Salaam Namaste

4.0
Salaam Namaste
「Salaam Namaste」

 今日はPVRプリヤーで、2005年9月9日公開の新作ヒンディー語映画「Salaam Namaste」を観た。ほとんどノーマークの映画だったのだが、一昨日PVRのウェブサイトで予約状況を確認してみたら、ほとんど週末のチケットが完売に近い状態で驚いた。そこで急いで本日の初回のチケットを予約した次第である。

 「Salaam Namaste」の「Salaam」とは基本的にイスラーム教徒同士の挨拶、「Namaste」とは基本的にヒンドゥー教徒同士の挨拶だと理解してもらいたい。ただ、この映画は別にコミュナルな問題を扱った映画ではない。「Salaam Namaste」とは、映画中に出てくる、オーストラリア在住のインド人向けのラジオ局の名前である。プロデューサーはアーディティヤ・チョープラー、監督はスィッダールト・ラージ・アーナンド(新人)、音楽はヴィシャール=シェーカル。キャストは、サイフ・アリー・カーン、プリーティ・ズィンター、アルシャド・ワールスィー、タニア・ザエッタ、ジャーヴェード・ジャーフリー。アビシェーク・バッチャンがサプライズ出演。

 ニック(サイフ・アリー・カーン)は、建築を学ぶためにオーストラリアのメルボルンに留学したが、幼い頃からの料理への情熱が過熱して、建築を放り出してチーフシェフとしてインド料理レストランに勤めていた。ある日、ニックはメルボルンのインド人向けラジオ局「サラーム・ナマステー」でインタビューに答えることになる。「サラーム・ナマステー」でラジオジョッキーをしていたのがアンバル(プリーティ・ズィンター)であった。ところが、早起きが苦手なニックはインタビューに遅刻してしまう。怒ったアンバルはニックのレストランの悪口をラジオでまくしたてて番組を終わらせてしまう。

 アンバルの言葉は即座にメルボルンのインド人コミュニティーに広まり、ニックのレストランには誰も客が来なくなってしまった。ニックとアンバルは顔を合わせたこともなかったが、犬猿の仲となり、電話で非難の応酬を繰り返す。ところが、友人の結婚式で偶然顔を合わせた2人はお互いに何となく惹かれ合う。しかしそれも長く続かなかった。アンバルはニックの素性を知ると彼を避けるようになるが、逆にニックはアンバルに積極的に言い寄るようになる。

 ある日ニックはアンバルに、お互いのことを知り合うために同棲することを提案する。ただし、同棲と言っても住む部屋は別々、そして家事はニックが全てするという条件だった。最初アンバルは拒否するが、最終的にはOKする。二人はお金を出し合って家を1年契約で借りる。

 こうしてかつて犬猿の仲だったニックとアンバルの奇妙な同棲生活が始まった。意外に気の合った二人は急速に接近し、やがて身体関係にまで発展する。だが、アンバルが妊娠してしまったことにより事態は急展開を迎える。大の子供嫌いで結婚する気のないニックはアンバルに中絶するよう命令するが、アンバルは自分の胎内に芽生えた小さな命を摘むことができなかった。アンバルは子供を産んで一人で育てることを宣言する。二人の仲は急に険悪なものとなるが、まだ家の契約期間が残っていたので、同棲生活は続いた。

 次第にアンバルのお腹は大きくなって行った。相変わらず二人はひとつの屋根の下に住みながらときに無視し合い、ときに怒鳴り合っていた。アンバルはニックと結婚したいと思うようになっていたが、ニックは結婚に全く価値を見出していなかった。だが、ニックの心が動いたのは、アンバルの胎内の胎児の超音波映像を見たときだった。なんと胎児は双子だった。ニックは婚約指輪を買い、女性の妊娠と出産のことも勉強するようになる。だが、なかなかアンバルにそれを言い出せなかった。

 家の契約期限が切れようとしていた。アンバルは一足先に引越しの準備を始めていた。一方、アンバルが別の男と結婚すると勘違いしたニックは、バーで酔っ払った挙句、そこで出会った白人の女の子を家に連れ込んでしまう。それを見つけたアンバルは怒って家を出る。だが、実際にはニックはその女の子に何もしていなかった。

 アンバルは行方不明になってしまった。そこでニックはラジオ局「サラーム・ナマステー」でアナウンスし、リスナーにアンバルの目撃情報を求める。続々と集まる情報を基にニックはアンバルを探し出す。ところがそのときアンバルは産気付いてしまう。ニックはアンバルを病院に急いで運ぶ。そしてアンバルが出産する直前に指輪を見せ、結婚を申し込む。アンバルは元気な赤ちゃんを2人産んだ。

 男と女は本当に分かり合えるのか?今をときめくプロダクション、ヤシュラージ・フィルムスが2004年に送り出した大ヒット作「Hum Tum」で取り上げられたこの永遠の命題は、再び同プロダクションによりヒンディー語映画ファンに別の形で投げかけられた。「Salaam Namaste」である。「Hum Tum」で主演していたサイフ・アリー・カーンが同様に主演していることもあり、基本的な流れや全体的な雰囲気は「Hum Tum」と非常によく似たラブコメ映画であった。だが、「Salaam Namaste」の方がもっと深い問題に触れていた。

 まず重要なのは、この映画の舞台がほとんどオーストラリアのメルボルンであることだ。映画に海外ロケシーンが挿入されるのはもはやインド映画の重要な特徴のひとつとなっており、全編インドロケだがひとつまたは複数のミュージカルシーンのみ海外ロケというパターンが最も多い。また、冒頭がロンドンやヨーロッパのシーン、後半がインドのシーンという構成の「Dilwale Dulhania Le Jayenge」(1995年)や、ストーリーの序盤と終盤がインドのシーン、中盤のみがカナダのシーンという構成の「Kaho Naa… Pyaar Hai」(2000年)など、インドと海外のシーンをストーリーにうまく組み込む手法も既に常套手段となっている。だが、最近の新たな傾向は、全編海外ロケのインド映画が増えて来たことだ。その走りは、「American Desi」(2001年)などのような、NRI(在外インド人)によるNRIを主人公にした映画だったと記憶している。その後、「Kal Ho Naa Ho」(2003年)が全編ニューヨークロケを決行して成功したことにより、その潮流はヒンディー語映画の主流にも流れ込むこととなった。その最新の例が、この「Salaam Namaste」である。

 だが、全編海外ロケのインド映画が増えて来たのは決して偶然ではなく、その背景にはヒンディー語映画界におけるNRIの影響力の増大があるように思える。海外のNRIのコミュニティーが、インドの映画人たちを招致して自分たちの街を舞台にした映画を作るよう依頼すると同時に、資金援助をしている可能性が非常に高い。そこで主に描かれるのは、当然のことながら海外に住むインド人たちの理想郷的な生活である。いろんな人種の人々と共存していながら、それでいてインドの文化を失っていない、または忘れていたインドの文化を思い出す、という筋が非常に多い。だが、全編海外ロケのインド映画の増加は、皮肉なことにインド国内の末端ファン層を取り残してしまっているようにも思える。米国、英国、オーストラリアなどを舞台にした映画は確かにスタイリッシュだが、セリフに英語が入る率がどうしても高くなるし、田舎のインド人には全く想像もできないような生活が描かれるし、ストーリーもある程度教養がないと付いていけないことが多くなっているように感じる。つまり、ヒンディー語映画が対象とする客層が、「国内のインド人」中心主義から、「都市部のインド人&NRI」中心主義に移行していると言える。その点では、先日見た「Ramji Londonwaley」(2005年)は、ロンドンとビハールの融合をうまく見せた稀な傑作であった。

 NRI映画で常に象徴的に取り上げられるのは「名前」である。例えば、米国在住のNRI間の恋愛が主題の「American Desi」では、クリシュナという典型的インド人名を持つ主人公が、頑なに「クリス」という英語名で押し通す姿が描かれていた。「Salaam Namaste」の主人公ニックも、本名はニキル・アローラーという典型的なインド人名であり、本名で呼ばれることを最も嫌悪していた。だが終盤、ラジオを使って行方不明になったアンバルを探すとき、ニックは「俺の名前はニキル・アローラー」と名乗る。結婚を考えたとき、ニックは自然に自分の本当のアイデンティティーを素直に受け容れる準備ができたということであろう。

 未婚の男女、しかも恋愛関係にない男女が同棲を始めるというプロットは、インド映画では斬新だったのではなかろうか?ニックとアンバルが自然にお互いに惹かれあっていく様は、非常にうまく描写されていたと思う。例えば、入居当初、ニックが壁にモハメッド・アリの大きなポスターをかけようとしたシーンがあった。それを見たアンバルは、顔をしかめながらも「It’s nice」と言う。だが、アンバルの気持ちを敏感に感じ取ったニックは、「やっぱやめるわ」とポスターを外す。そういう配慮のし合いが、急速に二人を親密にさせていく。

 アンバルの妊娠、中絶の拒否、そして出産は、物語の核となる部分だ。やはり「インド映画の良心」が機能するため、中絶は許容されないし、結婚のない出産も土壇場で否定される結果となった。結婚を頑なに拒否して自立して生きてきたアンバルが、妊娠を機に子供のために生きる生き方を選ぶのも、インドの伝統的価値観を重視するインド映画の方程式通りである。だが、最後の出産シーンは過剰なまでのコメディータッチで引いた。女性受けが悪そうだ。

 ヒーローのサイフ・アリー・カーンは、2003年の「Kal Ho Naa Ho」、2004年の「Hum Tum」、2005年の「Parineeta」と、ここのところヒット作に恵まれており、円熟期を迎えている。それらの作品に共通するのは、サイフが演じた役が「ハンサムだが我がままで自分勝手な男」であったことだ。「Salaam Namaste」でも、やはり我がままな男の役だった。なぜかサイフは作品中、サルマーン・カーン並みに裸体を披露している。スーパーマン柄のトランクスは必見である。

 プリーティ・ズィンターも我がままな女役を演じるのがうまい。サイフとプリーティは「Kal Ho Naa Ho」でも共演しているが、スクリーン上の相性がけっこういいように思える。2人のキスシーンやベッドシーンもある。プリーティはだんだん重量級の女優になって来たが、今回は妊婦役だったのでセーフというところか。

 他に、「Munna Bhai M.B.B.S.」(2003年)でムンナーバーイーの子分役を演じて一躍有名になったアルシャド・ワールスィーがニックの親友ロンの役で、ジャーヴェード・ジャーフリーがニックとアンバルの同棲する家の「インドを完全に捨てたインド人」大家役で、アビシェーク・バッチャンが挙動不審の産婦人科医役でコミックロールを演じていた。それにしてもアルシャドのヒンディー語は非常に聴き取りにくいのだが、どこの方言だろうか?

 音楽はヴィシャール=シェーカル。音楽と踊りを総合して、一番いいのは1曲目の「Salaam Namaste」であろう。サイフとプリーティが初めて顔を合わせて踊り出すナンバーだ。オーストラリアの海だろうか、砂浜や海が非常に美しく、サイフの肉体も存分に堪能できる。なぜかプリーティの肉体のアップはあまりない・・・。深い事情があるのだろう・・・。

 余談だが、映画中には「日本人」の女性が出てくる。相変わらず中国人と混同されているような感じで、ペコペコお辞儀する姿が嘲笑気味に描かれていたのは残念だった。

 「Salaam Namaste」は、「Hum Tum」と同様に都市部を中心にヒットする予感がする。観て損はないラブコメ映画だ。