学校は誰もが通る道であり、特に若者が主人公のインド映画では、学校が舞台となることは多い。主題が別にあって、学校は単なるロケーションということも少なくないのだが、ヒンディー語映画は教育をテーマにすることも増えて来て、「Taare Zameen Par」(2007年)、「3 Idiots」(2009年)、「Paathshaala」(2010年)、「Stanley Ka Dabba」(2011年)などの映画が作られて来た。2018年3月23日に公開された「Hichki(しゃっくり)」も、学校が舞台の映画であるが、少し変わっている。トゥレット症候群の新人女性教師が主人公なのである。米国の教育者ブラッド・コーヘンの自伝「Front of the Class」(2005年)の映画化権を取得して作られた映画とのことである。
監督は「We Are Family」(2010年)のスィッダールト・マロートラー。主演はラーニー・ムカルジー。他に、ニーラジ・カビ、シヴ・クマール・スブラーマニアム、サチン・ピルガーオンカル、スプリヤー・ピルガーオンカル、ハルシュ・マヤールなどが出演している。
まず、トゥレット症候群とは、頻繁に運動チックや音声チックを起こす神経精神疾患である。「Hichki」の主人公ナイナーには、しゃっくりのような音を出したり、顎を触ったりする症状が出ているが、人によってそれぞれのようだ。幼少時に発症し、成年になるまでに消失することがほとんどのようだが、ナイナーの場合は一生付き合っていかなければならない症状であった。
トゥレット症候群を持つナイナーが教師になるのは難しかったが、自分の出身校であるセント・ノートカー高校に何とか就職が決まった。早速担任することになったのが、9Fという学級だった。この学級の子どもは、「教育を受ける権利」法によって入学することになったスラム街の子どもたちで、出来損ないの集まりだった。それでもナイナーは彼らに全力で向き合い、子どもたちも徐々に心を開いていく。ナイナーは、優秀な生徒がもらえるパーフェクトバッジを9Fの生徒たちにも取らせたいと考え、斬新な教え方で彼らを導く。このような物語であった。
新進気鋭の教師が落ちこぼれの子どもたちを熱心に教育し、やる気にさせて成長させる物語は、古今東西少なくない。「Hichki」もその類型に入る。珍しかったのは、教師にトゥレット症候群があったことだ。別にそのトゥレット症候群がなくてもこの映画は成り立ったと思うが、そうだとしたら、何の変哲もない映画になっていたことだろう。トゥレット症候群は、ナイナーにとって弱点だったが、とある教師に出会ったことで、彼女はそれを自分の強みと考えるようになった。その経験があったからこそ、ぐれてしまったスラム街の子どもを教えるときにも、それぞれの子どもたちのありのままを受け入れて、それを強みに変えて行くことができた。ありのままを受け入れることは、ナイナーがずっと父親に求めて来たことでもあった。ナイナーは、「悪い生徒はいない。いるのは悪い先生だけだ」と信じていた。
セント・ノートカー高校にスラム街の子どもたちが通うことになったことについては、2つの理由が説明されていた。ひとつは、隣にあった市営学校が土地の問題から取り壊されることとなり、セント・ノートカー高校がそれらの子どもを受け入れたという説明である。もうひとつは、「教育を受ける権利(RTE)法」ができたことだ。2010年に施行されたこの法律では、全ての学校が定員の25%を社会的弱者の子どもに割り当てることを義務づけられたことである。「Hindi Medium」(2017年)でもこの問題が取り上げられていた。これら2つのことが同時に起こり、セント・ノートカー高校にはスラム街の子どもたちが通うことになったのである。だが、それ以外の生徒たちは彼らを同列に見ず、先生も最初から見放していたため、9Fの子どもたちもぐれてしまったのである。
一見すると、RTE法の批判をしているようにも見えるし、RTE法によって教育現場に格差や混乱が生まれていることへの警鐘とも取れる。だが、ストーリーは、エリート学級である9Aとスラム街の子どもたちが集められた9Fの単純な対立に落とし込まれており、RTE法は単にその舞台を提供しただけで、事の本質に迫った映画には思えなかった。あくまでトゥレット症候群の教師と落ちこぼれの子どもたちとの関係を中心に描いた作品である。
インドの学校の様子を垣間見れる映画の1本である。黒板とチョークを使った昔ながらの講義形式で、生徒たちも基本的にはペンとノートで授業を受けている。エリート校ではあるが、最先端の学校という感じはしなかった。ナイナーは9Fの学級担任であり、彼女が9Fの生徒に数学や理科を教えるシーンがいくつかあった。インドの高校でも教科ごとに先生が分かれているはずだが、他の教科を他の先生が教えている様子はなかったし、ナイナーが他のクラスを教えている場面もなかった。この辺りはデフォルメされて描写されていたのではないかと思う。また、ナイナーの教授法は非常に斬新かつ実践的なものであった。例えば、卵を投げることで放物線を教えていた。だが、その教授法はかなりフィルミーであったことは否めない。ナイナーの授業を受けた子どもたちは、バスケットボールからソーラパネルの最適な傾斜角を求めたりしており、すごいことになっていたが、その成長ぶりはあまりに非現実的だった。
インドの学校モノ映画は、終盤で何らかの競争が行われ、フォーカスされている子どもたちが、それに勝利したり、困難を克服したりすることで、感動の幕切れ、というパターンが多い。「Student of the Year」(2012年)、「Chhichhore」(2019年)、「Chhalaang」(2020年)など、そのパターンだ。「Hichki」でも、パーフェクトバッジを目指して学年末試験で高得点を目指す競争がクライマックスとなっていた。
ラーニー・ムカルジーは非常に演技力のある女優で、「Black」(2005年)でもヘレン・ケラーのような三重苦の女性を演じて高い評価を受けた。今回もトゥレット症候群の女性を前向きに演じ切っていた。他に有名なスターが出演していた映画ではないが、9Fの生徒の中で一番喧嘩っ早いアーティシュを演じていたハルシュ・マヤールは、「I Am Kalam」(2011年)で主演をしていた少年である。また、映画の最後に、9Fの生徒たちの中年姿が出てきていたが、どれもそっくりであった。子役俳優の親を出演させたのではなかろうか。
「Hichki」は、トゥレット症候群の教師がRTE法によってエリート私立校で勉強することになったスラム街の子どもたちを熱心に教え、育て上げる物語である。ラーニー・ムカルジーの好演が光る映画で、インドでは大ヒットした。「Taare Zameen Par」が失読症の存在を世に知らしめたと同様に、この「Hichki」もトゥレット症候群の認知度を高めるのに大いに貢献したと思われる。