Tarla

4.0
Tarla
「Tarla」

 タルラー・ダラール(1936-2013年)はインドにおける料理本や料理番組のパイオニアである。彼女は生涯に100冊以上のレシピ本を書き、合計1千万部以上を売り上げた。また、彼女が講師を務める料理番組は日本の「きょうの料理」と同じ知名度を誇る。自身は菜食主義者であり、インド料理はもちろんのこと、菜食アレンジした西洋料理も広め、インドの食卓を豊かにした。彼女は2007年に料理関係者として初めてパドマシュリー勲章を受勲した。

 2023年7月7日からZee5で配信開始された「Tarla」はタルラー・ダラールの伝記映画である。ただし、彼女のサクセスストーリーよりも、彼女がどのように仕事と家庭を両立し、家族からの支援を受けたかに重点が置かれた作りになっている。監督はピーユーシュ・グプター。「Dangal」(2016年/邦題:ダンガル きっと、つよくなる)や「Chhichhore」(2019年/邦題:きっと、またあえる)の脚本家であり、本作が監督デビューとなる。

 主人公タルラー・ダラールを演じるのはフマー・クライシー。彼女の夫役を演じるのはシャーリブ・ハーシュミー。他に、バーラティー・アチュレーカル、ヴィーナー・ナーイル、プールネーンドラ・バッターチャーリヤなどが出演している。

 プネー出身のタルラー・ダラール(フマー・クライシー)は、織物工場でマネージャーとして働く技師の夫ナリーン(シャーリブ・ハーシュミー)とお見合い結婚をし、ボンベイに移住した。二人の間には3人の子供が生まれ、幸せに暮らしていた。だが、タルラーは結婚前から人生で「何か」をしたいと思っていた。その「何か」が何か分からないまま、ふと気付くと10年以上の歳月が過ぎ去ってしまっていた。

 タルラーは、隣人の娘カーヴィヤーに料理を教えたことで評判になり、料理教室を開く。だが、あまりに生徒が増えすぎてしまったため、団地の自治会から商業活動の禁止を言い渡される。同じ頃、ナリーンが勤める工場ではストライキが起き、閉鎖されてしまった。失業したナリーンはタルラーに料理本を書くことを勧める。タルラーが初めて出版した料理本は瞬く間に人気になる。

 タルラーの人気に目を付けたのがTV局のプロデューサー、レーヌカー・シュリーヴァースタヴァ(ヴィーナー・ナーイル)だった。レーヌカーはタルラーを説得し、講師を務める料理番組を立ち上げる。タルラーの知名度はますます上がる。だが、妻が成功する一方でナリーンは再び職探しを始めていた。タルラーの成功に嫉妬もしたし、彼女が家にいないことで子供が病気になったりもして、必ずしも夫婦仲が円満ではなかった。それでもナリーンは、女性の成功を支える男性としての自分の存在価値を見出す。タルラーは番組を止めようと考えていたが、ナリーンは彼女を勇気づける。

 こうしてタルラーはインド中で知れ渡る料理家となり、インド政府から勲章も授与されるほどとなった。

 タルラー・ダラールが初めて料理本を出版したのは1974年だった。また、当時ボンベイの経済を支えていた織物工場での労働者ストライキが激化し、工場が閉鎖に追い込まれたのは1980年代である。その辺りの時代は完全に一致しないものの、この映画は1970年代から80年代の物語だと捉えるべきであろう。

 当時のインドにおいて、中産階級の女性は結婚後に主婦になるのが一般的で、結婚後に会社などに勤めて働くことなどはほとんど考えられなかったと思われる。そんな時代に料理本を出版し、TVに出て料理番組の講師を務めたタルラーは例外的な女性だった。ただし、「Tarla」においてフマー・クライシーが演じた主人公タルラーは、必ずしも強い意志を持った女性というわけでもなかった。「何か」をしたいとは思っていたが、その「何か」が何なのか分からないまま結婚し、3人の子育てをする内に「何か」を追い求めようとする願望を忘れかけてしまっていた。

 タルラーは元々料理が得意だったが、それを職業にしようとは夢にも考えていなかった。彼女が料理教室を始めることになったのも成り行きからである。料理本の出版も夫の発案であるし、料理番組への出演もTV局からオファーがあっただけで、自分から売りこんだわけではない。タルラーは、自分で自分の可能性を切り拓く代わりに、環境に恵まれて名声を獲得したタイプの女性だといえる。

 題名からしてタルラーの伝記映画であるし、彼女が主人公であることには疑いがないのだが、この映画はむしろ、タルラーの夫ナリーンの心情を非常に丁寧に描写していた作品だった。実在のタルラー・ダラールの夫はナヴィーンという名前であり、少し変えてあるが、タルラーの夫の人となりもかなり忠実に再現されているのではないかと思われる。「Darbaan」(2020年)などのシャーリブ・ハーシュミーが絶妙な演技力と共に演じている。

 ナリーンは、自分よりも社会的に成功した妻を持つ夫を代表したキャラだといえる。ナリーンはとても穏やかな性格の男性であり、結婚前からタルラーの挑戦を支えると約束していた。実際、彼はタルラーが料理本を出版するのを全面的に支援する。しかし、想像以上にタルラーは成功し、いつの間にか自分の肩書きが「タルラーの夫」になってしまっていることに気付く。タルラーはTV番組で視聴者に料理を教えていたが、家庭では家事が疎かになり、子供を病気にさせてしまう。そんなこともナリーンの不満となって蓄積されていった。だが、ギリギリのところでナリーンはタルラーの行動を止めようとはしなかった。

 この映画の大きな分かれ目は、ナリーンが妻の知名度のおかげで就職できた瞬間にあったといっていい。もしナリーンが「男らしさ」に固執するキャラであったならば、妻のおかげで職を得るのは屈辱だと考えたことだろう。だが、ナリーンはオープンマインドな男性であり、その出来事を妻に対する感謝に変換できていた。よく、「成功した男性の影には女性がいる」といわれるが、ナリーンは「成功した女性の影にも男性がいる」といわれ、自分の存在価値を認める。

 ナリーンは、家事や育児よりも自分の成功を優先させてしまったことを反省していたタルラーに、TV番組での仕事を続けさせる。ナリーンの理解がなければタルラーは料理家として成功できなかっただろう。これは、実在のタルラー・ダラールの夫ナヴィーンにもきっといえることだったと思われる。

 主筋とは少し外れるが、個人的に微笑ましかったのは、菜食主義を巡る夫婦間の攻防だ。タルラーは純粋な菜食主義者であり、結婚前に夫にも菜食主義者か確認していた。タルラーを気に入っていたナリーンは、タルラーの気を引くためであろう、「基本的には菜食主義者だが、人から勧められたら肉や魚を食べることもある」と曖昧な返事をする。結婚したナリーンはどうも肉が食べたいのを我慢して菜食主義料理を食べ続けていたようだ。だが、ある日彼は同僚から鶏肉料理を譲られて食べてしまい、その様子をタルラーに目撃されてしまう。それ以来、タルラーはナリーンを台所に入れようとしない。タルラーのすごいところは、そのまま夫を拒絶するのではなく、肉を使わずに肉料理の味を引き出そうと努力することである。この辺りのエピソードが実話なのかは不明だが、いかにも菜食主義者が人口の半分を占めるとされるインドらしいやり取りだった。

 主演フマー・クライシーとシャーリブ・ハーシュミーの演技は素晴らしかった。フマーは「Double XL」(2022年)で太った女性役を演じてから開き直ったのか、今回もちょっと太めの主婦役を演じていた。デビュー作の「Gangs of Wasseypur Part 1」(2012年)の頃から演技力には定評があったが、重量級の役も難なくこなしており、一昔前のヴィディヤー・バーラン的な立ち位置にいる女優になりつつある。シャーリブは脇役として起用されることが多いが、優れた俳優の一人であり、このように主演作のチャンスもしっかりと物にしている。

 「Tarla」は、インドのパイオニア的な料理家タルラー・ダラールの伝記映画である。普通の主婦だったタルラーがいかにしてインドの津々浦々で知られる存在になったのかは当然描かれているが、彼女を支えた夫の存在にも彼女以上に焦点を当て、女性の社会進出の裏側を見せている点が非常にユニークだ。タルラーを応援したくなるのはもちろんのこと、彼女を支えた夫ナリーンにも拍手を送りたくなる、そんな必見の感動作である。そして、このような映画にはありがちだが、観ていて異様に腹が減る映画でもある。