
「Land of My Dreams」は、2023年10月7日に山形国際ドキュメンタリー映画祭でプレミア上映され、その後、2026年6月6日に「わたしの聖なるインド」の邦題と共に劇場一般公開されたドキュメンタリー映画である。山形国際ドキュメンタリー映画祭での上映時のタイトルは原題通り「我が理想の国」だった。インド本国でも各映画祭で上映されたが、劇場一般公開はされていない。一般的にインドにおいてドキュメンタリー映画は興行が成り立たないため、劇場一般公開されないのは普通のことである。2026年6月7日に東京渋谷のユーロスペースで鑑賞した。
監督はナウシーン・カーン。ジャーミヤー・ミッリヤー・イスラーミヤー(JMI)というデリーにある大学出身のインディペンデント系女性映像作家である。「Land of My Dreams」は彼女にとって初の長編作品になる。
ここまでの情報で分かることがある。それは、ナウシーン・カーン監督がイスラーム教徒であることだ。インド人の人名には性別の他に宗教、カースト、出身地などが刻まれており、名前を見ればその人がどの宗教を信仰しどのコミュニティーに属しどのくらいの社会階層なのかが分かる。「ナウシーン」も「カーン」もイスラーム教徒の印である。「カーン」姓のイスラーム教徒は一般的に社会階層は上位になる。また、JMIは英領時代に主にイスラーム教徒知識層によって創立された経緯があり、中央大学(Central University)になった現在でもイスラーム教徒学生が多いことで知られる。また、JMIの周辺はデリーの中でもイスラーム教徒人口が特に多い地域だ。
「Land of My Dreams」は、2019年12月から2020年3月まで、デリーを揺るがした反CAA運動を題材にしている。「CAA」とは「市民権改正法(Citizenship Amendment Act)」の略であり、これが法案の状態だったときには「CAB(Citizenship Amendment Bill)」と呼ばれていた。2019年12月11日に国会で可決され、法案は法律になった。反CAA運動は、この法案の可決を問題視する人々が起こしたものである。
では、CAAの何が問題だったのだろうか。改正されたのは難民にインドの市民権を与える条件である。インドにおいて外国人が市民権を取得するにはインドに11年以上住む必要がある。だが、今回の改正により、2014年12月31日までに近隣諸国(アフガーニスターン、バングラデシュ、パーキスターン)からインドに入国した難民は、5年以上インドに住むことで市民権を取得できるようになった。また、正規の書類を持たず不法移民の状態でインドに入国したとしても市民権の取得が可能である。だが、この規制緩和の恩恵を享受できるのは非イスラーム教徒のみである。つまり、イスラーム教徒が一律に除外された。インドで生まれインドに住むイスラーム教徒にとっては直接関係ない話なのだが、イスラーム教徒からインドの市民権が剥奪されると勘違いし、反対運動が起こった。
インド政府が今回の市民権改正法でイスラーム教徒を除外した理由も十分に理解できる。
インドは1947年にパーキスターンの分離という痛みを伴って独立を果たした。パーキスターンが建国されたのは、民主主義国家で少数派に陥り意見が通らなくなることを恐れたイスラーム教徒知識層が、イスラーム教徒が多数派を占めるイスラーム教徒のための国家を英国に求めたからだった。分離独立時、多くのイスラーム教徒がパーキスターンに移住したが、全員が移住したわけではなかった。独立インドは世俗国家を標榜し、全ての宗教が共存できる社会を約束したため、住み慣れた故郷を離れずに残ったイスラーム教徒もいた。そういうこともあって、独立以前、インドの総人口の4分の1を占めたイスラーム教徒の人口は激減したものの、独立以後も14-15%ほどで推移してきた。少数派といえば少数派だが、圧倒的少数派というわけでもない。しかも、イスラーム教徒の人口増加率は、教義上の理由もあるだろうが、一般に他の宗教に比べて高いとまことしやかに語られる。それを聞いたヒンドゥー教徒などは、いつかインドもイスラーム教徒が多数派の国になってしまうのではないかと恐怖を募らせている。
そういうわけで、イスラーム教徒のためにせっかく領土を分割したのに、インドに依然として住んでいるイスラーム教徒が少なくないことに不満を持つ人々が、常に一定数いた。そういう人々にとって、ただでさえイスラーム教徒の出生率が高いのに、近隣からイスラーム教徒の難民まで受け入れ市民権を与えるというのは我慢ならないことだ。印パ分離独立時から綿々と続くこの遺恨が、CAAによる規制緩和でイスラーム教徒が一律に対象から除外された遠因となっていることは想像に難くない。
また、2001年に米国で9/11事件が起き、対テロ戦争が宣言されると、世界中で「ジハード」という用語と共に、イスラーム教徒テロリストがクローズアップされることになった。そもそもインドはそれ以前から、パーキスターンからの越境テロリストに悩まされていた。近隣諸国からのイスラーム教徒の難民に易々と市民権を与えていては、その中にテロリストが紛れ込むことになり、テロを防ぐことが困難になってしまう。これは国防上、非常に繊細な問題なのである。
2014年にヒンドゥー教至上主義を掲げるインド人民党(BJP)が中央で政権を樹立し、ナレーンドラ・モーディーが首相に就任すると、イスラーム教徒に対する締め付けとも取れる政策が次々に実行に移された。CAAはその延長線上で捉えられ、イスラーム教徒を憤らせたのだった。
では、これは完全にイスラーム教徒の勘違いだったのだろうか。そうともいいきれない事情がある。むしろ問題になるのはNRCの方だ。これは「National Register of Citizenship」の略で、「国家市民登録」などと訳せばいいだろう。NRCは国民が本当にインドの市民権を保有しているかを調査し登録する行政的なデータベース作成事業であり、インド政府はこれの全国展開を望んでいる。だが、自身の市民権を証明するための書類(出生証明や土地の所有証明)がない場合、その人は市民権を取り消される可能性がある。日本には戸籍制度があるので想像しにくいかもしれないが、そのような便利なデータベースがないインドでは、たとえインドで生まれたとしても、親などがきちんと届け出をしていないと、自分の存在を証明するのが困難になることがある。そのため、インドでは、出生、卒業、学位取得、結婚など、各ライフステージで公的機関などから発行される公的文書など証拠になるものを自分で大事に保管しておく必要がある。それを怠ってきた場合、NRCが適用されると、最悪の場合、市民権を剥奪されてしまう恐れがある。
ここで効いてくるのがCAAだ。NRCが導入され、書類の不備などで市民権剥奪の危機を迎えたとしても、非イスラーム教徒ならばCAAがセーフティーネットになって市民権を守ってくれる可能性がある。だが、イスラーム教徒だけはこのセーフティーネットを利用できない。確かにイスラーム教徒が市民権を失う危険性があるのである。
そして、このNRCの入口と目されているのがNPR、つまり「National Population Register」である。「国家人口登録」とでも訳せばいいだろう。これは、インドに6ヶ月以上住んでいる全ての居住者(外国人を含む)を登録する一種の人口統計である。つまり、NPRによってインドに住む居住者を登録し、その中からNRCによって市民権を持つ者を選別し、もし書類の不備などがある場合でもCAAをセーフティーネットとする。だが、イスラーム教徒にはCAAが適用されず、市民権を失う者が続出する未来が予想される。そういうわけで、CAA、NRC、NPRが3点セットで反対運動のターゲットになったのである。映画の中でも「NO CAA、NO NRC、NO NPR」というプラカードが見えた。
また、信仰する宗教によって不平等が生まれるCAAは、法の下の平等を規定する憲法に違反するという見方もある。抗議に参加したイスラーム教徒にとっては自身の実存を脅かされる由々しき事態であったが、それ以外の人々にとってはどちらかといえば憲法が蔑ろにされていることを問題視しての抗議だった。
「Land of My Dreams」の起点になっているのは、2019年12月中旬のJMIでの出来事だ。JMIの学生たちはCAAに対して平和的な抗議活動を行っていたのだが、そこへデリー警察が実力行使に出て学生たちに暴行を加えた事件である。これは全国的なニュースになり、パーヤル・カパーリヤー監督の「A Night of Knowing Nothing」(2021年/邦題:何も知らない夜)でも取り上げられていた。JMI卒業生のナウシーン・カーン監督はこのとき、おそらくそれがその後そんな大ごとになるとは思わず、単に母校で抗議活動を取材するために割と何の計画もなくカメラを回していたと思われる。デリー警察による実力行使の前には、この運動を無闇に「イスラーム教徒vsヒンドゥー教徒」のように宗教問題化することに批判的な眼差しさえ感じた。
だが、この映画の主な舞台になるのはJMIではなく、シャーヒーン・バーグだ。JMIからそれほど遠くない地域にある住宅街で、やはりイスラーム教徒が多い。シャーヒーン・バーグでもJMIと時を同じくしてCAAに対する抗議活動が始まり、カーン監督はそちらの取材に全力を注ぐようになる。彼女の興味を引いたのは、女性たちが抗議活動の主体になっていたことだった。JMIや、ジャワーハルラール・ネルー大学(JNU)での抗議活動は、教育を受けた大学生たちが主体であり、彼らは万年何かに抗議をしていて、実はあまり珍しくない。だが、シャーヒーン・バーグの抗議に参加したのは一般市民のようだった。インタビューに答えていた人々の中には正真正銘の活動家もいたが、純粋にCAAに対する不満から、家を出て抗議に参加した主婦のような人々もたくさんいた。
ただ、このときのデリーは、2020年2月8日に州議会選挙を控えていた。デリーは中央政府とデリー政府の二重権力構造にあり、中央はBJPが、デリー政府は庶民党(AAP)が政権を握っていた。ちなみに、デリーは首都であるため、他州と異なり、警察は中央政府の管轄にある。よって、JMIの学生たちに暴力を振るった責任も中央政府にある。もちろん、BJPはデリー政府の政権を狙っていた。CAAはヒンドゥー教徒など多数派の支持を得られる可能性があったが、どうもデリーの有権者は草の根の反政府抗議活動に影響を受けやすい体質にある。2011年に社会活動家アンナー・ハザーレーがデリーで主導した汚職撲滅運動にもデリー市民は熱狂した。この運動の結果誕生した新興政党AAPは、2013年からデリーの州議会選挙で勝ち続けていた。また、AAPもこれ幸いとCAAの抗議デモに入り込もうとしていたようだ。「Land of My Dreams」では、選挙が近づくにつれて次第に政治色が強くなるシャーヒーン・バーグのデモ会場の変容も複雑な思いと共に記録されていた。
2020年のデリー州議会選挙でAAPは圧勝し、党首のアルヴィンド・ケージュリーワールが再び州首相に就任した。BJPは惨敗だった。その直後、デリー北東部、一般的に「ヤムナー・パール(ヤムナー河の向こう岸)」と呼ばれる地域で暴動が発生した。ここでも女性たち主体の抗議活動が行われていたが、暴動によってイスラーム教徒が襲撃された。ただ、シャーヒーン・バーグのデモ活動はこの暴動によって影響は受けなかった。そんな混沌とした状況の中、米国のドナルド・トランプ大統領が訪印しモーディー首相と会談した。世界の注目がインドに集まるのを好機と捉え、反CAA運動も盛り上がった。しかしながら、新型コロナウイルスがインドでも確認され始め、3月にはロックダウンが始まり、デモは強制的に解散されられることになった。意外とあっけない幕切れだった。
ナウシーン・カーン監督は四六時中、抗議者たちと行動を共にしたわけではなさそうで、2019年12月から2020年3月までにデリーで起こった主要な出来事が断片的につなぎ合わされ、ひとつのドキュメンタリー映画にまとめあげられている。事件を網羅的に記録した作品というよりも、デモに参加した主に女性たちにインタビューし、「蜂起するムスリム女性たち」の勇姿が肯定的に描き出されている。普段は家の中にいることの多いムスリム女性たちが外に出て抗議をすることに意義が見出されたのだろう。
その一方で個人的により心に響いたのが、カーン監督自身の独白である。イスラーム教徒の家庭に生まれた彼女は、理解ある両親に恵まれ、「いい学校」で教育を受けることができたが、そういう学校に通うイスラーム教徒は少なかった。よって、友達にもイスラーム教徒はおらず、自身もイスラーム教徒であることを意識せずに育ってきたという。むしろ、多数派に迎合し、自分を無にすることで生き抜いてきたと語っていた。彼女のようなイスラーム教徒は中上流層に多そうだ。だが、今回のこの反CAA運動を取材したことで、彼女は自身自身のアイデンティティーと向き合わざるをえなくなる。ドキュメンタリー映画監督として、またイスラーム教徒であることを意識しないインテリのイスラーム教徒として、なるべく中立の立場で取材に臨んでいたようだが、蜂起したムスリム女性たちと話している内に影響を受けるようになり、自分を問い直すことになったのである。おそらく彼女は取材を通して、何度も自分の名前を名乗る必要に迫られたのだろう。そして、自分の名前に刻まれたイスラーム教徒としてのアイデンティティーが取材を左右する経験をしてきたのだろう。市民権のために座り込みなどをして戦っていたのは、明らかに下層の人々であった。カーン監督は、市井に出てインド社会の現実を知り、自身がいくら「無」であろうと努力しても「何か」になってしまう現状と直面した上で、この映画を作っている。こうしてできた「Land of My Dreams」は、国家を根幹から揺るがした事件の記録であると同時に、カーン監督の内面的な旅の記録でもあった。
映画内では、「Border」(1997年)や「Sarfarosh」(1999年)の映像が使われ、ヒンディー語映画におけるイスラーム教徒の表象について考察がなされる一幕もあった。これはひとつの重要なテーマであり、インド映画研究の中でも盛んに議論が行われるトピックだ。
言語はヒンディー語と英語のハイブリッドだった。インタビューではほとんどのインタビュイーがヒンディー語で答えていた一方で、ナレーションは英語だった。
「Land of My Dreams」は、BJP政権下でイスラーム教徒が置かれている現状を、2019年から20年にかけての反CAA運動を題材にして、イスラーム教徒女性の監督自身の内省と共に描き出したドキュメンタリー映画である。決して緻密に練り上げられた作品ではなく、かといってパーヤル・カパーリヤー監督のように詩的なパッケージングもされておらず、作品内で問題は何の解決もしていないしその兆しも見えないが、監督自身の心の旅を一緒に体験し、インドの現在を考えるきっかけを与えてくれる。事実の羅列だけではなく、そこに「自分」を投影し、ストーリー性を生み出すことができたおかげで、一段上のドキュメンタリー映画に仕上がっている。
