With Love (Tamil)

3.5
With Love
「With Love」

 近年のタミル語映画界では、幼年時代の出来事を大人になってから回想し感動的にまとめるフォーマットの良作が作られるようになっている。Cプレーム・クマール監督の「’96」(2018年)と「Meiyazhagan」(2024年)がそんな作品であったが、2026年2月3日にプレミア上映され、同年2月6日に劇場一般公開された「With Love」も、そんな「おもひでぽろぽろ」系映画の潮流に位置づけることが可能だ。さらに細かく分類するならば、学生時代の甘酸っぱい恋愛が蘇るような「同窓会」系のロマンス映画である。

 監督は「Tourist Family」(2025年/邦題:ツーリストファミリー)でアビシャン・ジーヴィントと共同監督を務めたマダン。「Tourist Family」に端役で出演していたアビシャンが本作では主演である。音楽はショーン・ロルダン。

 キャストは他に、アナスワラー・ラージャン、サラヴァナン、カーヴィヤー・アニル、ハリーシュ・クマール、サチン・ナチヤッパンなど。また、「Tourist Family」に出演したMシャシクマールとカマレーシュ・ジャガンが同じ役でカメオ出演しており、両作品が共通ユニバース化されている。

 チェンナイ在住のデザイナー、サティヤ(アビシャン・ジーヴィント)は、母親亡き後に母親代わりを務める姉からお見合いを強要され、モニーシャー(アナスワラー・ラージャン)と会う。モニーシャーは190万人のフォロワーを持つ人気インフルエンサーで、しかもサティヤがティルチラーパッリのSDA学校に通っていたときの2年後輩であった。

 サティヤはモニーシャーに学生時代の叶わなかった恋愛について話す。彼は12年生のとき同級生のアニーシャー(カヴィヤー・アニル)に片思いしていたが、モニーシャーはアニーシャーと同じ塾に通っていてよく知っていた。結局、サティヤの親友ディネーシュ(ハリーシュ・クマール)が内緒でアニーシャーと付き合っており、学校生活の最後にそれが分かってサティヤは失恋する。サティヤはアニーシャーに告白できずに離れ離れになった。その後アニーシャーはディネーシュと別れ、別の男性と結婚して海外に住んでおり、SNSの更新も途絶えたため、近況は分からなかった。

 次にモニーシャーがサティヤに学生時代の恋愛について話し出す。モニーシャーは10年生のとき、成績優秀だった同級生バーラージー(サチン・ナチヤッパン)に恋していた。だが、バーラージーに告白できずに学生時代が終わってしまっており、心残りであった。やはりバーラージーの近況は分からなかった。

 モニーシャーは、学生時代に好きだった人を一緒に探し出して思いを打ち明けようとサティヤに提案する。モニーシャーのことを気に入っていたサティヤは、彼女と一緒にいられる時間ができると思いそれを受け入れる。サティヤはディネーシュと久々に連絡を取り、二人はティルチラーパッリへ行く。

 ティルチラーパッリでまず二人は、モニーシャーの友人のボーイフレンドだったサントーシュの結婚式に出席する。そこでモニーシャーはサティヤをスワーミーナータン先生(サラヴァナン)と引き合わせる。サティヤは失恋直後のストレス状態のときに誤解からスワーミーナータン先生を殴っていた。このときスワーミーナータン先生は女子トイレをのぞいたと濡れ衣を着せられていたが、学生を守るために罪をかぶったのだった。サティヤは思い込みからひどいことをしたと反省する。

 次に二人はSDA学校を訪れる。そこでサティヤは後輩のジャファルが働いているのを見つける。事情を聞いたジャファルはアニーシャーの近況を調べ彼に報告する。アニーシャーはちょうど出産のためにティルチラーパッリに帰郷中であった。モニーシャーはサティヤとアニーシャーを引き合わせる。そこでサティヤはようやく彼女に面と向かって思いを打ち明けることができた。

 モニーシャーの熱烈ファンだった「テキーラ」という人物からサティヤに連絡があった。サティヤは彼がバーラージーであると突き止め、モニーシャーを連れてチェンナイにある彼の自宅を訪れる。学生時代、バーラージーもモニーシャーのことが好きだったが、なかなか言い出せず、学校が終わってしまった。バーラージーの思いを事前に知っていたサティヤはモニーシャーをバーラージーに譲り、入院した父親を見舞いに行く。

 その晩、サティヤはやけ酒を飲んであちこちに電話を掛けまくる。おかげで彼の自宅には心配したディネーシュ、アニーシャー、サントーシュ、姉などがやって来てしまう。最後にやって来たのはバーラージーだった。彼は、モニーシャーが愛しているのはサティヤの方だと伝える。サティヤは玄関口で待つモニーシャーに改めて愛の告白をする。

 ロマンス映画なので、恋をする主体が存在するわけだが、「With Love」における主体は、サティヤ、モニーシャー、アニーシャー、バーラージーの4人だ。この中でサティヤが学生時代に片思いしていたアニーシャーだけはミステリアスな存在になっている。サティヤの親友ディネーシュと付き合いながらもサティヤのただならぬ視線にも気付いており、いわば男心をもてあそんでいた。全体的に男性視点のロマンス映画だと感じたが、アニーシャーの人物設定は完全に「男には分からぬ女心」の象徴となっている。よって、その描写に現実感は希薄である。そもそも、サティヤとディネーシュはヒンドゥー教徒である一方、アニーシャーはイスラーム教徒であった。普通に考えたら叶わぬ異宗教間恋愛だ。

 そういうわけで注目すべきは残りの3人、サティヤ、モニーシャー、バーラージーになる。そして後から明かされたところでは、3人とも学生時代にはなかなか告白する勇気を持てず、後悔を抱えたまま大人になっていた。「With Love」が突いてくるのは、学生時代に不完全燃焼に終わってしまった心残りの恋愛である。

 サティヤは、親友に横取りされた恋愛を経験した。サティヤのアニーシャーに対する気持ちはディネーシュもよく知っていた。だが、ディネーシュもアニーシャーに惹かれており、密かにライバルを蹴落としてアニーシャーと付き合っていた。サティヤにしてみれば残酷な裏切りであり、それを知った彼が荒れるのも無理はなかった。そしてそのショックから彼はアニーシャーに告白する機会を失ってしまっていた。

 モニーシャーは、友人に別の意味で妨害された恋愛を経験した。モニーシャーは学級で一番頭のいいバーラージーに好意を寄せており、それが彼女の親友たちにも知れていた。だが、モニーシャーが口を滑らせて親友たちに話してしまった「バーラージーは逃げ足が速い」という言葉がクラスに広まってしまい、バーラージーはモニーシャーを避けるようになる。モニーシャーはとうとう学校の終わりまでバーラージーと会話することができなかった。ただ、モニーシャーはそこまでバーラージーへの思いを引きずっていないようだった。学生時代の恋愛についての話題になったために思い出しただけであり、彼女はその後も数人の男性と付き合っていた。バーラージーに思いを伝えるというのも、遊びの延長線上にあったといえる。むしろ、モニーシャーはサティヤにアニーシャーへの告白を促す触媒になっており、彼女の発想や行動力はやはりミステリアスで、その点ではアニーシャーとそう違いはない。やはり男性視点のロマンス映画であるため、女性キャラは謎の多い存在として描かれる傾向にある。

 かわいそうなのはバーラージーだ。モニーシャーから好意を寄せられていたバーラージーであったが、彼の方もモニーシャーに惹かれていた。だが、「逃げ足」事件によってモニーシャーとの関係がギクシャクしてしまい、その修正方法が分からないまま学校が終わってしまった。卒業後もモニーシャーのことを想い続け、インフルエンサーになった彼女のアカウントをフォローし、彼のポストに登場したサティヤに嫉妬を燃やす哀れな存在であった。しかしながら、モニーシャーやアニーシャーよりよほど現実感のあるキャラである。

 学生時代の片思い相手を探し出し、当時はできなかった告白を今するという展開に持って行くまでの前半は、長い回想シーンを挟みながらもコミカルに、かつテンポ良く進み、この映画のもっとも優れた部分だ。ただ、後半に入るとスワーミーナータン先生のエピソードなど、いくつかの追加要素が入り込みゴチャゴチャしてきてグリップ力が若干落ちる。一番大事なサティヤとモニーシャーの恋愛に回想シーンほどの説得力が感じられなかったことは致命的だった。前半の丁寧さが後半まで維持できるとより完成度の高いロマンス映画になっていたことだろう。

 インドの学校教育では今でも体罰が常習化しているが、スワーミーナータン先生からは、体罰を反省する態度が見られた。これは斬新だった。このエピソードはサイドストーリー扱いで、全体のまとまりを悪くする要因にはなっていたが、もう少し発展させてもいい内容でもあった。

 「With Love」は、各人の心の奥底にそっとしまわれている学生時代の叶わなかった恋愛を刺激して蘇らせるような、青春時代を大人の視点で振り返る性質のロマンス映画である。宗教やカーストが結婚の壁として立ちはだかり、学生時代の恋愛を実現するのが輪を掛けて困難なインド社会では特に刺激の強い作品ではなかろうか。特にインターミッションあたりまでの流れが秀逸であった。それでは学生時代に片思いしていた相手に大人になって告白したらどうなるのか。むしろ重要かつ好奇心をそそられるのは後半の展開なのだが、そこで期待を上回るような結末を用意できなかったのは残念な点であった。それでも、大人が鑑賞して自分事として楽しめる良質なロマンス映画であることには変わりない。