Aiyaary

2.5
Aiyaary
「Aiyaary」

 2018年10月6日(土)からインディアン・フィルム・フェスティバル・ジャパン(IFFJ)が開幕した。この映画祭には発足時から主に字幕翻訳者として関わっており、今年は「Aiyaary」の字幕を担当した。字幕を翻訳する際には何度も見返すため、ストーリーの隅々まで分かるものだ。ここではネタバレを含む完全な解説をしたいと思う。

 まず、題名となっている「Aiyaary(アイヤーリー)」の語意は、大修館書店の「ヒンディー語=日本語辞典」によれば、

  1. 詐欺、ぺてん、いかさま
  2. 器用さ
  3. 忍術

となっている。劇中において、変装の名人である主人公のあだ名として使われており、「奇術」と解釈するのがもっとも妥当だろうと考え、邦題を「アイヤーリー ~戦場の奇術師~」とした。

 「Aiyaary」は2018年2月16日公開のヒンディー語映画で、監督は「A Wednesday!」(2008年)や「Toilet: Ek Prem Katha」(2017年)で名高いニーラジ・パーンデーイ、主演はマノージ・バージペーイーとスィッダールト・マロートラーである。他にナスィールッディーン・シャー、アヌパム・ケール、アーディル・フサインなどの演技派俳優たちが脇を固めている。ヒット作に恵まれてきたパーンデーイ監督の作品としては珍しくフロップに終わった。

 物語は、インド陸軍の中に秘密裏に創設された架空の防諜機関、データー・システム分析局(DSD)を中心に展開する。DSDの隊長はアバイ・スィン大佐(マノージ・バージペーイー)。変装技術と行動力で知られ、作戦成功率100%を誇る凄腕の軍人である。ある日、DSDの一隊員であるジャイ・バクシー少佐(スィッダールト・マロートラー)が消息を絶つ。ジャイは盗聴データーと共に姿をくらましており、アバイはジャイが裏切ったことを知る。アバイは、ロンドンに高飛びしたジャイを追って渡英し、彼と相見えるが、ジャイの行動はインドにおける汚職の蔓延を憂えてのことだと知り、ジャイを見逃すことにする。一方、インドではDSDの存在がメディアによってすっぱ抜かれようとしていた。秘密裏に創設されたDSDが周知されると、インド陸軍の醜聞となる他、DSDが抱えていた情報提供者の命が危うくなる。アバイはそれを阻止するため、ジャイが掴んだ巨額の汚職事件の情報をメディアに渡し、取引をする。

 「現代のガーンディー」と呼ばれた社会活動家アンナー・ハザーレーによる2011年の汚職撲滅運動以来、ヒンディー語映画界では「汚職」がひとつのテーマとなって来た。「Aiyaary」はその系譜に位置づけられる。若きジャイは、DSDの作戦に従事する中で、インドの政治家、軍人、実業家などに汚職が蔓延していることを知り、苦悩する。このまま汚職にまみれた権力者に協力し続けるのも売国奴であるし、国家に立ち向かっても反逆者となってしまう。ジャイは迷いながらも行動を起こすことを決める。彼は、独立以降、汚職を野放しにしてきた上の世代たちを糾弾し、自らの世代でその悪しき伝統を断ち切る決意をする。

 ジャイが掴んだ最大のスキャンダルが、戦死した軍人の寡婦のために建設されたマンションにまつわるものだった。元々6階建ての建物だったこのマンションは、軍幹部たちがこぞって部屋を要求したため、どんどん階数が増え、最終的には31階建てのマンションとなった。これに汚職の臭いを感じ取ったのが、マンション建設中から警備員として工事現場で勤務していたバーブーラーオ(ナスィールッディーン・シャー)であった。バーブーラーオは人々にこのマンションの奇妙な点を吹聴して回り、テレビにも出演することになった。だが、命を狙われることになり、ジャイが彼を匿ってデリーまで連れて来る。ジャイはアバイにバーブーラーオを紹介し、アバイがメディアに紹介する。

 このスキャンダルは実際にあった事件がモデルになっている。俗に言うアーダルシュ・ハウジング・ソサイエティー汚職事件だ。ムンバイーのコラバ地区に建った31階建てのこのマンションは、元々1999年のカールギル紛争で戦死した軍人の寡婦のために建設されていた。ところが、インドでもっとも地価の高い商都ムンバイーの好立地にあったため、カールギル紛争とは全く関係ない軍人、政治家、官僚などが市場価格より安い価格で不正にこのマンションに部屋を購入するようになっていた。このスキャンダルが世間を賑わしたのは2010年であり、当時のマハーラーシュトラ州首相が辞任に追い込まれるなど、大きな影響を及ぼした。上述のアンナー・ハザーレーによる汚職撲滅運動のきっかけのひとつにもなった事件である。

 映画の冒頭から「ムンバイーのコラバで・・・」と繰り返されるが、これがアーダルシュ事件を指しているとは、いくら時事に詳しいインド人と言えど、最後まで見終わらないと気づかなかっただろう。この辺りの仕掛けはインド人には「おおっ」となるが、インドのニュースに触れていない日本人観客にとってはちんぷんかんぷんであろう。

 ちなみに、映画の最後でアバイが唐突に「Man Bairagi Tan Anuragi…」と詩を詠む。これはインドのウルドゥー語詩人ニダー・ファーズリーの詩である。ファーズリーはいくつかのヒンディー語映画で作詞をしており、もっとも記憶に新しいところでは「Sur: The Melody of Life」(2002年)や「Dev」(2004年)などがある。

 「Aiyaary」は、実際に起こった汚職事件をもとに物語が構築されたフィクションのアクションスリラーである。2011年の汚職撲滅運動から始まる汚職撲滅映画の系譜に連なる作品であり、映画史的には一定の価値を持つと評されるが、映画としての出来は、パーンデーイ監督の過去の作品と比べると、力不足と言わざるを得ない。