシュナとヴァスダーはデートでインド門やエレファンタ島を訪れるが、どちらもムンバイー観光の定番中の定番だ。また、ヴァスダーが通っていた大学は、数々のヒンディー語映画が撮られてきたセント・エグザビア・カレッジである。もちろん、アラビア海に面したマリンドライブでもロケが行われていた。また、ヴァスダーが経営するアパレル会社は、明らかにファブ・インディアであった。

 「Auron Mein Kahan Dum Tha」は、愛する女性の罪をかぶって服役することになった男性の、20年以上に及ぶ究極の愛の物語だ。主要キャラの中に悪人らしい悪人がおらず、難しい状況に置かれながらもそれぞれが最善の道を探ろうとする。その中には、必ずしも結ばれる恋愛のみをよしとしない大人の態度が見られた。その結果、成熟した大人のロマンス映画という印象が強かった。ただ、耐えがたいほどスローテンポであるし、若い俳優たちの演技も心許ない。興行的には大失敗に終わっているが、その理由も分かる。ただ、それだけで終わらせていい作品とも思えない。再評価されることを願いたい。