社会活動家アンナー・ハザーレーによるジャンロークパール運動と汚職撲滅運動が最高潮に盛り上がったのが2011年であった。そして、この運動を受けて2012年に立ち上がったのが庶民党(AAP)であり、以来、党首のアルヴィンド・ケージュリーワールがデリーの政権を握り続けている。インド映画界にもこの運動の影響は如実に表れており、2010年代の映画には、汚職撲滅と戦うヒーローがよく登場した。
そのような世相の中で公開され好評を博した映画のひとつが、ジョン・アブラハム主演「Satyameva Jayate」(2018年)であった。汚職警官が次々に抹殺される事件を巡る、兄弟間の物語であった。2003年にデビューしたジョン・アブラハムはしばらくくすぶっていた印象だが、2010年代後半にヒット作に恵まれるようになった。「Satyameva Jayate」は、彼の代表作の一本となった。
2021年11月25日公開の「Satyameva Jayate 2」は、その続編となる。監督は前作から続投でミラープ・ミラン・ザーヴェーリー、主演はもちろんジョン・アブラハム。今回、なんとジョンは一人三役に挑戦する。彼のキャリアの中では初めてのことだ。ただ、前作とのストーリー上のつながりはない。題名のみ続編となっている。ヒロインはディヴィヤー・コースラー・クマール。Tシリーズのブーシャン・クマール取締役社長の妻であり、女優・監督・プロデューサーとして多角的な活躍をしている。
その他のキャストとしては、ハルシュ・チャーヤー、アヌープ・ソーニー、ガウタミー・カプール、サーヒル・ヴァイド、ザーキル・フサイン、シャード・ランダーワー、ダヤー・シャンカル・パーンデーイなどが出演している。また、前作でもアイテムソング「Dilbar」で踊りを踊り、一躍トップダンサーに躍り出たノラ・ファテーヒーが今作でもアイテムソング「Kusu Kusu」にアイテムガール出演している他、パンジャービー歌手ジャス・マーナクがカメオ出演して自身のヒット曲「Tenu Lehanga」を歌っている。
日本では、公開直後にSpaceboxによる上映があり、イオンシネマ市川妙典で鑑賞することができた。
ウッタル・プラデーシュ州のサティヤ内相(ジョン・アブラハム)は、汚職撲滅のための法案を州議会に提出するが、連立政党の協力が得られず、法案は廃案となる。サティヤ内相の妻ヴィディヤー(ディヴィヤー・コースラー・クマール)は、アーザード党の党首で州首相のチャンドラシェーカル(ハルシュ・チャーヤー)の娘であったが、彼女は別の政党に所属しており、法案にも反対票を投じた。だが、二人の夫婦仲は良好だった。サティヤの母親スハースィニー(ガウタミー・カプール)は25年前から昏睡状態にあった。 汚職撲滅法案が廃案となって以来、汚職した医者、政治家、実業家などが次々と何者かによって惨殺された。この事件の担当となったのが、サティヤの双子の弟ジャイ警部(ジョン・アブラハム)であった。だが、実は彼らを殺していたのはサティヤ内相であった。しかも、サティヤとジャイは手を結び、共に汚職した権力者に私刑を下す。 25年前、サティヤとジャイの父親ダーダーサーヒブ・バルラーム・アーザード(ジョン・アブラハム)は、農民を率いてロークパール法案可決のために社会運動を率いていた。だが、目的達成寸前に暴徒によって殺されてしまう。また、妻のスハースィニーは交通事故に遭って意識を失い、以来昏睡状態となっていた。ダーダーサーヒブの右腕だったチャンドラシェーカルはアーザード党を立ち上げて政権を取り、以来州首相となっていた。サティヤとジャイは父親の遺志を継いで、汚職のない真の自由インドを目指していたのだった。 そんなとき、突然スハースィニーが目を覚ます。彼女は、成長したサティヤとジャイに出会い喜ぶが、ダーダーサーヒブを殺したのはチャンドラシェーカルだという衝撃的な事実も教える。二人はチャンドラシェーカルに復讐しようとするが、彼はスハースィニーを人質に取り、サティヤとジャイに殺し合いをさせる。だが、そこへヴィディヤーと民衆がやって来て、チャンドラシェーカルにリンチを加える。こうして悪党は一掃された。
インド映画には、一人のヒーローが父子もしくは兄弟などを一人で演じてしまう例は多い。ヒーローは他のヒーローの存在を嫌うためだ。別のスター俳優と英雄的役柄を分け合うよりは、自分で全てを演じてしまった方がスター性にプラスとなるという計算である。また、製作者側からしても、複数のスター俳優を起用するよりは、一人のスター俳優に何役も演じてもらった方が安上がりとなる。そんな理由から、一人数役はインド映画の標準的な仕掛けになっている。
「Satyameva Jayate 2」では、ジョン・アブラハムが一人三役を演じていた。父親と双子の兄弟の三役である。前作も、死んだ父と兄弟という似たような構造になってはいたが、別々の俳優が演じていた。今回は全てをジョンが演じてしまったのである。しかも、それぞれが非常に格好いい役であった。見せ場では「Bahubali」シリーズに多大な影響を受けたと思われる盛り上げ方をしており、特に死んだ父親ダーダーサーヒブのカリスマ性は群を抜いていた。
序盤では、汚職した人物を次々に抹殺する内務大臣と、殺人犯を追う警察官僚の戦いが描かれる。サティヤ内相とジャイ警部が双子の兄弟であることはすぐに明かされ、血を分けた兄弟同士の戦いになることが予想される。それぞれに見せ場があり、ジョンの肉体美がこれでもか、これでもかとしつこく映し出される。さらに、回想シーンでは二人の父親ダーダーサーヒブのヒーロー振りがまたもジョンの肉体美と共に語られ、とにかく最初から最後までジョンだらけの映画となっている。ただ、中盤でサティヤとジャイは実は対立していなかったことが分かる。彼らの戦いは最後のクライマックスで少しだけ出て来るが、基本的には二人は敵同士ではない。
ジョン好きにはたまらない映画ではあるが、ストーリー構成は稚拙で、子供が考えたようなご都合主義の展開が続く。とにかく困っている庶民がいると、なぜかいつもそこにジョンが救世主にように現れ、手を差し伸べてくれるのである。その裏にロジックはない。女性、農民、子供など、様々な弱者が極端な手段によって救われて行き、死んでしまった人々については、その死の責任者を追う者たちに死がもたらされる。
一貫して主張されるのは、とにかく愛国心である。国旗をとにかく敬い、国歌を全てに優先させ、国章を何よりの誇りとする。ダーダーサーヒブの決め台詞に「タン・マン・ダンよりもジャン・ガン・マン」がある。これは、「自分よりも国が優先」と意訳できる。各宗教への配慮というか言及も行われており、ヒンドゥー教、イスラーム教、スィク教に焦点が当てられたシーンがそれぞれあった。とにかく全方位にサービスをしている映画であった。もちろん、ノラ・ファテーヒーの踊るベリーダンスナンバー「Kusu Kusu」も旺盛なサービス精神の一環である。
今回、自身のキャリアの中では初となる一人三役を演じたジョン・アブラハムは、はっきり言って潔いほどまで、この三役を演じ分けようとしていなかった。とにかく誰を演じていようともジョンであった。それぞれ政治家の衣装(カーディー)と警察の制服(カーキー)を着ているときはサティヤとジャイは判別可能なのだが、一度それを脱いでしまうと、一体どちらがサティヤでどちらがジャイなのか分からなくなる。そんなことは観客は求めていないと開き直っているかのような、直球勝負の一人三役であった。
「Satyameva Jayate 2」は、前作とのストーリー上のつながりはないものの、汚職撲滅がメインテーマになっている点については受け継いでいる。監督と主演も変わっていない。とにかく一人三役に挑戦した主演ジョン・アブラハムの三昧映画であり、ジョンのファンにはたまらない映画だ。だが、ストーリーはご都合主義で、しかも全方位にサービスした娯楽至上主義の作りとなっている。興行的にも前作には届かなそうだ。