留学であろうと仕事であろうと、インドに住み始めて最初に直面する共通の難関は、滞在中ずっとホテル暮らしという贅沢かつ味気ない選択肢を選ばない限り、間違いなく家探しである。日本とは勝手が違いすぎるため、あらゆる段階で苦労することになる。不動産屋がいい加減でやる気がなかったり、パーフェクトな家が皆無であるために消去法的思考を持たないといつまで経っても決められなかったり、一度合意した家賃を契約直前でひっくり返されたり、住んでみたらまた新たな問題が山積だったり・・・。そういう問題は外国人だけでなくインド人も当然経験する。デリーもそうだが、土地代が世界有数レベルに高いムンバイーではさらにその問題は深刻のようで、特にムンバイーで一旗揚げようとやって来る地方出身の若者たちにとっては頭の痛い問題となっているようだ。そのひとつの解決法として好まれるのがルームシェアである。家賃を折半できるため、選択肢が広がる。もし気のおけない友人同士でルームシェアするなら問題ない。だが、見知らぬ人同士でルームシェアすることも割と行われているようで、2010年4月23日公開のヒンディー語映画「Apartment」では、赤の他人とのルームシェアの危険性がメインテーマとなっている。
監督は「Bawandar」(2000年)、「Provoked」(2006年)など、真面目な社会派映画で有名なジャグ・ムンドラー。タヌシュリー・ダッターやニートゥー・チャンドラのホットなシーンがあることでも話題になっている。
監督:ジャグ・ムンドラー
制作:ナーリー・ヒーラー
音楽:バッパー・ラーヒリー
歌詞:サイヤド・グルレーズ
衣装:ローヒト・チャトゥルヴェーディー
出演:タヌシュリー・ダッター、ローヒト・ロイ、ニートゥー・チャンドラ、アヌパム・ケール、ウディター・ゴースワーミー(特別出演)など
備考:サティヤム・シネプレックス・ネループレイスで鑑賞。
スチュワーデスのプリーティ・セーングプター(タヌシュリー・ダッター)は、恋人のカラン・マロートラー(ローヒト・ロイ)と共にムンバイーの高層アパートの賃貸フラットに住み始めた。隣には詩人のマドゥスーダン・タンハー(アヌパム・ケール)が猫のシェヘザーディーと共に暮らしていた。 嫉妬深いプリーティはカランの浮気を疑い、アパートから追い出してしまう。カランと家賃をシェアできなくなり、経済的に困窮したプリーティは、同僚の助言に従い、ルームメイトを募集する。こうして同じフラットに住むことになったのが、田舎からムンバイーへやって来たばかりのネーハー・バールガヴ(ニートゥー・チャンドラ)であった。ネーハーは書店に勤め始めたばかりで、タンハーとも面識があった。ネーハーは夕食を作ったり掃除をしたりしてプリーティに尽くした。 アパートを追い出されたカランはプリーティに謝ろうと何度も努力するが、プリーティは全く受け付けなかった。しかし、タンハーに説得され、プリーティはようやくカランの謝罪を受け容れる。ところが、2人の仲直りを機に異変が起こり始める。まずはタンハーが可愛がっていた猫シェヘザーディーがベランダから落ちて死んでいるのが発見される。カランとプリーティは毒殺ではないかと疑う。次に、プリーティが飼っていた金魚が殺されているのが見つかる。プリーティは、全てネーハーの仕業ではないかと疑い出す。ネーハーの部屋を物色すると、彼女が飲んでいる薬や故郷のことなどが分かる。薬を調べてみると、ネーハーは鬱病であることが分かった。また、タンハーはネーハーの故郷イガトプリーへ行き、彼女が育った孤児院を訪ねる。そこでかつてネーハーの親友だった女性と出会う。彼女によると、ネーハーは彼女との友情に固執するあまり、彼女と結婚することになった男性を毒殺し、服役していたことが明らかになる。タンハーはすぐにそのことをプリーティに伝え、警告しようと電話するが、電話を取ってその話を聞いていたのはネーハーであった。 ネーハーは、アパートに帰って来たタンハーを待ち構えていた。そして屋上に行って飛び降り自殺をしようとする。引き留めようと追いかけて来たタンハーをネーハーは貯水タンクの中に落とし、蓋を閉める。翌朝タンハーの遺体が発見されるが、愛猫を失った悲しみによる自殺と処理されそうになる。だが、プリーティは全てネーハーが行ったことだと確信し、問答無用で彼女をアパートから追い出す。 追い出されたネーハーは、書店の店主が所有していた拳銃を盗み、プリーティの部屋で待ち伏せする。帰って来たプリーティを縛り上げるが、そのとき警察がやって来る。ネーハーは勢い余って警察を射殺してしまう。隙を見て逃げ出したプリーティを追ってネーハーも屋上へ上がる。ちょうどカランがやって来て、ネーハーに腕を撃たれるものの、プリーティを救おうとする。ネーハーはこのままプリーティと共に飛び降りようとするが、間一髪のところでプリーティを助ける。ネーハーはそのまま落下して死亡する。
下手なインド製ホラー映画よりもよっぽど怖いサイコスリラー映画であった。一見純朴な田舎娘と思われたルームメイトは、大事な人が次々に去って行った幼少時のトラウマから精神的疾患を抱えており、過去には殺人まで犯していた。主人公が元ボーイフレンドとよりを戻そうとしたことで、「また大事な人を奪われる!」と、彼女の精神は不安定となり、数々の凶行に及ぶ。これらのストーリーによって、素性の知れない人と、もっとも無防備な場である家を共有することに危険性について警鐘が鳴らされていた。先日見たホラー映画「Phoonk 2」(2010年)と比べると、やはりもっとも怖いのは幽霊よりも生きた人間であることが実感される。無理矢理ダンスシーンが入っていたのが多少不要に思えたが、しっかりと作られており、2時間弱の時間、映画館で涼みたいのなら打ってつけの作品である。しかし、映画としての目新しさには欠けるため、映画自体のアピールには欠ける。
最近のヒンディー語映画は、ムンバイーを中心とした都会の人々のライフスタイルの変化を敏感に感じ取り、それを反映している。かつて「Salaam Namaste」(2005年)という映画が公開されたときは、婚前同棲の是非が大いに議論された。インドの社会はまだまだ保守的であり、未婚の人々への制約は厳しい。今月は、印テニス界のアイドル、サーニヤー・ミルザーが、パーキスターンのクリケット選手ショエーブ・マリクとの電撃結婚を発表したことが話題になった。ショエーブは突如来印してサーニヤーの実家に滞在し、そのまま結婚式を挙げてパーキスターンに新婦を連れて帰って行ったが、そのとき、未婚の男女がひとつ屋根の下にいたことがイスラーム教の宗教指導者らから「違法」とされ、糾弾された(両者ともイスラーム教徒)。結婚を決め、結婚式を直前に控えた男女が数日間同じ家に滞在することにすら非難の声が上がる社会である。同棲などはもってのほかだ。しかし、社会が認めようと認めまいと、同棲という習慣は都市部を中心に徐々に浸透しているようで、ヒンディー語映画でも同棲がかなり自然に描写されるようになった。「Salaam Namaste」では同棲が目新しいものとして描かれ、中心議題となっていたが、「Wake Up Sid」(2009年)、「Rann」(2010年)、「City of Gold」(2010年)などを経るにつれて、同棲がしごく自然なものとしてプロットの中に組み込まれるようになって来ているのを感じる。
ただ、せっかくムンバイーの住居事情に踏み込んだのだから、主人公のプリーティが恋人のカランと同棲を始めた理由について、もうひとつ社会的な現実を加えてもよかったのではないかと思う。実はインドでは独身女性に部屋を貸すのを敬遠する傾向がある。女性は、マヌ法典にも規定がある通り、幼少時は父親に、結婚後は夫に、夫の死後は息子に守られ服従するべきものであると考えられており、つまり女性の自立を認めない考え方がとても根強い。かつて自立した女性がいたとしたら、それは娼婦である。だから、独身女性が単身または複数で部屋を借りて住むことへの理解があまりないのである。インドで家探しをすると、「家族オンリー」「既婚者オンリー」を掲げているところが結構あるのは、そういう理由からだ。しかし、女性の社会進出が進んだ今、田舎から出て来て都会で働く独身女性もどこかに家を借りて住まなければならない。ひとつの選択肢は働く独身女性向けの寮である。都会には割と様々なタイプの女性向け寮があり、条件さえ合えば、そういう施設を利用できる。「Apartment」でも、ムンバイーにやって来たネーハーが最初に駆け込んだのは寮であった。しかし、なぜ彼女が寮を出たのかについては劇中で描写がなかった。その他、グレーな方法として、既婚者であると偽って部屋を借りることもあるみたいだ。ボーイフレンド、または適当な男性に偽の夫になってもらって大家と契約を交わし、彼と一緒に、または1人で住み始めるのである。しかし、これが一度大きな問題になったことがあった。2004年のミス・インディアに選出されたラクシュミー・パンディトという女性がいたのだが、彼女はムンバイーで家探しをする上で独身女性が部屋を貸りられない現状に直面し、仕方なく友人の男性を使って既婚者と偽って家を借りていた。しかし、ミス・インディアは独身でなければならない。ミス・インディアになってなまじっか顔が売れてしまったことで大家の目にも留まり、大家は彼女は独身ではないと主張し始めた。仕方なく既婚を装った事情などは説明されたのだが、可哀想にラクシュミーは責任を取って念願だったミス・インディアを辞退することになってしまった。「Apartment」では、プリーティがカランと同棲を始めたのは純粋に経済的な問題のみが理由であったが、この辺の事情を加味すると、もう少し踏み込んだ映画になっていたのではないかと思う。
今回驚くべき演技を見せてくれたのはニートゥー・チャンドラである。元々変わった役を演じることが多く、「Traffic Signal」(2007年)や「Oye Lucky! Lucky Oye!」(2008年)などが印象的だが、ここに来て単に精神異常の役ではなく、映画の核となるような大役を任され、大いに底力を発揮していた。現在のヒンディー語映画界において、気の触れた女性の演技に定評があるのはヴィディヤー・バーランやカンガナー・ラーナーウト辺りであろうが、ニートゥー・チャンドラも十分にそのリストに加えられる資格がある。元々三白眼気味なので、怒りの表情をすると怖さが際立つ。序盤の純朴な田舎娘を思わせる演技とのギャップも良かった。また、序盤で彼女の全裸入浴シーンがあったが、あれは孤独感でも表現したかったのだろうか?意図が不明であった。
ニートゥー・チャンドラが凄すぎるので他のキャストの演技が霞むのだが、一応主演と言えるのがプリーティを演じたタヌシュリー・ダッターである。「Aashiq Banaya Aapne」(2005年)でデビューしたときは将来有望な女優と感じたが、その後セクシー路線へ行って(行かされて)しまい、アイテムガール化してしまった。一度そういうイメージが付くと、正統派ヒロイン女優に復帰するのは至難の業である。「Apartment」では、まずかなり太ってしまっていることに驚いた。演技にも深みがない。かと言って大胆な濡れ場を演じて起死回生を狙うと言った気概も感じられなかった。これではこのままボージプリー語映画などに流れて行ってしまうのではないだろうか。
カランを演じたローヒト・ロイは可もなく不可もなし。売れない詩人を演じたアヌパム・ケールは相変わらず良かった。他に、最後でウディター・ゴースワーミーがサプライズ出演していたが、彼女も三流に留まっており、特にインパクトはなかった。
音楽はベテラン音楽監督のバッピー・ラーヒリーが担当していたが、片手間で作ったかのようなふにゃふにゃの曲ばかりであった。踊りも大したことはない。
「Apartment」は、見知らぬ人と生活を共有する必要に迫られる都会人の潜在的危険性を突いたサイコスリラーであった。よくまとまった映画でつまらないことはないのだが、プロットやエンディングに目新しさはない。ニートゥー・チャンドラの演技だけが見物である。