Dilwali Diwali

2.5
Dilwali Diwali
「Dilwali Diwali」

 2026年11月5日からNetflixで配信開始された「Dilwali Diwali(心ある者のディーワーリー祭)」は、喧噪の中、庶民が肩を寄せ合い助け合って生きている下町と、プライバシーが守られる代わりに住民同士の関係が疎遠な高級ゲーテッド・コミュニティーの生活を対比した、現代インド社会の変化を感じられるファミリードラマである。長さ1時間ほどの映画で、インドの基準では短編映画に分類される。ちょうどディーワーリー祭の週に合わせて配信された。

 監督はリテーシュ・メーナン。過去に何本も映画を撮っているが、彼の作品を観るのは初めてである。

 キャストは、マノージ・パーワー、ミヒル・アフージャー、ニールー・コーリー、アウラー・バトナーガル・バドーニーなど。

 スィッカー家は、祖父母の代に印パ分離独立によってラーワルピンディーからボンベイ(現ムンバイー)に逃れてきた難民家系であった。スディール(マノージ・パーワー)とスクマニー(ニールー・コーリー)は、難民キャンプで長男アンシュ(ミヒル・アフージャー)と長女マーヒー(アウラー・バトナーガル・バドーニー)を育ててきた。成績優秀だったアンシュはノルウェーで働いて高給を稼ぎ、ムンバイー郊外のゲーテッド・コミュニティーに家を買って家族にプレゼントする。だが、スディール、スクマニー、マーヒーは難民キャンプでの生活に慣れ親しんでおり、ゲーテッド・コミュニティーの冷たい人間関係に適応できなかった。彼らは普段、難民キャンプで生活しており、アンシュからビデオコールがあったときだけゲーテッド・コミュニティーに戻って電話に出ていた。

 ディーワーリー祭にアンシュが3年振りにムンバイーに戻ってくることになった。スディール、スクマニー、マーヒーはゲーテッド・コミュニティーの部屋に戻り、アンシュを迎え入れる。そして、実はそこに住んでいないことがアンシュに知られないようにやり過ごそうとする。一方、アンシュは借金の返済に困っており、難民キャンプの実家を売却して返済に充てようとしていた。ところが、その家に人が住んでいる形跡があり、異変を察知する。

 スディールは、アンシュが難民キャンプの実家を売り払おうとしていることを知り、アンシュを責める。アンシュも、実は彼が購入した部屋に両親たちが住んでいないことに気付いており、それを問い詰める。口論の最中にマーヒーがいなくなり、彼らは探し回る。マーヒーを見つけたアンシュは、ゲーテッド・コミュニティーには彼女に友達がいないことを知る。

 アンシュは、難民キャンプの隣人たちをゲーテッド・コミュニティーの部屋に呼び、ディーワーリー・パーティーを行う。また、難民キャンプの家の売却を止めたことを明かす。

 結末で全てが解決していないことが気になった。そもそもアンシュは、ノルウェーでの事業に失敗したのか、借金で首が回らなくなっており、難民キャンプの実家を売却して返済に充てるためインドに戻ってきた。だが、両親たちが、彼が購入して親孝行のつもりで彼らにプレゼントしたゲーテッド・コミュニティーでの生活を気に入っておらず、そこには住まずに普段は難民キャンプに住んでいたことを知った。さらに、いざ実家を売ろうとして訪れてみると、昔の思い出が蘇ってきた。そういうことがあって、彼は実家の売却を取り止めたのだった。だが、実家を売却しなくても何とかなるなら、今回の彼の行動が正当化されない。また、妹のマーヒーはゲーテッド・コミュニティーに友人が一人もおらず、難民キャンプに戻りたがっていた。だが、映画の最後でスディールは、難民キャンプの実家を賃貸にし、自分たちはゲーテッド・コミュニティーの部屋に住むことを決める。この決断によってもっとも不利益があるのはマーヒーのはずだが、彼女は特にそれについて何も触れず、単に「ハッピー・ディーワーリー」と言う。最後はあたかも大団円のように演出されていたが、解決されていない問題が残ったままの、中途半端な終わり方だと評せざるをえない。

 それでも、現代インドの中産階級家庭で何が起こっているのかをよく再現できていたと感じる。主人公一家は印パ分離独立時にパーキスターン側から一文無しで逃れてきた難民家系で、ムンバイーの難民キャンプで生活しながら苦労して中産階級まで登り詰めたといえる。息子が海外で就職し高給取りになったことで経済的にもかなりの余裕ができ、住み慣れた難民キャンプを出て、郊外に建つ高級なゲーテッド・コミュニティーの一室に引っ越すことになった。これは特にアンシュ自身の夢だった。難民キャンプの狭い部屋での生活にもっとも劣等感を抱いていたのは彼だったからだ。家屋の密集した低所得層向け住宅街から郊外の富裕層向けゲーテッド・コミュニティーに引っ越す流れは、デリーをはじめ、各大都市で起こっている。既にアンシュが少年の頃からその流れは起こっていた。よって、「Dilwali Diwali」で描かれたこの状況は、多くのインド人にとって身近な出来事だと思われる。

 ゲーテッド・コミュニティーは、広い敷地を塀で囲んで外界から遮断した居住区になっている。インドの懸念である治安の問題が、この隔離によってある程度担保される。住民は高層マンションの一室に住み、敷地内にある公園、プール、ジム、集会場などの施設を利用しながら暮らす。ただ、人付き合いが好きなインド人にとって、プライバシーが確保され住民同士の交流が制限されたゲーテッド・コミュニティーでの暮らしが必ずしも合うわけではない。「Dilwali Diwali」の主人公であるスィッカー家の面々は慣れることができず、そこでの生活を「パニッシュメント(罰)」と呼んでいた。そして、住み慣れた難民キャンプの生活に戻ってしまったのだった。通常ならば実家を売却してゲーテッド・コミュニティーに引っ越すため、このようなことはしにくいと思うのだが、スィッカー家の場合は実家を維持しながらゲーテッド・コミュニティーに移ったため、また実家に戻ることができた。

 スディール、スクマニー、マーヒーは、アンシュの気持ちを害さないように、あたかもゲーテッド・コミュニティーでの生活を楽しんでいるかのように見せかけ、実際には難民キャンプで生活していた。だが、今回、ディーワーリー祭を家族と共に祝うため、アンシュが引っ越し以来初めてノルウェーからインドに一時帰国することになり、ごまかし切れなくなったのである。

 ただ、ゲーテッド・コミュニティーの住民たちが最初から最後までスィッカー家に打ち解けなかったかといえばそんなことはなく、彼らが主催したディーワーリー・パーティーにも来てくれていた。こうやって輪が広がっていくことで、スィッカー家もとうとうゲーテッド・コミュニティーでの生活に慣れていきそうであることが示唆されていた。よって、この作品は、古き良き下町でのご近所付き合いのようなものへの憧憬を喚起しながらも、ゲーテッド・コミュニティーでの生活を頭ごなしに否定するような論調にはなっていない。結局、「住めば都」というわけだ。

 マノージ・パーワーやニールー・コーリーといったベテラン勢は安定した演技を見せていた。アンシュ役のミヒル・アフージャーは、「The Archies」(2023年/邦題:アーチーズ)などに出演の若手であるが、演技には固さがあった。

 「Dilwali Diwali」は、ディーワーリー祭に合わせて配信された、ディーワーリー祭での家族の集まりを描いた作品である。下町での温かい暮らしとゲーテッド・コミュニティーでの無機質な生活が対比されているが、最終的には「住めば都」と結論づけられている。1時間ほどの短編映画というのが気になるところだ。今まであまりこの長さの映画がNetflixで配信されたことはなかった。ディーワーリー祭に合わせるために撮影を短く切り上げて作られた作品ということはないだろうか。エンディングを迎えても解決しないままになっている問題もあり、すっきりしないところがあった。