Land of My Dreams

3.5
Land of My Dreams
「Land of My Dreams」

 「Land of My Dreams」は、2023年10月7日に山形国際ドキュメンタリー映画祭でプレミア上映され、その後、2026年6月6日に「わたしの聖なるインド」の邦題と共に劇場一般公開されたドキュメンタリー映画である。山形国際ドキュメンタリー映画祭での上映時のタイトルは原題に近い「我が理想の国」だった。インド本国でも各映画祭で上映されたが、劇場一般公開はされていない。インドにおいてドキュメンタリー映画は興行がほぼ成り立たないため、劇場一般公開されないのは普通のことだ。2026年6月7日に東京渋谷のユーロスペースで鑑賞した。

 監督はナウシーン・カーン。デリーにある著名な総合大学ジャーミヤー・ミッリヤー・イスラーミヤー(JMI)出身のインディペンデント系女性映像作家である。「Land of My Dreams」は彼女にとって初の長編作品になる。

 ここまでの情報で分かることがある。それは、ナウシーン・カーン監督がイスラーム教徒であることだ。インド人の人名には性別の他に宗教、カースト、出身地などが刻まれており、名前を見ればその人がどの宗教を信仰しどのコミュニティーに属しどのくらいの社会階層なのかが大体推測できる。「ナウシーン」も「カーン」もイスラーム教徒の印である。「カーン」姓のイスラーム教徒は一般的に社会階層は低くないと考えられる。また、JMIは英領時代に、マドラサ(神学校)の代替としてイスラーム教徒の若者に近代的な教育を施すことを主たる目的のひとつとして、主にイスラーム教徒知識層によって創立された総合大学であり、中央大学(Central University)になった現在でもイスラーム教徒学生が多いことで知られる。よって、この点からも監督がイスラーム教徒であることが推測できる。ただし、JMIはイスラーム教徒専用の大学ではなく、非イスラーム教徒の学生も広く受け入れている。たとえば「Laapataa Ladies」(2023年/邦題:花嫁はどこへ?)のキラン・ラーオ監督は、ヒンドゥー教徒ながらJMIの卒業生だ。イスラーム教徒への入学枠は最大50%であり、非イスラーム教徒の教授も多く、キャンパス内に多様性が保たれるように工夫されている。とはいっても、JMIの周辺はデリーの中でもイスラーム教徒人口が特に多い地域だ。映画の中では「ゲットー」と呼ばれていた。

 「Land of My Dreams」は、2019年12月から2020年3月まで、デリーを揺るがした反CAA運動を題材にしている。「CAA」とは「市民権改正法(Citizenship Amendment Act)」の略であり、これが法案の状態だったときには「CAB(Citizenship Amendment Bill)」と呼ばれていた。2019年12月11日に国会で可決され、法案は法律になった。反CAA運動は、この法案の可決を問題視する人々が起こしたものである。運動の最終目標はCAAの廃止だ。

 では、CAAの何が問題だったのだろうか。今回の改正の主目的は、難民にインドの市民権を付与する制度の規制緩和である。インドにおいて外国人(日本人を含む)が市民権を取得するには、インドに11年以上住む必要がある。だが、今回の改正により、2014年12月31日までに近隣諸国(アフガーニスターン、バングラデシュ、パーキスターン)からインドに入国した難民に限っては、5年以上インドに住むことでインドの市民権を取得できるようになった。また、正規の書類を持たず不法移民の状態でインドに入国したとしても市民権の取得が可能になった。改正は人道的な措置といえ、該当国からの難民に対して相当門戸が広げられている。

 だが、この規制緩和の恩恵を享受できるのは非イスラーム教徒のみである。この点が物議を醸している。非イスラーム教徒というのは具体的にはヒンドゥー教徒、スィク教徒、キリスト教徒などである。アフガーニスターン、バングラデシュ、パーキスターンはイスラーム教を国教とする国だが、ヒンドゥー教などを信仰する人々も存在する。改正法の立て付けは、これらの国で難民になるのは非イスラーム教徒だろうという前提にもとづいている。よって、イスラーム教徒が一律にこの緩和の対象から除外されたのだ。それはともかく、要するにCAAそのものは、インドで生まれインドに住むイスラーム教徒にとっては直接関係ない話である。だが、CAAによってイスラーム教徒がインドの市民権を剥奪され国を追われるという勘違いが広まり、反対運動が起こったのである。

 インド政府が今回の市民権改正法でイスラーム教徒を除外した理由は、上記の理由だけではないだろう。

 インドは1947年にパーキスターンの分離という痛みを伴って独立を果たした。パーキスターンが建国されたのは、民主主義を掲げる独立インドで少数派に陥り意見が通らなくなることを恐れたイスラーム教徒知識層が、イスラーム教徒が多数派を占めるイスラーム教徒のための国家を英国に求めたからだった。分離独立時、多くのイスラーム教徒が東西パーキスターンに移住したが、全員が移住したわけではなかった。独立インドは世俗国家を標榜し、全ての宗教が共存する社会を約束したため、住み慣れた故郷を離れずにインドに残ったイスラーム教徒もたくさんいた。そういうこともあって、独立以前、インドの総人口の4分の1を占めたイスラーム教徒人口は激減したものの、独立以後も14-15%ほどで推移してきた。8割弱を占めるヒンドゥー教徒に比べて少数派といえば少数派だが、圧倒的少数派というわけでもない。しかも、イスラーム教徒の人口増加率は一般に他の宗教に比べて高いとまことしやかに語られる。それを聞いたヒンドゥー教徒などは、いつかインドもイスラーム教徒が多数派の国になってしまうのではないかと恐怖を募らせている。

 そういうわけで、イスラーム教徒のためにせっかく領土を割譲したのに、インドに依然として住んでいるイスラーム教徒が少なくないことに不満を持つ人々が、常に一定数いた。そういう人々にとって、ただでさえイスラーム教徒の出生率が高いのに、イスラーム教を国教とする近隣諸国からイスラーム教徒の難民まで受け入れ市民権を与えるというのは我慢ならないことだ。印パ分離独立時から綿々と続くこの遺恨が、CAAの規制緩和でイスラーム教徒が一律に対象から除外された遠因となっていることは想像に難くない。

 また、2001年に米国で9/11事件が起き、対テロ戦争が宣言されると、世界中で「ジハード」という用語と共に、イスラーム教徒テロリストがクローズアップされることになった。そもそもインドはそれ以前から、パーキスターンからの越境テロリストに悩まされていた。イスラーム教徒の難民に易々と市民権を与えていては、その中にテロリストが紛れ込むことは必至で、国防上大きなリスクを抱えることになる。国防を最優先にするなら、イスラーム教徒の除外は理にかなっていることになる。

 このように、難民への市民権付与に関しての規制緩和からイスラーム教徒を除外した理由は一応あるのだが、ただでさえイスラーム教徒の肩身が狭くなっている昨今のインドにおいて、すんなりと受け止められなかった。2014年にヒンドゥー教至上主義を掲げるインド人民党(BJP)が中央で政権を樹立し、ナレーンドラ・モーディーが首相に就任すると、イスラーム教徒に対する締め付けとも取れる政策が次々に実行に移されてきた。CAAはその延長線上で捉えられ、イスラーム教徒を不安にさせ、憤らせ、抗議活動に駆り立てたのだった。

 では、これは完全にイスラーム教徒側の勘違いから始まった取り越し苦労だったのだろうか。実は、そうともいいきれない事情がある。CAAよりもむしろ問題になるのはNRCの方だ。これは「National Register of Citizenship」の略で、「国家市民登録簿」などと訳せばいいだろう。NRCは、国民が本当にインドの市民権を保有しているかを親の代から調査し登録する行政的なデータベース作成事業であり、インド政府はCAAと並行してNRCの全国展開を望んでいる。だが、自身の市民権を証明するための書類(出生証明や土地の所有証明)がない場合、その人は市民権を取り消される可能性がある。日本には戸籍制度があるので想像しにくいかもしれないが、そのような便利なデータベースを作ってこなかったインドでは、たとえインドで生まれたとしても、親などがきちんと届け出をしたり書類を保管したりしていないと、自分の存在を証明するのが困難になることがある。そのため、インドでは、出生、卒業、学位取得、結婚など、各ライフステージで公的機関などから発行される公的文書や行事を撮影した写真など証拠になるものを自分で大事に保管しておく必要がある。それを怠ってきた場合、NRCが本格実施されると、最悪の場合、書類の不備により市民権を剥奪されてしまう恐れがある。

 ここで効いてくるのがCAAだ。NRCが導入され、書類の不備などがあって市民権剥奪の危機に直面したとしても、非イスラーム教徒ならば、CAAがセーフティーネットになって市民権を回復してくれる可能性がある。だが、イスラーム教徒だけはこのセーフティーネットが利用しづらくなっている。難民のためのCAAがインド国民にも関係してくる。そして、確かにイスラーム教徒だけが突出して市民権を失う危険性にさらされることになるのである。

 そして、このNRCの入口と目されているのがNPR、つまり「National Population Register」である。「国家人口登録簿」とでも訳せばいいだろう。これは、インドに6ヶ月以上住んでいる全ての居住者(外国人を含む)を登録する一種の人口統計である。つまり、NPRによってインドに住む居住者を登録し、その中からNRCによって市民権を持つ者を選別し、もし書類の不備などがある場合でもCAAをセーフティーネットとする。だが、イスラーム教徒にはCAAが適用されず、市民権を失う者が続出する未来が予想される。そういうわけで、CAA、NRC、NPRが3点セットで反対運動のターゲットになったのである。映画の中でも「NO CAA、NO NRC、NO NPR」というプラカードが見えた。ちなみに、反対運動を受けて、現在NRCとNPRは凍結されている。

 ところで、インドには「アーダール(Aadhar)」と呼ばれる国民識別番号制度がある。だが、これは6ヶ月以上インドに住む者が申請できる居住証明に過ぎず、福祉と本人確認が主目的で、市民権とは根本的に異なる。外国人でも駐在や留学でインドに6ヶ月以上住むなら申請し取得できる。

 信仰する宗教によって不平等が生まれるCAAは、法の下の平等を規定する憲法に違反するという見方もある。抗議に参加したイスラーム教徒にとっては自身の実存を脅かされる由々しき事態であったが、それ以外の人々にとってはどちらかといえばCAAによって憲法が蔑ろにされていることを問題視しての抗議だった。さらに、反CAA運動は地域によって論点が異なった。最初に反CAA運動が起こったのはアッサム州やトリプラー州などインド東部だったが、この地域では宗教問わずバングラデシュからの難民受け入れを拒否する立場からCAAへの抗議が始まった。この地域では難民に選挙権が与えられることで選挙勢力図が激変することが心配されている。特にアッサム州はNRCに類するものが先行導入された実験場となっており、実際にNRCから漏れた大量のイスラーム教徒が市民権を失っている。だが、「Land of My Dreams」ではインド東部の情勢はほとんど関連性を持たないため、ここではその詳しい説明は割愛する。

 「Land of My Dreams」の起点になっているのは、2019年12月中旬のJMIでの出来事だ。JMIの学生たちはCAAに対して平和的な抗議活動を行っていたのだが、そこへデリー警察が実力行使に出た。警察が学生の立て籠もる図書館に突入し暴行を加えたが、それを監視カメラが捉えており、映像が流出して大きなニュースになった。パーヤル・カパーリヤー監督の「A Night of Knowing Nothing」(2021年/邦題:何も知らない夜)でもその監視カメラ映像と共にこの事件が取り上げられていた。JMI卒業生のナウシーン・カーン監督は警察による実力行使が始まる前に、おそらくそれがその後大ごとになるとは思わず、単に母校で抗議活動を取材するためにカメラを回していたと思われる。その時点で彼女が撮った映像からは、この運動を無闇に「イスラーム教徒vsヒンドゥー教徒」のように宗教問題化しようとするイスラーム教徒活動家たちの方に批判的な眼差しが投げ掛けられていたように感じた。

 だが、この映画がモメンタムを得るのは、監督の母校JMIではなく、シャーヒーン・バーグだ。JMIからそれほど遠くない地域にある住宅街で、やはりイスラーム教徒が多い。シャーヒーン・バーグでもJMIと時を同じくしてCAAに対する抗議活動が始まり、カーン監督はそちらの取材に全力を注ぐようになる。彼女の興味を引いたのは、一般の女性たちが抗議活動の主体になっていたことだった。JMIや、映画でも言及のあったジャワーハルラール・ネルー大学(JNU)での抗議活動は、教育を受け意識の高い大学生たちが主体である。彼らは常に何かに抗議をしているので、抗議活動自体は実はあまり珍しくない。だが、シャーヒーン・バーグの抗議に参加し座り込みをしていたのは、近所に住む一般市民のようだった。しかも、女性が大半を占めていた。インタビューに答えていた人々の中には、ウマル・カリードなど、正真正銘の活動家もいたが、純粋にCAAに対する不満から、家を出て抗議に参加した主婦のような人々もたくさんいた。それにしてもみんなよくしゃべる。

 ところで、このときのデリーは、2020年2月8日に州議会選挙を控えていた。デリーは中央政府とデリー政府の二重権力構造にあり、2019-20年当時、中央はBJPが、デリー政府は庶民党(AAP)が政権を握っていた。ちなみに、デリーは首都であるため、他州と異なり、警察は中央政府の管轄にある。よって、警察がJMIの学生たちに暴力を振るった責任も、デリー政府ではなく中央政府にある。中央政府を握るBJPは権力の二重構造を解消し首都を完全に手中に収めるため、デリー政府の政権を喉から手が出るほど欲しがっていた。CAAは、ヒンドゥー教至上主義に染まり、イスラーム教徒排斥に賛同するヒンドゥー教徒有権者の支持を得られる可能性があった。だが、どうもデリーの有権者は草の根の反政府抗議活動に影響を受けやすい体質にある。2011年に社会活動家アンナー・ハザーレーがデリーで主導した汚職撲滅運動にもデリー市民は熱狂し、この運動の結果誕生した新興政党AAPは、2013年からデリーの州議会選挙で勝ち続けていた。また、AAPもこれ幸いとCAAの抗議デモに入り込もうとしていたようだ。「Land of My Dreams」では、選挙が近づくにつれて次第に政治色が濃くなるシャーヒーン・バーグのデモ会場の変容も複雑な思いと共に記録されていた。

 2020年2月のデリー州議会選挙でAAPは圧勝し、党首のアルヴィンド・ケージュリーワールが再び州首相に就任した。BJPは惨敗だった。CAAを押し通すことでデリー州議会選挙を有利に戦えるという計算は外れた。その直後、デリー北東部、一般的に「ヤムナー・パール(ヤムナー河の向こう岸)」と呼ばれる地域で暴動が発生した。ここでも女性たち主体の抗議活動が行われていたが、選挙が終わった途端に暴動が起こり、主にイスラーム教徒がターゲットになって、50名以上の死者が出た。ヒンドゥー教徒の死者も出たが、イスラーム教徒の死者の方が2倍以上多かった。まるで選挙敗北の腹いせのようだった。ちなみに、この地域が属するスィーラムプル選挙区では2020年の州議会選挙でAAPの政治家が勝利している。ただ、カーン監督が主にフィールドにしていたシャーヒーン・バーグでのデモ活動はこの暴動によって影響は受けず、抗議活動は続けられた。そんな混沌とした状況の中、米国のドナルド・トランプ大統領が訪印しモーディー首相と会談した。世界の注目がインドに集まるのを好機と捉え、反CAA運動も盛り上がった。しかしながら、新型コロナウイルスがインドでも確認され始め、3月にはロックダウンが始まり、デモは強制的に解散されられることになった。意外とあっけない幕切れだった。

 映画に使用されていた映像から察するに、ナウシーン・カーン監督は四六時中抗議者たちと行動を共にしたわけではなさそうだ。2019年12月から2020年3月までにデリーで起こった主要な出来事が断片的につなぎ合わされ、ひとつのドキュメンタリー映画にまとめあげられている。事件を網羅的に記録した作品というよりも、デモに参加中の主に女性たちにインタビューし、「蜂起するムスリム女性たち」の勇姿が肯定的に描き出されている。普段は家の中にいることの多いムスリム女性たちが外に出て抗議をすることに革命の兆しを見出したのだろう。彼女たちは決してイスラーム教徒であることを強調せず、あくまでインド国民として、CAAに反対し続けた。「ヒンドゥー教徒vsイスラーム教徒」の構図にしてしまったらBJPの思う壺だからだ。

 その一方で個人的により心に響いたのが、映像に載せられるカーン監督自身の独白である。イスラーム教徒の家庭に生まれた彼女は、理解ある両親に恵まれ、「いい学校」で教育を受けることができたが、そういう学校に通うイスラーム教徒は少なかった。よって、友達にもイスラーム教徒はほとんどおらず、自身もイスラーム教徒であることを意識せずに育ってきたという。むしろ、多数派に迎合し、自分を無にすることで生き抜いてきたとも語っていた。彼女のようなノンポリ系のイスラーム教徒は中上流層に多そうだ。だが、今回この反CAA運動を取材したことで、彼女は見て見ぬふりをしてきた自身自身のアイデンティティーと向き合わざるをえなくなる。ドキュメンタリー映画監督として、またイスラーム教徒であることを意識しないインテリのイスラーム教徒として、なるべく中立の立場で取材に臨んでいたようだが、蜂起したムスリム女性たちと話している内に影響を受けるようになり、やがて自分を問い直すようになったのである。おそらく彼女は取材を通して、何度も自分の名前を名乗る必要に迫られたのだろう。そして、自分の名前に刻まれたイスラーム教徒としてのアイデンティティーが相手の態度を左右する経験をしてきたのだろう。市民権のために座り込みなどをして戦っていたのは、明らかに下層の人々であった。カーン監督は、市井に出てインド社会の現実を知り、自身がいくら「無」であろうと努力しても「何か」になってしまう現状と相対した上で、苦悩しながらこの映画を作っている。こうしてできた「Land of My Dreams」は、国家を根幹から揺るがした事件の記録であると同時に、カーン監督の内面的な旅の記録でもあった。

 反CAA運動は、宗教にもとづいて国民の間に線を引き分断しようとする政府に対する戦いだった。よって、抗議活動の中ではヒンドゥー教徒、イスラーム教徒、スィク教徒、キリスト教徒などの共存共栄を求めるスローガンが何度も繰り返された。だが、それを取材したカーン監督の内面には、皮肉なことに、今までなかったはずの、宗教にもとづく線が顕在化してきてしまったのだった。彼女の内面に引かれたこのラインは、今後彼女の作品にどんな影響をもたらすだろうか。

 ところで、映画内では、「Border」(1997年)や「Sarfarosh」(1999年)の映像が使われ、ヒンディー語映画におけるイスラーム教徒の表象について考察がなされる一幕もあった。これはひとつの重要なテーマであり、インド映画研究の中でも盛んに議論が行われるトピックだ。

 言語はヒンディー語と英語のハイブリッドだった。インタビューではほとんどのインタビュイーがヒンディー語で答えていた一方で、ナレーションは英語だった。

 本筋とはあまり関係ないが、モーディー首相の「独身」について言及があったのが興味深かった。モーディー首相は、若い頃に両親に無理やり結婚させられており、法的には独身ではないのだが、妻との結婚生活は送っておらず、実質的には「独身」ということになっている。ヒンドゥー教の文脈では、妻帯しないことは「ブラフマチャリヤ」と呼ばれ、尊敬される。特にブラフマチャリヤの者は一国の宰相にふさわしい。なぜなら子孫への利益供与など縁故主義に陥らないことが公平な統治につながるとされるからだ。だが、反CAA運動に参加していたイスラーム教徒女性の中からは、「首相には子供がいないから他者の痛みが分からない」というような発言が聞かれた。これはイスラーム教徒特有の価値観だろうか。

 「Land of My Dreams」は、BJP政権下でイスラーム教徒が置かれている現状を、2019年から20年にかけての反CAA運動を題材にして、イスラーム教徒女性の監督自身の内省と共に描き出したドキュメンタリー映画である。決して緻密に練り上げられた作品ではなく、かといってパーヤル・カパーリヤー監督のように詩的なパッケージングもされておらず、作品内で問題は何の解決もしていないしその兆しも見えないが、監督自身の心の旅を一緒に体験し、イスラーム教徒として現代のインドを生きることがどんなことか、インドの現在を考えるきっかけを与えてくれる。事実の羅列だけではなく、そこに「自分」を積極的に投影し、ストーリー性を生み出すことができたおかげで、一段上のドキュメンタリー映画に仕上がっている。