インドの酷暑期は4月~6月で、この時期は日本でいう「夏」になる。日本でも夏といえばホラー映画の季節だが、インドでもこの時期、背筋が凍るホラー映画の公開が相次ぐ傾向にある。酷暑期の真っ只中にある2022年5月20日に公開されたホラー映画が「Bhool Bhulaiyaa 2」である。大ヒットしたホラー映画「Bhool Bhulaiyaa」(2007年)の続編だ。「Bhool Bhulaiyaa」はタミル語映画「Chandramukhi」(2005年)のリメイクであり、こちらは「チャンドラムキ 踊る!アメリカ帰りのゴーストバスター」の邦題と共に日本でも公開されたことがある。「Chandramukhi」の続編として「Nagavalli」が作られたが、「Bhool Bhulaiyaa 2」は無関係である。
前作「Bhool Bhulaiyaa」の監督はプリヤダルシャンだったが、「Bhool Bhulaiyaa 2」の監督は「Singh Is Kinng」(2008年)などのアニース・バズミーにバトンタッチしている。バズミー監督もプリヤダルシャンに勝るとも劣らないコメディー映画の優れた作り手である。
キャストは、タブー、カールティク・アーリヤン、キヤーラー・アードヴァーニー、ラージパール・ヤーダヴ、アマル・ウパーディヤーイ、サンジャイ・ミシュラー、アシュウィニー・カルセーカル、ミリンド・グナージー、ラージェーシュ・シャルマー、ゴーヴィンド・ナームデーヴ、カーリー・プラサード・ムカルジーなど。キャスティング上、前作とのつながりはほとんどないが、唯一、ラージパール・ヤーダヴだけが両作品に継続して出演している。また、今回はタブーが一人二役で出演していることに注目である。
あっと驚くサプライズが用意された脚本であり、以下のネタバレのあらすじを読むとその楽しさがなくなってしまうので、映画を観た後に読むことをオススメする。
ルハーン・ランダーワー(カールティク・アーリヤン)は、マナーリーからデリーに向かう途中でリート・タークル(キヤーラー・アードヴァーニー)という女性と出会う。リートはマナーリーで医学を学んでいたが、自身の結婚式のために故郷のラージャスターン州バワーニーガルへ帰る途中だった。ルハーンはリートを音楽祭に誘い、二人はバスを途中下車するが、そのバスは事故に遭って崖から落ち、乗客全員死亡する。タークル家ではリートは死んだものと考えていた。リートは家に電話をするが、手違いから、リートの結婚相手サーガルは彼女の妹トリシャーと恋仲にあることが分かってしまう。リートはそのまま自分が生きていることを伏せておき、トリシャーが自分の代わりにサーガルと結婚できるように取り計らおうとする。ルハーンはそれに協力することになる。 バワーニーガルに着いた二人は、捨て置かれた屋敷に隠れ住むことにする。この屋敷は18年前に、マンジュリカーという亡霊を封印した後、幽霊屋敷として恐れられ、廃墟となっていた。ところが、屋敷に灯りが付いているのを発見したチョーテー・パンディト(ラージパール・ヤーダヴ)がタークル家に知らせてしまったため、人々が様子を見に来てしまう。そこでリートは隠れ、ルハーンはタークル家の人々に、自分は幽霊と交信できると嘘を付き、リートの幽霊に導かれて来たという。そして、リートの遺言として、タークル家の人々が再びこの屋敷に住むように、そしてサーガルとトリシャーの結婚を行うようにと伝える。タークル家の家長タークル・ヴィジェーンドラ・スィン(ミリンド・グナージー)はそうすることにする。 当初はルハーンの霊能力を疑う者もいたが、彼がうまく切り抜けたために、人々は彼を「ルーフ・バーバー」と慕うようになる。だが、ヴィジェーンドラ・スィンの息子ウダイ(アマル・ウパーディヤーイ)の妻アンジュリカー(タブー)はルハーンに、マンジュリカーが封印された部屋には絶対に近付かないように警告する。 アンジュリカーが語るところでは、アンジュリカーとマンジュリカーは双子の姉妹で、タークル家に住み込みで働いていたベンガル人会計士デーバーンシュ・チャタルジー(カーリー・プラサード・ムカルジー)の娘であった。だが、父親はアンジュリカーのことを可愛がっており、マンジュリカーは嫉妬を募らせ、黒魔術に傾倒するようになった。マンジュリカーはウダイに片思いしていたが、ウダイが見初めたのはアンジュリカーだった。ウダイとアンジュリカーの結婚式が行われることになったが、マンジュリカーは黒魔術を使ってアンジュリカーを呪い殺そうとする。それを発見したチャタルジーは止めようとするが、逆にマンジュリカーによって殺されてしまう。マンジュリカーはそのまま屋敷に殴り込み、ウダイを殺そうとするが、アンジュリカーはマンジュリカーの背中をナイフで刺し、殺す。だが、マンジュリカーの亡霊がウダイを上階から突き落とし、植物人間状態にしてしまう。呪術師が呼ばれ、マンジュリカーの亡霊は一室に封印される。こんな経緯があった。 ルハーンとリートは、サーガルとトリシャーの結婚式が終わるまで何とか騙し通そうとするが、リートが目撃されてしまったことで、リートが実は生きて屋敷に隠れているのではないかという疑いが生じた。ルーフ・バーバーが現れて以来、商売上がったりになったバレー・パンディト(サンジャイ・ミシュラー)とその妻スナンダー(アシュウィニー・カルセーカル)はリートを見つけ出そうと屋敷を隈なく探す。ルハーンは仕方なくリートをマンジュリカーが封印された部屋に隠す。人々はマンジュリカーの亡霊を恐れてマンジュリカーの部屋には近付かず、リートは見つからなかった。だが、マンジュリカーの部屋を開けたことで、マンジュリカーの封印が解けてしまった。 以後、マンジュリカーの亡霊が屋敷の中で怪奇現象を起こすようになる。しかし、ルハーンは亡霊の秘密を知ってしまう。実はマンジュリカーの亡霊とされているものは、マンジュリカーではなく、アンジュリカーだった。アンジュリカーとマンジュリカーが入れ替わったときにマンジュリカーがアンジュリカーを殺し、そのままアンジュリカーの振りをして18年間暮らしてきたのだった。ルハーンはその秘密をタークル家の人々の前で明らかにする。そしてアンジュリカーの亡霊がマンジュリカーを殺す。また、リートが生きていることもタークル家の人々には明かされる。
インド人観客のホラー映画の鑑賞態度はユニークだ。なにしろホラー映画もコメディー映画として鑑賞するのである。よって、ホラー映画鑑賞中の映画館では笑い声が絶えない。そんな国民性に適応しようと、インドの映画監督たちは開き直ってコメディー性のあるホラー映画作りを模索し、ホラー・コメディーというジャンルを発達させた。この方が、歌と踊りを挿入するインド娯楽映画特有のフォーマットとも相性が良く、インドらしさを失わない、マサーラー映画的なホラー映画がいくつも作られ、その多くはヒットしている。日本でも「Om Shanti Om」(2007年/邦題:恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム)や「Go Goa Gone」(2013年/邦題:インド・オブ・ザ・デッド)などの優れたマサーラー・ホラー映画が公開されている。
前作「Bhool Bhulaiyaa」も、タミル語映画が原作だったものの、うまくヒンディー語圏の観客向けにアレンジし、様々なラサに満ちあふれた、優れたホラー映画に仕上がっていた。古今東西、続編が前作を超えるのはなかなか難しいのだが、意外や意外、「Bhool Bhulaiyaa 2」は、前作を超えるほどの完成度であった。それは興行成績にも現れており、今年公開のヒンディー語映画としては、「The Kashmir Files」(2022年)に次ぐ大ヒットになっている。
ほとんど前作との接点はなかったのだが、音楽面でつながりがあった。「Bhool Bhulaiyaa」を象徴するタイトルソングのメロディーは今作でもそのままモチーフとして使われ、映画を盛り上げていたし、亡霊に取り憑かれた人物が歌うベンガル語の楽曲「Ami Je Tomar」も共通していた。ストーリーではなく音楽でもって前作のエッセンスを引き継いだ一方、ストーリーは前作を思い切って切り離して自由な枠組みの中で新たに脚本を作り直す戦略は大当たりであった。
「Om Shanti Om」でもそうだったが、インドのホラー映画は、通常は悪役であるはずの幽霊にエモーションを与え、観客の同情をそちらへ向かわせる傾向がある。「Bhool Bhulaiyaa 2」でも、マンジュリカーの幽霊の正体は大きなサプライズになっており、恐怖が同情に変換される巧妙な仕掛けになっていた。後半で多少、チープなコント劇が連発される中だるみの時間があり、そこが気になったが、ラストのこのサプライズで全てが帳消しになった気分だった。
この脚本が完成した時点で映画の成功は半分約束されたようなものだったが、もう半分はそれを演じる役者の肩に掛かっている。ヒンディー語映画界でも随一の美貌と演技力の両方を併せ持つタブーをダブルロールで起用したのは正解だったし、彼女ほどの女優をわざわざ起用した理由もラストまで来てようやく理解できた。タブーの演技には脱帽である。
また、後進の俳優たちの育成も忘れておらず、カールティク・アーリヤンとキヤーラー・アードヴァーニーという若手の成長株を主役として起用している。特にカールティクの水を得た魚のような演技が素晴らしく、タブーと互角に張り合えるほどだった。他に、ラージパール・ヤーダヴのコミックロールもいい味を出していた。
「Bhool Bhulaiyaa 2」は、前作「Bhool Bhulaiyaa」とはほとんど無関係の続編であり、この作品を楽しむために前作を鑑賞する必要はない。だが、音楽的なモチーフには連続性があるため、前作を観ておけばより楽しめることは間違いない。脚本が優れており、タブーやカールティク・アーリヤンの演技が素晴らしく、総合的にインドらしいホラー映画の完成形になっている。最近不調のヒンディー語映画界に再生の息吹を吹き込む傑作である。