
「Baramulla」は2025年11月7日からNetflixで配信開始されたNetflixオリジナル映画である。日本語字幕付きで、邦題は「バラムラ」になっている。題名の「Baramulla」とは、ジャンムー&カシュミール準州北部にある都市または地域の名前だ。「バーラームーラー」と読むのが一般的だが、「ヴァルムール」ともいう。
インドに詳しい人なら、バーラームーラーの名前を聞いてピンと来るだろう。これはカシュミール問題を巡る騒乱やテロの映画だと。バーラームーラーは州都シュリーナガルよりもパーキスターンに近く、パーキスターン側から侵入したテロリストによる事件が起こったときによく名前が出て来る地名である。第一次印パ戦争時にも、パーキスターン側から侵入した武装勢力はバーラームーラーまで侵攻した。映画「Baramulla」に関して、その予想は大きく外れていない。だが、当たりでもない。
実は、「Baramulla」はホラー映画なのである。近年、ヒンディー語映画界では、ホラーにコメディーをミックスした「ホラー・コメディー」というジャンルが大人気になっている。だが、この「Baramulla」は、コメディーの要素など微塵もない、直球のホラー映画である。しかも、かなり怖い。これほど怖いインド映画は久しぶりだ。
監督は「Article 370」(2024年)のアーディティヤ・スハース・ジャンバーレー。キャストは、マーナヴ・カウル、バーシャー・スンブリー、アリスター・メヘター、ローハン・スィン、ニーローファル・ハミード、ミール・サルワール、シャーヒド・ラティーフ、サンジャイ・スーリーなどが出演している。
この映画は、2016年12月のバーラームーラーが舞台である。2016年といえば、当時カシュミール人若者の間でアイコンとなっていたテロリスト、ブルハーン・ワーニーが治安部隊によって射殺され、カシュミール渓谷で革命前夜のような大規模な騒乱が起こっていた頃だ。
2016年12月、バーラームーラーで元州議会議員アンサーリー(ミール・サルワール)の息子ショエーブが行方不明になり、リドワーン・シャーフィー・サイイド警部(マーナヴ・カウル)が事件担当として赴任してくる。リドワーン警部は、妻グルナール(バーシャー・スンブリー)、長女ヌーリー(アリスター・メヘター)、そして長男アヤーン(ローハン・スィン)と共に町外れにある邸宅に引っ越した。その邸宅では、イクバールという唖の老人が住み込みで世話人をしていた。
事件の容疑者として、手品師のザファルが逮捕され尋問を受けていた。リドワーン警部に与えられた任務は、ザファルにショエーブの居所を吐かせ、無事に見つけ出すことだった。だが、リドワーン警部はザファルが犯人ではないと見抜き、捜査の手を広げる。
リドワーン警部は、ショエーブの通っていたバーラームーラー・ブルーミングペタルズ・パブリックスクールへ行き、彼の友人たちや、ザイナブ校長(ニーローファル・ハミード)と話をする。この学校にはヌーリーも通っていた。
リドワーン警部が捜査を進めている間、グルナール、ヌーリー、アヤーンはそれぞれ邸宅の異変に気付き始めていた。グルナールの部屋の棚に置いていた物がよく倒れ、ヌーリーはいるはずのない犬の匂いを嗅ぎ取り、アヤーンは、イクバールが夜な夜な倉庫に食べ物を届けに行く様子に気付いていた。
ショエーブの足取りが掴めない中、ファイサルという別の少年がまたも行方不明になり、状況がショエーブの事件とよく似通っていた。さらに、ヌーリーまで行方不明になってしまう。リドワーン警部は、ヌーリーが消息を絶つ直前に連絡を取っていたカーリドという少年を逮捕し尋問する。カーリドは確かにヌーリーを洗脳し、テロリスト化しようとしていた。だが、ヌーリーの居場所は知らなかった。ただ、カーリドはジュナイド(シャーヒド・ラティーフ)というリーダーの存在を明かす。ジュナイドは、「バーイージャーン」という人物から指令を受け、子供たちを国境の向こうに連れて行く役割を担っていた。ジュナイドはまさにヤスィールという甥を連れて行こうとしていた。リドワーン警部はヤスィールを助け出すが、目の前で木の中に吸い込まれてしまう。
グルナールは、邸宅に幽霊の存在を感じ取る。彼女は、自室の棚の奥にもう一部屋あるのを発見したが、それはシヴァ神を祀った寺院であった。そして、倉庫に食事を届けるイクバールを尾行し、彼にその理由を問いただす。すると、イクバールは何者かの霊に憑依され、何かを語り出す。グルナールは気を失うが、その中でヌーリーの姿を見る。リドワーン警部は、グルナールが言う幽霊の話を信じていなかったが、グルナールは彼を倉庫に連れて行き、霊の存在を見せる。このときは霊はアヤーンに憑依し、物を語った。
そのとき、家にザイナブ校長がやって来る。その直後、邸宅はジュナイドと彼の部下たちによる襲撃を受ける。だが、このときリドワーン警部、グルナール、アヤーンの目の前で、約25年前にこの邸宅で起こったことが再現される。この邸宅には元々カシュミーリー・パンディトの医師家族が住んでいた。だが、カシュミール渓谷で騒乱が起こると、暴徒化したイスラーム教徒たちの襲撃を受け、医師、妻、そして娘のイーラーが殺されてしまった。リドワーン警部は、その幻覚を見ながら、ジュナイドと戦う。霊の加勢を受け、ジュナイドの部下たちは駆逐される。また、警察が邸宅を取り囲んだ。ジュナイドは、隠れていたザイナブ校長を見つけ出し、人質に取って逃れようとする。だが、イーラーの霊に憑依されたグルナールは拳銃を手に取り、ザイナブ校長を射殺する。人質をなくしたジュナイドはリドワーン警部によって殺される。実はザイナブ校長が「バーイージャーン」であり、しかも医師家族を裏切った少女だった。
ザイナブ校長が死んだことでイーラーの怒りは収まり、ヌーリーを含め、行方不明になっていた子供たちがこの世に帰ってくる。また、医師家族には、生き残った子供シャラドがいた。シャラド(サンジャイ・スーリー)は現在ムンバイーで医師をしていた。リドワーン警部たちは邸宅で見つけた思い出の品をシャラドに届ける。
カシュミール渓谷はインドの中でもイスラーム教徒多住地域として知られるが、ヒンドゥー教徒も少なくなく、特にカシュミーリー・パンディトと呼ばれるブラーフマンのコミュニティーは教養の高さで知られ、知的職業に従事し、社会の上層部を占めていた。だが、第三次印パ戦争で東パーキスターン(現在のバングラデシュ)を失い、報復に燃えるパーキスターンは何が何でもカシュミール地方をインドからもぎ取ろうとし、カシュミール渓谷の分離独立運動を激化させた。その結果、1990年代に大量のヒンドゥー教徒たちがカシュミール渓谷から暴力的に追い出されることになった。その際、多くのヒンドゥー教徒が虐殺されたともいわれている。ヒンディー語映画界にはカシュミール地方にルーツを持つ人々も目立ち、以前からこの問題は折に触れて映画になってきたが、ヴィヴェーク・アグニホートリー監督の「The Kashmir Files」(2022年)は決定打になった。この映画はカシュミーリー・パンディトの問題を鋭く突き、大きな問題として見せ、現代に至ってもまだ全く解決されていないということも訴えて、インド人の間にセンセーションを巻き起こした。「Baramulla」は、「The Kashmir Files」と同じ精神で作られた映画だ。つまり、見た目はホラー映画であるが、そのホラーの源泉になっているのは、カシュミーリー・パンディト問題なのである。
「The Kashmir Files」はイスラーモフォビア(イスラーム教嫌悪)を喚起し社会に分断をもたらす有害な映画という激しい批判も浴びることになった。「Baramulla」には、確かにヒンドゥー教徒の家族がイスラーム教徒の暴徒たちに惨殺される場面がある。だが、主人公はイスラーム教徒の家族であり、しかも、カシュミール渓谷の治安維持を行う警察官である。彼らは、カシュミール人イスラーム教徒でありながら、インド当局から給料をもらう公務員であり、インドを嫌う地元民から「異教徒」「インド人の犬」などと呼ばれ蔑まれていた。彼らは、カシュミール地方にもインド側にいるイスラーム教徒は存在する事実を示しており、イスラーム教徒全般への嫌悪を催すような意図はこの映画からは感じられなかった。
「Baramulla」が巧みなのは、現代、というより2019年の憲法370条廃止より前の時代のテロ問題と、1990年代に起こったカシュミーリー・パンディトへの暴行や追放がパラレルに描かれていたことだ。物語の発端は、バーラームーラーに住む子供たちが次から次へと行方不明になる事件が起こったことだ。リドワーン警部の視点からは、カシュミール渓谷に住む子供たちが国境の向こうに連れて行かれ、テロリストとして養成される事件に映り、彼は警察官として、それを解決しようと奔走する。だが、リドワーン警部の家族は、引っ越し先の邸宅で数々の異常現象を体験し、徐々にこの邸宅に亡霊が住んでいることに気付き始める。もしテロリスト養成のために子供たちが誘拐されているのが真相ならば、この映画で度々描かれる心霊描写は思い過ごしか何かということになり、ホラー映画というよりもミステリー映画に分類されることになる。だが、もし幽霊の存在が本当ならば、これはホラー映画ということになる。途中まではどちらへ転ぶのか分からないため、どうやってまとめるのか、終わり方が気になって、目が離せなくなる。このグリップ力はすごい。
種明かしをするならば、両方であった。ただ、実際には幽霊の仕事の方が大きく、行方不明になっていた子供たちの大半は、テロ組織にリクルートされたのではなく、1990年代の騒乱時に殺されたカシュミーリー・パンディト一家の亡霊によって連れ去られたのだった。リドワーン警部の娘ヌーリーについては、その両方の要素を併せ持っていた。テロリストとして洗脳もされ始めていたし、幽霊に誘拐されもした。クライマックスでは、邸宅で起こった出来事がリドワーン警部たちの目の前で繰り返されるという超常現象が起こる。リアリズムな映像に心霊現象や超常現象を混ぜ込ませるという荒技をやってのけている。この映画は、ホラー映画でなければ、マジック・リアリズム映画に分類してもいいだろう。「バーイージャーン」の正体もアッと驚く人物であり、アッと驚く方法でその成敗が実行される。
演技面でも光るものがあった。実力派のマーナヴ・カウルは主役のリドワーン警部役を驚くべき集中力で演じ切っていたし、子役俳優たちの演技も素晴らしかった。
「Baramulla」は、映画館での公開を経ず、Netflixで直接配信されたOTT映画であるが、映画館で公開しても商業的な成功が見込めたのではないかと予想されるほどの傑作ホラー映画である。ホラー・コメディー全盛期にこのような直球のホラー映画が出て来てくれることはうれしいし、インドのホラー映画のレベルがこれでかなり引き上げられたとも感じる。ありがたいことに日本語字幕付きだ。これを観ない手はない。カシュミール地方の現代史に疎い人にとっては細かい部分の理解が追いつかないかもしれないが、そういうことを知らなくても十分に楽しめる作品ではなかろうか。必見の映画である。
