1990年代を代表するヒンディー語映画の名作「Kuch Kuch Hota Hai」(1998年)を一度でも観た人なら、脇役ながら、無言の愛らしいスィク教徒の子供のことを覚えているだろう。あの子の名前はパルザーン・ダストゥール。「Kuch Kuch Hota Hai」以後も「Zubeidaa」(2001年)、「Kabhi Khushi Kabhie Gham」(2001年)、「Parzania」(2007年)など、いくつかの映画に端役で出演していたようだが、今ではすっかり成長し、遂に主演をはるまでになった。2009年8月21日公開の「Sikandar」である。ヒロインもまた注目。その年の映画賞を総なめした名作「Black」(2005年)で、主人公ミシェルの子供時代を演じ、絶賛を受けたアーイシャー・カプールと言う子役がいたが、彼女も立派に成長しており、「Sikandar」でヒロインを務めている。一見すると子供向け映画に見えるが、テーマはインドが抱える様々な問題の中でも最も悩ましいカシュミール問題であり、一筋縄ではいかない作品であることがうかがわれた。日本一時帰国前の慌ただしい時期だったが、この映画を観ておくことにした。
監督:ピーユーシュ・ジャー
制作:スディール・ミシュラー
音楽:サンデーシュ・シャーンデーリヤー、ジャスティン・ウダイ、シャンカル=エヘサーン=ロイ
歌詞:プラスーン・ジョーシー、ニーレーシュ・ミシュラー、クマール
出演:パルザーン・ダストゥール、アーイシャー・カプール、マーダヴァン、サンジャイ・スーリー、アルノーダイ・スィン(新人)
備考:サティヤム・シネプレックス・ネループレイスで鑑賞。
カシュミール。14歳の少年スィカンダル・ラザー(パルザーン・ダストゥール)は、ジハーディー(イスラーム原理主義テロリスト)に両親を殺され、叔父と叔母と共に暮らしていた。サッカーが大好きで、将来はサッカー選手になることを夢見ていた。スィカンダルは、学校に転校して来たナスリーン(アーイシャー・カプール)と言う女の子と仲良くなる。 ある日、スィカンダルとナスリーンが学校まで近道するために森林の道を歩いていると、道端に拳銃が落ちているのを発見する。ナスリーンは止めるが、スィカンダルは拳銃を拾う。得意になったスィカンダルは、いじめっ子3人組を銃で脅して屈服させる。 スィカンダルの叔母が洗濯機が欲しいと言っているのを聞いたスィカンダルは、ナスリーンと共に市場へ行く。そこで展示されていた洗濯機を勝手にいじったことで、店主のジャーヴェードに叱られる。咄嗟にスィカンダルは銃を取り出し、ジャーヴェードに突き付け、そのまま逃げ出す。 実はジャーヴェードは、カシュミールの独立のために活動するカシュミール自由隊(KAF)の一員であった。ジャーヴェードは、KAFの司令官ゼヘギール・カーディル(アルノーダイ・スィン)にそのことを報告に行く。拳銃を持つ少年に興味を持ったゼヘギールは、スィカンダルに近付き、彼に銃の使い方を教える。見る見る内にスィカンダルの腕前は上達する。最後の試練として与えられた任務が、ある人物の暗殺であった。この課題さえこなせば報酬として洗濯機がもらえるとのことだった。スィカンダルは何の疑問を抱かず、暗殺に乗り出す。だが、その前にそのことをナスリーンに話していた。 暗殺のターゲットになっていたのは、ムクタール・マットゥー(サンジャイ・スーリー)という人物であった。ムクタールは元々テロリストだったが、政界へ進出し、平和的手段によるカシュミールの独立を目指していた。スィカンダルはムクタールに照準を合わせるが、ナスリーンが盾になってそれを止めたため、暗殺は失敗に終わった。その様子を見ていたゼヘギールは、失敗したスィカンダルに暴行を加えるが、スィカンダルは咄嗟に銃を取り出してゼヘギールを撃ってしまう。ゼヘギールはその場で絶命した。 ラージェーシュ・ラーオ中佐(マーダヴァン)率いる国家ライフル隊は、ゼヘギールの遺体を確認し、犯人を追跡し出す。ラージェーシュが恐れていたのは、ゼヘギールはインド軍によって殺されたとカシュミール住民が考えることであった。一方、KAFのテロリストたちも、ゼヘギールの暗殺者を捜索する。スィカンダルは怖くなって拳銃を捨てようとするが、いじめっ子3人組に拳銃を奪われてしまう。だが、運が悪いことに三人組が銃を持ってゼヘギールの話をしているところをテロリストたちに見られてしまい、彼らは殺されてしまう。スィカンダルとナスリーンは3人が殺されているのを見つけ、銃を取り返そうとするが、そこへ軍人が来てしまい、追い払われる。 ラージェーシュ中佐は、殺された三人の子供のそばにいたスィカンダルとナスリーンに興味を持ち、まずスィカンダルを探し出す。スィカンダルは家から逃げ出し、森林に身を隠す。ナスリーンはスィカンダルにブルカーとバッグを渡し、モスクへ行ってマウルヴィー(神官)に匿ってもらうように助言する。スィカンダルはブルカーを着てモスクへ向かう。ところが、スィカンダルがブルカーとバッグを脱ぎ捨て、マウルヴィーのところへ行った途端、バッグが大爆発を起こす。スィカンダルの命に別状はなかったが、全く訳が分からず、逃げ出すしかなかった。ナスリーンを頼ろうとしたが、そこで彼が密かに見たのは、ムクタールに「娘よ」と呼ばれるナスリーンの姿であった。ナスリーンはムクタールの娘だった。 ラージェーシュ中佐はモスクに爆弾を持ち込んだ少年を全力で捜索する。スィカンダルは森林の小屋で一晩を明かす。朝起きると、彼の前には拳銃と写真とメッセージであった。 一方、ムクタールとナスリーンはデリーへ向かおうとしていた。そこに立ちはだかったのがスィカンダルであった。スィカンダルはムクタールに銃を向けるが、やはりナスリーンが盾になった。仕方なくスィカンダルは銃を捨てる。銃を拾い上げたナスリーンは、意外なことにムクタールを射殺する。そこへラージェーシュ中佐が登場し、遺体を処理して去って行く。
「Sikandar」の監督ピーユーシュ・ジャーは、以前「King of Bollywood」(2004年)というカルト的映画を撮っている。この作品はほとんどヒットしなかったのだが、ヒンディー語映画界の落ち目の映画スターの孤独がドキュメンタリータッチでよく描写されており、僕の中では隠れた名作として記憶されていた。ジャー監督はその後しばらく映画監督業から離れており、最近では「Saas Bahu Aur Sensex」(2008年)で俳優デビューしたことぐらいしか映画関連のニュースがない彼であったが、カシュミールを旅行中に再び映画を監督することを思い立ったようで、それが今回の「Sikandar」につながっている。
「King of Bollywood」のこともあり、「Sikandar」には多少期待を寄せていたのであるが、見終わった後の正直な感想は、残念ながら限りなく駄作に近い映画というものであった。致命的なのは、ストーリーが訳分からない、各人物の行動の動機がよく分からないという点である。一体ナスリーンは正真正銘のテロリストで最後に改心したのか、それとも父親に操られていただけだったのか、最後のムクタール射殺におけるラージェーシュ中佐の役割は何だったのか、最後にナスリーンを橋の真ん中で下ろしたのはどういう意味があるのか、などなど、はっきりしない部分が数え切れないほどあった。監督はこの映画によって、カシュミール人の子供が皆テロリストではないということを伝えたかったようだが、そのメッセージが読み取れるようなストーリーにもなっていなかった。そもそも映画監督としての技量すら疑問であった。ストーリーテーリングが下手すぎるのである。BGMも派手な使い方をしすぎて雰囲気を損なっていた。また、子供向け映画と思わせておいて、これだけヘビーな映画を観せるのは酷である。子連れの家族のことを考えなければならない。
むしろ映画中でよく描写されていたのは、分離派テロリスト、インド軍、政治家、マウルヴィーの関係である。印パ分離独立時に紛争地域となったカシュミール地方は、駐屯する軍人の横暴、分離派テロリストによるテロ、住民のコミュナルな感情を扇動して票集めに走る政治家など、様々な人々の思惑が交錯し、複雑な状況に置かれている。カシュミールで、殺人など、何か事件が起こると、それが単純な事件であっても、複雑な事情が絡み合って、大きな事件に発展してしまうことがある。「Sikandar」でも、偶然拳銃を手にした少年が偶発的にテロリストのリーダーを殺してしまったことで、厄介な問題が雪だるま式に引き起こされていた。
パルザーン・ダストゥールの演技は特に大したことはなかった。「Kuch Kuch Hota Hai」の頃の面影は十分残っているが、それだけで飯を食って行こうと思ったら甘すぎる。もっと演技の勉強が必要だ。だが、アーイシャー・カプールの方は依然として堂々とした演技を見せており、さすが「Black」の子役である。ただ、台詞は吹き替えのように思えた。もし台詞も自分でしゃべっていたのなら、絶賛したい。ちなみにアーイシャー・カプールはインド人とドイツ人のハーフで、プドゥッチェリー(ポンディチェリー)近郊のオーロヴィル在住のようである。
マーダヴァンは厳然とした軍人の役で、迫力と威厳のある演技をしていたが、脚本の稚拙さのためにそれが劇中でうまく生きていなかった。サンジャイ・スーリーは怪しげな政治家をうまく演じていたが、ウルドゥー語の台詞にあまり慣れていない感じがした。テロリストのゼヘギール・カーディルを演じたアルノーダイ・スィンは新人だが、堂々とした演技で、今後成長が見込めそうだ。彼は実は国民会議派のベテラン政治家アルジュン・スィンの孫である。
音楽はサンデーシュ・シャーンデーリヤー、ジャスティン・ウダイ、シャンカル=エヘサーン=ロイの合作で、歌詞もプラスーン・ジョーシー、ニーレーシュ・ミシュラー、クマールの合作と言う、寄せ集めになっているが、ひとつだけ特筆すべきことがある。それは、著名なウルドゥー語詩人ファイズ・アハマド・ファイズの詩が、挿入歌「Gulon Mein」に使われていることである。
ウルドゥー語が州公用語のひとつとなっているカシュミール地方を舞台にしているため、台詞はアラビア語やペルシア語の語彙を多用したウルドゥー語となっている。よって、ヒンディー語だけの知識では台詞を理解するのは困難である。しかし、どこか文語的な台詞が多く、ウルドゥー語の台詞は必ずしも映画の雰囲気を高めるのに貢献していなかった。
「Sikandar」は、一見子供向け映画のようだが、実際はカシュミール地方の深刻な問題を取り扱ったヘビーな映画である。しかも、監督の技量不足のために、完成度は低い。「Kuch Kuch Hota Hai」のスィク教徒の少年や「Black」の少女がどう成長したか見る目的ならまだ意義はあるが、それ以外の目的で無理して観る必要はない映画である。