インドには多くのスター俳優がいるが、そのスターをスターたらしめているのは熱狂的なファンたちだ。スターとファンの関係性は近年になってヒンディー語映画が注目し始めているトピックで、「Billu」(2009年)、「Bombay Talkies」(2013年)、「Fan」(2016年)などの映画で取り上げられた。その決定版ともいえる映画が、2023年2月24日公開の「Selfiee」である。
プロデューサーはカラン・ジョーハルなど、監督は「Good Newwz」(2019年)などのラージ・メヘター。主演はアクシャイ・クマールとイムラーン・ハーシュミー。他に、ヌスラト・バルチャー、ダイアナ・ペンティー、アダー・シャルマー、アビマンニュ・スィン、マヘーシュ・タークル、メーグナー・マリクなどが出演している。また、アイテムソングの多い映画でもあり、映画中に使われていた「Kudiyee Ni Teri」ではムルナール・タークルがアイテムガール出演していた他、映画中では使われていない「Deewane」ではジャクリーン・フェルナンデスが、「Kudi Chamkili」ではヨーヨー・ハニー・スィンが出演していた。
なお、この映画はマラヤーラム語映画「Driving Licence」(2019年)の公式リメイクである。
マディヤ・プラデーシュ州の州都ボーパールのRTO(運転免許センター)で試験官として働く警官オームプラカーシュ・アガルワール(イムラーン・ハーシュミー)は、息子共々、スーパースターのヴィジャイ・クマール(アクシャイ・クマール)の大ファンだった。ヴィジャイの新作が公開されるときには子供に学校をさぼらせてでも一緒にファーストデー・ファーストショーを観に行って騒ぐほどヴィジャイを信奉していた。オームプラカーシュの夢は、一度でいいからヴィジャイと一緒に自撮りをすることだった。 あるときヴィジャイが撮影のためにボーパールを訪れる。オームプラカーシュは絶好の機会とばかりに彼がヘリコプターで降り立つ現場まで駆けつけるが、大勢のファンが詰め掛け、警備も厳重で、ヴィジャイには少しも近づけなかった。 しかし、ヴィジャイは撮影のために運転免許の取得が必要になった。ヴィジャイは運転免許を紛失しており、まだ再発行を受けていなかったのである。ヴィジャイは政治家ヴィムラー・ティワーリー(メーグナー・マリク)に相談する。ヴィムラーはRTOを訪れ、オームプラカーシュにヴィジャイの運転免許証を即日で発行するように頼む。オームプラカーシュは二つ返事で承諾するが、ヴィジャイとの自撮りを頼んだ。ヴィジャイはオームプラカーシュが自分の熱心なファンであることを知り、早朝にRTOを訪れる。ところがヴィジャイのRTO来訪を嗅ぎつけたメディアがRTOを取り囲んでいた。ヴィジャイはオームプラカーシュが目立つためにメディアを呼んだと勘違いし、彼を罵倒して帰っていく。オームプラカーシュは自動車を運転して帰ろうとしたヴィジャイを止め、無免許運転で反則切符を切る。 実はヴィジャイと妻ナイナー(ダイアナ・ペンティー)は代理母出産で子供を授かろうとしており、もうすぐ米国で子供が生まれるところだった。撮影を終えて米国に渡る予定だったが、ナイナーだけ渡米させ、自分はボーパールに残る。ちょうどそのとき、オームプラカーシュの自宅に複数人の暴漢が押し寄せ、石を投げて彼らを脅す。ヴィジャイの仕業だと考えたオームプラカーシュは、翌朝メディアの前で、ヴィジャイがやったことをさらけ出す。一連の事件により、ヴィジャイの人気は地に墜ちる。それをほくそ笑んで見ていたのが、彼の旧友で、売れない俳優のスーラジ・ディーワーン(アビマンニュ・スィン)であった。 ヴィジャイは、ボーパールにおいてオームプラカーシュを試験官とし、運転免許の試験を受けることにする。メディアは彼のその行動に飛びつき、彼の運転免許試験を生中継する。まずは交通法規に関する面接が行われ、ヴィジャイは合格点を取る。次にヴィジャイは運転技能テストを受ける。オームプラカーシュは彼を不合格としようとしたが、ヴィジャイは理論的に反論し、合格を勝ち取る。 ヴィジャイは試験を終えてすぐに米国に向けて旅立つ必要があったが、オームプラカーシュは最後の公道試験をわざと翌日に回した。それを見たヴィジャイは申請書を破り捨てる。そしてメディアやファンに向かって、なぜ自分が米国へ行こうとしているのかを説明し、もう運転免許もいらないし、映画出演もしないと宣言する。怒った群衆がオームプラカーシュをリンチするが、ヴィジャイは彼を助け出し、自動車に乗せる。 自動車の中でオームプラカーシュはヴィジャイに、RTOにメディアを呼んだのは自分ではないと言う。ヴィジャイも、オームプラカーシュの自宅に石を放り込ませたのは自分ではないと言う。二人の間のわだかまりはいつの間にか消えていた。ヴィジャイはオームプラカーシュの妻ミンティー(ヌスラト・バルチャー)と息子を自動車に乗せて、一緒に自撮りをする。 ところで、オームプラカーシュの自宅に石を放り込ませた犯人が判明した。それはスーラジであった。また、RTOにメディアを呼んだのはヴィムラーだったことも分かる。オームプラカーシュはヴィジャイに運転免許証を渡し、ヴィジャイはオームプラカーシュを抱擁して米国に発つ。
架空のスーパースター、ヴィジャイの熱狂的なファンが、些細な行き違いから一転してヴィジャイの敵となって対決するという物語であった。しかもその対決が運転免許試験なのだからユニークだ。インドで運転免許試験がどのように行われているのかも垣間見ることができて面白い。また、ここ最近、ヒンディー語映画界を悩ませているボイコット・ボリウッド運動もうまくストーリーに組み込まれており、タイムリーである。原作のマラヤーラム語映画の脚本が良かったのだろうが、ラージ・メヘター監督の巧みな手腕も感じられる映画だ。
南インド映画のリメイクであり、映画に登場するヴィジャイのスターっぷりは、ヒンディー語映画のそれというよりは南インド映画のそれである。新作公開時に主演スターの巨大なカットアウト(立て看板)が立てられたり、そのカットアウトにプージャー(祭礼)が行われたりするのは、南インド特有の文化で、北インドではあまり見られなくなった。ただ、それをもって減点する必要はないだろう。
スーパースターvs一般庶民という構造の映画であったが、一般庶民を代表するのがオームプラカーシュである。職業はRTOの試験官。RTOとは「Regional Transport Office」の略で、日本でいう運転免許センターだ。人々は運転免許証を発行してもらうためにRTOを訪れ、試験を受ける。インドには自動車学校のようなものも存在するが、練習用のクローズドコースを持っているところは稀で、普通は路上で練習をする。しかも、自動車学校で練習をしても実地試験は免除にはならないようだ。実地試験ではH型の道路で、バックや駐車などの技能をチェックされる。
おそらく日本人観客にとって疑問なのは、運転免許証取得に賄賂となるお金が動いたり、特別待遇があったりする点であろう。実際にRTOの周辺にはダフ屋がたむろしており、彼らに頼んでそれなりの料金を払えば、運転免許証を「買う」ことができる。オームプラカーシュも融通の利く試験官という設定であった。
オームプラカーシュは、信奉するヴィジャイの運転免許証を発行することになり、しかも自撮りまでしてもらえるということで、彼の訪問を心待ちにする。だが、メディアへのリークに憤ったヴィジャイは彼を罵倒する。オームプラカーシュは、自分の子供の前で罵倒されたことが許せなかった。なぜならヴィジャイは自分にとってのヒーローだったが、息子にとっては自分がヒーローだったからだ。彼は、息子に再びヒーローとして認めてもらうために、ヴィジャイと対峙することになる。
その心情が叙事詩「ラーマーヤナ」を引き合いに出して説明されていた。ランカー島の羅刹王ラーヴァナは、ラーマ王子の妻スィーターを誘拐し、ラーマ王子と戦うことになったが、ラーヴァナはブラーフマンであり、神の化身であるラーマ王子の信者でもあった。ラーヴァナがラーマ王子と戦う勇気を得たのは、ラーマ王子からであった。尊敬する相手と敵対するという複雑な心情は、「マハーバーラタ」でも描かれているものだ。オームプラカーシュは、ヴィジャイの映画を観て育ち、どういうときにどういう行動をすべきかを学んだ。そのヴィジャイに対して、ヴィジャイから教わった行動原理に従って、立ち向かうことになったのである。
ヴィジャイは、運転免許証の一件がメディアによってセンセーショナルに報道されたことで、ボイコット運動のターゲットになる。現在はSNSが大きな力を持ち、一般庶民でもSNSをうまく利用することでスターですらも追い落とすことが可能になっている現状を鋭く突いていたといえる。また、ボイコット・ボリウッド運動にも通じるものがあった。なぜならボイコット・ボリウッド運動では、ヒンディー語映画界のスターたちが大柄な態度を取っているとして批判されていたからだ。ヴィジャイはスターのパワーを使って運転免許証を手っ取り早く取得しようとした。スターだからといってそんな特別待遇が許されるのか、という論点をメディアは集中的に取り上げ、ヴィジャイを渦中の人に追い込んでいった。
それでも、ヴィジャイはスターとして、ファンの心理に訴える術をよく知っていた。ヴィジャイは逃げも隠れもせず、メディアを通してファンにきちんと状況を説明し、オームプラカーシュを試験官にして運転免許試験を受けると宣言する。その男らしい態度にヴィジャイの人気はV字回復し、今度はオームプラカーシュの旗色が悪くなったのであった。
ヴィジャイはヴィジャイなりの正義で動いていたし、オームプラカーシュはオームプラカーシュなりの正義で動いていた。もしこの二人が落ち着いて話し合えば問題はすぐに解決したであろうが、興奮状態にあったことと、周囲の人間が事を荒立てたことで、状況はエスカレートする。観客の心には、早く誤解を解いて二人が仲直りして欲しいという欲求が膨らんでいく。そしてもちろん、ハッピーエンドを定石とするインド映画は、そんな観客の欲求を実現する結末を用意している。
ただ、一点だけ気になったのは、ヴィジャイとナイナーの子供がどうなったかという後日談に全く触れられていなかったことだ。子供が生まれたところも見せてくれれば、完璧に大団円となったことだろう。
アクシャイ・クマールはいつも通りの演技であったが、イムラーン・ハーシュミーがとても良かった。アクシャイとイムラーンが共演するのはこれが初である。どちらも人気スターだが、方向性が異なり、共演する姿はあまり想像できなかった。元々うまい俳優だったが、大ファンのスーパースターと対峙することになった一般庶民の役を、絶妙な表情コントロールによって見事に演じ切っており、絶賛したい。「Selfiee」は完全にイムラーンの映画だ。
その一方で、ヒロインのヌスラト・バルチャー、ダイアナ・ペンティー、そしてアダー・シャルマーはほとんど見せ場がなかった。マルチヒロイン映画といえばそうだが、一人一人の出番は少なく、重要でもなかった。一方、いつも怖い役を演じるアビマンニュ・スィンが今回は準悪役をコミカルに演じていて意外性があった。こんな演技もできる俳優だったのかと驚いた。
「Selfee」は、運転免許センターの試験官が運転免許証を巡ってスーパースターと戦うという突拍子もない筋書きの映画だが、脚本が素晴らしく、全く飽きさせない作りになっている。ボイコット・ボリウッド運動に自虐的に言及している点も注目される。ただ、興行的には大失敗に終わったようだ。なぜこの映画が受けなかったのか、全く分からない。興行的な成否は気にせず、鑑賞をお勧めしたい作品である。