Coolie (Tamil)

4.0
Coolie
「Coolie」

 インドにおいて期待作が公開されるタイミングには一定のパターンがある。年に3回あるナショナルホリデーや宗教的大祭に合わせて公開されることが多い。特に8月15日はインドの独立記念日であり、この日を含む週に公開されるのは愛国主義的な大作になる傾向にある。2025年8月14日、インド独立記念日週に公開された「Coolie」は、タミル語映画ながら、最近流行の多言語展開された汎インド映画であると同時に、汎インド的オールスターキャストという、前代未聞の超大作である。

 まず、主演はタミル語映画界のスーパースターで、日本でも「Muthu」(1995年/邦題:ムトゥ 踊るマハラジャ)や「Robot」(2010年/邦題:ロボット)などで有名なラジニカーント。彼にとっては俳優生活50年目を記念する作品となる。ラジニカーント映画というだけでも「Coolie」は話題性タップリだったが、それ以外にもものすごい顔ぶれがそろっている。

 監督は「Kaithi」(2019年/邦題:囚人ディリ)や「Master」(2021年/邦題:マスター 先生が来る!)などで知られ、現在もっとも勢いのあるローケーシュ・カナガラージ。音楽監督は、やはり飛ぶ鳥を落とす勢いのアニルッド。

 ヒロインは、ラジニカーントと人気を二分してきたタミル語映画界のもう一人のスーパースター、カマル・ハーサンの娘シュルティ・ハーサン。なんとこの二人が共演するのはこれが初となるという。

 さらに、インド各地の映画界を代表するスターたちが名を連ねている。最大のビッグネームはヒンディー語映画界の「ミスター・パーフェクト」アーミル・カーンである。アーミルが南インド映画に出演するのも、ラジニカーントと共演するのも初である。ヒンディー語映画界からは他にマヘーシュ・マーンジュレーカルも出演している。カンナダ語映画界からはウペーンドラとラチター・ラームが出演。ウペーンドラは1990年代からカンナダ語映画界を支えてきた大スターであり、ラジニカーントとの共演は初だ。テルグ語映画界から起用されたのはナーガールジュナだ。かつて「Shanti Kranti」(1991年)というカンナダ語映画にラジニカーントとナーガールジュナが出演したことがあったが、共演ではなかった。よって、共演は「Coolie」が初となる。最後にマラヤーラム語映画界からはソウビン・シャーヒルが出演している。つまり、少なくとも5つの映画界から俳優が結集して作られた映画であり、しかもそれぞれ大物がそろっている。これらのスターたちの多くは、ラジニカーントと共演できると知ってふたつ返事で出演を引き受けたという。とすると、この豪華キャストは、ラジニカーントのカリスマ性が実現させたといえる。

 他に、サティヤラージ、カンナ・ラヴィ、レバ・モニカ・ジョン、モニーシャー・ブレシーなどが出演している。また、プージャー・ヘーグデーがアイテムソング「Monica」にアイテムガール出演している。

 題名の「Coolie」とは「クリー」と読み、荷物の運搬に従事する人々のことを指す。日本語では「苦力」と訳される。おそらく「Cool(かっこいい)」という意味も掛けてあるはずだ。かつてアミターブ・バッチャン主演の同名映画(1983年)があったが、それとは全く別である。ただ、ヒンディー語映画に既に同名映画があることで、タミル語映画「Coolie」のヒンディー語吹替版タイトルは「Coolie: The Powerhouse」になっている。

 チェンナイでマンションを経営するデーヴァ(ラジニカーント)は、親友ラージャシェーカルの訃報を聞き、ヴィシャーカパトナムを訪れる。そこでラージャシェーカルの娘プリーティ(シュルティ・ハーサン)から追い払われる。デーヴァは、ラージャシェーカルの死因が心臓発作ではなく他殺であると知り、プリーティの命も危ないと察して、彼女を遠くから見守っていた。デーヴァは、ラージャシェーカルが遺体を一瞬で灰にできる電気椅子を発明したことを知り、これが彼の死の遠因になったと考えて、調べ出す。

 生前のラージャシェーカルはプリーティを含む3人の娘を男手ひとつで育てており、金欠だった。生活費を捻出するため、彼は一念発起して電気椅子を発明した。それは動物の遺体を処理するためのものだった。だが、特許は取れなかった。その頃、ヴィシャーカパトナムの港で海運会社キングピンを経営し、高級時計の密輸や臓器売買でもうけていたサイモン(ナーガールジュナ)は、遺体の処理のためにラージャシェーカルの発明に目を付け、彼をプリーティと共に呼び寄せて、無理に仲間に引き入れる。ラージャシェーカルはサイモンのために働き、対価を得ていた。

 サイモンの会社では4万人以上の従業員が働いていたが、その中には複数の警察も潜り込んでおり、サイモンはそのあぶり出しに躍起になっていた。潜入した警察官の一人がダヤール(ソウビン・シャーヒル)であったが、彼はサイモンの右腕となって長年恐怖政治を敷いてきた。しかも、ダヤールこそがラージャシェーカルを殺した張本人だった。ラージャシェーカルを殺した後、電気椅子を稼働できなくなったため、彼はプリーティを呼び寄せることにした。デーヴァは彼女に同行し、サイモンの組織に潜り込むことに成功する。デーヴァとプリーティはしばらくダヤールの指示に従って遺体を電気椅子で灰にする仕事を請け負っていた。デーヴァは、ラージャシェーカルを殺した人間を探す。

 あるときサイモンはデーヴァを呼び出し、彼にダヤールの遺体処理を任せる。サイモンはダヤールの裏切りを知り、殺害したのだった。デーヴァはプリーティと共にダヤールの遺体を墓地に運び埋めるが、ダヤールが息を吹き返した。サイモンからはダヤールにとどめを刺すように命令されるが、デーヴァは彼の命を助け、プリーティに同行させる。だが、後にサイモンから、ラージャシェーカルを殺したのはダヤールだと教えられる。ダヤールはプリーティを人質に取り、デーヴァをこき使う。彼は警察の任務そっちのけでサイモンの組織で私腹を肥やしていたのだった。

 ところで、サイモンの息子アルジュン(カンナ・ラヴィ)はキングピン社で働くカリヤーニー(ラチター・ラーム)という女性と恋仲にあり、駆け落ちしようとしていた。ダヤールからはアルジュンの暗殺を指示される。だが、デーヴァはアルジュンがカリヤーニーと恋仲にあることに気付き、二人を逃がそうとする。ところが、実はカリヤーニーはダヤールの妻で、全てが筒抜けになっていた。ダヤールはプリーティを殺そうとするが、逆にデーヴァはカリヤーニーの正体に気付き、彼女を捕まえていた。ダヤールはプリーティを解放する。だが、カリヤーニーも元々は有能な警察官であり、捕縛から抜け出して、アルジュンを殺す。

 カリヤーニーが自由の身になったことでダヤールは逃げ出したプリーティを追いかける。何とかプリーティは逃げ切るが、その過程で彼女は父親から聞いていた電話番号に電話をし、コードネームを伝える。それによってデーヴァはプリーティが自分の娘であることを知る。だが、彼女はカリヤーニー共々サイモンの手下に捕まってしまう。一方、マンションに戻っていたデーヴァはサイモンの部下たちから襲撃されるが、弟分のカリーシャ(ウペーンドラ)と共にそれを撃退する。プリーティがサイモンに捕まったことを知り、デーヴァは港へ向かう。

 サイモンはカリヤーニーを殺し、デーヴァの到着を待って、プリーティの心臓を抜き取ろうとする。だが、デーヴァは30年前にサイモンの父親エグゼビアを殺した労働組合長だったことが発覚する。激昂したサイモンはデーヴァを殺そうとするが、デーヴァの方が圧倒的に強く、彼を殺す。プリーティもカリーシャに救い出される。だが、そのときサイモンのボスであるダハー(アーミル・カーン)の手下がやって来て、デーヴァ、プリーティ、カリーシャを捕まえる。

 三人は砂漠に連れて行かれる。そこへ、シンジケートの元ドン、カッカル(マヘーシュ・マーンジュレーカル)と、その息子で現在のドン、ダハーがやって来る。ダハーはデーヴァを殺そうとするが、彼が30年前にエグゼビアを殺した労働組合長だと知ると一転して厚遇する。その場にダヤールが連行されてきて、デーヴァ、カリーシャ、ダハーは彼を生き埋めにする。デーヴァはプリーティに、自分が父親であることは明かさなかった。

 3時間近くある長尺映画であるが、ラジニカーント、アーミル・カーン、ウペーンドラ、ナーガールジュナといった各映画界の大スターたちをひとつの作品に詰め込んだら、これでも尺が足らないのは目に見えている。だが、アーミル・カーンとウペーンドラが登場するのは終盤も終盤になってからであり、物語の大半は、ラジニカーント演じる善玉デーヴァと、ナーガールジュナ演じる悪玉サイモンの駆け引きになる。むしろ、アーミルとウペーンドラの登場を最後まで温存しておいたおかげで、最後の最後に映画の最大の山場が来ていていい刺激になっていた。さらに、次から次へと新しい事実が浮かび上がってきて、脳内が大変忙しい。たとえば、ラチター・ラーム演じるカリヤーニーがここまで重要な役に化けるとは想像もしていなかった。多少膨らませすぎ畳みかけすぎだとは思ったが、それでもこれほどまで多くの要素が大した破綻もなくひとつの作品にまとめられていたことには驚きを隠せなかった。これは、一級のストーリーテラーとして知られるローケーシュ・カナガラージ監督の手腕であろう。

 今回、ラジニカーントが演じたデーヴァは、現在はマンション経営者ということになっている。そのマンションでは酒類厳禁だが、その理由は中盤になるまで明かされない。かつては飲んべえだったデーヴァは、30年前に親友であり命の恩人だったラージャシェーカルの妹と結婚したことを機に、一切酒を飲んでおらず、それをマンションの住民にも強制していた。それ以外にデーヴァに変な点は見当たらなかった。あえていえば、マンション住民からやたらと尊敬されていることくらいか。ただ、ラジニカーント映画にありがちな設定であり、特に変だとは感じなかった。

 ストーリーの進行と共に徐々に彼の過去が明らかになっていく。彼は元々ムンバイーの港で荷物の積み下ろしなどを行うクリー(苦力)をしており、労働組合長も務めていた。日々の労働によって筋肉が鍛えられ、超人的な戦闘能力を身につけたというような設定であった。当時、デーヴァのボスだったエグゼビアはクリーたちを使って麻薬密輸でぼろ儲けしていたが、それが当局に発覚したとき、クリーたちを犯人として尻尾切りに使おうとした。ボスにだまされたことを知ったデーヴァは反旗を翻し、シンジケートの前でエグゼビアを殺害して、クリーの力を見せつけた。エグゼビアはサイモンの父親という因縁があった。若きサイモンは目の前でデーヴァによって父親が殺されるのを見せつけられたのだった。デーヴァは、親友ラージャシェーカルを殺した人物を探す中でたまたまサイモンと再会し、彼をも殺すことになる。デーヴァにとってはラージャシェーカルを殺したダヤールにさえ報復できれば満足だったのだが、サイモンが余計なことをしたためにとばっちりを食うことになったのだった。

 ラジニカーントは既に70代半ばに差し掛かっているのだが、それを全く感じさせない身のこなしであり、スーパーヒーロー振りである。さすがにロマンスの面では現役を退いており、ヒロインにあたるシュルティ・ハーサンが演じたプリーティとは親子の関係であった。だが、アクションシーンやダンスシーンではまだまだ健在ぶりを発揮し、ファンを沸かせていた。背中に斧が刺さってもピンピンしていた。

 怪演していたのはダヤール役を演じたソウビン・シャーヒルだ。警察学校の落ちこぼれ、密輸組織に潜入、サイモンの威勢を借りて君臨し、警察を裏切って私利私欲を満たす小悪党、しかも妻のカリヤーニーに頭が上がらないという、重層的な役柄を見事に演じ切っていた。血まみれになりながらバイクを駆ってプリーティを必死で追いかけるシーンには「ターミネーター2」(1991年)顔負けの迫力があった。

 もちろん、サイモン役を演じたナーガールジュナの悪役振りも称賛に値するものだった。終盤に登場したウペーンドラはクールだったし、アーミル・カーンはリラックスモードでエキセントリックなドンを演じていた。

 シュルティ・ハーサンは、タミル語映画のみならず広く活躍しており、決して安い女優ではないのだが、変な役の映画でも引き受けてしまうところがあり、時々彼女の選択眼に疑問を感じることがある。「Coolie」で彼女が演じたプリーティ役も、ずっと翻弄されているだけで大して面白い役でもなかったように感じた。ただ、最後の最後、デーヴァを実の父親だと信じていながらあえて彼に「おじさん」と呼びかけるシーンの表情は、彼女のレベルの女優でしかできなかった演技であった。

 かねてから、ヒンディー語映画ファンということもあって、タミル語映画の地元至上主義や反中央主義が気になっていたが、インド各地から大スターが集結してできたこの「Coolie」からは珍しくコスモポリタン性を感じた。メインはタミル語であるが、テルグ語やマラヤーラム語のセリフも使われるし、アーミル・カーンはヒンディー語を話す。もちろん、タミル人以外を下げてタミル人の自尊心に訴えるようないつもの悪い癖も出ていなかった。タミル語映画が大人になり、タミル・ナードゥ州の外にも視線を注ぎ始めたひとつの例として受け止めることができそうだ。

 「Coolie」は、タミル語映画界のスーパースター、ラジニカーントが俳優生活50周年を記念して作られた作品で、アーミル・カーン、ナーガールジュナ、ウペーンドラといった各映画界の大スターが集められて作られた、祝賀会的な作品である。オールスターキャスト映画をきれいにまとめ上げるのは難しいものだが、ローケーシュ・カナガラージは3時間弱の上映時間に盛りだくさんの内容をほとんど破綻なく詰め込んだ。2025年を代表するヒット作になっており、50億以上の興行収入を上げている。商業的成功は結構なことだが、個人的には、タミル語映画が、地元タミル人のみならず、インド全土から愛されようと自己を進化させている様子が見られたのが一番うれしかった。特にラジニカーント映画では普通、排外主義的といえるほど地元愛が極端に色濃くなるものだが、この映画は全く異なった。タミル語映画史上、非常に重要な作品である。