2011年のヒンディー語映画界は滑り出し好調で良作が続いている。ただ、「Yamla Pagla Deewana」(2011年)を除き典型的娯楽映画がなく、この2ヶ月の公開作だけを見るとヒンディー語映画シーンは全く様変わりしてしまったと言ってもいい。しかしながらインド人の一般観客が結局好きなのはいわゆるマサーラー映画であり、ヒンディー語映画が続く限り娯楽映画は健在だ。本日(2011年2月25日)より公開の「Tanu Weds Manu」は今年最初のロマンス映画。監督は「Thodi Life Thoda Magic」(2008年)などのアーナンド ・L・ ラーイ。主演はマーダヴァンとカンガナー・ラーナーウトで、必ずしもスター性のあるキャスティングではない上に、この二人の共演と言っても具体的にどんな風になるかイメージが沸かない。だが、映画のキャッチコピーに「パーフェクト・ミスマッチングを祝おう」と書かれており、キャスティングからしてミスマッチングを狙ったものだと思われる。
ちなみに、タイトルの「Tanu」と「Manu」はデーヴナーグリー文字ではそれぞれ「तनु (タヌ)」と「मनु (マヌ)」と書かれていたが、実際の発音では「タンヌー」「マンヌー」なので、それに合わせた。どちらも主人公の愛称で、インドでは一般的な呼称だ。
監督:アーナンド ・L・ラーイ
制作:ヴィノード・バッチャン、シャイレーシュ・R・スィン、スーリヤ・スィン
音楽:クリシュナ
歌詞:ラージシェーカル
出演:マーダヴァン、カンガナー・ラーナーウト、ジミー・シェールギル、ラヴィ・キシャン、ディーパク・ドーブリヤール、ラージェーンドラ・グプター、KKラーイナー、アイジャーズ・カーン、スワラー・バースカル
備考:PVRプリヤーで鑑賞。
ウッタル・プラデーシュ州カーンプル生まれながら、デリーで学業を修め、ロンドンで医師として働くマノージ・シャルマー通称マンヌー(マーダヴァン)は、両親のプレッシャーによりインドに帰国し、お見合いを始める。最初のお見合い相手は同じカーンプル在住のトリヴェーディー家。見合い相手のタヌジャー通称タンヌー(カンガナー・ラーナーウト)はとんでもないお転婆娘で、お見合いの席に酔っ払って寝てしまうという大失態を演じるが、マンヌーは彼女と一言も会話をしない内に一目惚れしてしまう。マンヌーが了承したことでシャルマー家とトリヴェーディー家の縁談はまとまり、両家は早速ジャンムー&カシュミール州の聖地ヴァイシュノー・デーヴィーへ参拝に出掛ける。ところがタンヌーはマンヌーを呼び出し、ボーイフレンドがいることを明かして、結婚をキャンセルするように強要する。仕方なくマンヌーは結婚キャンセルを親に伝え、そこで縁談は立ち消える。 その後もマンヌーは数人の女性とお見合いをしたが、タンヌーのことが忘れられなかった。マンヌーの親友パッピー(ディーパク・ドーブリヤール)はそんなマンヌーの気持ちを理解していたが、諦めるようにアドバイスしていた。気晴らしに二人は共通の友人ジャッスィー(アイジャーズ・カーン)の結婚式に出席するため、パンジャーブ州カプールタラーへ行く。ジャッスィーはビハール州出身の女性パーヤル(スワラー・バースカル)と結婚することになっていた。ところがパーヤルの大学時代の親友がタンヌーであった。当然タンヌーも結婚式に出席しに来ていた。せっかくタンヌーのことを忘れようとしていたマンヌーであったが、彼女への恋心は再燃してしまう。 事情を聞いたジャッスィーはマンヌーとタンヌーの仲を取り持とうとする。マンヌーとタンヌーは徐々に話をするようになり、一緒に出掛けたりもした。マンヌーはますますタンヌーに魅了されてしまう。タンヌーは特にマンヌーのことを結婚相手としては見ていなかったが、パーヤルはマンヌーを認めていた。だが、マンヌーとタンヌーが仲良くしているという知らせを聞きつけ、二人が結婚するのではと期待して突然カプールタラーにマンヌーとタンヌーの両親が訪れたことで、タンヌーはすっかりヘソを曲げてしまう。タンヌーの不機嫌を見てすっかりマンヌーは落ち込んでしまい、カーンプルへ帰ることを決める。それを聞いてタンヌーが駅までマンヌーを追いかけて来る。そして「もうすぐ恋人がやって来てコート・マリッジするから、そのときまでいて欲しい」とお願いする。それを聞いてマンヌーはますます絶望する。 マンヌーはパッピーを連れて列車に乗るが、その列車で、かつてのお見合い相手の兄ラージャー(ジミー・シェールギル)とばったり出会う。ラージャーは暴力沙汰を度々起こすチンピラだったが男気のある人物であった。マンヌーとラージャーはお見合いの時に少し話しただけだったが、何となく心が通い合うものがあった。実はラージャーもカプールタラーへ向かっているところだったが、間違った列車に乗ってしまっていた。ラージャーはパッピーからマンヌーの失恋話を聞き、彼の恋愛を助けることを約束する。マンヌーは再びカプールタラーに戻る。 ところが、タンヌーが待っていた恋人とはラージャーのことだった。ラージャーはマンヌーとパッピーを証人にしてコート・マリッジをしようとする。お人好しのマンヌーはそれを受け容れてしまう。だが、婚姻登記所で登記をしようとしたところで役人のペンのインクが切れてしまう。そこにいた人々もペンを持っていなかった。よってラージャーとタンヌーの結婚は延期となる。ところでラージャーとタンヌーは親に内緒で結婚しようとしていた。本当にお人好しのマンヌーは、タンヌーの父親にそのことを伝え、ラージャーとの結婚を許すように説得する。マンヌーのおかげでラージャーとタンヌーは公式に結婚式を挙げることになる。 ラージャーとタンヌーの結婚式がカーンプルで行われることになった。マンヌーも結婚式に呼ばれており、準備を手伝っていた。ラージャーは所用でイラーハーバードへ行くことになり、タンヌーの花嫁衣装購入の同伴をマンヌーに任す。マンヌーはタンヌーを連れてラクナウーへ行き、花嫁衣装を探す。その過程でマンヌーはタンヌーに恋していることを伝える。タンヌーもラージャーとの結婚に疑問を感じ始め、土壇場でマンヌーと結婚することを決める。タンヌーの両親も突然のことであったがそれを受け容れ、ラージャーの両親に報告しに行く。だが、ラージャーは決してそれを認めなかった。銃をちらつかせてタンヌーの両親を脅す。だが、マンヌーももはや黙っていなかった。警察に賄賂を渡し、ラージャーを逮捕させた。 マンヌーとタンヌーの結婚式が行われることになった。マンヌーとバーラート(花婿側参列者)は花嫁の待つ式場へ向かう。ところがラージャーが正面から武装したゴロツキを連れてやって来た。式場前でマンヌーの一行とラージャーの一行が一触即発の危機を迎える。だが、マンヌーが一歩も引き下がらないのを見て、ラージャーも彼の勇気を認め、タンヌーとの結婚を祝福する。
大まかに言えば、男女が出会い、恋に落ち、障害を乗り越えて結婚するという王道のロマンス映画であったが、いくつかの点で新鮮なアピールがあり、十分に楽しめる娯楽映画となっていた。
まずはヒロインのキャラクターが立っていたこと。インドで作られるロマンス映画の多くは男性視点のことが多く、ヒロインの人物描写はステレオタイプなものになることが多いのだが、「Tanu Weds Manu」のヒロイン、タンヌーは今までになく破天荒な性格で、ヒーローのマンヌー以上にこの映画の中心であった。タイトルでも、「Manu Weds Tanu(マンヌーがタンヌーと結婚する)」ではなく、「Tanu Weds Tanu(タンヌーがマンヌーと結婚する)」となっており、そのヒーロー・ヒロイン像の逆転を如実に示していた。カーンプルという小都市出身ながら、デリー大学ですっかり都会の空気に馴染んだタンヌーは、酒を飲み、タバコを吸い、ボーイフレンドを取っ替え引っ替えして来た、天竺撫子とはほど遠い性格である。当然、通常のインド人男性が思い描く人生の伴侶としての理想像からはほど遠い。しかし、イマドキのインド人女子大生を見ていると、タンヌーのキャラクターは現実とそう遠くない。非常にリアルな、等身大の現代的インド人女性像が再現されていると感じた。「Band Baaja Baaraat」(2010年)もその点で成功していたが、「Tanu Weds Manu」はそれに続く作品だと評価できる。
その一方でマンヌーのキャラクターも地味ながら面白い。インド生まれロンドン在住のNRI(在外インド人)で、両親のプレッシャーによってインドで結婚相手を探す。勉強一筋、仕事一筋の真面目な性格だったマンヌーは、今まで浮ついた話もなく、ロンドンで孤独に過ごして来た。そんな彼がタンヌーと出会い、彼の人生は一変してしまう。通常は、欧米文化の中でさんざん遊んで来たNRIの男性が、いざ結婚する段階になって、インドの伝統文化の中で育った主婦タイプの女性を娶るためにインドでお見合いするのだが、この映画では男性の方がむしろ、古い映画音楽を愛好したりして、よほどインド文化に馴染んでおり、性格もソフトである。海外でバリバリ仕事をこなしているインド人は多いが、意外に純粋な人も多く、マンヌーの人物像も決して非現実的ではない。
このように、今までのNRIとインド人女性の縁談におけるステレオタイプを破りながらも、そのおかげでより現実的な人物設定が可能となったことで、「Tanu Weds Manu」は成功した映画になっていた。
この映画のもうひとつ良かった点は、大都市ではなく、中小都市を中心に話を進めて行ったところだ。マンヌーはロンドン在住だが、ロンドンのシーンはひとつもない。マンヌーの家族はデリー在住だが、デリーのシーンもほとんどない。中心となるのはウッタル・プラデーシュ州カーンプルとパンジャーブ州カプールタラーで、一時的にウッタル・プラデーシュ州の州都ラクナウーのシーンも登場する。それぞれのシーンでは、台詞、小道具、背景などによって、その地域の雰囲気がよく出るように工夫されており、この映画を観るだけでインド各地を旅行した気分になれる。そして登場人物も典型的な中産階級像を守っており、結婚式を含め、決して現実離れした大袈裟な豪華絢爛さはない。庶民の足である列車での移動シーンもいくつかあり、正に等身大のインドがそこにあった。
類似を指摘される可能性がある映画は「Jab We Met」(2007年)であろう。ヒーロー・ヒロインの人物設定はそっくりであるし、地方都市が主な舞台となるところも似ている。だが、「Jab We Met」の主人公アーディティヤはヒロインのギートに終始振り回され続けてばかりで、主体性のある行動をあまり取っていなかったのに対し、「Tanu Weds Manu」の主人公マンヌーは、当初こそお人好し過ぎてすぐに屈してしまっていたが、最後にはタンヌーを勝ち取るために人一倍の勇気を見せ、勇敢な行動をしていた。
そしてひとつ面白かったのは、マンヌーはタンヌーを手に入れるために、勇敢な行動だけでなく、ずるい行動もしていた。ラージャーとタンヌーがコート・マリッジ(儀式的な結婚ではなく、法廷に届け出る形での結婚。親に認められない場合取られることが多い)することになり、マンヌーは親友のパッピーと共にその証人となって婚姻登記所へ赴く。だが、登記所の役人がちょうどペンを切らしてしまい、誰かペンを持っていないか聞く。そこにいたのはラージャー、タンヌー、マンヌー、パッピーの4人だが、あいにく全員ペンを持っていなかった。本当は登記所は午後5時に閉まるのだが、既に午後6時になってしまっていた。元々秘密裏に結婚しようとしていたラージャーとタンヌーは、数少ないチャンスを見て登記所にやって来た経緯があり、この日登記できなかったことで、2人の結婚は延期となる。ところがこのとき実はマンヌーはペンを持っていた。タンヌーがラージャーと結婚することを阻止するため、彼は嘘を付いたのだった。かつてマハートマー・ガーンディーは、「正しい目的のためには正しい手段を採らなければならない」と説き、その厳格な哲学が非暴力による抵抗運動の原動力となった。だが、インド人の一般の考え方は違う。目的さえ正しければ、手段において多少不正があっても目をつむるべきだという考え方である。これと同様の考え方は、古くはインド神話から見られ、インド映画のストーリーにも見受けられることが多い。マンヌーが取った行動も正にそれであり、タンヌーへの愛の気持ちがそれを正当化していた。マンヌーがタンヌーにようやく愛の告白をすることができたのも、タンヌーが「あのときペンを持っていたのに嘘を付いたのはなぜ?」と聞いたことがきっかけであった。「Jab We Met」のアーディティヤは常に真摯かつ紳士で基本的に不正はしておらず、その点でも両作品には決定的な違いがある。
マンヌーはタンヌーに一目惚れしてしまい、何があろうと彼の気持ちは変わらない。そんな彼の心情は分かりやすいが、対するタンヌーの心情を理解するのは困難である。タンヌーはボーイフレンドを取っ替え引っ替えで、恋愛を信じていないと豪語する。そのくせラージャーと出会ったら3日で彼の名字「アヴァスティー」のタトゥーを左胸に入れてしまったと言っていた。マンヌーとどんな気持ちでデートしていたかも不明であるし、彼の気持ちをどこまで理解していたかもよく分からない。マンヌーが結婚式のギフトとして送った写真のコラージュが彼女の心を最終的に動かしたことになっていたが、それも説得力に欠ける。これらの点がこの映画の弱さになっているが、全体的にはよくまとまったロマンス映画になっていた。
タンヌーを演じたカンガナー・ラーナーウトは、自身の新境地を開いたと言っていいだろう。今までリアリスティックな映画でシリアスな演技を演じて来ており、演技派女優の1人に数えられていたが、コメディー映画「No Problem」(2010年)で初めてコミックロールに挑戦し、大胆な方向転換を図った。この映画も彼女の役も成功とは言い難かったが、「Tanu Weds Manu」に来て彼女の方向転換をやっと応援する気になれた。この映画で彼女が演じたのは一般的なヒロイン像ではなかったものの、俗っぽい演技もこなせることが証明できた。また、本作ではかなり踊りも披露していた。今までカンガナーが踊っているシーンはあまり記憶にないのだが、割と踊れることも示せたのではなかろうか。
マーダヴァンも朴訥な演技で良かった。「Rang De Basanti」(2006年)や「3 Idiots」(2009年/邦題:きっと、うまくいく)のイメージの延長戦上であり、カンガナーに比べて俳優としての挑戦はあまり感じられなかったが、適材適所のキャスティングだったと言える。ただ、今回マーダヴァンが全く踊っていなかったのが気になった。ヒンディー語映画界よりもさらにダンスの才能が重要なタミル語映画界で名を馳せて来た男優であるが、実は踊りは苦手なのだろうか?
主人公の他に、ラージャーを演じたジミー・シェールギルも迫力ある演技であった。デビュー当初は軟弱な雰囲気の男優だったのだが、凄みのある演技ができる俳優にまで成長した。ただし、最近あまり出演作はなく、くすぶっている状態と言っていいだろう。今後悪役で活路を見出して行くかもしれない。友情出演扱いではあったが、ボージプリー語映画のスーパースター、ラヴィ・キシャンもチラリと登場していた。彼の役割は、観客に、タンヌーのボーイフレンドは彼だと思わせることである。実際は彼はラージャーの手下であった。また、マンヌーの親友パッピーを演じたディーパク・ドーブリヤールも熱演。素で真面目なイメージのあるマーダヴァンをコミカルにサポートし、映画を明るくしていた。
音楽はクリシュナ。おそらく新進気鋭の音楽監督である。作詞もラージシェーカルという聞き慣れない人物の手によるもの。しかし、「Tanu Weds Manu」の音楽は、本編の特徴を反映して、多岐に渡るインドらしい曲が揃っており、悪くない出来である。ウッタル・プラデーシュ州の言葉遣いの雰囲気がよく出た「Manu Bhaiya」、カッワーリー風「Rangrez」、パンジャービー風「Sadi Gali」と「Jugni」など、実にバラエティーに富んでいるし、ストーリーにもマッチしていた。特に「Rangrez」は、マンヌーとタンヌーの関係のターニング・ポイントとなるラクナウーでのショッピング・シーンで流れ、印象的であった。「染め物屋」という意味のタイトルのこの曲が流れるシーンで、タンヌーは初めて白い衣服を着る。それまでの彼女は派手な色使いの衣服を着ていた。マンヌーは花嫁衣装を選ぶタンヌーを見ながら、今までの彼女が着ていた服の色を思い出す。同時にタンヌーもマンヌーの気持ちを理解し始める。彼女の衣服の白さは、彼女の心が裸の状態になったことを象徴していると感じた。この「Rangrez」の直後にマンヌーはタンヌーに初めて愛の告白をする。
言語は基本的にヒンディー語である。カーンプルのシーンではカーンプルの方言が、カプールタラーのシーンではパンジャービー語が出て来るが、理解の支障になるほどの多さではない。設定が非常にリアルな映画であったが、台詞も同じくらいリアルであった。
「Tanu Weds Manu」は、監督、音楽監督、キャストからストーリーまで、一見派手さのない映画である。ただ、ステレオタイプへの挑戦はあり、そういう奇をてらった部分が逆に非常に地に足の着いた実直なロマンス映画になっているという新鮮な発見があった。カンガナー・ラーナーウトの方向転換も成功しており、見所である。1月には「Yamla Pagla Deewana」というアクション・コメディー映画があり、ヒンディー語映画の娯楽映画部門を背負っていたが、2月にはこの「Tanu Weds Manu」が同様の役割を果たしている。観て損はない。