Laila Majnu

3.0

 インドで恋に狂った人のことを「マジュヌー」もしくは「マジュヌーン」と言う。元来は「ジン(精霊)に取り憑かれた人」という意味で、アラビア語である。この言葉のみで「狂人」という意味はあるのだが、この言葉の裏には、アラブ地方から南アジアに伝わった悲恋物語「ライラーとマジュヌー」がある。ヒンディー語ロマンス映画でも、「ライターとマジュヌー」はよく引き合いに出される。

 2018年9月7日公開の「Laila Majnu」は、ヒンディー語映画界で「ロマンスの帝王」の名をほしいままにするイムティヤーズ・アリーが脚本とプロデュースを務める、「ライラーとマジュヌー」の悲恋物語をベースとしたロマンス映画である。監督はイムティヤーズ・アリーの弟サージド・アリー。新人である。以前、もう一人の弟アーリフ・アリーが「Lekar Hum Deewana Dil」(2014年)を監督している。よって、これでイムティヤーズ・アリーの二人の弟が監督デビューを果たしたことになる。ただし、アーリフは兄ほど監督の才能を発揮できていない。果たしてサージドの方はどうであろうか。

 主演はアヴィナーシュ・ティワーリーとトリプティ・ディムリー。他に、ベンジャミン・ギラーニー、パルミート・セーティー、スミト・カウルなどが出演している。

 舞台はジャンムー&カシュミール州の州都シュリーナガル。地元の有力者マスード(ベンジャミン・ギラーニー)の娘ライラー(トリプティ・ディムリー)は、実業家サルワル(パルミート・セーティー)の息子ケース(アヴィナーシュ・ティワーリー)と恋に落ちる。だが、マスードとサルワルは土地を巡って対立しており、マスードは娘のケースとの結婚を認めなかった。そして、青年政治家イッバン(スミト・カウル)と無理矢理結婚させてしまう。傷心のケースはロンドンへ去って行ってしまう。

 4年後。サルワルが心臓発作で亡くなった。4年間全く音信不通だったケースはシュリーナガルに戻って来る。一方、イッバンは与党の政治家になっており、サルワルの事業を妨害していた。また、酒飲みかつ暴力夫となっており、ライラーは幸せではなかった。ライラーは、ケースがシュリーナガルに戻ったことを知り、彼に会いに行く。それを知って憤ったイッバンは、ライラーに暴力を振るい、彼女に離婚を突き付ける。そして、酒に酔って交通事故死してしまう。

 ライラーはすぐにでもケースと共にシュリーナガルを出ようとしたが、父親の懇願に従い、イッダトの期間だけケースとの再婚を待つことになる。ケースは、弟と共にパハルガームの旧家へ行き、息抜きをする。ところがケースは次第に誰もいない中空に話しかけるようになり、遂には家を飛び出して森の中へ消えてしまう。そして、ケースは狂人となり、村々を巡るようになる。

 ボロボロになったケースはシュリーナガルに連れ戻されるが、それを見たライラーは自殺する。ライラーの死を知ったケースも、彼女の墓に頭を打ちつけて死んでしまう。

 ヒンディー語映画界において、恋に狂った人は、「デーヴダース」と呼ばれるか、この「マジュヌー」と呼ばれるか、どちらかである。「Laila Majnu」でアヴィナーシュ・ティワーリーが演じたケースは、マジュヌーの元祖であり、インド人にはお馴染みのキャラクターだ。サージド・アリー監督のこの「Laila Majnu」は、舞台を現代のシュリーナガルに置き、結ばれない恋愛をじっくりと描き出した。しかしながら、イムティヤーズ・アリーの脚本に何か特別な点があった訳でもなく、サージド・アリー監督のストーリーテーリングに優れた点があった訳でもない。カシュミール地方の風景が映画のイメージ造成に貢献していたくらいで、この時代にわざわざ作られるべき映画だったのかと疑問を感じた。

 前半は、ごく普通のボーイ・ミーツ・ガール的な展開である。ケースとライラーが出会い、恋に落ち、親の反対により結婚が実現しない。ライラーはイッバンという別の男性と結婚させられてしまい、ケースは絶望してシュリーナガルを去ってしまう。

 ライラーがなぜケースと恋仲になったのか、詳しい説明がある訳でもない。一目惚れとも異なる。ケースは、運命だと主張していた。おそらく、ライラーとマジュヌーの物語は、いくつもの世に渡って繰り返されるという設定なのだろう。だから、シュリーナガルを舞台にしたライラーとマジュヌーの出会いと恋愛も、前から決まっていたことなのである。

 そうであるならば、ライラーとマジュヌーは今回も結ばれないことになる。ケースは果たして、それを知っての上での行動だったのだろうか。後半、ケースはライラーとの結婚実現寸前までこぎ着けるが、ライラーのイッダトを待つことになり、その間に発狂してしまう。

 イッダトとは、イスラーム教の習慣で、夫と離婚や死別をした女性が、再婚する前に置かれる猶予期間のことである。ライラーは、イッバンとの離婚および彼の死の後、すぐにでもケースと駆け落ち再婚しようとしたが、父親の名誉を重んじ、イッダトを守ることにした。だが、その期間がケースの精神を蝕んでしまったのである。

 ケースは4年前、ライラーの結婚後、ロンドンに去って行ってしまった。ロンドンで彼が何をしていたのかは明かされないが、顔にできた傷から察するに、大人しく過ごしていた訳ではなさそうである。その間もケースはずっとライラーを想い続けていた。いつしか、彼は周りの全てのものにライラーを見出すようになった。シュリーナガルに戻り、愛しのライラーをあと少しで手に入れようとしたとき、彼は、ライラーはどこにでもいる、と悟ってしまう。それが彼の発狂につながり、二人の不幸な死に終着する。

 もしかしたらイムティヤーズ・アリーの脚本は、もっと壮大な構想の下に書かれていたのかもしれない。だが、監督や主演の二人はまだ経験が浅く、非凡なストーリーに仕上げることができていなかった。アヴィナーシュ・ティワーリーは、最近の男優にしては線が細いと感じたが、終盤の狂人となった姿のためには、彼のような容姿の俳優が適役だったのかもしれない。ライラーは絶世の美女とされており、それを演じることになったトリプティ・ディムリーには重度のプレッシャーがあったことだろう。溌剌とした演技をしていたが、神秘的な美のようなものは身にまとえていなかった。イムティヤーズ・アリー監督「Rockstar」(2011年)のヒロイン、ナルギス・ファクリーにはそういう雰囲気があった。そういえば、「Rockstar」のストーリーは「ライラーとマジュヌー」に近い。「Rockstar」を作った後で、その劣化コピーのような映画を弟に監督させるのはどうかと思う。

 「Laila Majnu」は、アラブ地方発祥で南アジアでも語り継がれている「ライラーとマジュヌー」の悲恋物語を、現代のシュリーナガルを舞台にして作られたロマンス映画である。「ロマンスの帝王」と称されるイムティヤーズ・アリーの脚本であるが、原作はよく知られた物語であり、映画の中でそれを大胆に改変する冒険はなされていなかった。よって、予想から外れるような展開はなく、順当な結末であった。興行的にも失敗している。何か目新しい提示があれば、評価も違っていたかもしれない。