ヒンディー語映画には、政治的な理由からか、あまりインドの大統領や首相は実名で登場しないのだが、なぜか米国の大統領は台詞の中でも登場人物としても実名でよく登場する。もちろん映画に米大統領が登場するときは、ニュース映像以外は、本人ではなく、そっくりさん俳優であったり、アングルを工夫してわざと顔を見えなくしたりして対応している。ジョージ・ブッシュ大統領が登場してしまったのは「The President Is Coming」(2009年)で、ブッシュ大統領訪印を控えたインドにおけるドタバタ劇をテーマにしたフィクション映画となっていた。「My Name Is Khan」(2010年)では、オバマ大統領がかなり肯定的なイメージと共に登場しており、在米インド人コミュニティーのオバマ大統領に対する期待が見て取れた。2010年12月3日公開の新作ヒンディー語映画「Phas Gaye Re Obama」では、なんと題名に「オバマ」の名前が出てしまっている。しかもその意味は「オバマがトラブルに巻き込まれた」みたいな意味だ。低予算映画ながら評論家の評価は上々で、今年の傑作マイナー映画の1本になりそうである。
監督:スバーシュ・カプール
制作:アショーク・パーンデーイ
音楽:マニーシュ・J・ティープー
歌詞:シェリー、ゴーパール・ティワーリー
出演:ラジャト・カプール、ネーハー・ドゥーピヤー、マヌ・リシ・チャッダー、サンジャイ・ミシュラー、スミト・ニジャーヴァン、アミト・スィヤール、アモール・グプテー、プラガティ・パーンデーイ、スシール・パーンデーイ、デーヴェーンダル・チャウダリー、ブリジェーンドラ・カーラー、スレーンドラ・ラージャン
備考:DTスター・ヴァサントクンジで鑑賞。
15年前に渡米し、苦労して巨万の富を築いたNRI(在外インド人)ビジネスマン、オーム・シャーストリー(ラジャト・カプール)は、2008年のリーマン・ブラザーズ倒産に伴う金融危機により全てを失ってしまった。1ヶ月以内に銀行に10万ドルを支払わなければ家も差し押さえられることになった。そうなったら、妻(プラガティ・パーンデーイ)や子供と共に路頭に迷うことになってしまう。困ったオームは、故郷インドのウッタル・プラデーシュ州へ7年振りに帰り、父の形見である邸宅を売り払うことを決めた。邸宅には現在叔父が住んでいた。 オームが故郷に戻ると、邸宅には叔父が親戚一同と共に住んでいた。一応不動産屋に問い合わせてみたが、世界不況の影響で買い手が付くのは困難で、売値も期待したほどの額にはならなかった。 一方、地元の誘拐マフィア、バーイーサーブ(サンジャイ・ミシュラー)の下で働いていたアンニー(マヌ・リシ・チャッダー)は、いつか米国へ渡ることを夢見て英語教室に通っていた。同じ教室に通うカナイヤーラールの叔父がオームであり、彼はアンニーにオームが米国から帰って来たことを話す。アンニーはオームに会いに行き、自分を米国に一緒に連れて行ってくれるように頼む。ところがオームの話を聞いたバーイーサーブは、不況で誘拐稼業がうまく行っていなかったことから、NRIのオームを誘拐して一獲千金を考える。オームはバーイーサーブのマフィアに誘拐されてしまう。 当初はオームを誘拐することで5千万ルピーの身代金は堅いと考えていたバーイーサーブであったが、オームの身の上話を聞き、一銭の金にもならないことを知ってショックを受ける。同じ頃、バーイーサーブよりもさらに大きな誘拐マフィア、アリー・バーイー(スミト・ニジャーヴァン)にオームのことが知れてしまう。バーイーサーブはアンニーの入れ知恵に乗り、アリー・バーイーにオームを売ることを決める。だが、その話にオームも割って入り、報酬を山分けにすることで手を打つ。 アリー・バーイーはオームを300万ルピーで買う。だが、オームの身代金が入るまでアンニーも人質に取られてしまう。ところが今度はアリー・バーイーよりもさらに大きな誘拐マフィアで、男を忌み嫌う女性ギャングスター、ムンニー(ネーハー・ドゥーピヤー)にもオームのことが知れてしまう。オームの入れ知恵により、アリー・バーイーはムンニーにオームを引き渡す。ムンニーはアリー・バーイーに600万ルピーを支払う。だが、ムンニーはオームが一文無しであることを知り、バーイーサーブ、アリー・バーイーらを連行して殺そうとする。ここでまたオームがアイデアを披露する。そのアイデアとは、地元で一番の誘拐マフィアで、現在州政府の動物大臣に就任しているダナンジャイ・スィン(アモール・グプテー)にオームを売ることであった。ダナンジャイ大臣は誘拐を完全にビジネス化しており、州首相の椅子を狙っていた。 ダナンジャイはちょうど地元でNRIビジネスマンが行方不明になっていることを知り、彼を捜しているところであった。ダナンジャイの誘拐ビジネスにも不況が直撃しており、一獲千金を狙っていた。そこへムンニーが自らオームを連れてやって来た。ダナンジャイは1,500万ルピーでオームを買い取る。このときもアンニーはオマケで人質に取られた。 オームとアンニーは外国人用収容所に丁重に迎えられた。そこには劇薬の湖があり、身代金が支払われなかった人質が放り込まれて骨になっていた。深夜、オームは心臓発作の振りをする。オームとアンニーは救急車で運び出されるが、途中でそれをハイジャックし、逃亡する。 オームを逃がしてしまったことでダナンジャイは激昂し、州全体に戒厳令を敷く。オームは作戦を練り、敢えて自らダナンジャイの元に赴く。だが、同時にアンニーはジャーナリストを連れて来ており、ダナンジャイが行方不明のオームを探し出したと喧伝する。ダナンジャイは民衆から賞賛を受ける。その賞賛の嵐の中でオームとアンニーはダナンジャイの車に乗って堂々と抜け出す。 ところで、オームはアリー・バーイーから受け取った300万ルピーの内の山分け分150万ルピーと、ムンニーから受け取った600万ルピーの内の山分け分300万ルピーを米国に送金しており、この騒動の中で既に十分な金を手に入れていた。もはやインドに用のなかったオームは空港へ向かう。また、アンニーはオームと共に米国へ渡ることを考えていたが、この騒動の中でやはり気の置けない仲間はインドにいることを実感し、インドに残ることを決める。
不況で一文無しになったNRIビジネスマンが自宅差し押さえを防ぐために最後の望みを賭けてインドにやって来たところ、やはり不況で困っていた誘拐マフィアたちが一攫千金を夢見てそのNRIをこぞって誘拐しようとするという秀逸なブラックコメディーであった。犯罪者の中にも上下関係があり、その大ボスが大臣になっているというインドの黒い現実も赤裸々に描写されていたし、庶民の中に蔓延する米国に対する偏見などもよく表現されていた。ただ、題名になっているオバマ米大統領は案外ストーリーには絡んで来ない。「イエス・ウィー・キャン」で有名な就任演説の映像などが使用されていたのみである。主人公の名前はオームだが、これがオーム・マーマー(オーム叔父さん)になると、「オバマ」と音が似ているというギミックがあり、これは面白かった。
基本的にコメディーであり、トラブルに巻き込まれた主人公が知恵を絞って危機を乗り越えて行き、最終的には円満に全てが解決するという痛快劇であった。笑いはアクションよりも台詞回しや俳優の演技力やストーリー展開で笑わせるタイプの高度なもので、全体的なストーリーもよくまとまっており、しっかりした脚本の上に成り立った秀作コメディーであった。ただ、小物マフィアから大物マフィアへオームが売られて行くパターンはずっと同じで、その点は退屈でもあったが、大きな欠点にはなっていない。
ストーリーを精査してみると、金融危機で経済的に困窮したNRIが、インドの故郷に所有する財産を売却して危機を乗り越えようとするというプロットが面白い。おそらくそういうことが実際にあったのだろう。ただ、劇中のオームからは、インドに対する特別な感情や感傷と言ったものが全く感じられず、その点では多少珍しいストーリーだったかもしれない。普通、NRIがインドに久しぶりに帰って来ると、喧噪や衛生状態や人間関係や濃さなどに辟易するシーンがあるか、もしくはインドへの愛情を呼び覚まされるか、どちらかなのだが、オームに限ってはほとんどそういう感情を露わにしていなかった。唯一、満員のバスの屋上に座って移動するシーンが彼の感情を少しだけ代弁していた。もっとも、それは「Swades」(2004年)でも見られる、NRI帰郷の際の一種の定番シーンであるが。また、映画のフォーカスはNRIの郷愁にはなく、本作のその作りは全く正解である。だが、NRI帰郷映画としては特殊な位置に置かれることとなるだろう。逆に、インド人の心の中にある、米国やアメリカンドリームへの憧れという点から見ると、「Phas Gaye Re Obama」ではアンニーの存在が注目される。アンニーは渡米を夢見ており、英語の勉強に精を出し、ハリウッド映画も愛好している。例えば「Tere Bin Laden」(2010年)では最終的に主人公(パーキスターン人ではあるが)は渡米して夢を実現させるが、「Phas Gaye Re Obama」のアンニーは、最後に渡米のチャンスがありながらインドに残ることを自らの意志で選ぶ。劇中ではアンダーワールドを中心にインドの問題点が描かれるが、それは決して批判的ではなく、むしろユーモアの混じったもので、映画を見終わった後は「いろいろあるけどやはりインドが一番だ」という感想を受ける。オームにしても、米国でいくら頑張っても手に入らなかった10万ドルが、インドのアンダーワールドを通したら、いとも簡単に手に入ってしまうい、「インドは素晴らしい!」と叫ぶ。この映画の真のメッセージは善し悪し全てをひっくるめた上でのインドの礼賛だと評価できる。
劇中ではっきりとロケーションの明記はなかったと記憶しているが、自動車のナンバーやその他の設定から、ウッタル・プラデーシュ州西部の田舎町が舞台になっていることが推測される。ただ、実際にウッタル・プラデーシュ州でロケが行われていたかは不明である。ムンニーの邸宅などはケーララ州の建築だと感じた。「Phas Gaye Re Obama」をウッタル・プラデーシュ州の田舎を舞台にした映画だとすると、これは2010年のヒンディー語映画のひとつの特徴である、「田舎町や農村への回帰」のトレンドに乗った作品だとできる。近年のヒンディー語映画界は極度に都市向け映画化が進み、舞台もムンバイーやデリーまたは海外の都市などであることが一般化したが、今年はその反動からか、「Ishqiya」(2010年)、「Road to Sangam」(2010年)、「Well Done Abba」(2010年)、「Raajneeti」(2010年)、「Udaan」(2010年)、「Peepli Live」(2010年)、「Antardwand」(2010年)、「Dabangg」(2010年/邦題:ダバング 大胆不敵)、「Aakrosh」(2010年)、「Rakht Charitra」(2010年)など、大都市ではないロケーションを舞台にした土臭い映画が続いた。その作風は様々であるが、その内の多くはヒット作または高評価作となった。
俳優は総じてとてもいい演技をしていた。オームを演じたラジャト・カプールはマイナーだが良質の映画に好んで出演する俳優であり、今回も好演していた。アンニーを演じたマヌ・リシ・チャッダーは「Oye Lucky! Lucky Oye!」(2008年)に出演していた俳優で、ラジャト・カプールと共に映画の出来を決定する重要な役を演じ、それに成功していた。バーイーサーブを演じたサンジャイ・ミシュラーやダナンジャイ・スィンを演じたアモール・グプテーも良かった。唯一場違いだったのはムンニーを演じたネーハー・ドゥーピヤーだ。女マフィアという困難な役をとても真摯な演技でこなしており、その点については好感が持てたのだが、グラマラスなイメージの強い彼女の存在は、映画全体に流れるブラックコメディー調の雰囲気と合っていなかった。スィーマー・ビシュワースなどドスの利いた演技ができる女優をキャスティングした方がより映画が引き締まったことだろう。
2時間ほどの映画で、ダンスシーンなどは入っていない。ストーリーにグリップ力があるため、ダンスシーンの不在はプラスに働いている。
「Phas Gaye Re Obama」は、低予算ながら上質のコメディー映画であり、都市部の映画ファンを中心に静かなヒットが期待される。一般のインド娯楽映画ではないが、ヒンディー語映画の成熟を垣間見ることのできるいい作品のひとつである。