毎年恒例となったインディアン・フィルム・フェスティバル・ジャパン(IFFJ)の2015年度上映作品が発表となった。「Happy Ending」はその中の一本である。インド本国では2014年11月21日に公開された。ヒンディー語映画で、人気男優サイフ・アリー・カーンのプロダクションであるイルミナティ・フィルムスが制作。同じイルミナティ・フィルムスの制作で、日本でも「インド・オブ・ザ・デッド」の邦題と共に公開された「Go Goa Gone」(2013年)の監督コンビ、ラージ・ニディモールー&クリシュナDKの最新作だ。興行的にはフロップの評価を受けているが、決して作品の出来が悪い訳ではない。
「Happy Ending」の主演はサイフ・アリー・カーン自身。ヒロインは「Barfi!」(2012年)などに出演のイリアナ・デクルーズ。元々はテルグ語映画などの南インド映画が主なフィールドだったが、「Barfi!」の成功後は軸足をヒンディー語映画界に移している。他にカルキ・ケクラン、ゴーヴィンダー、ランヴィール・シャウリーなどが出演、プリーティ・ズィンターとカリーナー・カプール・カーンがカメオ出演している。新旧のスターが揃っており、豪華な顔ぶれである。作曲はサチン・ジガル、作詞はアミターブ・バッターチャーリヤ。
5年半前に書いた小説「オペレーション・ベイバック」がベストセラーになった後、一冊も本を書いていないロサンゼルス在住インド人作家ユディ・ジェートリー(サイフ・アリー・カーン)は、付き合っている女性から「愛してる」と言われることを恐れるプレイボーイであった。なぜなら「愛してる」という言葉には常に責任が付きまとうからであった。ユディは現在、ヴィシャーカー(カルキ・ケクラン)という女性歯科医と付き合っており、そろそろ別れようとしていたが、なかなかうまく行かなかった。また、ユディにはモントゥー(ランヴィール・シャウリー)という親友がいた。モントゥーは若くしてガウリーと結婚しており、完全に尻に敷かれていた。モントゥーはユディの派手な交遊をうらやましがっていた。 ある日、ユディの自慢のスポーツカーが差し押さえられた。差し押さえ主はラック出版社。ユディが大昔に執筆契約を交わした会社で、差し押さえは契約不履行のためであった。印税は1年半前に終わり、気付くとユディはスッカラカンになっていた。ラック出版社のエージェント、ガウラヴ・パテール通称ギャリーは破産したユディを、インドからやって来たシングルスクリーン・スーパースター、アルマーン(ゴーヴィンダー)と引き合わせる。マルチプレックス進出を画策していたアルマーンは、ハリウッド的な脚本をボリウッド的に書ける作家を探していた。選択肢のなかったユディは渋々引き受ける。アルマーンの要望通り、ラブコメ映画の脚本を書かなければならなくなる。 ところで、ラック出版社はユディの代わりに新人インド人女性作家と契約を結んでいた。その女性はムンバイー在住のアーンチャル・レッディー(イリアナ・デクルーズ)。恋愛小説を得意としており、最近出した「クレイジー・ハート」がベストセラーになっていた。ラブコメを書かなければならなかったユディはアーンチャルに接近する。その中で、アーンチャルが実は自分と同類の、恋愛を信じない人間であることに気付く。ユディはアーンチャルにアプローチするようになり、2人は恋愛しないことを条件にベッドインする。一方、ヴィシャーカーはユディが女性作家と仲良くしていることを知り、彼と別れる。 アーンチャルがインドに帰る日になった。ユディは元恋人ディヴィヤー(プリーティ・ズィンター)などのアドバイスにより、アーンチャルに恋したことに気付き、彼女に告白しようとする。だが、アーンチャルは彼の言葉を制止し、インドへ帰って行く。一人残されたユディは、人が変わったように脚本に取り組み、ほぼ完成させる。その物語は、ユディとアーンチャルの関係を題材にしていた。ただ、いい結末が思い付かなかった。なぜならユディとアーンチャルの関係が結末を迎えていなかったからだ。ユディは単身ムンバイーへ飛ぶ。 久しぶりにアーンチャルと再会したユディは、思いをはっきりと打ち明ける。アーンチャルも今度は彼の気持ちを受け容れる。
名作「Om Shanti Om」(2007年)に以下のような有名な台詞がある。
हमारी फ़िल्मों की तरह हमारी ज़िन्दगी में भी एंड तक सब कुछ ठीक ही हो जाता है।
हप्पी एंडिंग।
अगर ठीक न हो, तो वह डि एंड नहीं, पिक्चर अभी बाक़ी है।僕たちの映画のように、僕たちの人生でも、終わりまでに全てが丸く収まるものだ。
ハッピー・エンディング。
もし丸く収まらなかったら、それは終わりじゃない、映画はまだ続くのさ。
「Happy Ending」は、「Om Shanti Om」で示された「ハッピーでなければエンディングではない」というインド映画のメッセージを踏襲し、発展させた恋愛映画だと言える。「Happy Ending」のラストで主人公ユディが観客に伝えるのは、「どんな物語でも必ずハッピーエンディングを迎えることができる。もし、正しいタイミングでエンディングを迎えるならば」というメッセージだ。確かにハッピーでなければエンディングではないと考えるのはポジティヴな思考だが、しかし人生はハッピーなエンディングを消極的に待ち続けるものでもない。ハッピーなエンディングを迎えるためには、時に自分で積極的に行動しなければならない。「Happy Ending」では、書き始めた小説の結末が書けない作家を主人公に据え、彼の人生を重ね合わせながら、このメッセージを浮き彫りにしていたと言える。
「Happy Ending」はラブコメに分類される映画であり、恋愛映画であるからには、ハッピーエンディングは男女が結ばれることで実現することが常だ。ただ、最初から相思相愛の男女が相思相愛のまま結末を迎えるのでは映画にならない。何らかのツイストが必要になる。「Happy Ending」が用意していたのは、恋愛を信じない男女が恋に落ちるという筋書きである。インドの恋愛映画において、「何らかの理由から恋愛を拒否して来た男性または女性が、熱心に言い寄って来る異性の熱意に負け、結局は恋に落ちる」というプロットは非常に一般的だが、男女のどちらも恋愛を拒否しているのは新鮮に感じた。
監督のラージ・ニディモールー&クリシュナDKは米国在住のインド人コンビで、前作「Go Goa Gone」など、彼らの作品からは、インド映画よりもむしろハリウッド映画のカルチャーを強く感じる。例えば「Happy Ending」の中でスーパースターのアルマーンが「脚本作りの参考に」と用意するDVDはどれもハリウッド映画であるし、アイテムガールとしてジェニファー・ロペスと交渉中という下りも登場する。洗練された作りもハリウッド映画らしい。ただ、ギリギリのところでインド映画の心を残している。ハリウッド映画のいいとこ取りをして国際的ヒットを狙った映画を作ろうとするアルマーンの存在は正にインド的であるし、アーンチャルがクラシックな映画音楽を聴いて盛り上がるところもインド人観客の琴線に触れるシーンだ。劇中でアルマーンが語る「ハリウッド的な脚本をインド映画的に書ける混合作家」とは、正に監督たちのことではなかろうか。
「Go Goa Gone」ではホラー映画の定石に挑戦していた。恋愛映画「Happy Ending」ではもちろん、恋愛映画の定石をおちょくった構造となっていた。ユディの「内なる声」であるヨーギーというキャラが登場し、ラブコメのイロハをユディに教えるのだが、それがそのまま恋愛映画のパロディー的内容であった。例えば、ユディがアーンチャルと仲良くなったところでヨーギーが警告する。「スムーズ過ぎる。何かあるはずだ。既婚か、婚約済みか、妊娠中か、それとも重病か。」ユディはアーンチャルがインドに帰る日に空港まで追い掛けて行って告白しようとするが、それもヨーギーが「空港シーンは必ずうまく行く」と助言したからである。しかしながら、告白は成功しなかった。この辺りで定石に挑戦し、観客に肩透かしを喰らわせていた。もっとも、アーンチャルが空港に着く前に追いついてしまったため、空港シーンにはならなかった訳だが。
サチン・ジガルによる「Happy Ending」の音楽はバラエティーに富んでおり、サントラは佳作だと言える。ディスコナンバー「G Phaad Ke」、バラード「Jaise Mera Tu」や「Khamma Ghani」、ユディのテーマ曲とも言える「Haseena Tu Kameena Mein」など、いい曲が揃っているが、最近のヒンディー語映画の傾向に則って、ほとんどの曲はフルでは使われず、一部のみBGMとして流れる。劇中ではサイフ・アリー・カーンの生の歌声も聞くことができる。
「Happy Ending」は、ラージ&DK監督らしく、恋愛映画の定石に挑戦した新感覚の現代的恋愛映画だ。興行的には振るわなかったようだが、意外にキャストも豪華で、ストーリーもしっかりしている。何より題名通りハッピーエンドが約束された映画であり、後味爽快は保証書付きだ。