2001年7月13日公開の「Aks(鏡像)」は、「Rang De Basanti」(2006年)や「Bhaag Milkha Bhaag」(2013年/邦題:ミルカ)で有名なラーケーシュ・オームプラカーシュ・メヘラー監督の監督デビュー作である。この映画の公開日の約2週間後にインドに住み始めたが、既にこの映画の上映はほとんど終わっていたと記憶している。ずっと観る機会がなかったが、2023年4月8日に鑑賞し、このレビューを書いている。
キャストは、監督デビュー作にしては非常に豪華である。メヘラー監督は映画監督デビューする前に広告映画監督としてキャリアがあり、その際に映画界にも人脈を築き、才能を認められていたのだと考えられる。主演はアミターブ・バッチャン。悪役にマノージ・バージペーイーを起用し、ヒロインはラヴィーナー・タンダンとナンディター・ダース。他に、アビマンニュ・スィン、モーハン・アーガーシェー、アモール・パーレーカル、KKラーイナー、タンヴィー・アーズミー、ヴィニート・クマール、ヴィーレーンドラ・サクセーナー、ヴィジャイ・ラーズ、ブラジェーシュ・ヒールジー、ガジラージ・ラーオなどが出演している。
マヌ・ヴァルマー(アミターブ・バッチャン)は要人護衛のスペシャリストだった。しかし、ハンガリーの首都ブダペストで護衛していた国防大臣(アモール・パーレーカル)を暗殺されてしまう。国防大臣は、首相(モーハン・アーガーシェー)暗殺計画の情報が入ったディスクを持っていたが、それも暗殺者に奪われてしまった。 インドに戻ったマヌは、暗殺者がムンバイーでも暗殺を実行したことを知り、彼を特定する。その男の名前はラーガヴァン(マノージ・バージペーイー)であった。マヌはラーガヴァンを追いつめ、逮捕する。ラーガヴァンは死刑宣告を受けるが、護送中に暴れ出し、マヌは彼を射殺する。 しかし、それ以来マヌの身に異変が起こるようになった。マヌの精神はラーガヴァンに蝕まれていき、ときどきラーガヴァンに入れ替わってしまった。マヌに乗り移ったラーガヴァンは、自分に死刑宣告をした裁判官チャウダリーなど、恨みのある人物を次々に殺した。そして、ダンスバー「トパーズ」の踊り子で恋人のニーター(ラヴィーナー・タンダン)に会いに行く。ニーターは、ラーガヴァンがマヌの身体を借りて蘇ったことを喜ぶ。また、ラーガヴァンの弟マハーデーヴァン(KKラーイナー)もマヌをラーガヴァンとして受け入れる。 それでもマヌは時々マヌ自身に戻っていた。朝、目を覚ますと、前夜に妻のスプリヤー(ナンディター・ダース)に暴行を振るっていたこともあった。高僧スワーミージーは、昼でも夜でもないときに自分の力で乗り移ったラーガヴァンを追い出すしかないと助言する。 一方、マヌの部下アルジュン・シュリーヴァースタヴァ(アビマンニュ・スィン)は、裁判官チャウダリーなどを殺した犯人がマヌであることに気付く。アルジュンはスプリヤーを尾行し、トパーズに辿り着く。ニーターは妊娠しており、マヌはニーターと共に逃亡しようとしていた。そこへ現れたスプリヤーは必死でマヌを止める。さらに後からアルジュンが現れ、銃声が響く。流れ弾がニーターに当たって死に、アルジュンは負傷した。マヌはスプリヤーと娘のギーターを隠れ家に連行し、まずはギーターを殺そうとする。そのとき日蝕が起き、ラーガヴァンの力が弱くなる。マヌは力を振り絞ってラーガヴァンを追い出すが、今度はラーガヴァンはその場にいた弟マハーデーヴァンに乗り移る。マヌはマハーデーヴァンを撃ち殺す。その後、マヌはラーガヴァンを雇って首相を殺そうとした人物を特定する。 一件落着した後、マヌは妻子を連れてデリーへ行く。それを見送るアルジュンだったが、彼にはラーガヴァンが乗り移っていた。
悪役のラーガヴァンは、ジョン・ウー監督の米映画「フェイス/オフ」(1997年)のように、自在に他人の顔になりすます特技を持った殺人者である。ジョナサン・デミ監督の米映画「羊たちの沈黙」(1991年)に登場するハンニバル・レクター博士のようなサイコキラーでもある。渇いた笑い声が最大の特徴だ。そのラーガヴァンは映画の中盤であっけなく殺されてしまうが、真の物語はそこから始まる。
ラーガヴァンは、子供の頃からヒンドゥー教の聖典「バガヴァドギーター」を聞いて育っており、特にその中に出て来る以下の一節が口癖になっていた。
न जायते म्रियते वा कदाचि
バガヴァドギーター第2章20節
नायं भूत्वा भविता वा न भूयः
अजो नित्यः शाश्वतोऽयं पुराणो
न हन्यते हन्यमाने शरीरे
魂は生まれず死にもしない
存在せず消滅もしない
魂は永遠かつ不滅であり
肉体が滅びても滅びない
ただし、彼はこの一節を、「誰も死なず、誰も殺さない」、つまり、「誰を殺してもいいし、誰かを殺しても誰も罪には問われない」と曲解しており、殺人を繰り返す暗殺者に育っていた。遂に彼は首相の排除を狙う政治家によって首相暗殺の依頼を受ける。それを止めようとするのが、主人公のマヌである。マヌは警察官で、要人警護のスペシャリストだった。マヌは捜査の末にラーガヴァンを逮捕し、法の裁きを受けさせて、死刑に追い込む。だが、死刑前に彼が反抗したため、射殺せざるをえなかった。そのマヌにラーガヴァンが乗り移ったのである。
死んだ人間の魂が生きている人間に乗り移るというのは現実的には有り得ない。精神的な疾患の一種として最後には説明されるのかとも予想していたが、映画の中ではラーガヴァンという悪の魂が、生きている人間に次から次へと乗り移っていることになっていた。つまり、この非現実的な超常現象を存在するものとしてストーリーが構築されていた。
アミターブ・バッチャンとマノージ・バージペーイーの演技は素晴らしいし、ラーケーシュ・オームプラカーシュ・メヘラー監督の類い稀な才能が既にデビュー作から開花していることを確認できるのだが、映画の核心であるラーガヴァンの魂の乗り移りがどうしても幼稚なプロットに見えてしまって、この映画の評価を押し下げているように感じられる。評論家からの評価は高かったものの、興行的には失敗になった。
基本的にはシリアスな雰囲気の映画であるが、ダンスシーンは多めに入っている。それらがストーリーを邪魔しないように挿入されているのはメヘラー作品らしい。音楽監督はアヌ・マリクであり、コンテンポラリーダンス風味のダンスが多く、当時としては観客の目には斬新な歌と踊りの映画に映ったことだろう。
「Aks」は、2000年代から10年代にかけて重要な監督の一人になるラーケーシュ・オームプラカーシュ・メヘラー監督の監督デビュー作である。脚本に奇想天外な部分があって完全にストーリーに入り込めないのだが、メヘラー監督らしい完成度の映画に仕上がっている。アミターブ・バッチャンとマノージ・バージペーイーの競演も見事である。観て損はない映画だ。