
2000年10月27日公開の「Mission Kashmir」は、印パが領有権争いをし、「南アジアの火薬庫」と呼ばれているカシュミール地方を舞台にしたアクション映画である。カシュミール問題をはじめとした宗教対立を重層的に捉え、宗教や愛憎を越えた人間性の確立を訴えている。日本では「アルターフ 復讐の名のもとに」という邦題でVHSとDVDが発売された。
監督は「1942: A Love Story」(1994年)などのヴィドゥ・ヴィノード・チョープラー。後に「3 Idiots」(2009年/邦題:きっと、うまくいく)などの傑作を撮ることになるラージクマール・ヒラーニー監督が編集を担当している。音楽監督は当時まだ駆け出しだったシャンカル=エヘサーン=ロイのトリオ。「Rind Posh Maal」では本人たちが出演している。
主演は「Kaho Naa… Pyaar Hai」(2000年)で衝撃のデビューを果たしたばかりのリティク・ローシャン、「Dil Se..」(1998年/邦題:ディル・セ 心から)などを当てて人気急上昇中だったプリーティ・ズィンター、そして既に中堅の俳優になっていたサンジャイ・ダット。
他に、ソーナーリー・クルカルニー、ジャッキー・シュロフ、プル・ラージ・クマール、アバイ・チョープラー、ヴィニート・シャルマー、ラージェーンドラ・グプターなどが出演している。
ジャンムー&カシュミール州警察に勤め、シュリーナガルに住むイナーヤト・カーン警視正(サンジャイ・ダット)と妻ニーリマー(ソーナーリー・クルカルニー)との間にはイルファーンという一人息子がいた。イルファーンは上階から落ちて大怪我を負い、イナーヤト警視正は彼を病院に連れて行く。だが、カシュミール地方で暗躍するテロリスト、マリクル・カーン(プル・ラージ・クマール)はカシュミール人の医師に対し、警察の治療をするなというファトワーを出していた。医師はファトワーを恐れてイルファーンの治療をせず、彼は手遅れになって息を引き取ってしまう。復讐に燃えるイナーヤト警視正はマリクルのアジトを急襲し、その場にいた者を皆殺しにする。そのとき、たまたま一緒にいた11歳の少年アルターフの両親も殺されてしまう。急襲時、イナーヤトは覆面をしており、アルターフには目しか見られていなかった。息子を亡くしたニーリマーはアルターフを養子にすることを懇願する。根負けしたイナーヤト警視正は彼を家に迎え入れる。当初は両親を目の前で殺されたショックから心を開かなかったアルターフだったが、徐々に打ち解ける。だが、ある日アルターフは自分の両親を殺したのがイナーヤト警視正であることを知ってしまう。アルターフはイナーヤト警視正を殺そうとし、それに失敗すると逃げ出す。
それから10年が経った。イナーヤトはこの間、警視監に昇進していた。この頃、アフガーニスターンからやって来たテロリスト、ヒラール・コーヒスターニー(ジャッキー・シュロフ)がインドの敵国から「ミッション・カシュミール」を任され、カシュミールで暗躍しており、アルターフ(リティク・ローシャン)はヒラールの下でテロリストになっていた。アルターフはイナーヤト警視監暗殺を人生の目標にしており、彼を襲撃するが失敗する。イナーヤト警視監もアルターフが戻ってきたと直感する。
アルターフは、幼なじみのスーフィヤー・パルヴェーズ(プリーティ・ズィンター)と再会する。スーフィヤーはシュリーナガルのTV局でニュースキャスターとして働いていた。アルターフは正体を隠して彼女に近づき、イナーヤト警視監を出し抜いてテロを実行する。スーフィヤーはアルターフがテロリストになっていたことを知ってショックを受けるが、彼への恋心は押さえ切れていなかった。
アルターフは、イナーヤト警視監を殺そうとしていたものの、ニーリマーのことは実の母のように慕っていた。アルターフはイナーヤト警視監の誕生日に彼を爆殺しようとするが、誤ってニーリマーを殺してしまう。ニーリマーを失ったイナーヤト警視監は前にも増して狂ったようにアルターフを探し始めるが、アルターフも母親を殺してしまったことを悔いていた。
首相のカシュミール訪問が予定されていた。イナーヤト警視監は「ミッション・カシュミール」の存在を知り、首相の命が狙われると考えた。だが、ヒラールの狙いは別にあった。彼はシュリーナガルでもっとも重要なモスク、ハズラトバル・モスクを破壊し、次にシャンカラーチャーリヤ寺院を破壊して、ヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の間に殺し合いを起こそうとしていたのである。イナーヤト警視監はいったんヒラールを逮捕したが、彼を使ってアルターフの居場所まで到達し、彼を説き伏せる。目を覚ましたアルターフはイナーヤト警視監ではなくヒラールを撃ち、その後はイナーヤト警視監と共に「ミッション・カシュミール」阻止に動く。彼は撃たれてしまうが、一命を取り留める。
アルターフが目を覚ますと病院におり、目の前にはスーフィヤーとイナーヤト警視監がいた。過去10年間、トラウマにうなされ安眠できずにいたアルターフは、ようやく美しい夢を見られるようになった。
カシュミール地方が印パ間の紛争の種になったのは1947年の印パ分離独立直後からであるが、当地が内乱状態に陥ったのは1989年以降であった。「Mission Kashmir」には主に「過去」と「現在」の2つの時間軸が見出せる。それぞれ年は明示されていないが、おそらくアルターフが両親を殺され、イナーヤトの養子になったのは1989年頃、アルターフがイナーヤト暗殺に動き出したのが1999年頃なのであろう。
この間、カシュミール地方の外でもさまざまな出来事が起こったが、映画の文脈上、もっとも重要なのは1992年のバーブリー・マスジド破壊事件である(参照)。この事件によってヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の間で宗教対立が深刻化した。映画の題名となり、悪役ヒラールがカシュミール地方で遂行していた「ミッション・カシュミール」とは、バーブリー・マスジド破壊事件後にインド全土で燃えあがったコミュナル暴動を再発させる意図があった。また、ヒラールの裏にはインドの敵国の存在があった。映画の中で名指しは避けられていたが、明らかにパーキスターンと、同国を裏から支配する諜報機関ISIであった。
「Mission Kashmir」は、ヒンドゥー教徒とイスラーム教徒が「目には目を」の報復合戦を繰り広げる1990年代の世相を反映したストーリーになっている。復讐のエモーションは世相のみならず個人的なレベルにまで落とし込まれている。イナーヤトは息子の死の責任をテロリストのマリクルに求め、彼を惨殺した。だが、このときの急襲でアルターフの両親も殺されてしまう。イナーヤトはアルターフを養子にするが、やがてアルターフに自分の両親を殺した張本人はイナーヤトだったことが知れてしまう。今度はアルターフがイナーヤトを親の仇として付け狙う番になる。子供の頃に彼はイナーヤト暗殺に失敗し家出するが、10年後、彼はテロリストとなってイナーヤトの命を狙う。だが、誤って彼はイナーヤトではなく彼の妻ニーリマーを殺してしまう。アルターフにニーリマーを殺されたイナーヤトは、またも復讐の権化と化す。こうして報復合戦は延々と続いていくかに思われた。
メインストーリーには関わってこないが、宗教対立の末にカシュミール地方を追い出されたカシュミーリー・パンディトの問題や、インディラー・ガーンディー首相暗殺直後にデリーを中心に起こった1984年の反スィク教徒暴動などにもセリフの中で触れられており、インドに住むさまざまな人々が宗教によって翻弄されている現状が浮き彫りにされていた。
その一方で、ヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の融和も描かれていた。まず、イナーヤトはイスラーム教徒、ニーリマーはヒンドゥー教徒であり、彼らは異宗教間結婚をしていた。彼らの関係は、愛は宗教を超越することの証明であった。アルターフはイスラーム教徒であったが、ヒンドゥー教徒のニーリマーと暮らす中で、ヒンドゥー教寺院に参拝することも覚えていた。インドの外敵はその宗教融和を破壊することで国家を根底から揺るがそうとしてくる。それに対し、インド国民は宗教の別を越えて団結しなければならないというメッセージも発信されていた。
また、カシュミール人にもさまざまな立場の者がいることも示されていたといっていい。アルターフのように、抑圧や暴力、そして不幸に押しつぶされテロリストの道を歩んでしまう者もいれば、イナーヤトのように警察官僚としてカシュミールの治安を守ろうとする者もいた。スーフィヤーも決してテロリストには加担していなかった。アルターフがテロリストであることが分かると、彼への恋心を押し殺して背を向ける。一方、息子の死によって復讐に燃えるイナーヤトはマリクルを不法に殺害するが、彼のこの行動は、警察や治安部隊がカシュミール地方で地元民に対して行ってきた暴力を描き出そうとしていると思われる。
映画撮影時、リティク・ローシャンはまだ無名の新人俳優であった。彼の演技には初々しさと緊張が入り交じっている。さすがに踊りは既に飛び抜けており、恵まれた肉体も部分的に披露されている。ちなみに、リティクは「Mission Kashmir」より先に公開された「Fiza」(2000年)でもテロリスト役を演じている。
プリーティ・ズィンターは、それほど重要な役割を果たすわけではないが、トップ女優への階段を駆け上がっていた頃であり、存在そのものに魅力があふれている。カシュミール地方の伝統衣装もよく似合っていた。
リティクとプリーティという若手俳優を支えていたのがサンジャイ・ダットだ。リティクの演じたアルターフはエモーション的にはシンプルな演技で済んだが、サンジャイの演じたイナーヤトは繊細な演技が要求される。特にアルターフは、死んだ息子の代わりであると同時に最愛の妻の仇でもあった。愛と憎しみの狭間でイナーヤトは愛を選び、アルターフを殺すのではなく、彼を自分側に引き戻そうと努力する。そんな難しい役柄をサンジャイは精いっぱい演じ切っていた。
全体的にはシリアスな雰囲気の映画であり、いくつかの挿入歌はその雰囲気を損ねているように感じられた。だが、もっともリズミカルで、もっとも耳に残るのは、間違いなく「Bumbro」であり、映画の中でも何度かリフレインされていた。ミツバチが喜びを運んで来てくれることを歌った歌で、「楽園」と呼ばれたカシュミール地方の春の美しさを歌詞で表現している。
映画の中でテロリストの標的になったハズラトバル・モスクは、実際にシュリーナガルにあるモスクである。ここには預言者ムハンマドの髭が納められており、カシュミール人イスラーム教徒たちの信仰の中心地になっている。かつてハズラトバル・モスクの聖なる髭が紛失したことがあり、カシュミール渓谷は危機一髪の状態になった。もしこのモスクがミサイル攻撃を受けて破壊されでもしたらどうなるか、想像に難くない。
また、ヒンドゥー教徒の心の拠り所として登場したシャンカラーチャーリヤ寺院も実在する寺院だ。シュリーナガルの象徴ダル湖を見下ろす小高い丘の上に位置している。
「Mission Kashmir」は、騒乱に揺れる20世紀末のカシュミール地方を舞台に、社会と個の両レベルで復讐の連鎖を止め、平和と融和を求めようとする高尚なメッセージが込められたアクション映画である。興行的には、同時公開された「Mohabbatein」(2000年)に負けたとはいえ、ヒットといえる成功を収めている。まだ駆け出しの頃のリティク・ローシャンや、飛ぶ鳥を落とす勢いだったプリーティ・ズィンターを見ることもできる。必見の映画である。