Rocket Singh: Salesman of the Year

3.5
Rocket Singh: Salesman of the Year
「Rocket Singh: Salesman of the Year」

 ランビール・カプールの勢いが止まらない。往年の名優リシ・カプールの息子として「Saawariya」(2007年)で大々的デビューを果たしたランビールであったが、同作品がフロップに終わった上に劇中で見せた裸踊りが散々ネタにされてしまい、好調な滑り出しとは言えなかった。しかし、その後は「Bachna Ae Haseeno」(2008年)、「Wake Up Sid」(2009年)、「Ajab Prem Ki Ghazab Kahani」(2009年)など良作に恵まれ、順調にキャリアを伸ばしている。ランビールは、泣く子も黙る映画カーストの家系に生まれながら、意外にも落ちこぼれ役が板に付いて来ており、それが彼の醸し出すホンワカとしたイメージとうまく融合して、現代のインド人中産階級の若者の典型として存在感を確立しつつある。2009年12月11日から公開の新作ヒンディー語映画「Rocket Singh: Salesman of the Year」でも、中産階級の典型であるセールスマン役を演じている。監督は「Chak De! India」(2004年)のシーミト・アミーンである。

監督:シーミト・アミーン
制作:アーディティヤ・チョープラー
音楽:サリーム・スライマーン
歌詞:ジャイディープ・サーニー
衣装:ニハーリカー・カーン
出演:ランビール・カプール、プレーム・チョープラー、ムケーシュ・バット、Dサントーシュ、ガウハル・カーン、ナヴィーン・カウシク、マニーシュ・チャウダリー、シャザーン・パダムスィー(新人)
備考:サティヤム・シネプレックス・ネループレイスで鑑賞。

 ハルプリート・スィン・ベーディー(ランビール・カプール)は何とか大学を卒業し、PC販売会社AYSにセールスマンとして入社した。しかし、正直者のハルプリートは、売り上げアップのためには手段を選ばない会社の方針に馴染めず、同僚からいじめられるようになっていた。しかしハルプリートは辞めずに会社に勤務し続ける。

 AYSの受付嬢コーエナー(ガウハル・カーン)はハルプリートに同情し、問い合わせをして来た顧客の連絡先をひとつ渡す。訪ねてみると、そこはシェーラーン(シャザーン・パダムスィー)という女の子が立ち上げたばかりの会社であった。ハルプリートはシェーラーンを個人的に助けることにし、彼女のために格安PCを準備する努力をした。その過程で、PCというのは実は結構安く組み立てられるもので、PC販売会社が売っているものはかなり高価な値段設定がされていることに気付く。

 AYSのプリー社長(マニーシュ・チャウダリー)から「お前はゼロだ」と辱めを受けたハルプリートは一念発起し、会社のメカニック、ギリ(Dサントーシュ)と組んで、ロケット・セールス社を秘密で立ち上げる。ハルプリートはさらに、受付嬢コーエナー、雑用係チョーテーラール(ムケーシュ・バット)、上司のニティン(ナヴィーン・カウシク)、そしてガールフレンドになっていたシェーラーンも仲間にする。彼らは日中はAYS社員として見せかけだけ働き、実際はロケット・セールス社のために働いた。ロケット・セールス社の売りは、正直さと24時間サービスであった。ロケット・セールス社は瞬く間にAYSを脅かすほど成長する。

 ロケット・セールス社という謎の新興企業にビジネスを脅かされるようになったプリー社長は、ロケット・セールス社に探りを入れ始める。ハルプリートらは何とか隠し通そうとするが、とうとう社長に真実がばれてしまう。示談としてハルプリートらは会社を1ルピーでAYSに売却し、今後3年間PC販売業に関わらないことも約束させられた。

 プリー社長は社名をロケット・セールスAYSに改め、ロケット・セールス社の旧顧客を取り込んで事業をさらに拡大しようとしたが、ロケット・セールス社の旧顧客はロケット・セールスAYS社の旧態然とした売り方を拒否し、契約を次々と解除した。プリー社長は誤りに気付き、ハルプリートを再び雇用しようとするが、ハルプリートはそれを受け容れなかった。するとプリー社長はロケット・セールス社をハルプリートに返し、合弁を解消した。ハルプリートは再び仲間たちを集め、ロケット・セールス社を再立ち上げする。やがてハルプリートはそのセールスマン・オブ・ザ・イヤーを受賞する。

 もしかしたら今年もっとも野心的な作品のひとつかもしれない。今までのインド映画のどのジャンルにも当てはまらないストーリーながら、そのメッセージはインドの芸能の中心テーマである「悪に対する正義の勝利」であった。ここまでインド映画らしさから脱却しながら、同時にインドらしさを残している映画を観るのは稀な体験であった。企業を舞台にしている点では、マドゥル・バンダールカル監督の「Corporate」(2006年)が想起されるが、これらの映画の味付けは全く違う。いわゆる「ブラック企業」に入社してしまった若者の物語だとすれば、最近日本で公開された「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」(2009年)に似た部分があるかもしれないが、映画に込められたメッセージはだいぶ違うのではないかと思う。

 信心深い親に育てられ、学校の成績は芳しくないが実直な若者が、成功のためには他人を蹴落とすことも厭わず、賄賂も常套手段となっており、同僚間の信頼関係すら存在しない「ブラック企業」に入社してしまい、苦労しながらも、自分の信念を曲げず、詐欺と欺瞞に満ちたPC販売ビジネス界の中で、正直さ一本で顧客の信頼を勝ち取って行こうとする物語が「Rocket Singh: Salesman of the Year」である。主人公のハルプリートは、大学を卒業して社会に出た途端、不正や不道徳がビジネスと処世術の名の下に堂々とまかり通るのを目にし、なかなか馴染めない。なぜ人々は「ラーマーヤナ」から何も学んでいないのか?ハルプリートは父親に悪態をつくが、社会は彼の一言で変わるような代物ではなかった。しかしハルプリートは諦めなかった。ロケット・セールス社という会社を立ち上げ、良心的価格と真摯なサービスを提供する努力をする。会社内に秘密裡に会社を立ち上げたのは多少道徳的に問題があったものの、ハルプリートはそれも後から精算しようとしていた。ハルプリートの熱意と実直さによって次第に仲間の輪は広がり、顧客の信頼も勝ち取って行った。一旦は社長によってハルプリートの会社は壊滅させられてしまうものの、最終的にはハルプリートの正直さが勝ち、社長も彼に会社を返さざるをえなくなる。悪に対する正義の勝利の瞬間であった。こういう展開はヒンディー語映画によくあるのだが、その裏には、マハートマー・ガーンディーのサティヤーグラハ(真理の主張)やアヒンサー(非暴力)の哲学の影響も感じる。僕はそれをインド映画の良心と呼んでいる。これを説教臭い映画として受け止めるか、それとも正義の勝利を素直に受け止めるかで、インド映画に対する評価は大きく分かれるのではないかと思う。

 もうひとつの重要なメッセージは、数字主義に対する批判であった。ハルプリートは、数字上は学校でも会社でも無能であった。だが、彼は人々の幸せや悲しみをよく理解していた。常に人々を幸せにしようと努力していた。それが彼の底なしの正直さにつながり、やがてはロケット・セールス社の成功に結び付いていた。ハルプリートはプリー社長に、成功の秘訣を「数字ではなく人を見ること」と語る。インドは日本以上の学歴社会であり、もっと言えば数字社会であるが、「Rocket Singh: Salesman of the Year」はその危険性を訴えていた。今インドに必要なのは、プリー社長のような実力主義の人間ではなく、ハルプリートのような人間主義の人間であると主張されていた。

 一般のインド娯楽映画に比べて派手さがなかったのは映画の欠点になりうる。登場するのはごくごく普通の人々ばかりで、淡々としたストーリーテーリングである上に、スターパワーもランビール・カプール1人頼みで、ダンスシーンもなかった。だが、要所要所をしっかりと押さえた、コンパクトで分かりやすい展開だったし、退屈ではなかった。結果として、インド映画離れした完成度を誇る映画になっていた。

 おそらくそれには監督の経歴も関係しているのだろう。シーミト・アミーン監督は、ウガンダ生まれ、米国育ちのインド人で、ロサンゼルスで独立系映画の編集に長年携わって来た人物である。「Bhoot」(2003年)でラーム・ゴーパール・ヴァルマー監督と仕事をしたことがきっかけでヒンディー語映画にも関わるようになり、「Ab Tak Chhappan」(2004年)や「Chak De! India」などを監督した。「Ab Tak Chhappan」は、プロデューサーのラーム・ゴーパール・ヴァルマーの個性が強かったし、「Chak De! India」はヤシュラージ・フィルムスの色が濃かったが、監督3作目となる「Rocket Singh」では、シーミト・アミーン監督の独自色が出ているのではないかと思う。それは米国の独立系映画界で培った経験に基づいたものなのかもしれない。きっと今後もヒンディー語映画界に新しい風を呼び込んでくれる監督になるだろう。

 主演のランビール・カプールが演じたハルプリートは、ターバンをかぶったスィク教徒である。スィク教徒が主人公の映画と言うと、大ヒットとなったコメディー映画「Singh Is Kinng」(2008年)が記憶に新しい。ヒンディー語映画界における典型的なスィク教徒像は実直さであり、それは「Singh Is Kinng」でも「Rocket Singh」でも変わらない。ランビール・カプールはパンジャービーの家系だけあってスィク教徒姿がよく似合っており、演技も非常に落ち着いていて良かった。地味な作品であったが、ランビールの良さがよく出た出演作の一本として数えられることになるだろう。

 ランビール以外は特に著名な俳優は出ていなかったのだが、一応ヒロイン扱いとなっていたのは新人のシャザーン・パダムスィーである。出演シーンは限られていたが、テニス選手サーニヤー・ミルザー似のかわいい女優であった。彼女は、著名な演劇人アリーク・パダムスィーとポップ歌手シャローン・プラバーカルの娘とのことである。他にはハルプリートの父親役を演じたプレーム・チョープラーがよく知られているぐらいだ。だが、脇役陣の演技もとても良かった。

 音楽はサリーム・スライマーン。ダンスシーンなしのストーリー中心映画だったため、音楽監督の見せ場は少なかった。

 意外に言語は難解だった。主人公がパンジャービーであるため、パンジャービー語訛りのヒンディー語をしゃべる他、他の登場人物たちも癖のある言葉遣いをするため、聴き取りは困難だった。また、インド企業内の専門用語が結構飛び交っていたのも理解を妨げていた。

 「Rocket Singh: Salesman of the Year」は、一般のインド娯楽映画のような派手さはないが、しっかりと作り込まれた映画である。むしろインド映画離れしており、新鮮さがある。それでいて、その中心テーマはとてもインドらしく、地味ながら野心作だと感じた。インド映画をあまり観ない人には、インド映画の典型からかけ離れているため、敢えて勧められないが、今まで何本もインド映画を観て来た人には、インド映画の意外な進化を目撃するために、勧めることができる。