ニューヨークを拠点とするインド人女性監督ミーラー・ナーイルは、自身のルーツであるインドを舞台によく映画を撮影している。ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞した「Monsoon Wedding」(2001年/邦題:モンスーン・ウェディング)は北インドの典型的な結婚式のドタバタを追っており、ジュンパー・ラーヒリーの小説を原作とした「The Namesake」(2006年/邦題:その名にちなんで)では米国に移住したインド系家族が経験するアイデンティティーの葛藤を描いた。両方とも日本で公開されている。
20世紀末から21世紀初頭にかけて、3人の海外在住インド人女性監督が活躍した。米国在住のミーラー・ナーイルと、カナダ在住のディーパー・メヘターと、英国在住のグリンダル・チャッダーである。この中で、インド文化を最も肯定的に描写しているのはミーラー・ナーイルであり、自分とも趣味が近い。
ミーラー・ナーイル監督の「The Reluctant Fundamentalist」は、インドでは2013年5月13日に公開された。言語は基本的に英語だが、ウルドゥー語が随所で使われており、その部分では英語字幕が入っている。この映画は日本では劇場一般公開されなかったものの、「ミッシング・ポイント」の邦題でDVD発売されている。原作はパーキスターン人作家モホスィン・ハーミドの同名小説(2007年)。9/11事件によって人生の転機を迎えたパーキスターン人が主人公で、印パで数多く作られている「ポスト9/11映画」のジャンルに含めることが可能である。舞台は主にラホールとニューヨークだが、パーキスターンでのロケはできなかったようで、ラホールのシーンはデリーでロケが行われている。
キャストは国際的で、米国、英国、インド、パーキスターン、トルコなどの俳優が入り乱れている。米国からはキーファー・サザーランド、ケイト・ハドソン、リーヴ・シュレイバーなどが出演しており、当然のことながら日本版DVDでは彼らが前面に押し出されている。インドからはオーム・プリー、シャバーナー・アーズミー、アーディル・フサイン、イマード・シャーなど、演技派俳優が出演しており、非常に豪華だ。一方、パーキスターンからはミーシャー・シャフィーとソーニヤー・ジャハーンの2人の女優が出演している。ミーシャーは「Bhaag Milkha Bhaag」(2013年)で水泳選手パリーザードを演じていた女優で、シンガーでもある。ソーニヤーは「Taj Mahal: An Eternal Love Story」(2005年)でムムターズ・マハルを演じていた女優で、白黒映画時代の伝説的女優ヌール・ジャハーンの孫娘である。主人公のチャンゲーズ・ハーンを演じるリズ・アハマドはパーキスターン系英国人であり、過去に何本か映画に出演しているが、主要キャスト陣の中では一番無名と言えるだろう。
21世紀の世界の方向性を決定付けた9/11事件は、おそらく世界各国において様々な形で映画や物語の題材となっているだろうが、印パにおいては、事件を境に米国在住の南アジア人やイスラーム教徒が受けた差別を中心に描くのが主流となっている。「Khuda Kay Liye」(2007年)、「New York」(2009年)、「Kurbaan」(2009年)、「My Name Is Khan」(2010年/邦題:マイ・ネーム・イズ・ハーン)などが代表例である。「The Reluctant Fundamentalist」は、これらの系統に連なる作品だと言える。ラホール大学に勤める米国人教授が誘拐された事件を受け、CIAエージェントのボビー(リーヴ・シュレイバー)が、ジャーナリストに扮して事件の関与が疑われる同僚教授チャンゲーズ(リズ・アハマド)にコンタクトを取るというのがこの映画の導入部である。チャンゲーズはボビーに、自身の過去を語り出し、彼が米国在住時に経験した成功と挫折が明らかになって行くという構成である。
ただ、米国で差別を受けたイスラーム教徒がテロリスト化する「New York」や「Kurbaan」と違って、「The Reluctant Fundamentalist」では、主人公チャンゲーズはテロリストにはならなかった。大手評価企業にアナリストとして就職し、将来を有望視されたチャンゲーズは、確かに9/11事件後に不当な差別を受けることになる。米国人の恋人エリカ(ケイト・ハドソン)すらも、彼のセンチメントを理解してくれなかった。だが、彼が自主退職してパーキスターンに戻ったのは差別が直接の原因ではない。むしろ、上司のジム(キーファー・サザーランド)は9/11事件後も変わらずチャンゲーズを応援していた。彼の心が折れた理由は、対象の企業に対して冷酷な人員削減を強いる会社の手法であり、その原理(ファンダメンタル)であった。つまり、チャンゲーズは米国企業の原理主義に嫌気がさしてパーキスターンに戻ったのだった。この点は、インドの典型的なポスト9/11映画と決定的に異なる。 また、CIAはチャンゲーズが大学において反米的な授業をして学生を扇動し、今回の米国人教授誘拐事件にも関与したと疑う。チャンゲーズは確かにイスラーム教過激派活動家ムスタファー・ファーズィル(アーディル・フサイン)から勧誘も受けていたが、ファーズィルの発言からやはり原理主義を感じ取り、その誘いを断っていた。結局、チャンゲーズは米国の企業論理にもパーキスターンのイスラーム教過激派にも失望しており、原理主義者(ファンダメンタリスト)ではなかった。母国に帰った後の彼が目指したのはパーキスターンの自立であり、そのために若い学生たちにパーキスターンの問題点を講義していたのだった。 映画の最後で、興奮した学生たちに囲まれたボビーは誤って発砲してしまい、その弾はチャンゲーズの愛弟子サミール(イマード・シャー)の胸に命中する。サミールは死ぬ。また、誘拐された米国人教授も遺体で発見される。ボビーは、教授も実はCIAエージェントだったことをチェンゲーズに明かしたために、チャンゲーズの指示によって教授が殺されたと勘違いし、それがサミールの死にもつながるのだが、やはりチャンゲーズは全く関与していなかったことがすぐ後に分かる。果たしてこの後もチャンゲーズは原理主義から距離を置くことができるかどうか、それは観客の判断に任されていた。
ラホール大学などのシーンは、デリーのアングロ・アラビック・スクールで撮影されたようだ。オールドデリーのアジメール門付近に建つこの学校はアウラングゼーブ時代に建てられた由緒ある学校で、デリーの教育に大きく貢献して来た。学校と言うことで遠慮して中に入ったことはないのだが、一度見学してみたいと思っていた場所である。他にオールドデリーの街並がデリーだと分からない程度に断片的に使われていた。パーキスターンが舞台の映画ではあるが、デリーっ子の目にはデリーらしさがにじみ出ていた。
「The Reluctant Fundamentalist」は興行的には大コケだったようだ。確かにミーラー・ナーイル監督の映画の中では完成度の低い部類に入るだろう。主演のリズ・アハマドも場違いな印象を受けたし、撮影時妊娠中だったと言うケイト・ハドソンとの相性も良くなかった。音楽も、アーティフ・アスラムなどが参加してパーキスターン色が出ていたが、もっといいものにできたように思う。様々な面でいろいろな改善点があったのではないだろうか。ただ、「ポスト9/11映画」の中で最もバランスの取れた視点で描写されており、その点で大きな意義のある映画だ。