昨年、日本の野球界において、男子選手と共にプレイする初の日本人女子プロ野球選手が誕生した。それとは全く関係ないと思われるが、インドのフェスティバルシーズンの開始を告げるナヴラートリの週である2009年9月18日に公開となった新作ヒンディー語映画「Dil Bole Hadippa!」は、クリケット好きな女の子が男子チームの中に潜り込んで大活躍するというストーリーである。制作は、インド映画界最大のコングロマリット、ヤシュラージ・フィルムス。ヤシュラージは2007年に女子ホッケーを題材にしたスポ根映画「Chak De! India」を送り出しており、その二匹目のドジョウを狙った作品とも受け取れる。題名も似ている。だが、今回は、スポーツを題材としながらも、メインテーマはもっと大きなものとなっている。
監督:アヌラーグ・スィン
制作:アーディティヤ・チョープラー
音楽:プリータム
歌詞:ジャイディープ・サーニー
振付:ヴァイバヴィー・マーチャント、チンニー・プラカーシュ、レーカー・プラカーシュ
衣装:マニーシュ・マロートラー、マムター・アーナンド、ソニア・トミー
出演:シャーヒド・カプール、ラーニー・ムカルジー、アヌパム・ケール、ダリープ・ターヒル、ラーキー・サーワント、シャルリン・チョープラー、ヴラジェーシュ・ヒールジー、ヴァッラブ・ヴャース、プーナム・ディッローン
備考:サティヤム・シネプレックス・ネループレイスで鑑賞。
インドのアムリトサルに住むヴィクラムジート・スィン、通称ヴィッキー(アヌパム・ケール)と、パーキスターンのラーハウル(ラホール)に住むリヤーカト・アリー・カーン、通称ラッキー(ダリープ・ターヒル)は、印パ分離独立前からの親友であった。二人は大のクリケット好きで、ここ10年ほど、パーキスターンの独立記念日である8月14日か、インドの独立記念日である8月15日に、印パ親善マッチ「アマンカップ」をアムリトサルかラホールで共催していた。ヴィッキーもラッキーもアマンカップのために自分のチームを持っていた。だが、ヴィッキーのインディア・タイガースは、いつもラッキーのパーキスターン・チャンプスにボロ負けしていた。
ヴィッキーには離婚した妻(プーナム・ディッローン)と1人の息子がおり、二人ともロンドンに住んでいた。離婚の理由は単純で、ヴィッキーが妻の要望に従って、インドを捨ててロンドンに移住することを頑なに拒否していたからである。息子のローハン(シャーヒド・カプール)は英国でプロのクリケット選手になっていた。
ある日、ヴィッキーが心臓発作になったとのニュースを受け取ったローハンは単身アムリトサルに戻る。ところがそれはローハンを10年振りにインドに呼び戻すための嘘だった。ヴィッキーはローハンに、半年後に開催予定のアマンカップに出場するように頼む。ローハンには父親の要望を拒否することができなかった。
早速ローハンはアマンカップの出場者を募集する。それに目を付けたのが、アムリトサルのジグリー・ヤール・ダンスカンパニーの一員、ヴィーラー・カウル(ラーニー・ムカルジー)であった。ヴィーラーは女の子ながら強打力を持っており、クリケット選手になることを夢見ていた。ヴィーラーは喜び勇んで選考の場を訪れるが、女の子であることを理由に追い返される。
傷心のヴィーラーは、酔っぱらって動けなくなったヒーローの代役として、男装して、劇団のヒロイン、シャンノー・アムリトサリー(ラーキー・サーワント)とステージに立ったことをきっかけに、男装して選考を受ければクリケット選手になれると思い付く。男装したヴィーラーはヴィール・プラタープ・スィンを名乗り、見事選考に合格する。
キャプテンのローハンは、選考した選手の特訓を開始する。あるときローハンは、男装を解いてシャワーを浴びているヴィーラーを見てしまうが、ヴィーラーはヴィールの妹だと名乗って何とかごまかす。ローハンの幼馴染みでミス・チャンディーガルのソニア(シャルリン・チョープラー)がローハンに積極的にアプローチしていたが、ローハンは次第にチャキチャキのパンジャービー娘ヴィーラーに惹かれるようになる。ローハンはヴィールを通してヴィーラーをデートに誘い、そこで愛の告白をする。ヴィーラーもローハンに恋していたが、敢えてその答えをアマンカップ勝利後まで持ち越す。
再びアマンカップの日がやって来た。今回はインドチームがパーキスターンへ遠征する番で、試合はラホールで行われた。ヴィッキーの妻も試合観戦にやって来た。まずはパーキスターン・チャンプスのバッティングであった。ローハンは絶好調で、パーキスターンの選手を次々に打ち取る。だが、その試合の途中でローハンはヴィールがヴィーラーであることに勘付いてしまう。ローハンは急にスランプに陥り、パーキスターンは一気に大量得点を重ねた。
インド・タイガースのバッティングの番が来た。ローハンは、男装してチームに潜り込み、自分の心を弄んだヴィーラーに憤っており、彼女をチームから外してしまう。だが、既にチームの得点源となっていたヴィーラーなしに、大量得点のパーキスターンを越える点を稼ぐことは困難であった。次々とインドの選手は打ち取られてしまう。とうとうヴィーラーを呼ばざるをえなくなった。遂に長年待ち望んで来たチャンスを与えられたヴィーラーは獅子奮迅の活躍をし、一気に点差を詰める。だが、乗って来たところで転倒して腕を怪我してしまう。もはやローハンが孤軍奮闘するしかなかった。うまくローハンがバッティングをするように試合を運んで行ったが、やむを得ない展開から、最後の重要なバッティングをヴィーラーが受け持つことになってしまった。ヴィーラーは神様に祈り、渾身のバッティングをする。その甲斐があり、僅差でインド・タイガースは勝利する。
表彰式でローハンはヴィール・プラタープ・スィンが実は女の子ヴィーラーであったことを観衆の前で明かす。女性がクリケットの試合をしていたことを知って、印パ両方の観客はブーイングを飛ばす。だが、ヴィーラーは、男性と共にクリケットをプレイするだけの能力がありながら、女性であることだけを理由に、インドのためにクリケットをプレイするという夢を見ることさえ許されない現状に疑問を呈すと同時に、インド系米国人女性宇宙飛行士スニーター・ウィリアムス、女性警察官僚キラン・ベーディー、女性首相インディラー・ガーンディーの例を出し、女性でも男性と肩を並べて夢を追うことができると主張する。その訴えに観衆も心を動かされ、ヴィーラーに惜しみない拍手を送る。
「Chak De! India」と同様に女子スポーツを題材にした映画であったが、いわゆるスポ根映画ではなかった。作品には主に3つのメッセージが込められていたと思う。ひとつは未だに特定の分野に残る男尊女卑の考え方への批判。たまたま映画はクリケットが題材になっていたが、メッセージの守備範囲はもっと広い。今まで男性のみの世界とされていた分野でも、女性がどんどん進出して活躍している。映画の最後、主人公ヴィーラーのスピーチの中で、宇宙飛行士スニーター・ウィリアムス、警察官僚キラン・ベーディー、政治家インディラー・ガーンディーの3人が例として出されていた。そして、それだけの才能がある女性にはチャンスが与えられるべきであるし、女性であることだけを理由にそういう女性たちからチャンスだけでなく夢すらも奪うような社会は正しくない、というメッセージが込められていた。さらに、女神の像は必死に崇拝するのに、生きている女性に対して尊敬を払わないインド人男性の矛盾も突いていた。ふたつめは、「Swades」(2004年)などとも共通するが、インド人はたとえ海外に住んでいても必ずインドに深い愛着を持っており、いつかはインドに還るものであるというメッセージである。パンジャーブ地方の穀倉地帯の土の香りが、欧米のモダンなライフスタイルに染まったインド人をルーツに呼び戻す、という流れは、多くのインド映画で見られる。挿入歌「Ishq Hi Hai Rab」でも、「遠くに行くほど近くに感じる」とインドが歌われている。みっつめは印パ友好のメッセージである。劇中に登場するアマン・カップはフィクションだが、実際にクリケットは印パ間の信頼醸成措置の一環として活用されており、スポーツが両国民の心をつなぐもっと近道の橋であることが強調されていた。
映画のプロットから感じ取られるメッセージは主に上の3つであるが、もうひとつ、劇中のちょっとした台詞の中で耳に留まったものがあった。それは、ローハンとヴィーラーのデートのシーンである。ローハンとのデートのために勝負ドレスを着てやって来たヴィーラーに、ローハンは優しく語りかける。「僕はインドとヴィーラー、この2つに恋してしまった。そしてこの2つは、他の何のためにも、変わる必要はない。あるがままが素晴らしい。」つまり、ヴィーラーは普段のヴィーラーが一番魅力的であるように、インドはインドであることがもっとも素晴らしいのであり、無理に欧米の後を追ってインドらしさを失うのはよくない、ということである。ヤシュラージ・フィルムスと言ったら、ヒンディー語映画界の中では率先して映画のグローバライゼーション(≒ウェスタナイゼーション)を推進して来たプロダクションのひとつだと思うのだが、「Rab Ne Bana Di Jodi」(2008年)の大ヒットに気をよくしたのか、これは方向転換宣言とも取れる台詞であった。
このように、「Dil Bole Hadippa!」は意外にメッセージ色が強い映画である。それでも、スポ根映画とまでは行かないまでも、何だかんだ言ってスポーツのスリリングさを再現することに多くの時間が費やされていたため、ロマンス映画として見たときには弱さもある。ローハンとヴィーラーの接近にはもうひとつふたつクッションが欲しかったし、「第三者」となるソニアにももう少し役割を与えた方が良かった。クライマックスに演説を持って来て、映画を通して言いたかったことを言うというのは、チャップリンの「独裁者」(1940年)を例に出すまでもなく、古今東西の映画でよく使われる手法で、「Dil Bole Hadippa!」でも踏襲されていたが、映画は第一に映像で語る芸術であることを考えると、これは最上の方法とは言えない。ヴィーラーが演説でしゃべったことを映像で語る努力がなされていれば、この映画はもっと研ぎ澄まされたことだろう。女の子が男装してクリケット選手になるというプロットの映画を考えた際、劇中でもっとも重要となるのは、彼女が女の子であることがばれる、または明かされるシーンであるが、「Dil Bole Hadippa!」ではそこでちょっと手抜いているように思えた。インターミッション直前でまずシャワーを浴びるヴィーラーの姿がローハンに見られてしまうという、ちょっとしたお色気をミックスした暴露未遂シーンがあり、それは悪くなかったと思う。だが、終盤、ローハンが、ヴィール・プラタープ・スィンが実はヴィーラーであることに勘付くシーンでは、ヴィーラーの目から外れたコンタクトレンズがそのきっかけを作るアイテムになっていたのだが、非常に分かりにくかったし説得力に欠けた。さらに、題名「Dil Bole Hadippa!」は内容とあまり直接関係ないような気がする。もっと頭をひねれば、もっと内容に見合った題名が思い付いたのではないかと思う。以上、思い付いた欠点をあげつらってみたが、それでも「Dil Bole Hadippa!」は全般的に楽しく見られる映画に仕上がっており、今年の必見映画の一本に数えても差し支えないだろう。
「Dil Bole Hadippa!」の主人公は完全にラーニー・ムカルジーである。「Black」(2005年)で絶頂を迎えたラーニー・ムカルジーのキャリアはその後下降線を辿っていたのだが、「Dil Bole Hadippa!」においては、スィク教徒男性に変装してクリケットをプレイするトリッキーな演技を見せ、今一度彼女の存在感と演技力が再確認された形となった。ただ男装するだけでなく、一般的なパンジャーブ人男性の仕草をかなりよくコピーしたり、かなり本格的にクリケットをプレイしていたりして、感心した。バーングラー・ダンスを踊るときも、男性ダンサーのますらお振りの踊り方をよく再現していた。もちろん、ノーマル時に輝くスマイルも変わらず魅力的であった。最近低迷していたラーニーであるが、この映画での演技に限っては絶賛を送りたい。
相手役のシャーヒド・カプールも、ラーニーに負けず劣らず堅実な演技をしており、今最も頼りがいのある中堅男優であることを証明していた。シャーヒドはロマンスもアクションも先日公開された「Kaminey」(2009年)のような変則的な役柄もオールマイティーにこなす、オールラウンダー型の男優に成長して来ており、頼もしい限りである。ダンスの腕もますます上がっており、もはやリティク・ローシャンの域に達したと言っても過言ではない。
アヌパム・ケールやダリープ・ターヒルなど、安定した名脇役俳優を除き、脇役陣の中で特筆すべきはラーキー・サーワントである。最近ラーキーは映画よりもTVの方で活躍しており、スクリーンでは久し振りに見た気がする。ほとんどアイテムガールとしての出演であったが、何を期待されているかを完全に熟知しており、セクシーなダンスで観客を魅了していた。さすがに踊りは絶品である。サブヒロイン扱いのシャルリン・チョープラーは、元々モナ・チョープラーを名乗っていたセクシー女優であるが、このまま芽が出ずに脇役女優のまま終わりそうな雰囲気である。
音楽はプリータム。パンジャーブ地方が舞台なだけあり、パンジャービー風味の威勢のいいナンバーが揃っている。タイトル曲「Hadippa」、アンチ・ディスコ&パンジャービー万歳ソング「Discowale Khisko」、エンドクレジットナンバー「Bhangra Bistar」など。ノリノリで踊りたかったら「Dil Bole Hadippa!」のサントラは買って損はない。また、劇中では、ヒンディー語映画界ではダンスがうまい部類に入るシャーヒド・カプールとラーキー・サーワントがフルに踊りを見せている上に、多数のバックダンサーを従えた豪華でカラフルなダンスシーンが楽しめる。
名目上はヒンディー語映画であるが、パンジャーブ地方を舞台とした物語なので、台詞はかなりの程度パンジャービー・ミックスである。ヴィーラーがそれに片言の英語を交ぜるために、さらに分かりにくくなっている。よって聴き取りは難しい部類に入る。ちなみに題名になっている「ハリッパー!」とは、パンジャービーソングによく入る掛け声で、「エイヤー!」「いいぞ!」「その調子!」「あ、それ!」みたいな意味だと理解すればいいだろう。
劇中では過去の人気作のパロディーやオマージュが随所で見られた。ジグリー・ヤール・ダンス・カンパニーのトラックには、「Dhoom: 2」(2006年)を初めとした映画のポスターの絵が描かれていたし、「Hum Aapke Hain Koun..!」(1994年)、「Dilwale Dulhania Le Jayenge」(1995年)など過去の大ヒット作のパロディーや、「Maine Pyaar Kyun Kiya」(2005年)の挿入歌「Just Chill」、「Bunty Aur Babli」(2005年)の挿入歌「Kajra Re」のダンスの流用など、枚挙に暇がない。
クライマックスはクリケットの試合となっているため、映画をフルに楽しもうと思ったら、クリケットのルールをある程度理解していた方がいいだろう。映画中では、世界のクリケット界の新トレンドとなっている20オーバー(120球)限定のT20形式で試合が行われている。最後のバッツマン(打者)としてフィールドに現れ、積極的バッティングで大量得点を稼ぎ出していたヴィーラーが怪我をしたことで、なるべくローハンにバッティングを回していくという戦略的な試合運びが必要となったが、その辺の駆け引きやスリルは、オーバーごとに投手の投げる方向が変わるクリケットのルールを知っていないとチンプンカンプンであろう。ここでは特にクリケットのルールを解説しないが、最後は主人公が勝つというスポーツ映画の王道を守りながらも、観客を興奮させるため、非常によく工夫されていた展開だったとだけ言っておこう。また、台詞中には、サチン・テーンドゥルカルやカピル・デーヴなど、インドの超有名クリケット選手の名前が出て来る。
「Dil Bole Hadippa!」は、一見「Chak De! India」と同じラインの、女子スポーツを題材にしたスポ根映画のように思えるが、実際のところは男性社会に果敢に挑む女性の挑戦が主体であり、どちらかというと女性向け映画となっている。クリケットにも多少明るくないと映画の世界に入り込めないかもしれない。それでも、笑いあり、涙あり、豪華なダンスあり、ハラハラドキドキの試合ありと、娯楽映画としてよくまとまっており、誰でも十分に楽しめる。今年の重要作品の一本となりそうだ。