Hasee Toh Phasee

3.5
Hasee Toh Phasee
「Hasee Toh Phasee」

 近年、ヒンディー語の恋愛映画は、女性側が主導権を握ることが多くなって来ているように感じる。しかも、強烈なキャラのヒロインが映画の中心にいて、ヒーローを含めた周囲をかき回すという展開が増えている。おそらく、その先駆けとなったのが「Jab We Met」(2007年)でカリーナー・カプールが演じたギートであろう。最近の女優のオーディションでは、このギート役をいかにうまく演じられるかが演技力の指標になっていると聞く。言い換えればギートのような元気溌剌の女の子は、最近の監督が望むヒロインの典型であり、新人女優が目指す理想像なのである。「Band Baaja Baaraat」(2010年)のシュルティ(アヌーシュカ・シャルマー)、「Tanu Weds Manu」(2011年)のタンヌー(カンガナー・ラーナーウト)、「Cocktail」(2012年)のヴェロニカ(ディーピカー・パードゥコーン)など、恋愛をグイグイ引っ張るタイプのキャラが多く誕生して来ているし、若手女優は一度はそういう役に挑戦している。

 2010年代にデビューした若手女優の中でも有望株の一人、パリニーティ・チョープラーは、特に男勝りの役を演じることが多い。「Ishaqzaade」(2012年)のゾーヤー、「Shuddh Desi Romance」(2013年)のガーヤトリーと、非常に強いキャラを強い演技で演じて来た。そのパリニーティが、今までよりさらに輪を掛けてマッドな役に演じたのが、2014年2月7日公開の「Hasee Toh Phasee」であった。題名は「女が笑ったら、その女は落ちた」みたいな意味である。ただ、内容とはあまりシンクロしていない。

 監督はヴィニル・マシュー。デリー出身で、TVCM監督から身を立て、「Hasee Toh Phasee」で監督デビューを果たした。プロデューサーはカラン・ジョーハル、ヴィカース・ベヘル、ヴィクラマーディティヤ・モートワーネー、アヌラーグ・カシヤプの4人。錚々たる顔ぶれである。音楽はヴィシャール・シェーカル。主演は「Student of the Year」(2012年)のスィッダールト・マロートラーとパリニーティ・チョープラー。その他、アダー・シャルマー、マノージ・ジョーシー、シャラト・サクセーナーなどが出演している。

 舞台はムンバイー。IPS(警察官僚)の息子ニキル・バールドワージ(スィッダールト・マロートラー)は、大手サーリー店のオーナーの娘で女優のカリシュマー(アダー・シャルマー)と7年間付き合っており、婚約式を済ませた。しかしニキルはこの7年間、ほとんど実績のないビジネスマンで、カリシュマーの父親ソーランキー(マノージ・ジョーシー)から金を借りて婚約指輪を調達するほど金に困窮していた。それを知ったカリシュマーは、結婚式が行われる7日後までに5,000万ルピーの価値のある契約を取るように言う。

 それとほぼ時を同じくして、ニキルはカリシュマーの紹介でミーター(パリニーティ・チョープラー)という女の子と出会う。ミーターはインド工科大学(IIT)卒の才媛で、中国に留学し、自身の研究所まで持っていた。ところが奇行が目立ち、事あるごとに謎の錠剤を口に放り込んでいた。実は7年前にニキルは偶然ミーターと出会っていた。カリシュマーからは、ミーターをゲストハウスまで連れて行くように頼まれていたのだが、そのゲストハウスがあまりに不潔だったため、見かねてニキルは自宅に連れて来る。

 後から分かったことだが、ミーターはカリシュマーの妹であった。だが、7年前の姉の結婚式のときに家から金を盗んで逃げ出しており、家族とは絶縁状態にあった。よって、ニキルはミーターをソーランキー家の人間とは引き合わせないようにしなければならなかった。ニキルはカリシュマーとの約束でこの7日間に大型契約を取らなければならず奔走していたのだが、それに加えてミーターの面倒まで見ないといけなくなり、大忙しの毎日だった。

 実はミーターがムンバイーに戻って来たのは、中国で研究所を立ち上げるために投資家から借りた金を返さねばならず、父親から1億ルピーを盗むためであった。保証人として父親の名前を勝手に使っていたため、もし払えないと中国人マフィアに父親が殺される可能性もあった。ニキルは、父親に謝った後に改めて1億ルピーを借りることを提案する。そしてそれが失敗したときのために、ニキルは密かにソーランキーのパソコンをハッキングして口座情報を盗み出す計画も立てた。ミーターはその通りに行動し、父親の前に現れて謝罪する。父親もミーターのことを心から心配しており、彼女を許す。そして1億ルピーを渡す。

 このときまでにニキルはミーターに恋をしていた。ミーターはその前からニキルに惚れており、「私と結婚して」とプロポーズまでしていた。だが、カリシュマーとの結婚式が迫る中、もはや後戻りはできなかった。10億ルピーを手にしたミーターは、ニキルとカリシュマーの結婚式を待たずに一人空港へ向かう。

 ニキルとカリシュマーの婚姻の儀式が行われつつあった。カリシュマーは、ニキルの本心に気付いており、土壇場でニキルに、ミーターを追い掛けるように促す。ニキルは式場から脱走するが、そこで空港から引き返して来たミーターと再会する。

 ヒンディー語映画には、精神的・身体的または知能発達上に障害を抱えた人物を主人公に据える感動作もしくはコメディー映画の一群がある。近年では、盲聾唖とアルツハイマー症候群のキャラが登場する「Black」(2005年)がトレンドの先駆けとなったと記憶している。統合失調症の「Woh Lamhe…」(2006年)、失読症の「Taare Zameen Par」(2007年)、アルツハイマー症候群の「U Me Aur Hum」(2008年)、アスペルガー症候群の「My Name Is Khan」(2010年)、統合失調症の「Karthik Calling Karthik」(2010年)、全身不随の「Guzaarish」(2010年)、聾唖と自閉症の「Barfi!」(2012年)、知的障害の「Dhoom: 3」(2013年)など、ひとつのジャンルを作れるほどだ。もし、そういうジャンルがあるとしたら、「Hasee Toh Phasee」はそれに含まれることになるだろう。

 ただ、「Hasee Toh Phasee」のヒロイン、ミーターがどんな病気に罹っていたのかははっきりしない。頻繁に瞬きをしたと思ったら目を剥き、表情が安定せず、常に喉の渇きと空腹を感じている。砂糖を生で食べるのは序の口で、腹が減ると歯磨き粉まで食べる。だが、ミーターのIQが並外れていることは明らかで、アスペルガー症候群にあるように、興味を持ったものにトコトン没頭する傾向がある。彼女が服用していたのはSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)で、抗鬱剤の一種だ。しかし、だからと言って彼女の状態を鬱と診断するのは間違いだろう。映画では「メンタル」という一語で単純に片付けられている。少なくとも、ニキルが7年前に会ったミーターには、以上のような症状はあまり見られなかった。この7年間に彼女の身に起こった変化が、彼女の奇行の原因となったと言えるだろう。

 その空白の7年間は断片的にしか明らかになっていないが、家から大金を盗み出して家出をした後、彼女は中国に渡り、奨学金を得て大学に在籍したことは分かっている。だから彼女は中国語も話せる。だが、彼女の「プロジェクト」はまだ完了せず、現地の投資家から金を借りて研究所を開き、研究を続行させたと説明されていた。ヒンディー語映画で中国と言うと、「Chandni Chowk to China」(2009年)が思い当たるが、中国に留学経験のあるキャラは、このミーターが初ではなかろうか。とにかく、彼女がインドに舞い戻ったのは、投資家から借りた金の返済期限が来たからであり、当初のプランでは彼女は父親から1億ルピーを何とか盗み出そうとしていたのである。しかも、もし期限までに返済できなかった場合、勝手に保証人としてしまった父親の命が危ないというオマケ付きであった。

 このような複雑な状況に置かれた人間が精神的に異常をきたすのはごく当然のことで、そう考えてみるとミーターの「メンタル」は固有のものではなかったのではないかと思われる。現に、ニキルの支援が得られるようになった後、彼女の精神状態は落ち着き、表情も和らいで来る。終盤ではミーターから「メンタル」の要素はほとんど感じられない。恋に悩む乙女そのものである。ミーターのこのような変化を演じ切れたのは、やはりパリニーティ・チョープラーに才能があるからであろう。

 ミーターを取り巻く人間関係の中で一番良かったのは父親との関係だ。ミーターは父親を深く愛しており、ムンバイーに戻った後、一目父親を見たいとの願望を持っていた。父親がミーターに対してどのような感情を持っているかは、映画の大部分において不明だ。だが、7年前にミーターが金を盗んで逃亡したことが分かったとき、彼は心臓発作を起こしている。周囲の人間は勝手に、父親はミーターに対して激しく怒っていると考えており、ミーターと父親を引き合わせまいとする。だが、父親もミーターのことを常に心配していた。その気持ちが一番良く表れていたのが、彼の口座のパスワードだった。彼はミーターの名前をパスワードにしていた。父親は、謝罪のために7年振りに帰って来たミーターを優しく受け止め、そして彼女が無心して来た1億ルピーもあっけなく手渡す。マノージ・ジョーシーが演じたこの父親役は、無口ではあるが、この映画の中でもっとも心の広い人物であった。

 ミーターのキャラクターが強烈すぎてどうしても陰に隠れてしまいがちなのだが、スィッダールト・マロートラー演じるニキルも癖のあるキャラだ。一見するとエリート・ハンサムガイなのだが、彼は彼なりにコンプレックスを抱えている。IPS(警察官僚)を父に持ち、家族や親戚には高級官僚揃いの家系に生まれたニキルだったが、彼だけは官僚にならず、イベントマネージャーという水商売をしていた。しかも、ひょんなことから女優のカリシュマーを恋人に持ってしまったため、自分の立場の弱さを思い知らされることになった。ニキルとカリシュマーの関係だけでも十分面白い恋愛映画になったと思うのだが、「メンタル」ミーターが入って来るため、この二人の関係はサイドに追いやられていた。

 このような三角関係の恋愛映画だと、カリシュマーがニキルとミーターの関係をいつどのように知り、そのときどういう反応を示すかが最大の焦点となる。やはり物語性を持たせるために、それが知れるのはニキルとカリシュマーの結婚式当日という設定だった。カリシュマーにニキルとミーターの関係が知れるきっかけとなったのは、カリシュマーがミーターに貸した携帯電話だった。ミーターは、ニキルとカリシュマーの結婚式前に家を去るのだが、その前に忘れずに携帯電話を彼女に返す。そこにニキルが何度も電話を掛けていたため、カリシュマーがニキルの本心に気付くのだった。そしてカリシュマーは自らニキルをミーターに譲る。ツールは携帯電話に変われど、同様の展開は過去にいくつも作られて来たため、この点は陳腐に感じた。

 ひとつ気になったのは、サート・ペーレー(新郎新婦が火の周りを7回まわる儀式)の後に結婚を破棄していたことだ。てっきりサート・ペーレーが行われたら結婚成立だと考えていたのだが、まだ結婚成立まで何かの儀式があるのだろうか。それとも厳密に言えばこの結末は離婚ということになるのだろうか。

 「Hasee Toh Phasee」は、まずスィッダールト・マロートラーとパリニーティ・チョープラーと言う、現在最も将来を嘱望されている若手俳優の共演が最大の売りの映画である。特にパリニーティの見事な演技は見物だ。恋愛映画としては佳作と評することができよう。