Lekar Hum Deewana Dil

3.0
Lekar Hum Deewana Dil
「Lekar Hum Deewana Dil」

 毎年恒例となったインディアン・フィルム・フェスティバル・ジャパン(IFFJ)。映画祭とは言え、最新のインド映画が日本で上映されるプラットフォームができたことは大きな進歩である。2014年のIFFJでも、本国で公開間もない映画が多数上映されたが、その中で最も新しい作品だったのが「Lekar Hum Deewana Dil」であった。本国での公開日は2014年7月4日である。映画祭での邦題は「弾む心を道連れに」となっていた。題名を直訳するならば、「我々は狂った心と一緒に連れて」になる。ただ、今年はIFFJで1本も映画を観ることができなかった。「Lekar Hum Deewana Dil」はDVDで鑑賞した。

 「Lekar Hum Deewana Dil」は、新人俳優を起用した新人監督による映画だ。よって、スターパワーのある作品ではなく、フレッシュさが取り柄だ。しかしながら、監督も俳優も単なる新人に留まらない。アーリフ・アリー監督は、現在ヒンディー語映画界で最も先進的なロマンス映画を作り続けて来ている売れっ子監督イムティヤーズ・アリーの弟である。「Lekar Hum Deewana Dil」もジャンルはロマンスであり、弟が一体どんな作品を作るのか、興味が沸く。主演のアルマーン・ジャインは、なんと伝説的名優ラージ・カプールの孫に当たる。カプール姓でないのは、直系ではないからだ。ラージ・カプールの娘リーマーがマノージ・ジャインと結婚し、その間に生まれたのがアルマーンとなる。ヒロインのディークシャー・セートは、いわゆるミスコン出身の女優。デリー生まれながらテルグ語映画界で活躍して来ており、ヒンディー語映画デビューが本作となる。

 他に、スディープ・サーヒル、アキル・アイヤル、ローヒニー・ハッタンガディー、ヴァルン・バドーラー、ガウタミー・カプール、ニシカーント・ディークシトなどが出演している。音楽はARレヘマーンが担当している。

 ムンバイー在住のディネーシュ・ニガム、通称ディノ(アルマーン・ジャイン)は、優等生の兄(スディープ・サーヒル)と違って遊び人で、大学生であったが、勉強もせずに仲間と遊び回っていた。ディノと特に仲が良かったのはカリシュマー・シェッティー、通称K(ディークシャー・セート)と言う女の子だった。二人の息はピッタリで、誰もが二人を最高のコンビだと認めていたが、特に付き合っているという訳でもなかった。

 もうすぐ大学卒業という頃になり、Kの家族は彼女を結婚させようとし、マヘーシュ(アキル・アイヤル)という好青年と縁談がまとまる。しかし、Kはまだ結婚する気などなかった。ディノもKが結婚すると聞いて焦燥感に駆られるようになる。ディノは両親に結婚したい人がいると打ち明けるが、勉強も仕事もしないディノの言うことなど真剣に取り合ってもらえなかった。そこである日、ディノとKはバイクに乗って一緒に逃げ出す。なぜかKが拾った野良犬も一緒だった。

 二人はまずゴアへ向かう。そこで家を借り、新しい生活を始めようとするが、バイクのナンバーから足が付き、両家の追っ手がゴアまで来ていることが発覚する。そこで二人はバスに乗って南へ向かい、そこで婚姻届を提出する。ディノはナーグプルに叔父が住んでいることを思い出し、彼を頼ることにする。叔父は二人を歓迎してくれたが、両親と連絡を取っていることが分かったため、やはり二人は夜中に逃げ出すことになる。

 二人はチャッティースガル州の州都ラーイプルに辿り着く。そこからさらに移動している間、マオイストの影響下にある地域に迷い込み、警察を避けて移動している間にいつの間にかマオイストのキャンプに連れて来られてしまう。そこでディノとKは激しい口論となり、絶交状態となる。何とか二人は脱出することに成功するが、Kが大事にしていた犬は置いて来てしまう。それもKを憤らせることになった。Kは両親に連絡を取り、警察が彼女を連れに来る。

 ムンバイーに戻った二人はそれぞれの弁護士を通じて離婚手続きに入った。かつて絶妙なコンビだった二人は、今では顔を合わせる度に喧嘩をするようになっていた。裁判官は手続きを了承するが、離婚手続き完了までは時間が掛かると言う。その間、二人はカウンセリングを受けることになるが、やはりその場でも喧嘩をしてばかりだった。また、二人はお互いに訴訟も起こす。だが、その中で過去の楽しかった思い出が思い出されて来て、二人の怒りが次第に沈静化する。時間が経つごとに、二人は普通に会話をすることができるようになる。また、ディノは人が変わったように勉強に打ち込むようになり、大学の卒業試験にも合格する。この間、ディノは兄の恋愛を手助けしたこともあった。

 ディノとKの離婚手続きが完了し、晴れて二人は自由の身となった。しかし、なぜか二人の気持ちは晴れなかった。早速Kとマヘーシュの結婚式が行われることになった。また、Kの結婚式の日、ディノはロンドンに渡ることになっていた。ディノはギリギリになって、空港から目的地を変更し、Kの式場へ向かう。そこでディノはKに、道端で拾った野良犬を贈る。それを見てKはディノが来たことを感じ取る。だが、今度は駆け落ちをしなかった。ディノは堂々とKの父親の前に姿を現す。それとタイミングを見計らったようにKは皆の前でディノへの愛情を叫ぶ。結婚式は中止となり、困ってしまったディノとKの両親は、二人を結婚させることを話し合い始める。

 イムティヤーズ・アリー監督は従来のインド恋愛映画の価値観に果敢に挑戦し、変革をもたらした人物である。デビュー作の「Socha Na Tha」(2005年)から始まり、「Jab We Met」(2007年)、「Love Aaj Kal」(2009年)、「Highway」(2013年)と、常にロマンス映画の境界を拡大して来た。その弟の撮るロマンス映画ということで、期待は高かった。また、イムティヤーズ・アリー監督の映画には必ずと言っていいほどロードムービー的な要素が含まれ、旅情溢れるストーリー展開が売りとなっている。この点で、アーリフ・アリー監督がどんな作品に料理して来るのかが見ものだった。

 結論から先に言えば、「Lekar Hum Deewana Dil」は、イムティヤーズ・アリー映画の子供のような作品だった。兄監督の作風を踏襲しながら、それぞれの要素が未熟。既に何本も監督経験のある兄の作品と比べるのは可哀想であるが、世の常として、どうしても既にあるものをそのまま作るだけでは評価されない。だが、ロマンス映画の限界を越えようとする気概は共通しており、この二人が今後新たな歴史を紡いで行ってくれるのではないかという期待は感じられた。

 ヒンディー語のロマンス映画の典型的ストーリーラインは、男女が出会い、一目惚れし、障害を乗り越え結婚するというものだ。結婚は神聖かつ絶対的なもので、一度結ばれた婚姻関係は絶対に壊されないのが長らくヒンディー語映画の不文律となっていた。それに対し、イムティヤーズ・アリー監督は、映画の中において結婚の相対化を図り、恋愛物語の多様化に貢献して来た。彼の活躍により、ロマンス映画において結婚が絶対的なものではなくなり、恋愛を成就させるために離婚も選択肢に入るようになった。「Lekar Hum Deewana Dil」でも、主役の男女が離婚することになる。まずはこの点で、「Lekar Hum Deewana Dil」はイムティヤーズ・アリー映画の要素を受け継いでおり、最近のヒンディー語ロマンス映画のトレンドからも一見外れていなかった。

 ただし、離婚の扱い方は全く異なる。これと似たようなストーリーラインの映画に「Ek Main Aur Ekk Tu」(2012年)があった。不仲な男女が酔っ払った勢いで結婚してしまい、それを解消するために奔走するという筋書きだ。ただ、「Ek Main Aur Ekk Tu」では、離婚した男女がまたくっ付くことはなかった。イムティヤーズ・アリー監督の「Love Aaj Kal」でも離婚が出て来るが、これも離婚した男女がくっ付くことはない。それに対し、「Lekar Hum Deewana Dil」では、離婚した男女がまた結婚する。これは実は後退である。離婚を肯定的に描いたのではなく、むしろ一度行われた結婚を死守しようとする伝統的な価値観に基づいている。似たような展開の映画には、例えば「Haan Maine Bhi Pyaar Kiya」(2002年)があった。これは完全に20世紀的なロマンス映画であり、それと似た展開の「Lekar Hum Deewana Dil」には、この点で新鮮味を見出すことができない。イムティヤーズ・アリー作品の表面的な特徴を受け継いだだけで、エッセンスは受け継いでいない。

 また、イムティヤーズ・アリー監督のみならず、近年のヒンディー語ロマンス映画は、一目惚れから始まる恋愛を避ける方向に向かっている。かつてインドでは男女の間の垣根が高かったために、男女の出会いというとどうしても一目惚れが中心になってしまっていたのだと思うが、現在はそんなことはない。男女が普通に友達になれる環境が都市部の学校や職場などを中心に広がっており、友人関係から恋人関係に発展すると言う、日本人にはごくごく馴染みのある展開が増えて来た。「Jaane Tu… Ya Jaane Na」(2008年)あたりがそのトレンドの始まりだったと記憶している。「Lekar Hum Deewana Dil」におけるディノとKの恋愛も友人付き合いから発展したものである。これはこれでいいのだが、恋人未満の関係が駆け足で説明されていただけだったので、その後二人の関係が悪化し、また改善する展開に説得力が欠けていた。ロマンス映画においては、男女の仲は極力丁寧に描写して行かなければならない。この点でもイムティヤーズ・アリー監督は非常に巧みなのだが、それがアーリフ・アリー監督にはまだ足りていなかったと感じた。

 兄監督の十八番であるロードムービー的味付けは、「Lekar Hum Deewana Dil」でも見られた。駆け落ちしたムンバイー在住の主人公二人は、ゴアから南インドを経由してナーグプルに至り、さらにラーイプルからマオイストのキャンプを経て、ムンバイーに戻って来る。その中で二人の仲は次第に悪化して行くのだが、それとは別に、二人は自分たちの母国を再発見することになる。彼らは米国などのことはよく知っているが、インドのことは全く知らなかった。森林地帯で生活する人々と初めて接点を持ち、これもインドなのだということを知る。また、今まで親元で何不自由ない生活を送って来た二人は、旅をする中で資金を使い果たし、初めてお金の価値を知る。これも二人にとってこの旅での収穫だった。その一方で、旅は人間の本性や本音をむき出しにする。ディノとKはムンバイーを逃げ出した勢いに乗って結婚するが、徐々に相手の自分勝手さに嫌気が指して来て、とうとう最後は喧嘩別れしてしまう。この旅は、二人にとって、インドを知り、自分を知り、またお互いを知る絶好の機会となった。この駆け落ちシーンが前半部分を占めていたが、ここももっと丁寧に描いてもよかったのではないかと感じた。

 最近のヒンディー語映画で婚前交渉は普通の出来事になって来ている。その潮流の中でこの映画だけは、結婚までしておきながら、二人を肉体関係にさせることがなかった。これは意外な点であった。インドでも駆け落ち婚はあるが、そういう場合、若い男女が真っ先にすることは決まっていて、もし後に二人がそれぞれの親元に引き戻された場合、男性側は女性側の家族から誘拐に加えて強姦の訴えを起こされることが常である。インドで強姦の件数が多いのは、実はこの駆け落ち婚も大いに関係している。そういう展開になったら面白いと思ったのだが、ムンバイーに帰った後、この点が話題の上ることが全くなかった。この点でも古さを感じずにはいられなかった。

 おそらくアーリフ・アリー監督が最も工夫したと思われる部分が、最後、Kとマヘーシュの結婚式のシーンであろう。式場に忍び込んだディノが再度Kを連れて逃げるという展開が容易に予想される展開だったのだが、さすがにそういうベタな終わり方は採らなかった。ただ、それに代わる「新たな方法」がよく分からないものだった。ディノはKを連れて逃げる代わりにKの父親の前に現れて何やら訳の分からないことを話し始める。そうこうしている内にKが現れて、ディノへの愛情を叫ぶ。どうしてこういうことになったのか、これも丁寧に順を追って説明されてなかった。また、こういう事態になった後の、それぞれの両親や参列者の反応も現実的とは思えないものだった。この辺りに説得力があれば、だいぶ違って来たのではないかと思う。

 アルマーン・ジャインは必ずしもハンサムとは言えないが、特徴的な顔をしており、演技力も十分にあり、デビュー作としては合格点なのではないかと感じる。ディークシャー・セートの方も、絶世の美女という訳ではないが、さすがにテルグ語映画で揉まれたためか場馴れしていて、演技に元気があり、今後活躍する可能性は十分にある。とりあえずこの二人のキャリアにはプラスに働いた作品だと評価できる。

 「Lekar Hum Deewana Dil」の音楽はARレヘマーンが作曲しており、「Khalifa」など、彼らしいキャッチーなダンスナンバーがお気に入りだ。しかし、全体的に音楽に魅力のあった作品ではなく、彼の音楽も「Highway」など直近の良作に比べると力不足であった。

 「Lekar Hum Deewana Dil」は、ロマンス映画の帝王イムティヤーズ・アリー監督の弟アーリフ・アリー監督のロマンス映画。新人監督による新人キャストの映画であるが、それとは対照的に、意外に保守的な展開の作品であった。おそらくそれが原因だったのだろう、興行的にも成功しなかったようである。しかし、娯楽映画としての一定のレベルは十分に満たしており、レヘマーンの美しい音楽も相まって、観て損はない映画にはなっている。