Bride and Prejudice (UK)

2.0
Bride and Prejudice
「Bride & Prejudice」

 少なくともここ1ヶ月間は、アイシュワリヤー・ラーイが初めて英語の映画に挑戦する「Bride & Prejudice」の話題で持ち切りだった。この映画は、有名な英国女流作家ジェーン・オースティンの古典的恋愛小説「Pride & Prejudice」(邦題は「高慢と偏見」または「自負と偏見」)をベースにしたヒングリッシュ映画で、監督は「Bend It Like Beckham」(2002年)で一躍有名となった英国在住のインド人女性監督グリンダル・チャッダー。この顔ぶれを見て期待するなという方が無理である。その「Bride & Prejudice」が本日(2004年10月8日)からインドで一斉に封切られた。ちなみに、インド人観客を配慮して、この映画は英語バージョンとヒンディー語バージョンの両方が公開されている。英語バージョンの題名は「Bride & Prejudice」、ヒンディー語バージョンの題名は「Balle Balle! Amritsar to L.A.」である。内容は全く同じだと思われる。今日は英語バージョンの「Bride & Prejudice」をPVRアヌパム4で鑑賞した。英語バージョンを選んだのは、今回はやはりアイシュワリヤー・ラーイが英語の映画に出演するという出来事が重要なのであり、ヒンディー語バージョンを見るのは多少邪道なように思えたからだ。

 原作は「Pride & Prejudice」だが、映画の題名はそれをもじった「Bride & Prejudice」となっている。原作も映画も若い女性の結婚をテーマにしており、そういう意味で「pride(高慢)」を「bride(花嫁)」に変更したのだと思うが、この「B」は同時にボリウッドの「B」も意味しているのではないかと推測している。監督は上述の通りグリンダル・チャッダー、音楽はアヌ・マリク、撮影監督は「Asoka」(2001年)のサントーシュ・シヴァン。キャストは、マーティン・ヘンダーソン、アイシュワリヤー・ラーイ、アヌパム・ケール、ナディラー・バッバル、ナヴィーン・アンドリューズ、ナムラター・シロードカル、ピヤー・ラーイ・チャウダリー、メーグナー、インディラー・ヴァルマー、ニティン・ガナトラー、ソーナーリー・クルカルニー、ダニエル・ギリース、マーシャー・メゾン、アレクシス・ブレデルなど。日本でも公開される可能性があるし、楽しみにしている人も多いと思うので、もしこれから見る予定がある人は、以下のあらすじや批評は読まない方が無難かもしれない。

 アムリトサル在住のバクシー夫妻(アヌパム・ケールとナディラー・バッバル)の家には4人の姉妹がいた。上からジャヤー(ナムラター・シロードカル)、ラリター(アイシュワリヤー・ラーイ)、マーヤー(メーグナー)、ラキー(ピヤー・ラーイ・チャウダリー)である。ジャヤーは大人しい性格で、ラリターは賢く聡明で、マーヤーは古典芸術にはまっており、ラキーは活発な女の子だった。最近のバクシー夫人は四人姉妹の結婚のことで頭がいっぱいだった。

 ある日、バクシー一家は友人の結婚式に出席し、そこで英国在住のインド人大富豪バルラージ(ナヴィーン・アンドリューズ)、その妹のキラン(インディラー・ヴァルマー)、そしてその友人で米国の大富豪ウィル・ダーシー(マーティン・ヘンダーソン)と出会う。バルラージはジャヤーに一目惚れし、ジャヤーもバルラージを気に入るする一方、ダーシーとラリターは何となくお互い気になりながらも反発し合う。ラリターはダーシーの高慢な態度、特にインドを馬鹿にした態度が気に食わなかった。

 バルラージはジャヤーとラリターをゴア旅行に招待し、そこでバルラージとジャヤーの仲は一層深まる一方、同行したダーシーとラリターの仲はますます険悪になった。しかもラリターはゴアでジョニー・ウィッカム(ダニエル・ギリース)と出会って恋に落ちる。ウィッカムはダーシーの知り合いだったが、彼を毛嫌いしており、ラリターにダーシーの悪口を吹き込む。さらにダーシーを嫌いになったラリターはウィッカムをアムリトサルに招待して別れる。

 ジャヤーとラリターはアムリトサルに帰って来るが、そこにウィッカムが現れ、バクシー家に居候することになる。ところが末娘のラキーがウィッカムに一目惚れしてしまい、2人はデートをするようになる。しかもバクシー家には米国ロサンゼルス在住のインド人大富豪で遠縁の親戚のコーリーが花嫁探しにやって来る。コーリーはラリターに目を付ける。そのときアムリトサルではナヴラートリーのガルバー祭が開催され、バクシー一家、ダーシー、バルラージ、ウィッカムなどがスティックダンスを踊る。そこでコーリーはラリターの友人チャンドラ・ラーンバー(ソーナーリー・クルカルニー)と出会う。コーリーはラリターに求婚するが、ラリターは金にしか人生の価値を見出していないコーリーを好きではなく、断る。コーリーは怒ってバクシー家を出てしまい、そのままチャンドラに求婚して結婚してしまう。ダーシー、バルラージ、キラン、ウィッカムらもインドを後にした。その後、バルラージからジャヤーに何の連絡もなく、ウィッカムはラキーにEメールを送り続けていた。

 四人姉妹の結婚がうまくいかず、バクシー夫人は焦っていたが、そのときロサンゼルスのコーリーから電話が入る。コーリーとチャンドラの結婚式がロサンゼルスで行われるので、4人分のロス行き航空券を用意したとのことだった。縁談のチャンスとバクシー夫人はそれをふたつ返事で快諾し、夫人、ラリター、ジャヤー、ラキーの四人がロサンゼルスに向かうことになった。その途中、ロンドンでストップオーバーしてバルラージと会おうとしたが、あいにくそのとき彼は英国にはいなかった。一方、ラキーは密かにウィッカムと会い、デートをしていた。

 ロサンゼルスでバクシー一家はダーシーの家に呼ばれ、彼の母親キャサリン(マーシャー・メゾン)や妹のジョージー(アレクシス・ブレデル)と出会う。ラリターはダーシーとデートをして、ダーシーに対して別の感情を抱き始める。だが、母親のキャサリンはラリターを気に入っておらず、コーリーとチャンドラの結婚式でラリターにダーシーの恋人を紹介して二人の仲を意図的に引き裂く。また、ダーシーがジャヤーとバルラージの結婚を邪魔していたことを知り、ラリターは完全にダーシーに愛想をつかす。ダーシーはやけくそになってラリターに愛の告白をするが、彼女は受け容れなかった。

 ロンドンに戻ったバクシー一家を追って、ダーシーもロンドンにやって来る。そこでラキーとウィッカムがデートをしていることを知る。実はウィッカムはダーシーの妹を妊娠させた過去を持つ危険な男だった。ラキーの身が危ないことを知ったラリターは、ダーシーと共にラキーを探し出し、連れ戻す。この件をきっかけに、ダーシーとラリターの仲は急速に接近し、やがて二人は結婚することになる。また、ジャヤーのもとにバルラージが訪れ、正式に結婚を申し込む。

 ラリターとバルラージ、ジャヤーとダーシーの結婚式はアムリトサルでインド式に盛大に祝われた。

 前作「Bend It Like Beckham」はヒングリッシュ映画の典型例で、かつ英国映画に限りなく近い作品であったが、今作は英国の小説をベースにしているとは言え、インド映画を国際的に、かつ英語にした映画という感じがした。インド映画として見ればある程度楽しいが、英国映画として見た場合の評価には疑問符が付く。一言で言えば、期待よりは下の作品だった。

 ストーリーの大筋は原作と似通っているが、舞台がインドのアムリトサル、ゴア、英国のロンドン、米国のロサンゼルスとなり、原作の五人姉妹が四人姉妹となり、登場人物の多くがインド人になっている点で大きな違いがあった。また、原作では末娘のリディアは駆け落ちしてしまうが、今作ではインド的良心が働いたのか、それともインド映画的大団円ハッピーエンドの必然性が必要だったのか、ラキーは駆け落ち前にラリターらに阻止されることとなった。原作でエリザベス(ラリターのモデル)とダーシーを分け隔てたのは階級の差だったが、今作では文化の差となっていたのも特筆すべきだ。他にも原作との相違点を探っていくと、インド人とインド映画の趣向が分かるかもしれない。だが、基本的に200年前の英国で書かれた原作は、驚くほど現在のインド映画の筋に似ていると言っていいだろう。原作は「財産に恵まれた独身の男性であれば、妻をほしがっているにちがいないというのが、世間一般に認められた真理である」という有名な一節で始まるが、これはインド映画の方程式にも見事当てはまる。しかし、それこそがこの映画の最大の欠点だったかもしれない。

 ヒングリッシュ映画を観に来る観客は、通常のインド映画とは違ったものを求めて来ていることが多い。前作は正にそういう観客に訴えかけるものがあったため、インドでも都市部の中上流階級層を中心に受け容れられた。今回はそれと同じ監督の最新作ということで、かなり期待をして映画館に足を運んだインテリ層が多いことだろう。その観客にインド映画の焼き直しみたいな映画を観せても受けはよくないのではなかろうか。また、ラリターと結ばれる男性が米国人である必要は特にないように思えた。米国在住の大富豪NRI(在外インド人)で、自身のルーツであるインドに偏見を持っている高慢な男、という設定にしてしまっても映画は成り立つし、その方がヒングリッシュ映画として深みが出るように思えた。さらに、インドの女神的存在であるアイシュワリヤー・ラーイが外国人と結婚してしまうというプロットは、果たして大衆に受け容れられるのか不安である。アイシュワリヤーでなくても、自国の女性が外国人と結婚するという話は、同族の女性を外敵から守らなくてはならないという本能を持っている男性には、生理的・心理的に受け容れがたいと思われる。この映画は海外でもリリースされるようだが、あまりにインド映画的過ぎるため、僕はそれほどヒットしないと予想する。

 映画中は多くのミュージカルシーン、ダンスシーンが挿入されていた。パンジャーブ風結婚式から始まり、ゴアのパーティー、ナヴラートリーのダンディヤー(スティックダンス)など、インドの魅力を余すところなく(過剰に?)伝えていたのではないだろうか。ただ、「Bend It Like Beckham」でも少し感じたが、グリンダル・チャッダー監督の映画からは、他のヒングリッシュ映画によく見られる、インド文化への尊敬や憧憬があまり感じられない。彼女にとって、インド文化は映画作りの中心テーマではなく、映画を飾り立てる装飾品になっているように感じた。

 キャスティングにも疑問が残った。アイシュワリヤーの相手役、マーティン・ヘンダーソンは、「ザ・リング」(2002年)などに出演していたニュージーランド出身の若手男優。だが、ハンサムなだけでまだ演技力は発展途上という感じだった。アイシュワリヤー自身も、初の国際映画ということで緊張していたのか、ちょっと演技が堅かった。バクシー家4姉妹の配役も成功とは思えない。ウィッカムを演じたダニエル・ギリースは、「スパイダーマン2」(2004年)にも出ていた俳優だが、あまりに悪役顔すぎてウィッカム役には似合わなかった。悪を内に秘めた美男子、という男優を探すべきだった。バクシー氏を演じたアヌパム・ケールもちょっとアピールに欠けたが、憎々しいバクシー夫人を演じたナディラー・バッバルは秀逸。「Kama Sutra: A Tale of Love」(1996年)で主人公マーヤー役を演じたインディラー・ヴァルマー(インド人とスイス人のハーフ)が、バルラージの妹キラン役を演じていたが、彼女の演技も高圧的でよかった。また、バルラージを演じたナヴィーン・アンドリューも、同映画でラージ・スィンを演じていた男優だ。

 「Bride & Prejudice」は、ヒングリッシュ映画を期待して観に行くと期待外れに終わる映画だが、普段ヒンディー語が分からなくてインド映画を敬遠している人にはもしかしてオススメできる映画かもしれない。何しろあのアイシュワリヤー・ラーイを英語で楽しめるのだ。


 後日、「Bride and Prejudice」のヒンディー語版「Balle Balle! Amritsar to L.A.」も鑑賞した。これらの比較をしてみたいが、まず、英語版を見たときよりもヒンディー語版の方が、より楽しめたような気がする。既に英語よりもヒンディー語の聴き取り能力の方が勝っているため、内容理解がよりできたことも一因だが、やはりインド人が英語をしゃべる映画よりもヒンディー語をしゃべる映画の方が自然にすんなりインド映画の世界に入っていける。また、2度目の鑑賞だったため、細かい部分にまで注意を向けることもできた。

 題名の「Balle Balle!」とは、パンジャービー語の感動詞で、「万歳!」「やった~!」「フレー!」みたいな意味。パンジャーブ地方のバングラー・ダンスなどを見ていると、よくダンサーたちが「バッレー、バッレー!」と雄叫びを上げる。この他、「ハリッパ!」「シャーバー!」「ラッバー!」なども似たような意味で、これらの語彙を少しでも知っていると、パンジャーブ州の伝統舞踊バングラー・ダンスの歌詞を楽しめるようになる。ついでに他にもバングラーなどで頻出する簡単な語彙を挙げておくと、チャク・デー・パテー(ガンガン行こうぜ!)、クリー(女の子)、ジュグニー(イマドキの女の子)、ヤール(愛しい人、親しい人)、ソーニー(金=ベッピンさん)、ヒーラー(ダイヤモンド=ベッピンさん)、ナーチュ(ダンス)、ムンダー(ターバン)、キルパーン(短剣)、ガッディー(車)、チャンガー(いいね)など。これらの語彙は、この映画を観る際にも役立つだろう。

 言語は吹き替えだった。つまり、英語版の方がオリジナルで、ヒンディー語版はその上から吹き替えがしてある。外国人俳優のセリフを声優が吹き替えていたのは当然だが、インド人俳優のセリフも実際の本人の声ではない人がいたかもしれない。その筆頭はアイシュワリヤー・ラーイだ。アイシュワリヤーは「ヒンディー語版の吹き替えをするなんて契約書に書いてない」と吹き替えを断ったらしい。他に、アヌパム・ケールの声も本人ではないように思えた。声優を誰がやっていたかは知らないが、カートゥーン・ネットワーク(アニメ専門チャンネル)でよく聞く声がいくつかあったような気がする。途中挿入されるミュージカルも、ヒンディー語(またはパンジャービー語)の曲になっていた。ただ、音楽だけは英語よりも現地語の方が絶対にいい。英語のインド映画的ミュージカルを見るのは違和感がある。そういえば「Lagaan」(2001年)の「O Rey Chhori」でもインド映画的英語ミュージカルがあった。

 今回見直してみて、アイシュワリヤーになぜ覇気が感じられなかったのかがよく分かった。普通、インド映画はスターシステムを採用しており、主役の男優や女優はよりかっこよく、より美しく見えるように工夫されている。例えばアップのシーンが圧倒的に多かったり、彼/彼女よりも背の高い脇役を横一線で並べなかったり、照明を工夫して肌をなるべく白く見せたり、といろいろな技法が取られている。しかしこの映画ではグリンダル・チャッダー監督は一切そういう配慮をしていなかった。そのため、他の映画では実際より数割増しに神々しく見えるアイシュワリヤーも、他の脇役やエキストラの中に紛れてしまって「普通の人」と化してしまっていた。それでいて、アイシュワリヤーは頑なにキスシーンを拒んだようだ。少なくとも3回、キスのチャンスがあったが(1回はウィッカムと、2回はダーシーと)、どれもキス直前で終了していた。もし世界に向けて羽ばたきたかったら、特にハリウッドで活躍したかったら、ノーキスではやっていけないだろう。果たしてインドの女神は世界の女神となるためにプライドを捨てるのだろうか、それともインドの女神で留まるのだろうか?また、アイシュワリヤーが水着になるシーンもあったが、ほとんど彼女の全身は映されなかった。

 女性作家の原作を女性監督が映画化しただけあり、女性の視点中心の映画だと思った。女性の強さと弱さ、美しさと醜さのコントラストが、男性にはちょっと真似できないくらい巧妙に描かれ、女性にとってどういう人生が一番幸せなのかを考えさせる力がある映画である。女性同士の関係は非常に緻密に描かれている一方、男性の登場人物の描写はステレオタイプでお粗末だ。少女漫画と同じノリである。それゆえ、バクシー氏を演じたアヌパム・ケール、ダーシーを演じたマーティン・ヘンダーソン、ウィッカムを演じたダニエル・ギリースなどの潜在能力が活かし切れていなかった。

 はっきり言って映画のキャラクターはそれもあまり深みがないのだが、ウィッカムだけは議論する価値があると思う。ウィッカムはダーシーの乳母の息子で、ダーシー家の馬の世話をして暮らしていた。ダーシーとは共に育った仲だったが、彼はダーシーの妹が16歳のときに彼女を妊娠させ、しかも駆け落ちしようとしたため、ダーシーは妹を奪い返して彼を追放した。それ以来2人は会っていなかったのだが、ゴアで偶然再会する。ダーシーはホテル買収のためにゴアに来ていた一方で、ウィッカムはインドを貧乏旅行してゴアに流れ着いていた。ラリターはインドに対して偏見を持つダーシーを嫌い、「金を持っていれば持っているほど、本当のインドから遠ざかる」と主張するウィッカムに惹かれる。ウィッカムはラリターにダーシーの悪口を吹き込み、ますます彼女はダーシーを嫌うようになる。ダーシーはただラリターに「ウィッカムには気を付けろ」と言うだけで、深い話まではしなかった。アムリトサルにウィッカムが来ると、彼はラキーと仲良くなる。ラキーはロンドンでもこっそり彼を訪ねるが、彼は船上生活者だった。最後にラリターはウィッカムとダーシーの妹の間に起こった事件を知り、ウィッカムからラキーを取り戻す一方で、ウィッカムはダーシー、ラリター、ラキーの3人からそれぞれ殴られて、憐れな末路となる。・・・普通に考えたら、善人の面をかぶった悪役が懲らしめられて一件落着と言いたいところだが、よく考えたら、金持ちのダーシーが美しいラリターと結婚し、貧乏なウィッカムが、過去に過ちを犯したとは言え、またラリターとラキーの二兎を追おうとしたとは言え、不幸な結末を辿るのは、結局「金持ちと結婚すべし」という何の含蓄もない結果となってしまっているのではなかろうか。この点は、インド映画の一般的ストーリーと多少異なるように思える。インド映画では、貧しい主人公が大富豪の息子または娘と苦難を乗り越えて結婚するというストーリーがけっこう好まれる。

 原作の五人姉妹を四人姉妹にしたのは賢明だったと言える。もっとも影が薄くなってしまっていたのは三女のマーヤー。古典音楽や古典舞踊をなぜか熱心に習得している女の子という謎の設定な上に、活躍場所は途中のコブラダンスだけ(これはこれで映画中もっとも迫力のあるシーンだが)。外見的にも四姉妹の中で一番見劣りがしており、かわいそうだった。長女ジャヤーを演じたナムラター・シロードカルは役柄にピッタリだと感じたが、アイシュワリヤーと並ぶとあまり長女っぽくないのが難点だった。四女のラキーを演じたピヤー・ラーイ・チャウダリーは、アイシュワリヤーを除けば四姉妹の中で一番目立っていた。

 演技と存在感で際立っていたのは、バクシー夫人を演じたナディラー・バッバルと、バルラージの妹キランを演じたインディラー・ヴァルマーだ。何が何でも娘たちの縁談をまとめようと躍起になる母親を、ナディラーは憎々しくも、哀愁溢れる笑いを醸し出しながら豪快に演じた。一方、インドを馬鹿にし、バルラージとジャヤーの結婚を面白く思わないキランを、インディラーは題名「高慢と偏見」を自らのみで体現化しようとしているかのように、積極的に演じた。ナディラーの演技は映画の質を高めていたが、インディラーは脇役のくせにあまりに存在感がありすぎて、少しバランスを悪くしていたようにも思えた。

 エキストラをどこから集めたのかは知らないが、裏の方にいる人々をよく見てみるとけっこう楽しい。おそらくプロのエキストラではなく、現地で雇った人がけっこういるのではなかろうか。ミュージカル「Lo Shaadi Aayi」ではヒジュラーが登場して踊り出すが、僕はこのヒジュラーは本物ではないかと思った。本物のヒジュラーを映画に登場させた映画というのは記憶にない。また、クライマックスでは結婚したラリターとダーシーが象の上に乗っているシーンがある。このシーンに映っていた象使いも、どう見ても本物である。アイシュワリヤーを後ろに乗せて、笑みがほころびそうなのだが、それを必死でこらえているような微妙な表情を見せていて微笑ましかった。他にもこのシーンでは、踊る群衆の中に「何が起こってるんだ」とポツンと立っている人がいて面白かった。

 アムリトサルが舞台だっただけあり、スィク教最大の聖地にしてアムリトサルのランドマーク、黄金寺院が何度も映し出され、スィク教徒にとってはおめでたい映画となったと思う。他に僕が特定できた場所は、グランドキャニオンやロサンゼルスのロングビーチなどだ。ロンドンのシーンで映っていた遊園地はけっこう有名なのではないだろうか(英国には行ったことがないので分からず)。

 エンドロールでは、ジャッキー・チェン映画よろしくお楽しみNGシーン特集がある。グリンダル・チャッダー監督も出ており、マーティン・ヘンダーソンに抱きついたり、白人のおじさんと踊ったりと、やりたい放題だ。アイシュワリヤーの生の顔もチラッと見ることができる。

 日本人で英語とヒンディー語が両方分かる人はそれほどいないので、普通の人は迷わず英語版「Bride & Prejudice」を見るべきだろう。しかし、もしヒンディー語が分かるなら、ヒンディー語版「Balle Balle! Amritsar to L.A.」の方が、インド映画特有のラサ(参照)をより多く享受することができるように思われるので、オススメだ。果たして日本で公開されるときが来るのかは分からないが、あまりにインド映画的特徴が強いので、一般受けは難しいかもしれない。英国でも既に公開されているが、反応は様々で、絶賛の嵐というわけではなさそうだ。興行的にはまずまずとのこと。「Bend It Like Beckham」(2002年)はベッカム人気も加算されていたので、今回はそれを差し引いて勘定すべきだろう。