2001年9月11日、米国で同時多発テロが起き、イスラーム教過激派テロリストたちが飛行機を乗っ取って、ニューヨークのワールドトレードセンターなどを自爆攻撃した。この事件以降、世界は対テロ戦争の時代に突入し、イスラーム教徒全体がテロリストという色眼鏡で見られるようになった。9/11事件のちょうど1年前にあたる2000年9月8日に公開された「Fiza(涼風)」は、そんな時代を先取るかのような内容の映画だ。1993年のボンベイ同時爆破テロ事件を機に行方不明になった弟を姉が探すのだが、彼はイスラーム教過激派グループに入りムジャーヒディーンになっていたのである。2022年6月25日に改めて鑑賞した。
監督は新人のカーリド・ムハンマド。主演はカリシュマー・カプールとリティク・ローシャン。カリシュマーはこのとき既に確立したスター女優であったが、リティクは「Kaho Naa… Pyaar Hai」(2000年)でデビューしたばかりで、「Fiza」が2作目になる。
その他のキャストは、ジャヤー・バッチャン、ネーハー、アーシャー・サチデーヴ、ビクラム・サルージャー、イーシャー・コッピカル、ジョニー・リーヴァル、マノージ・バージペーイー、スシュミター・セーンなどである。
1993年のボンベイ同時多発テロのとき、イスラーム教徒のアマーン・イクラームッラー(リティク・ローシャン)はヒンドゥー教徒の暴徒に襲われ、以後行方不明になる。アマーンの母親ニシャート(ジャヤー・バッチャン)と姉のフィザー(カリシュマー・カプール)はアマーンが死んだとは信じられず、彼の帰りをひたすら待ち続けた。 1999年、フィザーはムンバイーの街角でアマーンの姿を見掛け、彼が生きていると確信する。彼がテロリストになっているかもしれないと聞き、ラージャスターン州でアマーンを探し回る。そこであるときフィザーは店を襲撃していたアマーンを発見する。6年前、暴徒から逃げるアマーンを助けたのはイスラーム教過激派グループの幹部ムラード・カーン(マノージ・バージペーイー)であった。アマーンはムラードの弟子となり、テロ活動に従事していた。だが、フィザーの懇願に根負けし、テロ組織を辞めてムンバイーに帰ることにする。ムラードはアマーンに命を救われたことがあり、彼の脱退を許した。 ニシャートはアマーンの帰還に大喜びするが、彼がこの6年間何をしていたのかについては知らなかった。日常生活に戻ったアマーンだったが、仕事に就くこともせず、手持ち無沙汰に過ごしていた。次第に彼の心の中には、再びテロリストの生活に戻ろうとする願望が沸き起こってきた。地元のチンピラと対立し警察に逮捕されそうになったことをきっかけにアマーンは暴発し、チンピラたちを撃ち殺して逃走する。責任を感じたニシャートは海に身を投げて自殺する。アマーンは母親の葬儀に現れるが、警察が待ち構えており、彼を捕まえようとする。だが、何とか彼は逃げ出した。 そのとき、マハーラーシュトラ州では州議会選挙が近付いており、選挙を有利に進めるためにヒンドゥー教徒の政治家とイスラーム教徒の政治家が手を結ぼうとしていた。ムラードはそれを止めるため、二人の政治家を暗殺することにし、その役目をアマーンに任す。アマーンは二人を狙撃銃で狙撃して殺すが、ムラードは用済みになったアマーンを殺そうとする。アマーンは逃げるが、それをフィザーが追った。そしてアマーンはフィザーの手で殺されることを選んだ。
主な時間軸は1999年であり、6年前のボンベイ同時爆破テロの傷が癒えていない時代の物語であった。1993年のテロが引き起こしたコミュナル暴動は、ヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の双方に犠牲者を出し、両コミュニティーに禍根を残していた。「Fiza」の主人公はイスラーム教徒であり、イスラーム教徒側からの視点が中心ではあったが、ヒンドゥー教徒側からの視点への配慮も忘れておらず、平和を希求する心に宗教の別はないことが強調されていた。
1993年の暴動に巻き込まれて人を殺してしまったアマーンはそのまま行方をくらます。彼は6年間、イスラーム教過激派グループのまとめ役であるムラード・カーンの下でテロリストとして暗躍していた。しかしながら、世界が対テロ戦争に突入した21世紀の世相を反映した映画群と異なり、「Fiza」が描出するテロリスト像はとても牧歌的なものだ。自爆テロや無差別爆破テロなどは発想すらないようで、アマーンが実行するのも、コミュナル暴動を選挙の糧にしようとする政治家たちの暗殺であり、見方によっては義賊に見える。
また、一度テロリスト組織に加入した人物が、ひょっこり帰ってきて日常生活を送るという筋書きも、隔世の感がある。6年間も行方不明になっていたイスラーム教徒が突然現れたにもかかわらず、警察も無警戒で、アマーンに疑いの目を向けなかった。また、フィザーの恋人アニルッドはヒンドゥー教徒であり、異宗教間結婚が仄めかされてもいた。ただし、映画の中でこの二人が結ばれる姿は見られない。
インド映画においては母親の母性愛が極端に強く、母と子の絆が高らかに歌い上げられた映画は多い。しかし、姉と弟の関係を描いた映画というのは実は少なく、行方不明になった弟を姉が必死に探すというプロットの「Fiza」が描く人間関係はユニークである。しかも、フィザーを演じたカリシュマー・カプールが、場違いなほど熱のこもった演技を見せており、ジャヤー・バッチャン演じるニシャートの存在感が薄れるほどである。
テロリストになり、にっちもさっちも行かなくなった弟を姉が撃ち殺すというラストは、不朽の名作「Mother India」(1957年)の最後を思わせるものだ。「Mother India」では、母親が強盗になった最愛の息子を撃ち殺すが、その母親が姉に置き換わっただけであり、やはり「Fiza」は、姉が母親を超越した存在感を発揮する特異な映画だと評することができる。
まだこの時代にはダンスシーンが多く、蛇足なダンスシーンも見られた。特にカリシュマー・カプールがモダンなダンスを踊り出す「Aankh Milaoongi」は場違いもいいところで、カットした方が間違いなく作品の質が上がる。ヒンディー語映画界が誇る最高のダンサーとしてスターダムを駆け上がるリティク・ローシャンも、まだ「Fiza」のときは初々しい演技で、ダンスシーンも多くはない。
音楽監督はアヌ・マリクだが、「Fiza」のサウンドトラックの中でもっとも秀逸なのは、ARレヘマーンがゲストコンポーザーとして作曲したカッワーリー曲「Piya Haji Ali」だ。古典音楽家グラーム・ムスタファー・カーンがヴォーカルを務めており、本格的なカッワーリーになっている。
撮影は基本的にムンバイーで行われている。特に「Piya Haji Ali」のシーンでは、実際に海の中に浮かぶハージー・アリー廟でロケが行われている。フィザーがアマーンを探し回るシーンでは主にラージャスターン州を巡っており、ウダイプルで撮影が行われていたのが分かった。実は2000年春にインドを旅行したときにウダイプルのシティパレスでカリシュマー・カプールに会ったことがあるのだが、おそらく「Fiza」の撮影をしていたのだと思われる。もし本当にそうだとしたら「Fiza」は個人的に思い出深い映画に急浮上する。
「Fiza」は、まだ対テロ戦争が始まっていない時代のインドを舞台に、宗教融和のメッセージを織り交ぜながらも、「Mother India」のフォーマットを姉と弟に置き換えて作られた映画だ。カリシュマー・カプールの円熟期と同時に、リティク・ローシャンの黎明期を見ることができるのも面白い。完璧な作品ではないが、観る価値はある映画である。