The Great Indian Kitchen (Malayalam)

4.0
The Great Indian Kitchen

 インドにおいて女性の地位が低いことは日本でも何となく知れ渡っているが、どの程度の低さなのかを具体的に把握している人はそれほど多くないのではなかろうか。日本もよくメディアなどで男尊女卑社会と揶揄されるが、インドを見た後では口が裂けてもそんなことはいえない。インドでは、まず女性として生まれることがすんなりいかない。胎児が女児であることが分かると堕胎させられてしまうことがあるからだ。そして運良く生まれることができたとしても、その後の人生には多くの困難が待っている。

 マラヤーラム語映画「The Great Indian Kitchen」は、2021年1月15日から、主にマラヤーラム語映画のストリーム配信を行うOTTプラットフォームNeestreamで配信開始された。その後、Amazon Prime Videoでも配信され、ケーララ州映画賞を受賞するなど、高い評価を得ている。日本では「グレート・インディアン・キッチン」の邦題と共に2022年1月21日から劇場一般公開される。

 その一見大袈裟かつ自画自賛的な題名からはあまり想像できないのだが、「The Great Indian Kitchen」は、ケーララ州の格式高い家に嫁いだ女性の視点から、家父長制によっていかにインドの女性が抑圧されているかが赤裸々に映し出される作品である。つまり、「偉大なインドの台所」とは、痛烈な皮肉である。しかも、メインストーリーの中で何か劇的な事件が起きるわけでもない。日常生活や文化習慣の中に、いかに女性差別が根付いてしまっているかが、淡々とドキュメンタリータッチで浮き彫りにされる特徴を持っている。

 監督はジヨー・ベイビー。主演はニミシャー・サジャヤンとスーラジ・ヴェンジャラムードゥである。

 舞台はコーリコード。かつてカリカットと呼ばれていた、ケーララ州沿岸にある港町だ。イブン・バットゥータ、鄭和、ヴァスコ・ダ・ガマなど、世界史に名を残す航海者や冒険者たちも立ち寄っている。

 主演のニミシャー・サジャヤンが演じる女性には名前が付けられていない。ここでは便宜的に「妻」と呼ぶ。スーラジ・ヴェンジャラムードゥ演じる男性も同様に「夫」と呼ぶことにする。

 妻は、中東のバーレーンで育った教養ある女性である。インド人が中東諸国で出稼ぎするのはよくあることで、特にケーララ州には多い。その妻が、コーリコードに住む格式高いヒンドゥー教徒の家に嫁ぐ。家はケーララ地方の伝統的な建築様式に則って建てられた広い邸宅で、夫は学校教師である。夫の父親は既に退職して家で悠々自適の隠居生活を送っており、夫の母親は専業主婦として家事を切り盛りしている。

 当初は幸せそうな新婚生活が描かれる。夫は優しく、妻が何かを頼むと笑顔で応えてくれる。姑も優しい人で、一緒に家事をしながら、妻は新しい生活に慣れようとしていた。だが、次第に細かいところに目が行くようになり、歯車が狂い出す。

 まず、嫁いだ家は、伝統的な家父長制を守っていた。食事は必ず男性が先にするし、家事は完全に女性の仕事である。家では男性がくつろいでいる中、女性たちがせっせと料理、洗濯、掃除など、家事に汗を流す。さらに、夫の父親はこだわりの強い人で、ご飯は炊飯器ではなく釜で炊くように、とか、洗濯は洗濯機を使わずに手で洗え、とか、注文がうるさくなっていく。文明の利器が使えなくなることで、女性たちの負担はさらに増える。

 しかも、嫁いだ家では生理に関する迷信が頑なに信じられていた。かつては生理中の女性は家に入ることもできなかったが、最近ではそこまでではない。とはいっても、家の中に設けられた一室に生理中の女性は閉じこもることになる。そして、生理中に手に触れたものは後で清めなければならない。生理中は料理もできなくなるため、代わりにメイドや親戚などが来て家事を代わりにしてくれる。この点は、束の間の休憩になっていいとも考えられる。ちなみに、「Padman」(2018年/邦題:パッドマン 5億人の女性を救った男)では生理用ナプキンがインドで普及していない現状が指摘されていたが、主人公の妻はナプキンを使用しており、夫も妻のためにナプキンを買ってくることに拒否反応は示さなかった。

 新婚夫婦なので、夜の営みもあるわけだが、夫は前戯もなく挿入する自己中心的なセックスをし、妻は毎回痛がっていた。しかも、妻が前戯をするように言うと、夫は妻が「経験豊富」であると捉え、機嫌を損ねる。

 妻は中東育ちで教養があり、ダンスの素養もあった。新しい生活に慣れてきたところで、ダンス教師の求人に応募したいと訴えたが、夫の父親は頭ごなしに却下する。夫は妻に何とかすると安心させるが、妻が姑と相談してとりあえず応募を出したところ、それが夫に知れてしまい、勝手な行動をしたと咎められる。

 次第に嫁ぎ先の生活を窮屈に感じるようになっていく妻だが、それが加速したのは、夫の母親が、妊娠中の娘のところへ手伝いのために行ってしまってからだ。全ての家事が妻の肩にのしかかることとなり、しかも孤独感を強めるようになる。

 また、妻の新生活と平行して、サバリマラ寺院にまつわる事件も語られる。サバリマラ寺院とはケーララ州にある有名な寺院で、アイヤッパンという神様が祀られている。南インドでは冬季になるとサバリマラ寺院への巡礼が盛んに行われるが、巡礼者は巡礼前に41日間の精進潔斎をしなければならない。映画の中でも中盤から夫と夫の父親がサバリマラ寺院巡礼のための潔斎期間に入っている。アイヤッパンは童子の姿をしており、自身も潔斎中とされている。よって、サバリマラ寺院は女人禁制とされてきた。特に生理のある年齢の女性は厳禁であった。しかしながら、2018年に最高裁判所が寺院の参拝に男女差別を設けるのは憲法違反だとし、翌年にはサバリマラ寺院もそれを受け入れた。とはいえ、最高裁判所の判決の後に女性たちが寺院に入場しようとしたところ、保守的な人々がそれを阻止しようとし衝突が起きるなど、非常に荒れていた時期があった。「The Great Indian Kitchen」が時代背景としたのは、正にこの2018年のケーララ州であった。

 サバリマラ寺院に女性の入場が許可されたことは、主人公の妻の心理にも大きな影響を与えた。彼女は、サバリマラ寺院女性入場を推進した活動家の動画をシェアし、それを家族から責められると、敢然と夫や義父に刃向かった。妻は彼らに台所の汚水を掛け、婚家を飛び出して実家に戻る。そして二度と婚家には戻らなかった。

 サバリマラ寺院の事件は、実際の出来事であり、妻の人生にとって大きな転機にもなった。だが、考えようによっては、結末に持っていくためにこの事件が引用されただけだ。「The Great Indian Kitchen」でもっとも訴えたいシーンは、むしろ序盤から中盤にかけての、何の変哲もない日常生活にあるといえる。「何の変哲もない」、だが、その端々には女性差別や女性抑圧が自然と組み込まれており、女性の尊厳を奪っていく。

 主人公の妻は、反旗を翻し、その鎖から自身を解き放つことができた。だが、一体何人の女性が今でもこの鎖につながれているのだろうか。この映画は、残念ながら何の解決法も提示していない。まさか、主人公の妻のように、結婚や家族から逃げ出すことを提唱しているわけではないだろう。サバリマラ寺院への女性の入場が認められたように、抗議活動などを行うことで勝ち取っていくべきものなのだろうか。

 ひとつ読み取れる解決法は、男性の意識を改革することだ。だが、主人公の妻を抑圧していたのは男性だけではなかった。むしろ、家族や親戚の女性メンバーが彼女に追い打ちを掛けていた。では、社会そのものの変革が必要なのか。そういえば、「家族は社会の最小単位」ということが、学校教師をする夫の口からも語られていた。家族の中で、自然に男性優位がすり込まれていく様子は、妻の実家にも見られた。そうすると、男女問わず、家族の単位から、意識を変えていくしか、解決法はなさそうである。もしくは、家族制度の破壊を訴えているのだろうか。

 2021年にはマラヤーラム語映画「Jallikattu」(2019年/邦題:ジャッリカットゥ 牛の怒り)が日本でも劇場一般公開され、マラヤーラム語映画の日本公開が続いている。「Jallikattu」と「The Great Indian Kitchen」の監督は異なるが、どちらもキリスト教徒であり、しかも思想がよく似ている。「Jallikattu」では資本主義への疑問が呈されていたが、「The Great Indian Kitchen」は家族制度を含む伝統文化の悪を糾弾する内容だった。つまり、共産主義的な思想に基づいた映画であった。

 「The Great Indian Kitchen」は、最近躍進めざましいマラヤーラム語映画の傑作の一本だ。インドの日常生活に潜む女性差別を、淡々と、しかし鋭くえぐった作品である。フェミニズム映画に分類も可能だが、料理のシーンも多く、スパイスの香りが漂ってくるような魅力のある作品でもあった。生理中の女性の扱いなど、インドならではの男尊女卑もあったが、いくつかは日本にも当てはまりそうな事柄である。きっと、劇場一般公開された暁には、日本人観客からも注目されるのではなかろうか。