スーラジ・バルジャーティヤー監督は、「Maine Pyar Kiya」(1989年)、「Hum Aapke Hain Koun..!」(1994年)と大ヒット作を飛ばしてきており、時代の寵児となっていた。彼は、1990年代のヒンディー語映画のトレンドを決めた張本人の一人でもある。家族の価値を高らかに歌い上げる作風はインド人ファミリー層に喝采を持って受け入れられ、1980年代に暗黒時代を迎えていたヒンディー語映画界に再び黄金時代をもたらした。バルジャーティヤー監督が1999年11月5日に送り出した監督第3作が「Hum Saath-Saath Hain(私たちは一緒)」である。
バルジャーティヤー監督はデビュー作から一貫してサルマーン・カーンを主演に据えてきた。彼の監督としてのキャリアはこの「Hum Saath-Saath Hain」までサルマーンと二人三脚状態であり、サルマーンもバルジャーティヤー監督に多大な恩義を感じている。彼らはこの映画の後、しばらく一緒に映画を作ることはなく、「Prem Ratan Dhan Payo」(2015年/邦題:プレーム兄貴、王になる)で再びタッグを組んだ。
「Hum Saath-Saath Hain」はマルチスターキャストの映画であり、複数のメインキャストがいるもの、主演扱いはやはりサルマーン・カーンである。ただ、それぞれのキャラに出番を用意していることから相対的にサルマーンの見せ場は少なく、どちらかといえばチームワークの映画になっている。
サルマーンの他に出演しているのは、モホニーシュ・ベヘル、サイフ・アリー・カーン、タブー、ソーナーリー・ベーンドレー、カリシュマー・カプール、アーローク・ナート、リーマー・ラーグー、マヘーシュ・タークル、ニーラム、シャクティ・カプール、サティーシュ・シャー、ヒマーニー・シヴプリーなどである。多くの脇役俳優は「Hum Aapke Hain Koun..!」と共通している。
かつて鑑賞したこともあったのだが、2023年8月27日に改めて見返し、このレビューを書いている。
ラージャスターン州ラームプル出身の実業家ラームキシャン・チャトゥルヴェーディー(アーローク・ナート)には4人の子供がいた。長男ヴィヴェーク(モホニーシュ・ベヘル)、次男プレーム(サルマーン・カーン)、三男ヴィノード(サイフ・アリー・カーン)、長女サンギーター(ニーラム)である。この内、ヴィヴェークは前妻との子供で、過去の事故により右手が不自由だった。残りの3人は後妻マムター(リーマー・ラーグー)との間にできた子供だった。4人の子供たちはとても仲が良かった。ヴィヴェークは父親の会社に勤め、プレームは海外に留学していた。ヴィノードはまだ悠々自適の生活を送っていた。サンギーターは実業家アーナンド・パーンデーイ(マヘーシュ・タークル)と結婚し、娘を一人産んでいた。アーナンドは兄のアヌラーグと共にビジネスをしていた。 ラームキシャンとマムターの結婚25周年を祝うパーティーが開かれ、多くの親類や友人たちが彼らの家を訪れる。その内、ビジネス相手アーダルシュ・シャルマーの娘サードナー(タブー)とヴィヴェークがお互いを気に入る。早速ヴィヴェークとサードナーの縁談がまとめられ、結婚式が挙行される。サードナーはラームキシャンの家に迎えられる。 プレームは幼馴染みで医者のプリーティ(ソーナーリー・ベーンドレー)と恋仲にあり、二人の仲は家族の公認であった。プリーティの父親プリータム(サティーシュ・シャー)とラームキシャンは相談し、二人を婚約させる。また、ヴィノードは、ラームプルに住むダラムラージ・バージペーイーの娘サプナー(カリシュマー・カプール)と密かに恋仲にあった。ヴィヴェークとサードナーはラームプルをハネムーン先に選び、皆で訪れるが、そのときに二人の仲も家族の知るところとなる。この二人の婚約も行われる。 アヌラーグはアーナンドと共にビジネスをしていたが、利益を独占するため、アーナンドを追放する。アーナンド、サンギーター、そして一人娘はラームキシャンの家に身を寄せ、新天地バンガロールに移住する。また、3人の息子が結婚相手を決めたことで肩の荷が下りた気持ちになっていたラームキシャンは、社長職をヴィヴェークに譲って引退することを考えていた。ところがアーナンドの一件を見てダラムラージはヴィヴェークがプレームとヴィノードをいずれ追放するのではないかと疑い出す。ダラムラージはマムターに、ラームキシャンの事業を兄弟3人で均等に分割するように吹き込む。マムターも不安になり、ラームキシャンに事業分割を要求する。 それを知ったヴィヴェークは自らサードナーと共にラームプルへ移り、そこで建設中だった工場の管理者になる。ヴィヴェークはプレームを社長にするようにラームキシャンに言う。ヴィノードもヴィヴェークと共にラームプルへ行き、仕事をし始める。このときサードナーの妊娠も分かる。米国留学から戻ってきたプレームは、ヴィヴェークの代理として会社を経営することを受け入れる。 アヌラーグの2人の息子が病気になってしまった。アヌラーグは、アーナンドを追放したことを悔やみ、彼らと仲直りする。サードナーの出産に際してラームプルにアヌラーグもやって来て、自分が間違っていたと伝える。サンギーターは再び元の家に住めることになった。それを見てマムターも自分の息子たちを分割する間違いに気付く。マムターはヴィヴェークを家に呼び戻す。こうしてプレームとプリーティ、ヴィノードとサプナーの結婚式も行われ、家族は元通り一緒に住むことになった。
3時間ある映画だが、その内の2時間はとにかく幸せな家族の姿が歌と踊りを交えて延々と描写される。これは「Hum Aapke Hain Koun..!」と全く同じパターンである。ほとんど悪役らしき悪役がおらず、家族、親戚、友人たちは皆いい人たちばかりで、全ては彼らの望むように進んでいく。結婚25周年、新妻の歓迎、ジャナマーシュトミー祭など、事あるごとに家族が一体となってお祝いをし、これ以上にない幸せな家族の在り方が提示される。
そんな幸せのオンパレードを眺めているだけでも正直十分楽しいのだが、このまま映画が終わってしまっては、山なし落ちなし意味なしの物語になってしまう。もちろん不幸は用意されている。「Hum Aapke Hain Koun..!」では、兄嫁の突然死が暗雲を呼び込んだが、「Hum Saath-Saath Hain」では誰も死なない。代わりに用意されていた不幸は、事業分割と家族の分断であった。
ラームキシャンには3人の息子がおり、お互いにとても仲が良かったが、ひとつだけ懸念材料があった。それは、長男のヴィヴェークが前妻の子だったということである。それが家族関係を損なうことはほとんどなかったが、時々周囲の人々などからその話題が出て、固い結束に細かい亀裂を作っていく。ラームキシャンは社長職を長男のヴィヴェークに譲ろうとするが、三男ヴィノードの婚約者サプナーの父親ダラムラージは、ヴィノードが事業や財産を独占してヴィノードがいずれ追い出されるのではないかと危惧し、事業の分割をマムターに吹き込む。お人好しだったマムターは、とうとうその邪悪な考えに影響され、ラームキシャンに会社を三分割して3人の息子に均等に分け与えることを要求する。
インド神話に精通した人ならば、どこかで聞いたような話だと感じるだろう。ラームキシャンの家の祭壇にはラーマ、ラクシュマナ、スィーター、ハヌマーンが祀られていたが、そのヒントがなくても、「Hum Saath-Saath Hain」が「ラーマーヤナ」を緩やかに下敷きにしていることが分かる。ダシャラタ王には4人の息子、ラーマ、バラタ、ラクシュマナ、シャトゥルグナがいた。それぞれ母親が異なり、ラーマはカウサリヤー、バラタはカイケーイー、ラクシュマナとシャトゥルグナはスミトラーから産まれた。ダシャラタ王は長男のラーマに王座を譲ろうとしたが、カイケーイーはバラタを王にしようと画策し、ダシャラタ王にラーマの追放を要求する。ラーマはそれを受け入れ、スィーターとラクシュマナを連れて森へ行く。バラタはラーマが帰ってくるまで、ラーマの代理として王国を運営することを決める。「Hum Saath-Saath Hain」は「ラーマーヤナ」と併せて鑑賞することでより深みが出る。
あれほど仲の良かった家族に亀裂が入ることは、観客にとっても辛い出来事だ。この辛さを最大化するため、前半2時間もの時間を掛けて幸せな家族の姿を徹底的に見せつけていたのである。バルジャーティヤー監督の手腕が光る。
当然、ハッピーエンドを基本とするインド映画らしく、最後には兄弟たちは家族分裂の危機を乗り越えて、再び一緒になる。題名の通りである。ただ、終盤になってやっと家族に危機が訪れるというプロットラインはバルジャーティヤー監督のユニークな作風だといえる。普通は掴みのために序盤にそういう事件を持っていって落とし込み、その後の時間を使ってゆっくりと上昇を描くものだ。
序盤にあまりにも多くの登場人物が登場する。その内の多くは親戚関係にあり、親族名称で呼ばれることも多い。初見で彼らの関係を完璧に把握することができた日本人がいたら、その人は実はインド人なのではないかと疑う。普通の日本人は怒濤の新キャラ登場に面食らってしまうことだろう。1990年代のヒンディー語映画界にはまだジョイントファミリーをベースにした映画作りの風習が残っており、この登場人物の多さと人間関係の複雑さはこの頃のヒンディー語映画の特徴に数えることもできる。
チャトゥルヴェーディー家は家父長制度そのもので、既婚女性たちは基本的に主婦に押し込められている。公開された1999年という年を考えると、このような映画は当時でも古風な部類に入るようになっていたのではないかと予想される。現在の視点から観ると批判の対象になるかもしれない。
メインキャストの中では、サイフ・アリー・カーンとカリシュマー・カプールがもっとも目立っていた。どちらも1999年の映画公開時にはスターになっていたが、このオールスターキャストの中では若手扱いで、どちらも天真爛漫な男女を演じていた。サルマーン・カーンとソーナーリー・ベーンドレーの演技はどちらも控えめで、あまり印象に残らなかった。むしろ、モホニーシュ・ベヘルの演技が突出していたし、タブーも存在感を示していた。
アーローク・ナートとリーマー・ラーグーはイメージ通りのキャラを演じていた。新鮮味はなかったが、いつもと同じ役柄というのは観客に安心感を与える。コメディー部分はシャクティ・カプールやサティーシュ・シャーなどが担っていた。
映画の内容とは異なるところでこの映画が有名になった。この映画の大部分はムンバイーのスタジオで撮影され、一部、ラージャスターン州ジョードプルでロケが行われた。ジョードプルでのロケ中、メインキャストは狩りに出掛け、絶滅危惧種のブラックバックを狩ってしまい、その後その裁判がずっと彼らを悩ませ続けることになった。事件発生から20年以上が経ったが、未だに判決が確定していない。
音楽監督は「Maine Pyar Kiya」や「Hum Aapke Hain Koun..!」と同じラームラクシュマンだ。タイトル曲の「Hum Saath-Saath Hain」は耳に残りやすいし、その他の曲もストーリーと親和性が高い曲ばかりであった。しかしながら、傑作と呼べるような曲は少なく、音楽の力はバルジャーティヤー監督の前2作に劣る。ただし、チャトゥルヴェーディー家がサードナーを迎え入れるときに、家族各人の特徴を説明した曲「Sunoji Dulhan」は、過去の名曲のパロディーやオマージュが散りばめられていて楽しい曲だ。
「Hum Saath-Saath Hain」は、家族映画の名手スーラジ・バルジャーティヤー監督が「Maine Pyar Kiya」、「Hum Aapke Hain Koun..!」の次に送り出した、マルチスターキャストのジョイントファミリー映画である。たっぷり2時間、幸せな家族像を見せつけられた後、最後の1時間でようやく物語が上下に揺れる。しかしながら、下手すると退屈かつ中途半端になってしまうこの物語を名作にしてしまうバルジャーティヤー監督の手腕は素晴らしい。主演のはずのサルマーン・カーンが、複数のメインキャストに埋もれてあまり目立たないのはご愛敬だ。1999年の大ヒット作の一本であり、必見の作品である。