Traffic

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Traffic
「Traffic」

 2008年9月20日、タミル・ナードゥ州の州都チェンナイで、15歳のヒテーンドランが交通事故に遭い意識不明の重体になった。ヒテーンドランの両親は医師であり、息子がもう助からないと理解し、彼の臓器を提供することを決めた。ヒテーンドランの心臓は6歳の少女に移植されることになったが、臓器が新鮮な内に輸送するためにティルカルクンドラムとチェンナイの間の50-60kmを迅速に移動する必要があった。チェンナイ警察は救急車の通るルートを通行止めにして道を空け、このミッションを成功させた。このニュースはタミル・ナードゥ州内で大々的に報道され、以後多くの人々が臓器提供に協力するようになった。これは「ヒテーンドラン効果」と呼ばれている。

 2016年5月6日公開の「Traffic」は、2008年にチェンナイで実施された心臓移植を題材にした映画である。元ネタはラージェーシュ・ピッライ監督が2011年に撮った同名のマラヤーラム語映画であり、これは大ヒットとなった。マラヤーラム語映画「Traffic」はその後、タミル語でシャヒード・カーダル監督によって「Chennaiyil Oru Naal」(2013年)としてリメイクされ、さらにカンナダ語でVラヴィチャンドラン監督によって「Crazy Star」(2014年)としてリメイクされた。ヒンディー語版「Traffic」はピッライ監督が自らリメイクした作品になる。ただし、ピッライ監督はこの映画の公開前となる2016年2月27日に非アルコール性脂肪性肝疾患で夭逝したため、この作品は彼の遺作となった。

 キャストは、マノージ・バージペーイー、プロセーンジト・チャタルジー、ジミー・シェールギル、パラムブラタ・チャタルジー、ヴィシャール・スィン、アモール・パラーシャル、ディヴィヤー・ダッター、ウルカー・グプター、サチン・ケーデーカル、キトゥー・ギドワーニー、ニキター・トゥクラール、リチャー・パナーイー、カーヴェーリー、ジシュヌ・ラーガヴァン、ヴィクラム・ゴーカレー、ラージェーシュ・カッタル、ラージ・アルジュンなど。

 2008年6月25日。映画スター、デーヴ・カプール(プロセーンジト・チャタルジー)と妻マーヤー(ディヴィヤー・ダッター)の間に生まれた12歳の娘リヤー(ウルカー・グプター)は幼少時から心臓病を抱えており、危篤状態にあった。彼女が入院していたプネーのフォーティス病院では、リヤーを救うには心臓移植しかないと判断し、ドナーを急募した。

 一方、ムンバイーのアポロ病院では、交通事故に遭って頭を打ち運び込まれた駆け出しのジャーナリスト、リハーン・アリー(ヴィシャール・スィン)の治療が行われていた。リハーンはこれからムンバイーの空港でデーヴのインタビューをする予定だったが、親友ラージーヴ(アモール・パラーシャル)の運転するバイクにタンデムしていたところ交通事故に遭ったのだった。リハーンの父親アハマド(サチン・ケーデーカル)は医師であり、リハーンの状態をよく理解していた。リハーンは臓器ドナーとしてリヤーの条件に合っていたが、アハマドは拒否をしていた。マーヤーはアハマドの妻(キトゥー・ギドワーニー)に直接電話をし懇願する。その効果もあって、アリー夫妻はリハーンの心臓をリヤーに提供することに同意する。

 リハーンの心臓をリヤーに移植するためには、ムンバイーからプネーまで160kmを2時間半以内に移動し心臓を届けなければならなかった。ムンバイー警察の交通課長グルビール・スィン(ジミー・シェールギル)は、短時間でムンバイーの交通を遮断するのは無理だと答えるが、アポロ病院のサイモン・デスーザ院長(ヴィクラム・ゴーカレー)に説得され、この困難なミッションを引き受けることにする。心臓を運ぶ任務を任されたのが、ラームダース・ゴードボーレー巡査(マノージ・バージペーイー)だった。

 ゴードボーレー巡査は収賄の罪で停職処分となり、政治家の口利きで復職したばかりだった。名誉回復のためにこの任務に志願したゴードボーレー巡査は、アポロ病院で心臓の入った箱を受け取り、プネーに向けて出発する。彼の運転する自動車には、ラージーヴと、医師のアベル・フェルナンデス(パラムブラタ・チャタルジー)が乗っていた。

 この日はちょうどアベルの妻シュエーター(リチャー・パナーイー)の誕生日で、彼はサプライズギフトとして彼女に自動車をプレゼントしようとしていた。だが、シュエーターが彼の親友ヘーマーン(ジシュヌ・ラーガヴァン)と浮気していたことが発覚し、怒った彼はシュエーターをひき逃げしていた。警察の車両に乗り込まされたアベルは自分が逮捕されるのではないかと勘違いし、途中でラージーヴを人質に取って進路を変えさせる。アベルは自動車の鍵を奪いゴードボーレー巡査とにらみ合うが、アベルは説得され、状況を理解し、鍵を返す。ゴードボーレー巡査もアベルに同情し、このままでは彼は逮捕されると考えて、自動車に同乗させる。

 ゴードボーレー巡査の運転する自動車は森林地帯に入り、一時的に迷うが、ムンバイーとプネーを結ぶ高速道路エクスプレスウェイに合流することに成功する。だが、途中でタンクローリーの横転事故による通行止めに直面する。そこでゴードボーレー巡査はビラール・コロニーを通り抜ける迂回路を取る。ビラール・コロニーはイスラーム教徒多住地域であり、宗教暴動が頻発していたが、デーヴがビラール・コロニーの顔役アスラム(ラージ・アルジュン)に根回しをし、道路を空けさせる。ワールカリー派のパレードも行われていたが、それが道を塞ぐ前に通り抜ける。

 こうしてゴードボーレー巡査は時間内に心臓をプネーのフォーティス病院に送り届けることに成功した。ゴードボーレー巡査の活躍はTVで報道され、妻子にも届く。

 ムンバイーからプネーまで、160kmの距離を2時間半以内に走り抜けるというミッションは、それほど非現実的ではないように見える。試しにGoogle Mapで計算してみると3時間ほどだ。もし交通規制をして通行ルートを完全に空けることができ、その状態で絶えず時速120kmで走行することができれば、2時間半以内に到着できるだろう。だが、半島状をし、2008年の時点でも人口は1,500万人を下らなかった都市ムンバイーでは渋滞が慢性化しており、その交通規制を準備なしに行うと大混乱に陥る可能性が大きい。また、映画の中でも説明されていたが、160kmの内、高速道路として整備されているのは有料道路ムンバイー・プネー・エクスプレスウェイの区間の94.5kmのみである。当初この依頼を受けた交通警察が「無理だ」と却下したのも理解できる。そのミッション・インポッシブルを可能にしたドラマがこの「Traffic」というわけだ。

 もちろん、プラン通りに事が進むはずがない。道中でさまざまなトラブルが待ち受けている。といいたいところだが、主なトラブルは2つだけだった。ひとつは、移植用の心臓を運ぶ自動車に、アベルという訳ありの医師が同乗していたことだった。アベルは、浮気した妻をひき逃げしてきたばかりであり、ゴードボーレー巡査の運転する自動車に乗せられたことで、自分が逮捕されるのではないかと疑心暗鬼になった。そして、彼は自動車をジャックしようとするのである。この一悶着によってタイムロスが生まれた他、ルートからも外れてしまい、ミッションが失敗に限りなく近づく。

 もうひとつのトラブルは、エクスプレスウェイ上でタンクローリーの横転事故があり、通行止めになってしまっていたことだった。これは迂回により回避した。迂回ルートには、イスラーム教徒が多く住み、宗教暴動が絶えない要注意地区があったのだが、人情に訴えかけたおかげで地元の顔役の協力が得られ、スムーズに通行することができた。

 このふたつのトラブルを乗り越えたら、もうプネーに到着していた。上映時間は104分の映画であり、インド映画の標準に比べると短めだ。その短さが仇となって、物足りない映画になってしまっていたのではなかろうか。冒頭から頻繁に時間が表示され、心臓の輸送が始まってからは、四六時中、時間に追われている焦燥感があったのだが、後半になるにつれてその追われている感覚が希薄になっていき、グリップ力が失われていって、気付いたらもう目的地に到着してしまっていて拍子抜けだった。

 もうひとつ、短さが仇になっていたのは、各登場人物のエピソードに深みがなかったことだ。収賄の罪で停職処分になっていたゴードボーレー巡査、既婚女性と恋愛関係にあったリハーン、愛する妻に浮気されていたアベル、仕事が忙しく娘との時間を作ってあげられなかったデーヴと、それぞれ抱えていたものがあったはずだが、それらの描写があまりに簡潔すぎたため、それらのエピソードに感情移入することができなかった。ここも、もう少し上映時間が長くなってもよかったので、時間を掛けて描くべきだった。

 ただ、オリジナルのマラヤーラム語版は122分ある映画だった。そのリメイクが2時間に満たないというのは普通に考えたら変な話である。ラージェーシュ・ピッライ監督はこの映画公開の半年前に亡くなっているが、もしかしたら未完成のまま死去し、残ったメンバーが何とか作品の形にしたのがこのヒンディー語版「Traffic」だったのかもしれない。また、ヘーマーン役を演じたジシュヌ・ラーガヴァンも映画公開前に亡くなっている。

 宗教の観点から分析することもできる作品だ。心臓ドナーになったリハーンや、ビラール・コロニーの顔役アスラムはイスラーム教徒であり、心臓移植を受けることになったリヤーやゴードボーレー巡査はヒンドゥー教徒だった。また、医師のアベルや院長のデスーザはキリスト教徒であったし、作戦を指揮したグルビール・スィンはスィク教徒だった。あらゆる宗教を信仰する人々が一人の少女の命を助けるために一丸となる様子が描かれている。

 時代考証でおかしな点があった。映画の時間軸は2008年だが、人々の多くがスマートフォンを持っていた。iPhoneが発売されたのは2007年であり、インドでiPhone型のスマートフォンが市民権を得たのは2010年代に入ってからだ。よって、映画の中にスマートフォンがこれほどたくさん登場するのは矛盾している。

 「Traffic」は、2008年に実際にあった出来事を脚色を交えて映画化した作品で、スリラー映画に分類できるだろう。オリジナルのマラヤーラム語映画は大ヒットとなり、タミル語やカンナダ語でリメイクもされている、完成された脚本だ。だが、ヒンディー語版は期待ほど興行的に成功しなかった。オリジナルよりも短い2時間未満の上映時間が仇になり、各所で物足りなさを感じる映画になっていた。どうせならオリジナルのマラヤーラム語映画を観た方がいいかもしれない。