「Slumdog Millionaire」(2008年)旋風は、ARレヘマーンのアカデミー賞・グラミー賞受賞をはじめ、インドの娯楽業界にも大きな収穫をもたらしたが、その中でも特に羽振りが良くなったのが、クイズ番組ホスト役として出演したアニル・カプールである。かつてのヒーロー俳優だったアニルは、「Slumdog Millionaire」前は何となく落ち目になっていたのだが、ハリウッドで名が売れたおかげで、一気にインドを代表する俳優になってしまった。「Saawariya」(2007年)で女優デビューを果たした娘のソーナム・カプールのキャリアも軌道に乗り始め、公私ともに絶好調である。アニルは過去に「Gandhi, My Father」(2007年)など数作をプロデュースしているが、その彼の最新プロデュース作「Aisha」が本日(2010年8月6日)より公開となった。主演はもちろんソーナム・カプール。だが、それと同じくらい注目なのが、共同プロデューサーとして名を連ねているリヤー・カプールである。リヤーはソーナムの妹であり、姉と同じくらい美貌を持っているのだが、姉とは違ってプロデューサーの道を選んだ。つまり、「Aisha」はアニル・カプール一家のホーム・プロデュース的な作品となっている。このような家族経営的映画制作法は、リティク・ローシャンの一家が得意としている。さて、アニル・カプールの一家の実力はどうだろうか?
ところで、「Aisha」は英国人女流作家ジェーン・オースティンの小説「エマ」を原作としている。18~19世紀に活躍したジェーン・オースティンはインド映画とも全く無縁でなく、既にグリンダル・チャッダー監督が彼女の「高慢と偏見」を原作に「Bride and Prejudice」(2004年)を監督している(ただしこれは正確には英国映画、キャストにヒンディー語映画俳優あり)。当時の英国社会の人間模様は、現代のインドに不思議とうまく当てはまるが、やはり結局は外国の小説であるため、インド映画的にうまく消化する必要もある。「Aisha」の監督はラージシュリー・オージャー。既に数本映画を監督しているが、ほとんど無名の女性映画監督である。音楽は「Dev. D」(2009年)で頭角を現したアミト・トリヴェーディーで、「Dev. D」に勝るとも劣らない楽曲を提供しており、既にヒットチャートを席巻している。そのファッション性の高さもあり、「Aisha」は8月の話題作のひとつとなっている。
監督:ラージシュリー・オージャー
制作:アニル・カプール、リヤー・カプール、アジャイ・ビジュリー、サンジーヴ・K・ビジュリー
原作:ジェーン・オースティン「エマ」
音楽:アミト・トリヴェーディー
歌詞:ジャーヴェード・アクタル
振付:アシュリー・ロボ、テレンス・レーヴィス、カラン・ブーラーニー
衣装:パルニヤー・クライシー、クナール・ラーワル
出演:ソーナム・カプール、アバイ・デーオール、イラー・ドゥベー、サイラス・サーフーカル、リサ・ハイドン(新人)、アルノーダイ・スィン、アムリター・プリー(新人)、アーナンド・ティワーリー、ヴィドゥシー・メヘラー、サミール・マロートラー、アヌラーダー・パテール、ユーリー、MKラーイナー、マスード・アクタル
備考:サティヤム・シネプレックス・ネループレイスで鑑賞。
富裕層の家庭に生まれ、デリーの上流社会を満喫していたアーイシャー・カプール(ソーナム・カプール)は、動物愛護、チャリティー、絵画、料理、ガーデニング、ヨーガなど、様々な活動に携わっていた。同じく上流階級に属する幼馴染みのピンキー・ボース(イーラー・ドゥベー)とは大の親友で、常に行動を共にしていた。最近アーイシャーが始めたのはイベントマネージャーで、特にお似合いのカップルを結婚させることに熱中していた。とりあえず、亡き母の代わりに可愛がってくれていた叔母のチトラ(アヌラーダー・パテール)を、スィン大佐(ユーリー)と結婚させることに成功した。 アーイシャーにはアーリヤー(ヴィドゥシー・メヘラー)という姉がいたが、カラン・バルマン(サミール・マロートラー)と結婚し、ムンバイーに住んでいた。現在アーリヤーは妊娠中だった。そのカランの弟がアルジュン・バルマン(アバイ・デーオール)で、アーリヤーの幼馴染みでもあった。銀行に勤めており、世界中を飛び回っていたが、最近ロンドンからデリーにやって来て、滞在していた。アルジュンは唯一アーイシャーに意見できる人物であった。アルジュンは最近、アールティー・メーナン(リサ・ハイドン)というニューヨーク生まれのインド系女性と付き合っており、彼女はデリーにも来ていた。また、アーイシャーはスィン大佐の養子ドルヴ(アルノーダイ・スィン)がデリーに戻って来ていることを知る。幼少時はひ弱な本の虫だったドルヴは、しばらく見ない間にホットな男となっていた。 アーイシャーは、ハリヤーナー州バハードゥルガルから結婚相手を探しにデリーにやって来た田舎娘シファーリー・タークル(アムリター・プリー)を、大手製菓チェーン経営者の御曹司ランディール・ガンビール(サイラス・サーフーカル)とくっつけようとしていた。シファーリーは偶然、幼馴染みのサウラブ・ラーンバー(アーナンド・ティワーリー)と出会い、彼からプロポーズを受けるが、アーイシャーは中産階級に属するサウラブを好まず、断るように言う。アルジュンは、他人の恋愛や結婚に干渉するアーイシャーを事あるごとにたしなめていたが、アーイシャーは聞く耳を持たなかった。アーイシャーは、シファーリーとランディールのカップル成立を目指して様々な策を弄するが、ランディールは実はアーイシャーのことが好きで、皆で出掛けたキャンプで彼女はプロポーズをされてしまう。当然、アーイシャーはそのプロポーズを蹴っ飛ばす。それを聞いたシファーリーもしばらくショックから抜け出せなくなる。 アーイシャーに振られたランディールは、ピンキーと心を通い合わせるようになり、すぐに婚約を結んでしまう。アーイシャーは、自分に何も言わずにピンキーがランディールと婚約したことに腹を立てるが、ピンキーも彼女の独善的な態度が気に入らず、2人は決裂してしまう。 アーリヤーが出産することになり、アーイシャーはシファーリーやドルヴと共にムンバイーを訪れる。後からアルジュンやアールティーもムンバイーにやって来て、生まれたばかりの赤ちゃんと対面する。そこでアーイシャーは今度はシファーリーとドルヴをくっつけようとするが、やはりうまく行かず、なぜかドルヴとアールティーがくっついてしまい、シファーリーはアルジュンに完全に恋してしまう。シファーリーは、それを「似合わない」と否定するアーイシャーに激怒し、彼女の元を去って行く。一連の事件を経て、アーイシャーは一人ぼっちになる。一応ピンキーとは仲直りしたものの、心は晴れなかった。また、アーイシャーは父親(MKラーイナー)の計らいで、ムンバイーで働くことになる。 ドルヴとアールティーの婚約式が行われている中、アーイシャーは深夜一人で沈んでいた。今や完全にアーイシャーはアルジュンに恋していたことを自覚する。それを見て激励する父親に後押しされたアーイシャーは、勇気を振り絞って婚約式に乗り込み、壇上から招待客の中にいるだろうアルジュンに向けて、愛情を吐露する。ところがそれは違う新郎新婦の会場で、大恥をかいてしまう。 もはや勇気を失ったアーイシャーはトイレで大泣きする。だが、そこへシファーリーが訪れる。シファーリーは、会場でアーイシャーを見つけ、彼女を追って来ていたのだった。彼女はアーイシャーのスピーチも聞いていた。だが、シファーリーは「一度見つけた愛は手放さないように」とだけ言い残して去って行く。 夜、家に帰ったアーイシャーは、突然アルジュンの訪問を受ける。アルジュンは、アーイシャーがムンバイーへ行くことを知って駆けつけて来たのだった。彼はアーイシャーのスピーチをシファーリーから聞いたようで、自分もアーイシャーのことがずっと好きだったと告白する。また、シファーリーはサウラブと結婚することになった。 こうして、アーイシャーとアルジュン、ピンキーとランディール、アールティーとドルヴ、シファーリーとサウラヴの4組の結婚式が同時に行われた。
ヒロインの名前が題名になっていること、ジェーン・オースティンの小説が原作になっていること、ファッショナブルなパブリシティーなどからも察せられるように、インド映画では珍しい、女性向けの女性中心映画であった。ここまで極度に女性をターゲットにしたヒンディー語映画は、ゴージャスなファッション界を舞台にした「Fashion」(2008年)以来であろう。アバイ・デーオール演じるアルジュンをはじめ、男性登場人物も数人出て来るが、彼らはストーリーの中核ではなく、人物描写も甘くて、完全に隅に追いやられている。主人公は完全にソーナム・カプール演じるアーイシャーをはじめとした女性陣である。そういう意味で、女性観客からの方が好意的な反応が多そうな映画だと言える。
しかし、敢えて中性的な立場からこの映画を理解し評価しようと努力しても、主人公アーイシャーの行動には全く感情移入できなかった。人を階級で差別し、父親のクレジットカードを使って贅沢三昧をし、趣味の延長線上で色々な「社会活動」に手を出し、自分がお似合いだと思ったカップルを、本人の意志と関係なく意地でも成立させようとする強引な性格で、こんなに卑劣な人間はいない。もちろんそんな彼女でも最後には反省するのだが、それまでの言動から、彼女の幸せを祈る気持ちは完全に失せているため、最後にアルジュンと結ばれるシーンも手放しで受け容れることができない。
それと関連し、アーイシャーが他人の披露宴でアルジュンに愛の告白をしてから、シファーリーとの会話を介して、アルジュンがアーイシャーに告白するまでの流れも、ストーリーの一番重要な部分でありながら、端折って描写されていたように感じた。特にシファーリーの気持ちが無視されてしまっている。最終的にサウラブと結婚することに決めたシファーリーであったが、そのセッティングをアルジュンが行ったと会話で述べられていただけである。シファーリーとサウラブの結婚の最大の障害となったのはアーイシャーなのだから、罪滅ぼしに彼女が何か行動しなければならなかった。
劇中で、チトラの台詞として、「恋愛は台風のようにやって来るものではない。台風が地形を全く変えてしまうように、人生を全く変えてしまうものではない。恋愛はそこにあるもので、いつしか気付くもの」というような言葉があったが、これが「Aisha」の核心的メッセージと言っていいだろう。200年前の英国の小説が原作となっているが、こういう恋愛の在り方が明確に描かれるようになったのは「Jaane Tu… Ya Jaane Na」(2008年)辺りで、ヒンディー語映画の最新トレンドに乗っていると言える。
原作「エマ」のプロットをインドに当てはめただけかもしれないが、デリーの上流社会の様子が描かれていたのは、ムンバイーを本拠地とするヒンディー語映画では珍しく、デリー在住者としてこの映画を多少贔屓目に見る要素となった。ポロ観戦、ファームハウスでのパーティー、五つ星ホテルでの結婚式、絵画展、デザイナーズ・ブティックでのショッピング、リシケーシュでのラフティング・ツアーなど、デリーのスノッブな若者たちの日常を垣間見ることができる。また、コンノートプレイス、プラーナー・キラー、DLFエンポリオ、ディフェンス・コロニー、グレーター・カイラーシュなど、デリーに住んでいればお馴染みの場所や地名がいくつか劇中に登場するため、デリー在住者は特に楽しめることだろう。
「Aisha」ではファッション性がかなり追求されており、特に有名ブランドが軒を連ねるヴァサント・クンジの高級モール、DLFエンポリオでのショッピングシーンは圧巻であった。美容やメイクなどにもわざわざブランドの広告を兼ねてシーンが費やされており、いかにも女性向け映画という感じがした。
自分の中でソーナム・カプールの評価はかなり分かれている。前作「I Hate Luv Storys」(2010年)の映画評では彼女の演技を酷評した。今回は、共感しにくい役で、役柄が良くなかったものの、全体的に朗らかな演技をしていて概して好印象であった。しかし、クライマックスでアルジュンに告白されたときの「リアリー?」という台詞が何とも気の抜けたもので、一気にガクッと来た。「I Hate Luv Storys」でも、同様にクライマックスで間抜けな演技をしていたので酷評したのだが、これは一体何なのだろうか?他にも時々台詞に感情がこもっていないことがあり、これは演技なのか地なのか、今のところ評価し切れずにいる。しかし、スター女優としてのオーラは十分備えており、今後ますます重要な地位を占めて行くことになるだろう。
アルジュン役のアバイ・デーオールは、ハトケ(一般とは違った)映画の常連となっているが、今回はヒロイン中心映画のヒーローとして、サポート役に徹していた。だが、所々でしっかりと演技をしていて良かった。
脇役陣は特筆すべき俳優が多い。ピンキーを演じたイラー・ドゥベーは、愛すべきおばさん女優リレット・ドゥベーの娘で、同じく女優デビューしているネーハー・ドゥベーの妹。アールティーを演じたリサ・ハイドンは国際的スーパーモデルで本作が映画デビュー作となる。アルノーダイ・スィンは、国民会議派のベテラン政治家アルジュン・スィンの孫で、「Sikandar」(2009年)に続いて2作目。シファーリーを演じたアムリター・プリーは見たところ特別なバックグランドはないようだが、彼女も本作でデビューとなる。脇役女優として大成しそうだ。
映画の出来には議論の余地があるが、奇才アミト・トリヴェーディーの音楽は最高に素晴らしい。「Dev. D」のヒット曲「Emosanal Attyachar」の再来的な「Gal Mitthi Mitthi」は今年の結婚式で流行しそうなダンスナンバーだし、アコースティックギターの音が心地よい弾き語り曲「Sham」も良い。他にもアーイシャーの性格をよく表現したタイトル曲「Aisha」や「By The Way」、フラメンコ風「Behke Behke」など、アミト・トリヴェーディーらしいバラエティーに富んだ構成となっている。「Aisha」のサントラCDは買いである。
アニル・カプール一家渾身の「Aisha」は、ヒンディー語映画界で台頭しつつあるガールズ映画の代表格だ。ジェーン・オースティンの「エマ」を原作とした、女性視点からのロマンス映画で、ファッショナブルな演出も手伝って、女性に大いに受けそうな作品である。主人公には全く感情移入できなかったが、「Jaane Tu… Ya Jaane Na」的な、都市在住の若者中心のスマッシュヒットになるのではないかと思う。