Doctor G

4.0
Doctor G
「Doctor G」

 2022年10月14日公開の「Doctor G」は、ひょんなことから産婦人科の研修医になった男性の映画である。男女をはっきりと区別する傾向が強いインド社会では、女性のプライベートパートを見たり触れたりすることになる産婦人科医は圧倒的に女性が多い。そんなほぼ女性オンリーの世界に一人の男子が入り込むというシチュエーションがまず面白い。

 男性産婦人科医を主人公にした「Doctor G」には過去20年間ほどのヒンディー語映画界で見られてきたいくつかの潮流が合流していると考えられる。まず、医学生が主人公の映画というと名作「Munna Bhai M.B.B.S.」(2003年)が思い付く。日本と同じく医学は理系の最高峰であり、インドでもっとも賢い学生たちが医学生になっていくが、映画の題材にもなりやすい。また、一般的に女性オンリーと思われているものに男性が関わるというパターンは、安価な生理用ナプキンを開発した男性を主人公にした「Padman」(2018年/邦題:パッドマン 5億人の女性を救った男)の成功を意識していると思われる。さらに、インド社会がタブーとしがちな性に関する事柄を進んで映画にしていくトレンドが2010年代からヒンディー語映画界に見られ、精子ドナーの「Vicky Donor」(2012年)、EDの「Shubh Mangal Saavdhan」(2017年)、セックスクリニックの「Khandaani Shafakhana」(2019年)、コンドームの「Helmet」(2021年)や「Janhit Mein Jaari」(2022年)などが挙げられる。これらの流れの中に「Doctor G」を位置づけていいだろう。

 「Doctor G」の監督はアヌブーティ・カシヤプ。ヒンディー語映画界の風雲児アヌラーグ・カシヤプの妹で、「Dev. D」(2009年)や「Gangs of Wasseypur Part 1」(2012年)などで助監督をしており、今まで数本の短編映画も撮っているが、長編映画の監督は初である。音楽監督はアミト・トリヴェーディーである。

 主演はアーユシュマーン・クラーナーとラクル・プリート・スィン。他に、シェーファーリー・シャー、シーバー・チャッダー、アバイ・チンターマニ・ミシュル、インドラニール・セーングプター、アーイシャー・カドゥースカル、パレーシュ・パフージャー、サンジャナー・ヴィージなどが出演している。

 ちなみに題名「Doctor G」の「G」には少なくとも2つの意味が掛けてある。ひとつは主人公の名字「グプター」の頭文字、もうひとつは「産婦人科」という意味の英語「gynecology」の頭文字である。

 舞台はマディヤ・プラデーシュ州ボーパール。著名な整形外科医である従兄のアショーク(インドラニール・セーングプター)に憧れて医科大学に入り整形外科医を目指していたウダイ・グプター(アーユシュマーン・クラーナー)は、卒業時のテストでいい点数を取れず、ボーパール医科大学の産婦人科で研修医にならざるをえなくなる。ウダイは、寡婦の母親ショーバー(シーバー・チャッダー)、借家人チャッディー(アバイ・チンターマニ・ミシュル)と共に暮らしていた。

 ウダイは、とりあえず産婦人科で仮面研修医をし、またテストを受け直して、翌年には整形外科に移ろうと考えていた。案の定、産婦人科には女子の研修医しかおらず、ウダイは気まずい思いをする。産婦人科の指導医ナンディニー・シュリーワースタヴ(シェーファーリー・シャー)は厳格な人間で、ウダイに男女気にすることなく産婦人科医を目指せばいいと助言する。ウダイは先輩研修医のファーティマー・スィッディーキー(ラクル・プリート・スィン)と仲良くなる。

 最初はやる気がなかったウダイだが、様々な出来事を乗り越える内に産婦人科医としての自覚や生き甲斐を感じ始め、同僚たちから認められる存在に成長していく。ウダイはファーティマーに恋をするが、ファーティマーにはアーリフ(パレーシュ・パフージャー)という恋人がおり、もうすぐ婚約する予定だった。

 そんなとき、アショークが家族に内緒で付き合っていた高校生カーヴィヤー・シャルマー(アーイシャー・カドゥースカル)が妊娠してしまう。アショークはウダイに、彼女を密かに堕胎させるように頼む。ウダイはカーヴィヤーの年齢を偽って診察を受けさせるが、前置胎盤で堕胎が困難と言われる。ウダイはカーヴィヤーを場末のクリニックに連れて行き堕胎させようとするが、ヤブ医者が処置をしたことでカーヴィヤーの命が危険にさらされる。ウダイはカーヴィヤーを連れ出し、ボーパール医科大学病院で手術を受けさせる。ナンディニーが執刀医となるが、カーヴィヤーが未成年であることがばれてしまう。

 アショークはレイプの容疑で逮捕され、ウダイも患者が未成年であることを知っていながら隠したことで、医師資格剥奪の危機に瀕する。しかしナンディニーはウダイの懲罰に同意せず、彼はそのまま産婦人科医で実習できることになる。ウダイは、ちょうどその日に行われていたファーティマーの婚約式に駆けつけ、彼女と友人関係を結ぶことを誓う。

 女性ばかりというイメージが強い産婦人科に男子が研修医として飛び込むという導入からは、この映画が単なるドタバタのコメディー映画ではなく、ジェンダー問題に切り込もうとしている映画であることが容易に予想されるだろう。ただ、二方面からの切り口が考えられた。

 ひとつは、特定の組織でジェンダー的にマイノリティーな存在になったときに、逆風だけでなくチヤホヤもされるということだ。近年、女性の社会進出が進んだことで、従来は男性の職場と考えられていたところで女性が働き出すということはインドでも日本でも増えてきた。パイオニアとしての苦労もあるだろうが、逆に女性であるというだけでメディアの寵児になるということもある。女性の方が映画化もされやすい。例えば「Gunjan Saxena」(2020年)という映画があったが、これは実在するインド初の女性戦闘ヘリパイロットの伝記映画だ。男性ならば単にパイロットになっただけで映画化はされなかったことだろう。

 女性だけの職場に男性が一人で飛び込むと同じことが起きる。主人公のウダイは、当初は女子研修医からいじめられ、世間から奇異の目で見られ、患者からも不審がられるが、覚悟を決め、成果を出すと、すぐに認められた存在になる。それは彼が産婦人科の中でジェンダー的にマイノリティーだったからだ。この辺りは、従来男性オンリーだった職場で働く女性たちへの強烈な当てこすりのように感じられた。事実、指導医のナンディニーは、男子研修医をチヤホヤする周囲の女子研修医たちを一喝する。ナンディニーのモットーは「医者に男女はない」であり、男性や女性としての自分を維持したまま医者になろうとする若い研修医たちに釘を刺していた。

 それだけを見ると女性に辛口の映画に感じられたが、もうひとつの切り口は男性に女性のことを分からそうとするもので、全体を観た結果、やはりこちらの色の方が強かったと感じた。ウダイは子供の頃から「男はクリケット、女はバドミントン」と決め付けており、近所の女子とバドミントンをして遊んだことがなかった。このことから象徴されるように、ウダイは女性のことを一方的に決め付け、女性の話を聞こうとせず、女性とのコミュニケーションも拒否してきた。そんな性格だったために、恋人とは長く続かず、ファーティマーともうまく人間関係を作れない。産婦人科医には全く向かない人物だった。

 しかしながら、産婦人科で女子研修医や女性患者たちと交流し、出産もこなせるようになったことで、徐々に彼からジャッジメンタルな意識が消えて行く。妊娠したカーヴィヤーの心を開かせることに成功したのはその大きな成果だった。カーヴィヤーを妊娠させたアショークは、社会的な面子という男性的な要素を守ろうとし、ウダイも当初はそれに同調するが、やがて彼はカーヴィヤーに寄り添って行動することができるようになり、尊敬していたアショークに対しても堂々と向き合う。ウダイはナンディニーに、「僕から男性的なタッチが消えた」と答える。ウダイと母親との関係性でも、彼は共感力を発揮する。ウダイは当初、母親が恋人を作ろうとしていることが受け入れられないが、彼女が自分のためにどれだけ犠牲を払ってきたかを自覚したことで、母親の恋人を受け入れることができるようになる。

 「Doctor G」は、インド社会に依然として根強く残る「男性はこう、女性はこう」というジェンダーの垣根を壊そうとする意欲作だ。映画が直接扱うのは「産婦人科医は女性」という偏見だが、その他にも、女児よりも男児を好む風潮や、男性の再婚は許容されるのに女性の再婚はタブー視される因習など、もっと広範なジェンダーギャップ問題を扱おうとしている作品である。もう少し明るくポップに味付けすることもできたと思うが、兄であるアヌラーグ・カシヤプ監督の影響なのか、割と全編に渡ってシリアスなストーリー運びをしていた。

 もうひとつ特筆すべきは、ウダイとファーティマーの関係性だ。ウダイはファーティマーに恋をし、ファーティマーも満更ではなかった。ある晩、二人はついキスもしてしまう。だが、ファーティマーには恋人がおり、婚約も決まっていた。一般的なヒンディー語映画のパターンならば、ウダイとファーティマーが紆余曲折を経て結ばれるところだっただろうが、「Doctor G」ではそういう典型的な終わらせ方を選んでおらず、ウダイとファーティマーは「良き友人」のままで終わる。似たようなエンディングは既に「Ek Main Aur Ekk Tu」(2012年)でも見られたが、一般化はしていない。しかも、ファーティマーの恋人アーリフはウダイがファーティマーとキスしたことを知っていながら冷静に対処しており、修羅場にならない。こちらをゴチャゴチャさせると本筋が霞んでしまうために敢えて生煮え状態にしたのかもしれないが、より積極的にヒンディー語ロマンス映画の新たなエンディングの確立を目指しているようにも感じられた。

 アーユシュマーン・クラーナーは既に高い演技力とユニークな出演作のチョイスで知られた俳優で、今回演じたウダイもいかにもアーユシュマーンが好みそうな役柄だ。いつも通りの見事な演技でウダイに命を吹き込んでいた。相手役のラクル・プリート・スィンもいい女優だ。知的で都会的な美貌は医師にピッタリであり、アーユシュマーンとの相性も良かった。

 ナンディニーを演じたシェーファーリー・シャーとショーバーを演じたシーバー・チャッダーも好演していた。シェーファーリーの重みある演技と、シーバーの思わずホロリとさせられる存在感は映画の完成度を高めていた。

 ちなみに、現在のインドの刑法(IPC)では、たとえ同意があろうとも、18歳未満の未成年と性的な行為を行った場合、一律で「強姦」とされるように厳罰化されている。よって、未成年を妊娠させたアショークは、カーヴィヤーの同意や状況などを確認するまでもなく、強姦容疑で逮捕される。

 「Doctor G」は、産婦人科の研修医になってしまった男性を主人公にした映画で、近年のヒンディー語映画の進化をそのまま受け止めた作品になっている。主演アーユシュマーン・クラーナーらしい作品であり、アヌラーグ・カシヤプ監督の妹の長編映画デビュー作という点も注目される。評論家からは賛否両論があり、興行的には都市部を中心に一定の観客を集めただけだ。ただ、着眼点は最高であり、観て損はない映画と評価できる。