2013年はディーピカー・パードゥコーンの当たり年だった。「Race 2」、「Yeh Jawaani Hai Deewani」、「Chennai Express」、「Goliyon Ki Raasleela Ram-Leela」の4本で主演し、どれも100カロール・クラブ入りさせている。また、「Goliyon Ki Raasleela Ram-Leela」でフィルムフェア賞主演女優賞も獲得しており、女優として最高の高みに到達した。
ただ、2012年までのディーピカーは、メディアで派手な露出があったものの、本業であまりパッとしなかった。「Om Shanti Om」(2007年)での衝撃的デビューは文句ないが、その後、「Chandni Chowk to China」(2009年)の大コケや「Cocktail」(2012年)後半でのダークすぎる演技など、作品や役に恵まれなかった。この期間、同世代のライバルであるカトリーナ・カイフの方はヒット作に恵まれ、いち早くトップスターの座まで登り詰めた。ここに来てディーピカーがやっと実力通りの成果を上げられたのは嬉しい限りである。
「Yeh Jawaani Hai Deewani」は、2013年5月31日に公開された。監督はアヤーン・ムカルジー。佳作「Wake Up Sid」(2009年)でデビューした映画監督である。音楽監督はプリータム、作詞家はアミターブ・バッターチャーリヤとクマール。キャストは、ランビール・カプール、ディーピカー・パードゥコーン、アーディティヤ・ロイ・カプール、カルキ・ケクラン、エヴェリン・シャルマー、ファールーク・シェーク、タンヴィー・アーズミーなど。他に、ドリー・アフルワーリヤー、プールナー・ジャガンナータン、ラーナー・ダッグバーティ、マードゥリー・ディークシトなどが特別出演。
ランビールとディーピカーはかつて付き合っていたが、この映画の撮影時期までには破局している。「ロイ・カプール」の名字を持つ若い男優が2人出演しているが、彼らは兄弟である。アーディティヤの方は「London Dreams」(2009年)や「Aashiqui 2」(2013年)、クナールの方は「Delhi Belly」(2011年)や「Nautanki Saala!」(2013年)などで活躍している成長株だ。ウォルト・ディズニー・インディアの社長で、最近女優ヴィディヤー・バーランと結婚したスィッダールト・ロイ・カプールの弟たちで、新たな映画カーストが創出されつつあると感じる。彼らはベンガル人とパンジャーブ人の名字を併せ持つが、宗教はユダヤ教らしい。また、主人公バニーの父親役を演じたファールーク・シェークは往年の名男優であったが、2013年12月17日に死去した。奇しくも、彼の遺作の1本となった「Yeh Jawaani Hai Deewani」でも、彼の死のシーンが出て来る。ちなみに、「Yeh Jawaani Hai Deewani」とは、「この青春は狂おしい」という意味である。
ムンバイー在住の真面目な医学生ナイナー(ディーピカー・パードゥコーン)はある日、高校時代の同窓生アディティ(カルキ・ケクラン)と偶然再会する。アディティが、やはり高校時代の同窓生カビール・ターパル、通称バニー(ランビール・カプール)やアヴィナーシュ(アーディティヤ・ロイ・カプール)と共にマナーリーへ旅行に行くという話を聞き、勉強ばかりの毎日に飽き飽きしていたナイナーは、自分もそのツアーに申し込む。こうして四人は駅で合流し、共にマナーリーへ向かう。だが、高校時代から目立つ存在だった彼らと違い、ナイナーはいつも教室の隅で勉強ばかりしているような子で、あれから数年経った今でも、なかなか彼らの雰囲気になじめなかった。 マナーリーに着いた四人は、町中で屈強な男たちに追い回されたり、トレッキングをしたり、ホーリー祭を祝ったりして楽しむ。その中でナイナーはバニーに恋をしてしまい、告白をしようとするが、できなかった。世界中を旅行することを夢見ていたバニーは、このときまでにシカゴの大学に留学することが決まっており、この旅行の後、彼はインドを去る。 それから8年後、アディティが結婚することになり、ナイナー、バニー、アヴィナーシュに、ウダイプルでの結婚式への招待状が届いた。アディティの結婚相手は、タラン(クナール・ロイ・カプール)というエンジニアだった。久しぶりに四人は顔を合わせる。だが、四人の立場や人間関係は変わってしまっていた。 ナイナーは医師になっていたが、まだ未婚だった。バニーは旅行番組のカメラマンになっており、世界中を旅行して回っていた。だが、僻地に旅行している間に父親(ファールーク・シェーク)が死に、葬式に出ることもできなかったという過去のトラウマを引きずっていた。アヴィナーシュはバーを経営していたが、博打癖が抜けずに負債を抱えており、バーを手放さなくてはならなくなってしまっていた。アディティは、昔からアヴィナーシュに恋していたものの、その恋愛を成就させることができなかった。だが、タランとの結婚には満足していた。ナイナーとアディティは、8年前の旅行の後も頻繁に会っており、親友となっていた。だが、アヴィナーシュは自分に相談せずに米国留学を決めたバニーに対して怒っており、彼を友人と認めていなかった。 久々にナイナーに再会したバニーは、彼女の男友達に嫉妬をしたりして、ナイナーに恋してしまったことに気付く。ナイナーも今でもバニーのことを忘れていなかった。だが、世界中を旅行するというバニーのライフスタイルと、クリニックで患者の診察をする彼女のライフスタイルは、相容れるものではなかった。だからナイナーは、関係をそれ以上進めることを敢えてしなかった。バニーはアディティの結婚式が終わった直後、パリへ向かわなければならなかった。 バニーは一旦ウダイプルを去るが、パリ行きの飛行機には乗らず、自宅に帰る。そこで、父親の生前は不仲だった継母(タンヴィー・アーズミー)と会う。その後、バニーはナイナーのところへ行き、彼女にプロポーズをする。そして二人は2013年のニューイヤーを迎える。
2000年代前半、インドが束の間の高度成長期を享受していた時期、ヒンディー語映画界でもその世相をよく反映した映画がいくつか作られた。例えば「Guru」(2007年)では「インドをいつまでも後進国と呼ばせるな」という強烈なメッセージが発信され、「Chak De! India」(2007年)では女子ホッケー・ワールドカップでの優勝を通して「インディア・アズ・ナンバー1」が声高らかに謳われた。だが、リーマンショックを機にインド経済は混迷期に入り、ヒンディー語映画でも、発展を手放しに賞賛する姿勢から一歩引いた視点で物事が語られることが多くなった。「Rocket Singh: Salesman of the Year」(2009年)や「3 Idiots」(2009年)ではそれが顕著だが、アヤーン・ムカルジー監督の前作「Wake Up Sid」もそのカテゴリーに入れられる。自堕落な生活をしていた裕福な青年が、父親の会社で働かず、写真に目覚めて写真家の道を歩むというプロットで、金儲けと金の浪費ではなく、自分が一番生きがいを感じることに熱中する大切さが示された。
主人公バニーの視点から「Yeh Jawaani Hai Deewani」を分析するならば、この映画も「Wake Up Sid」と同じ方向性の映画だと言える。ただ、前作よりも恋愛に軸足が置かれており、夢と愛の対立がテーマになっていた。バニーには世界中を旅するという夢があり、その夢をかなり実現させていた。一方、彼が恋をしたナイナーは、職業柄あちこち移動する生活ができなかった。バニーもナイナーもそれを理解しており、二人は当初、一線を越すことを躊躇する。もしインド経済と無理矢理関連付けするならば、夢の追求はインド発展の道であり、愛の追求は発展から取り残された人々を救う道である。この2つが必ずしも両立しないとき、どちらかを捨てて、どちらかを選ばなければならなくなる。その証拠に、何かを捨てなければ何かを得られない、という台詞が劇中にもあった。様々な葛藤の末、バニーは最終的に夢よりも愛を取り、ナイナーにプロポーズする。バニーはそのときの心情を、「あちこち動き回って疲れてしまった」と表現していた。夢を仕事と置き換えるならば、仕事と愛を対立させて最終的に愛を重視する手法は、「Love Aaj Kal」(2009年)と共通している。
愛は何も男女の恋愛にのみ適用される訳ではない。「Yeh Jawaani Hai Deewani」では、バニーとその両親の関係にも少しだけスポットライトが当てられていた。多くは説明されていないが、バニーの実の母親は既に死んでおり、父親は別の女性と再婚していた。その継母とバニーとの関係は悪く、彼は事あるごとに継母にきつく当たっていた。ただ、継母の方はバニーに無償の愛情を注いでいた。バニーは、夢を追うことで父親の死に目に合えなかったというトラウマを背負っていた。ツアーガイドをして僻地に行っているときに父親が急死し、帰って来てそれを知ったときには葬式もとっくに終わった後だったのだ。夢をやみくもに追うことは、必ずしも愛する人々を幸せにしない。だが、バニーはナイナーにプロポーズする前、実家に戻り、継母と再会する。そこで彼は、自分が好きなように生きていることが父親を何よりも喜ばせていたと継母から聞く。その言葉が彼の心を動かし、これからは愛のために生きることを決意したと考えられる。
世界を飛び回って活躍するインド人がインドに腰を落ち着ける(ことを予感させる)というプロットは、NASAのエンジニアがインドに帰って来て村の発展に寄与するという「Swades」(2004年)を想起させる。特に、ヒマーラヤ山脈の壮大な光景やウダイプルの王宮・市街地の様子が効果的に使われ、海外の風景を矮小化させ、インドの素晴らしさ・美しさが強調されていた。インド人のキャリア観では、海外へ渡ることは発展を意味し、さらには利己的な発展とも言える。それに対し、海外からインドへの帰還は、利己的な発展を社会に還元することと捉えられる。バニーがインドへの帰国を決意する部分も、単なる発展の賞賛とは一線を画した視点の表れである。
一方、ナイナーの視点から「Yeh Jawaani Hai Deewani」を観ると、より純愛に近い物語となる。劇中でははっきりと語られていないが、おそらくナイナーは高校時代からバニーに憧れていたのだろう。そのバニーと再会できるチャンスが突然転がり込んで来たことで、彼女はマナーリー旅行を決意する。その中で彼女の心の中にあったバニーへの憧れは、はっきりと恋へと昇華した。ただ、同時に彼女はバニーの夢を聞いてしまった。ナイナーは、夢に向かって大きく羽ばたこうとしているバニーに愛の告白をする勇気が出ず、そのまま別れることになってしまう。それから8年後、また彼女はバニーと再会し、そのときにもバニーとの恋愛をさらに進めることに積極的ではなかった。だが、今度はバニーの気持ちにも変化があり、最終的には二人は結ばれることになる。つまり、ナイナーは10年前後の長い時間の中で恋愛を成就させたのである。純愛と表現することはできると思うが、「この青春は狂おしい」という題名とは裏腹に、愛に命を捧げるような熱情的な恋愛ではない。あくまで理性的な恋愛で、題名はミスマッチだと感じた。
ナイナーのキャラにも今一つ統一感がなかった。高校時代からガリ勉だったナイナーは、常にテストでトップを取り、周囲からチャシュミシュ(メガネっこ)、スカラー(学者)などと呼ばれる存在だった一方、友人がいなかった。そんな暗い性格の彼女がバニーとの再会を機に大きく変化し、メガネを外して弾け、「本当の私デビュー」となる。この転換点は、一応時間をかけて描写されてはいたが、あと一歩二歩足りておらず、まだ唐突な感じが否めなかった。この辺りはディーピカーの演技力の限界でもあるだろう。ヴィディヤー・バーランやカンガナー・ラーナーウト辺りなら、もっとうまく演じられたはずである。
サブヒロインのアディティを演じたのは、インド生まれのフランス人女優カルキ・ケクランであった。すっかりヒンディー語映画界に定着しており、アヌラーグ・カシヤプ監督と結婚までしてしまっているが、完全に白人顔の彼女をインド人として起用し続けるヒンディー語映画界の度量の広さには驚かざるを得ない。そういう事情を知っている観客ならもうあまり気にしないかもしれないが、いざ日本で公開されるとなると、大いに混乱を招くことだろう。カルキ・ケクランが出演している「Zindagi Na Milegi Dobara」(2011年)が日本で上映されたときには、そういう反応がチラホラみられた。ただし、インド映画黎明期には、インド人女性が映画出演したがらなかったために、白人女優が起用されていたこともあるので、それを思えば原点回帰と言ってもいいのかもしれない。とにかく、外国人役もインド人役も任される、不思議な立ち位置の女優である。
「Yeh Jawaani Hai Deewani」は、題名とは裏腹に、恋愛が人生の全てだとか、恋は人生に一度だけだとか思っている登場人物が織り成すような、狂おしい恋愛を描いたものではない。現代の若者らしく、恋愛よりも仕事などを優先することができる登場人物たちの物語である。どちらかというと女性視点の恋愛映画だが、男性視点から観るとよりメッセージ性が浮き彫りになると感じられる。恋愛映画としては、最上級とは言えないが、十分に楽しめる作品だ。