Inkaar

2.5
Inkaar
「Inkaar」

 ヒンディー語映画界にはいろいろな特徴を持った監督がひしめいているが、スディール・ミシュラー監督も一目置かれた存在である。売春婦を主人公に据えた「Chameli」(2003年)、学生運動などをテーマにした「Hazaaron Khwaishein Aisi」(2005年)、ギャングによる誘拐劇を中心に描いた「Yeh Saali Zindagi」(2011年)など、渋い作品を撮り続けている。2013年1月18日公開の最新作「Inkaar」では企業のセクハラをテーマとしており、また新たなフロンティアに挑んでいる。お気に入りの女優チトラーンガダー・スィンに加え、メインストリーム映画で主に活躍するアルジュン・ラームパールをキャスティング。スディール・ミシュラー監督の作品にアルジュンがどうはまるのか、それが一番の見所だ。

監督:スディール・ミシュラー
制作:ヴィアコム18モーション・ピクチャーズ
音楽:シャンタヌ・モイトラ
歌詞:スワーナンド・キルキレー
出演:アルジュン・ラームパール、チトラーンガダー・スィン、ディープティー・ナーヴァル、サンディープ・サチデーヴ、ヴィピン・シャルマー、シヴァーニー・タンクサレー、モーハン・カプール、リハーナー・スルターン、スジャーター・セヘガル、カンワルジート・スィン、アーシーシュ・カプール、カイザード・コートワール、ガウラヴ・ドゥイヴェーディー
備考:PVRプリヤーで鑑賞。

 ムンバイーを拠点とする広告代理店KKドイルのCEOラーフル・ヴァルマー(アルジュン・ラームパール)は、自らが育て上げたマーヤー・ルトラー(チトラーンガダー・スィン)からセクハラの苦情を受けた。女性人権活動家カームダール(ディープティー・ナーヴァル)が、グプター(ヴィピン・シャルマー)、カヴィター(スジャーター・セヘガル)など同僚数人の同席の下、ラーフルとマーヤーの聴取をすることになった。この聴取の中で、ラーフルとマーヤーの関係が明らかになって行く。

 7年前、ラーフルは既に売れっ子の広告エージェントであった。毎年恒例のCM賞の授賞式でラーフルはまだ駆け出しの状態だったマーヤーと出会う。ラーフルはマーヤーに才能の原石を見出し、雇って育てる。マーヤーは業界で勝ち抜くテクニックを身に付け、急速に台頭する。同時にラーフルとマーヤーは恋仲となる。二人の仲は同僚の誰もが知っていた。ラーフルとマーヤーはゴールデンコンビとして会社の業績に貢献する。

 ところがマーヤーはラーフルがCMのモデルと浮気をしているのではないかと疑うようになる。モデルが彼の自宅に入って行くのを目撃したマーヤーは遂に怒りを爆発させ、自らデリーに転勤してしまう。その後、マーヤーはニューヨークに転勤となり、そこでKKドイルの合弁相手の社長ジョン・ドイルのお気に入りとなる。7年後、マーヤーは再びムンバイーに戻って来る。

 ムンバイーに戻るや否や、マーヤーは同社のナショナル・クリエイティブ・ディレクターに出世する。また、マーヤーはタルン(サンディープ・サチデーヴ)というボーイフレンドも連れて来ていた。ラーフルとマーヤーの仲は非常によそよそしいものとなってしまっていた。

 ナショナル・クリエイティブ・ディレクターとなったマーヤーは傲慢となり、意見や方針の食い違いで度々ラーフルと衝突するようになる。とある顧客との会議でマーヤーが出しゃばったために商談不成立となり、それがきっかけでラーフルとマーヤーの間で喧嘩が起こる。マーヤーはそのときのラーフルの言動を根拠にセクハラの苦情を提出したのだった。

 カームダールの聴取は2日続いたが、結論は出なかった。KK社長(カイザード・コートワール)をはじめとする会社の経営陣は、マーヤーを切る覚悟を決めていた。一方、マーヤーは弁護士に相談した後、ジョン・ドイルの宿泊するホテルを訪れる。その後、オフィスでラーフルとマーヤーは顔を合せる。マーヤーは、ジョン・ドイルと寝たとラーフルに告白する。それを聞いたラーフルは激昂し、マーヤーのことを今でも愛していると叫ぶ。

 翌日、オフィスでは最終的な決断について議論が交わされていた。そこへラーフルからSMSが入る。そのSMSの中でラーフルは辞職を願い出る。そのSMSはマーヤーも受け取っていた。それを見たマーヤーも、誰にも告げずに会社を去る。

 かつて恋仲だった男性上司と女性部下が破局後に社内で対立するようになり、最終的に女性部下がセクハラの訴えを起こしたことを巡って、それぞれの主張が吟味される内容であった。ひとつの事実を別々の立場から見せる手法は、黒澤明監督「羅生門」(1950年)の簡易版と言った感じで、特に目新しいものではない。だが、セクシャル・ハラスメントは非常に主観に左右される犯罪であり、その手法を使って何が真実なのかを追究するのは間違った方法論ではなかった。ただ、もし、男女の違いによって同じ言動が全く異なった受け止め方になっている様子を映像でうまく見せることができたら面白かったのだが、そのようにはなっておらず、お互いの主張の中で言動はかなり変わってしまっており、少なくともどちらかが嘘を付いていることなっていた。

 この映画の大きな欠点は、最後を恋愛のもつれでまとめてしまったところだ。せっかくそこまでは緊迫感溢れる展開となっていたのに、最後の最後で「愛してる」「愛してた」の応酬で一気に幕引きをしてしまっていたのが興醒めであった。もっと当事者2人の主張を戦わせて、セクハラの本質を突き詰めれば、いい映画になっていたと思う。端的に言えば、前半はとても良かったが、後半が尻すぼみになってしまった。

 ヒンディー語映画では、主人公が会社勤め、または会社経営者、と言った設定はもちろん普通にあるのだが、企業を主な舞台にした映画はまだまだ少ない。ただ、過去にいくつかそれに該当する映画はある。例えば、企業間または企業内のポリティックスなどをテーマにした映画では「Corporate」(2006年)が代表的だ。他に、リライアンスの創業者ディールーバーイー・アンバーニーを非公式に主人公にした「Guru」(2007年)やセールスマンが主人公の「Rocket Singh: Salesman of the Year」(2009年)などが挙げられる。おそらくこの「Inkaar」を、これらの「企業映画」のリストに加えてもいいだろう。そもそもラーフルとマーヤーの対立が生じたのは、KK社長がラーフルCEOの力をそぐために「分割統治」を画策し、マーヤーに権力を与えたことが原因であり、企業内ポリティックスを十分に体現している。女性が管理職になることへの偏見についても少しだけ触れられていた。

 テーマは興味深いが、そのプレゼンテーションと結末に不満が残る映画であった。しかしながら、一番の見所はアルジュン・ラームパールの演技であった。「Deewaanapan」(2001年)や「Moksha」(2001年)でのデビュー以来ずっと彼を見続けて来ているが、当初の彼はモデル出身なだけあって、「ハンサムだが大根役者」と表現せざるを得なかった。俳優としてのキャリアもずっと低迷が続いた。しかし、「Om Shanti Om」(2007年)の悪役で高い評価を受け、その後「Rock On!!」(2008年)、「Ra.One」(2011年)、「Chakravyuh」(2012年)など、着実に演技力を上げて来た。そしてこの「Inkaar」を見て、これだけ演技できる俳優になったかと驚いた。誰が嘘を言っているのか分からない混沌とした状況の中で、彼の台詞回しは、本当のことをしゃべっているか、またはさも本当のことのように嘘や御託を並べているか、のちょうど境界線を行く見事なものであった。このルックスに加えてこの演技力があれば、はっきり言って向かうところ敵なしだ。アルジュン・ラームパールは一応贔屓にしている男優であり、今後も活躍し続けて欲しいと思っている。

 一方、チトラーンガダー・スィンは「Hazaaron Khwaishein Aisi」でのデビュー以来、演技力を高く評価されて来た女優である。だが、出演作はあまり多くなく、メインストリームの娯楽映画にもほとんど出演していない。29歳でデビューとなった遅咲きの女優であることも関係していると思うが、スディール・ミシュラー監督は彼女を根気よく起用して来ている。「Inkaar」でもいい演技であったが、意外にアルジュン・ラームパールが素晴らしく、押され気味であった。彼女が演じたマーヤーの人物スケッチがあまり明確ではなかったことも影響しているだろう。

 音楽はシャーンタヌ・モーイトラー。「Parineeta」(2005年)、「Lage Raho Munna Bhai」(2006年)、「3 Idiots」(2009年)など、彼が音楽監督を務めた作品の中には不朽の名作も多いのだが、「Inkaar」の音楽はいただけなかった。音楽がなくてもよかったぐらいなのに、派手目の楽曲が多く、映画の雰囲気を損なっていた。

 「Inkaar」は、企業内セクハラというユニークなテーマの映画だが、恋愛映画の延長線上でまとめられてしまっているところが残念な作品であった。しかしながら、アルジュン・ラームパールの演技力が突然変異的に炸裂しており、それを目の当たりにできたのが良かった。無理に観る必要はない映画だが、アルジュン・ラームパールのファンなら一見に値する。