インド映画入門者向けの記事「インド映画」において、「『インド映画』と呼ばれる単一の産業や業界は存在せず、インド各地に分布する各言語の映画産業の集合体が『インド映画』の実体である」と書いた。多くの日本人が勘違いしている点について、誤解を解くために書いた、必要な一文であった。
無声映画時代のインドの映画産業は、拠点こそボンベイ(現ムンバイー)、カルカッタ(現コルカタ)、マドラス(現チェンナイ)など、各大都市に分散されていたものの、産業として完全に分断されていたわけではなかった。だが、映画がトーキー化して以来、映画は言語別製作が普通となり、各言語を母語とする観客に向けて別々に作られるようになった。さらに、独立後に言語州が導入されたことで、言語による分断は決定的になった。
ただ、その状況にも変化が訪れるかもしれない。2020年代、言語ごとに分断されていたインド各地の映画産業を統合するような新しい動きが見られるようになっているのである。メディアでは、「汎インド映画(Pan-Indian Film)」とか「汎インドスター(Pan-Indian Star)」といった用語が飛び交うようになった。
複数言語での映画製作は随分前から行われていたが、ここに来て、それがさらにシステマティックに行われるようになっている。また、吹替や字幕の助けを借りて、他言語の映画を楽しむ観客も増えた。その一番の立役者は、2020年から始まったコロナ禍と、NetflixやAmazon Prime VideoなどのOTTプラットフォームの普及である。おかげでスターは、特定の言語の映画のみに留まらず、インド全国で知名度を獲得するようになった。特に、今までローカルヒーローの域を脱しなかった南インド映画界のスターたちが汎インド映画化の潮流に乗って北インドでも人気を博するようになり、「汎インドスター」と称せられるようになってきているのである。それは相対的に、今まで「インド映画の代表」を気取っていたヒンディー語映画界の地位低下をもたらしている。
しかしながら、変化が起こっている真っ最中にその変化を正確に分析するのは非常に困難なことだ。2000年代、マルチプレックスの普及がインド映画に大きな変化をもたらしたときも、その変化の真っ只中にいながらも、なかなかその変化の全貌や方向性を把握するのが難しかった。ある程度変化が定着してから過去を振り返ってみて、初めて評価できるものである。
汎インド映画についても、その正確な評価ができるのは、2020年代後半または2030年代になってからになるかもしれない。だが、変化の真っ最中であっても、ヒントになるような事柄は見つかるので、それを積み重ねていくことで、後世に振り返るときに手助けになる可能性がある。ここではそういう新聞記事などを収集していきたいと思う。
第1回では、2022年4月23日のデリー・タイムズ紙に掲載されていた「Is 2022 finishing the North-South cine divide?(2020年は南北の映画分断を終わらせるか?)」と題した記事を翻訳し掲載する。
2020年は南北の映画分断を終わらせるか?
▶はじめに
映画メーカーたちが口を揃えて言うのは、「Baahubali」シリーズと「K.G.F」シリーズが観客に、ボリウッドの向こう側にも映画があることを気付かせ、注目を引き起こしたきっかけだということだ。俳優プラバースは、「我々の映画は、言語別ではなく、まずインド映画に分類されるべきだ」と語る。
▶地方産業の映画が汎インド化するに従い、全ての「-wood」を廃止し、「インド映画産業(Indian film Industry)」という用語を一般化するときが来たと映画愛好家たちは感じている。
ベンガルールで行われた「K.G.F: Chapter 2」の予告編ローンチイベントで司会を務めたカラン・ジョーハルは、「全ての『-wood』を廃止し、インド映画産業をひとつのものとして見るときが来た」と述べた。彼は、インド映画産業のボスであるボリウッドと、インド各地にある他の全ての地方映画産業の間に常に存在してきた広い分断のことにはっきりと触れていた。
カランの発言は、インド映画の観客が既に行っている行動の言い換えに過ぎない。それは、ボリウッドしか観ないという態度から、自分を楽しませ魅了するいかなる映画をも鑑賞するという態度への転換であり、その映画がトリウッドであろうとモリウッドであろうと、またはコリウッドであれサンダルウッドであれ、はたまた別の何とかウッドだとしても気にしないという態度である。彼らは、その意味において、いわゆる「-wood」を既に過去のものにしたのだ。
全国の映画産業は、自分たちの映画を自分たちの観客のために作るという縦割りの運営で成り立ってきたかもしれない。しかし、観客は、選択権を行使するという意思を明確にし、言語、文化、地理的障害を乗り越えて、良質なコンテンツを選ぶようになった。
▶強いコンテンツは言語関係なく普遍的に受け入れられる
インド映画愛好家はもはや、物語がどこを舞台にし、スターがどこの出身かを気にしない。コンテンツが真の王様だ。そうでなければ、アッル・アルジュンの「Pushpa: The Rise」(2021年/邦題:プシュパ 覚醒)が熱狂的に受け入れられたことを説明できない。アーンドラ・プラデーシュ州地方出身の部族青年が白檀を密輸して生計を立て、抑圧された部族を守るというこの物語は、インド全国で大きな反響を呼んだ。スクマール監督は、「ストーリーとフォーマットには自信を持っていたが、ここまで熱狂的な人気になるとは夢にも思っていなかった」と明かし、「どの言語で作られたかは関係なく、コンテンツが強力ならば普遍的に受け入れられることが示された。『Pushpa』は、地域限定の物語のように見えるかもしれないが、作品が引き起こすエモーションはユニバーサルだ。それが全国で反響を呼んだ理由だ」と語っている。
▶良質な映画は、どこの映画であろうと、大きな商機を生む
観客の反響を呼んだ映画は多大な収益をもたらす。これは、「Hridayam」(2022年)の3言語リメイク権をカラン・ジョーハルに売ったヴィサーク・スブラマニヤムが最近発見したことだ。「『Hridayam』はマラヤーラム語映画かもしれない。だが、同作品はチェンナイで60日以上上映された。『Pushpa』は元々テルグ語で作られたテルグの青年の物語だが、ムンバイーでも良好な興行成績を収め、複数の映画館で100日間上映された。『K.G.F: Chapter 2』(2022年/邦題:K.G.F: Chapter 2)とヴィジャイの『Beast』(2022年)はどちらもケーララ州でモーニングショー上映された。だから、良質の娯楽のためには何も障害にならないことは明らかだ」と彼は語った。
▶南インドの大ヒット映画
- 「Baahubali 2: The Conclusion」(2017年/邦題:バーフバリ 王の凱旋):181億ルピー
- 「RRR」(2022年/邦題:RRR):100億ルピー
- 「2.0」(2018年/邦題:ロボット2.0):80億ルピー
- 「Baahubali: The Beginning」(2015年/邦題:バーフバリ 伝説誕生):65億ルピー
- 「Saaho」(2019年/邦題:サーホー):43.3億ルピー
- 「Pushpa: The Rise」(2021年/邦題:プシュパ 覚醒):36.5億ルピー
▶汎インドスターの台頭
もし観客が言語と地域の境を越えて映画を観ているならば、進んで越境しようとしないスターがいるだろうか。ヒンディー語映画は今や地方映画の俳優たちを諸手を挙げて歓迎している。20年振りに南インド映画にカムバックしたラヴィーナー・タンダンは、「クロスオーバー映画やマルチリンガル映画が作られているのを見るのはとても嬉しいことだ。観客は常にそれらを求めてきたが、今になってようやく彼らの需要が満たされるようになった。ひとつの強固なインド映画産業を一緒になって作り上げるときが来たのではないか」と語っている。
興味深いことに、「インド映画」という用語は、最近になって全国各地のスターたちの口から一斉に出るようになった用語だ。「RRR」の大ヒットの後、Jr NTRは、「インド映画の栄光の日を復活させる」統一映画産業について語った。Jr NTRの「インド映画」を巡る熱意のこもった発言は、南インドの俳優たちが大予算型のボリウッド娯楽映画で脇役としてしか起用されなかった時代からようやく抜け出せたことを意味している。
「南インドの俳優たちが、大半のヒンディー語映画で悪役として、もしくは良くて特別出演として起用された時代を覚えている」とラージ・ニディモールは語る。「その時代は終わった。プリヤマニ、サマンサ、ニーラジ・マーダヴ、ヴィジャイ・セートゥパティなどの俳優たちは今や、地域の境界を越えて作られた作品を通してインド人観客から再評価されている」とラージは語る。
▶OTT:巨大な統合力
俳優ラーナー・ダッグバーティは、デジタルフォーマットがインド映画を統一するのに大きな役割を果たしたと早くから指摘している。「ある意味、全てはOTTから始まったといえる。商業映画は常に興行のために作られる。なぜなら、映画館で上映し、観客を呼び込むためには多額のお金が掛かるからだ。伝統的に、できることは限られていて、上映できるスクリーンも限られている。しかし、OTTの到来により、これらの映画が全国の人々の居間まで届くようになった。今や、観客は言語を超えて、キャラクターのエモーション、ストーリー、ストーリーテーリングに共感するようになった。一度その味を覚えてしまえば、もっと欲しくなる」と語っている。
コロナ禍はデジタルフォーマットの力を強固にしたが、マラヤーラム語映画のような小規模な映画産業にとっては特に有利に働いた。同映画は従来、優れた人材と良質な映画の遺産がありながらも正当な評価をされてこなかった。例えば、「The Great Indian Kitchen」(2021年/邦題:グレート・インディアン・キッチン)は低予算で作られたが、インド全土で反響を呼ぶようなコンテンツがあり、全国的な注目を浴びることになった。ジオ・ベイビー監督はこのトレンドを分析して、「ロックダウンの間、人々は家に留まり、観られるものは何でも観た。それでも、今日でも、特別に名前が売れていなければ、全国の観客にアクセスできるようなプラットフォームに辿り着くのは困難だ」と語る。しかし、もし一度でもそこまで辿り着けば、作品は注目を浴び、今まで夢見ることすらできなかったような創造的自由が手に入ると多くの映画メーカーたちは言う。有名な監督デュオ、ラージ& DKの片割れ、ラージ・ニディモールは、「『Family Man』で重要な役を演じたサマンサは、ヒンディー語を一言もしゃべらない。だが、同作品はヒンディー語で作られたドラマだ。『Family Man』シーズン2の50%近くはタミル語だが、我々は気にしなかった。その内、人々は字幕に慣れると信じている。語られるべき方法でストーリーを語る自由は、数年前には考えられなかったことだ。私たち映画メーカー、俳優、技術者にとって、インド映画がこれほど良かった時代はない」と指摘する。
▶OTTプラットフォームで大成功を収めた南インド映画
- 「Minnal Murali」(2021年/マラヤーラム語)
- 「Jai Bhim」(2021年/タミル語)
- 「Soorarai Pottru」(2020年/邦題:ただ空高く舞え/タミル語)
- 「The Great Indian Kitchen」(2021年/邦題:グレート・インディアン・キッチン/マラヤーラム語)
- 「Drishyam 2」(2021年/マラヤーラム語)
- 「Cinema Bandi」(2021年/テルグ語)
- 「Kala」(2021年/マラヤーラム語)
- 「Sarpatta Parambarai」(2021年/タミル語)
- 「Karnan」(2021年/タミル語)
- 「Super Deluxe」(2019年/タミル語)