映画プロデューサーのディネーシュ・ヴィジャーンは、民話・伝承的でかつコメディー風味のホラー映画を立て続けに作り続け、その多くを当てている。これまでに「Stree」(2018年)、「Roohi」(2021年)、「Bhediya」(2022年)が公開された。それらの映画はユニバース化され、いつしか彼のプロダクションの名前を取って、「マドック・スーパーナチュラル・ユニバース(MSU)」と呼ばれるようになった。ただし、フロップに終わった「Roohi」は後にMSUから外された。
2024年6月7日公開の「Munjya」は、マドック・スーパーナチュラル・ユニバースの第3作となる。「ムンジャー」と呼ばれる悪魔を巡る、やはりコメディータッチのホラー映画だ。監督は「The Sholay Girl」(2019年)のアーディティヤ・サルポートダール。「Bhediya」の脚本家ニレーン・バットが今回も脚本を書いている。
主演は「Ae Watan Mere Watan」(2024年)のアバイ・ヴァルマーと「Bunty Aur Babli 2」(2021年)のシャルヴァリー。他に、サティヤラージ、モーナー・スィン、スハース・ジョーシー、タランジョート・スィン、アジャイ・プルカル、バーギヤシュリー・リマエーなどが出演している。サルポートダール監督はマラーティー語映画界で活躍してきたこともあり、マラーティー語映画俳優の出演が多めである。
また、ユニバース感を出すため、「Stree」に出演したアビシェーク・バナルジーと「Bhediya」に出演したヴァルン・ダワンがカメオ出演している。
映画鑑賞前の前知識として知っておいた方がいいのが「ウプナヤン/ウパナヤナ」もしくは「ムンダン」という儀式である。特にブラーフマン(バラモン)の男児は、一定の年齢になると頭の髪の毛を剃り、ジャネーウー(聖紐)を身に付けるが、これは学問の道に入門することを意味する。マラーティー語では「ムンジャー」と呼ばれる。ウプナヤンの儀式を済ませるとその男児はブラフマチャリヤ(学童期)に入り、禁欲生活を送りながらヴェーダなどの学問の修得に努めることになる。
映画の中では、ムンダンから10日以内に死ぬと、その者は「ブラフマラークシャス」または「ムンジャー」と呼ばれる悪魔となり、菩提樹に住み着くとされていた。題名の「Munjya」はその悪魔の名前である。
1952年、コーンカン地方のとある村。ブラーフマンの少年ゴーティヤーは、7歳年上の女性ムンニーに片思いし、彼女の結婚を前に新郎を毒殺しようとした。母親はゴーティヤーのムンダンをする。ムンニーへの思いを抑えきれなかったゴーティヤーは妹を連れてチェートゥクワーディーと呼ばれる呪われた島へ行き、そこの菩提樹の下で黒魔術を使ってムンニーを我が物にしようとする。儀式の生け贄として妹を殺そうとするが抵抗され、逆にゴーティヤーが死んでしまう。ムンダンから10日以内に死んだため、ゴーティヤーはムンジャーとなって菩提樹に取り憑いた。
時は流れて現代。プネーに住むビットゥー(アバイ・ヴァルマー)は幼馴染みのベーラー(シャルヴァリー)に片思いしていたがなかなか言い出せなかった。ビットゥーは母親パンミー(モーナー・スィン)の経営する美容院で美容師として働いていた。ベーラーは英国人クーバとズンバ・スタジオを開こうとしていた。クーバはビットゥーの目の前でベーラーにプロポーズする。
ビットゥーの従妹ルックー(バーギヤシュリー・リマエー)が結婚することになり、彼は祖母ギーター(スハース・ジョーシー)と母親と共に故郷の村を訪れた。実はギーターはゴーティヤーの妹だった。パンミーは実家に住む義理の兄バールー(アジャイ・プルカル)と不仲だったため、滅多に村には近づかなかった。
ビットゥーは父親がチェートゥクワーディー島で死んだことを聞き、当地を訪れる。そこで彼はムンジャーが住み着く菩提樹の中に囚われてしまう。ギーターが現れビットゥーを救い出すが、ムンジャーはビットゥーの肩に手形を付け、菩提樹の束縛から逃れることに成功した。ギーターはムンジャーに殺されてしまう。葬儀の最中にパンミーはビットゥーを連れてプネーに帰る。
ムンジャーはビットゥーと共にプネーに来てしまっていた。ムンジャーは「ムンニーと結婚する」と言い張る。ビットゥーは親友のディルジート・スィン・ディッローン、通称スピルバーグ(タランジョート・スィン)と共にムンニーを探すが、それはベーラーの祖母だった。当然、ムンニーは既にお婆さんになっていた。ムンジャーは代わりにベーラーと結婚すると言い出す。
ビットゥーとスピルバーグは、怪しげな神父エルヴィス・カリーム・プラバーカル(サティヤラージ)に相談する。エルヴィスは、チェートゥクワーディーの菩提樹の下で、婚姻の儀式と見せ掛けて、ムンジャーの魂を山羊に移し、その瞬間に山羊を殺すことでムンジャーを退治できると教える。そこで二人はベーラーを言いくるめて村に連れて行き、そこでムンジャーの魂を山羊に移そうとする。ところが酔っ払って暴走したベーラーに誤ってムンジャーが乗り移ってしまう。エルヴィスが駆けつけて何とかしようとするが、今度はバールーにムンジャーが乗り移る。バールーはベーラーを力尽くでチェートゥクワーディー島に連れて行き、彼女を殺そうとする。ビットゥーは祖母から受け継いだ聖なる枝を使ってムンジャーを攻撃し、彼を再び菩提樹の中に閉じ込める。そして燃やしてしまう。
ベーラーはブラジルにズンバ留学することになった。別れ際にビットゥーはベーラーに愛の告白をするが、彼女はやんわりと断る。だが、ビットゥーは満足していた。
マドック・スーパーナチュラル・ユニバースのトレードマークは、怖さに可笑しさを混ぜ込むことであり、この「Munjya」も100%恐怖でゴリ押ししないタイプのホラー映画だった。それはこのユニバースの持ち味であり、インド映画のフォーマットとも相性がいいので、その部分は欠点とは感じなかった。
いまいち「Munjya」の世界に入り込めなかったのは、かなり早い時間帯に、この映画の恐怖の根源であるムンジャーが姿を見せてしまったことだ。そればかりかポスターにもしっかり載っている!人間は目に見えないものに特に恐怖する。ホラー映画における亡霊やその種のオブジェクトは、居合道における鞘に入った刀のようなもので、姿を現すまでにより多くの恐怖をもたらす。姿を現してしまったら、得体の知れないものへの恐怖は半減してしまう。もっとムンジャーをもったいぶっておけば恐怖の溜めを作ることができただろうが、ムンジャーをいきなり見せてしまい、その効果を出せなかった。分かりやすくはなかったが、分かりやすさ故に子供向け映画に近づいてしまった。
しかも、CGで作り上げられたムンジャーは、技術的にもデザイン的にも完成度が低かった。おそらく完全に恐ろしいクリーチャーを創り上げようとはしておらず、多少の可愛げを出したかったのだと思うが、残念ながらそのミックスには失敗しており、単なる中途半端なキャラになってしまっていた。
ゴーティヤーは7歳年上の女性ムンニーの横恋慕し、黒魔術に手を染めた挙げ句、ムンジャーになってしまった。ビットゥーは幼馴染みかつ年上の女性ベーラーになかなか想いを伝えられず、最後には振られてしまう。ビットゥーはゴーティヤーの血縁になり、ベーラーはムンニーの血縁になる。ゴーティヤーもビットゥーも年上の女性を好きになり、恋の成就に共通して失敗している。ゴーティヤーが極端な行動をした結果、ムンジャーとなってしまったのに対し、ビットゥーは振られてもベーラーに「友情は変わらない」と応答する余裕を持っていた。これは、世代を超えての成長を意味するだろうか。
また、女性キャラが強い映画でもあった。祖母ギーターはとても立ったキャラだったし、その姑となるパンミーも美容院を切り盛りする自立した女性だった。ベーラーはズンバ・スタジオを立ち上げていた。それに対しビットゥーは、母親の美容院で働く美容師という、何重にもフェミニンな役柄である。時代の変化を感じる。普段は臆病だったビットゥーは、ベーラーを救うために、勇気を振り絞ってムンジャーに立ち向かうが、それがベーラーの心を勝ち取るほどの効果をもたらさなかったのもいかにも現代的な展開だ。もはや単にヒーロー振りを見せるだけでは女性の心は勝ち取れないのである。
主演したアバイ・ヴァルマーとシャルヴァリーは共に目下売り出し中の若手俳優たちだ。ヒット率の高いマドック・スーパーナチュラル・ユニバースに主演できたのは大抜擢といえるだろう。特にシャルヴァリーはエンドロールのダンスシーン「Taras」で妖艶な踊りを見せており、悪くはなかった。どちらも作品に恵まれれば伸びる可能性がある。
「Munjya」は、ディネーシュ・ヴィジャーンが掘り当てた金鉱ともいえるホラー・コメディーの最新作だ。ムンジャーを前面に押し出してしまったためにホラー映画に大切な恐怖の溜めがなかったのが不満だが、興行的にはまずまずの成功を収めており、ホラー・コメディーがインド人の琴線に触れるジャンルであることを今一度証明した。もしかしたら続編もあるかもしれない。